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ガット張り専門店 Kiitos のブログ

鈴鹿市営コートのすぐそばにある、ガット張り専門店 Kiitos のブログです。
日々おもう事を書き綴っています。

おととい月曜の帰り、クルマに乗って帰ろうとしたらライトの先に何かが動く。

 

茶色い毛を認識するとほぼ同時に、なんだか妙な違和感。

 

「ネコちゃうやん、ウサギやん」

 

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写真を撮ろうと思って近づいてったら少し距離をとられた。

 

けど逃げていかない。

 

 

「よく見たらかわいいけど、ここでエサなんてあげたらあかんよなぁ」

 

 

抱きかかえて店の2階に連れていくはずもなく、ひとまず放置して帰りました。

 

 

「食べれそうな草いっぱい生えてるから大丈夫っしょ」

 

 

 

そして今日、ウサギさんは見当たりません。

 

 

 

どこかで元気に跳ねていますように。

 

 

僕の恩師に借りた本です。

 

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なにかしらのテレビで見て以来、吉本隆明さんの思想に興味を持ったので「なんか貸してー」と頼んでみたらこれを貸してくれました。

 

まぁとにかく難解です。

 

一語一語を理解していかないと一瞬で取り残されます。

 

 

本文スタートからまだ4ページ目です(全部で300ページくらいありそう)。

ここで1カ月近く立ち止まっています。

 

「構造として見る」 

 

これがわかりません。

 

 

読破することは可能なのでしょうか。

先生と話しながら理解していくべきかもしれません。

 

ひとまず僕なりに考えてみなければ。

 

 

ちなみに、ねころびながら読もうとしてはダメです。

例外なく5秒で寝てしまいます。

 

 

実は本日、6月26日はキートスの創立記念日でした。

 

今日をもって 『5周年』 となります。

 

毎年この日に率直な気持ちを書いておりますが

やはり「感謝のきもち」しかでてきません。

 

「ガット張りだけで食っていけるわけないやろ!?」 とか

「ホンマにおまえ大丈夫か?!」 とか

「どうせ1年もたずに潰れるんちゃう!?」 とか、いろいろ言われました。

 

これも毎年書いてるので、僕自身そうとう根に持っているのでしょうか?笑

 

 

それでも、なんやかんやで5周年を迎えることができました。

 

いつもキートスを使ってくださるみなさんのおかげです。

 

本当にありがとうございます。

 

僕が仕上げさせてもらったラケットを使ってみなさんがプレーしている姿、みなさんの何気ないワンショットが僕の原動力です。

 

完全な脇役とはいえ僕の仕事が、みなさんの人生のほんっっっの一部となっていることが幸せなのです。

 

 

本当にいつもありがとうございます。

 

これからもキートスは進化と深化を続けます。

 

 

 

僕にはいつも立ち返れる初心があります。

 

たいそうな言い方をすれば企業理念みたいなものでしょうか。

 

5年前に思い描いた理想。

 

いつも鮮明な記憶で初心に戻ることができるのは、すごく幸せなことだなぁと思います。

 

 

 

これから先もやりたいことはたくさんあります。

 

目標も野望もあります。

 

僕らしく進んでいきたいと思います。

 

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

先日息子と自転車の練習をしていたとき何十年ぶりかに見つけました。

 

『缶ジュースのプルタブ』 

 

引っ張った勢いで缶を落とし、つぶつぶみかんジュースを半分ほどこぼしてしまった経験があるのも、ギリギリ僕の世代まででしょうか。

 

僕が子供だった頃の話ですね。

 

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ピントが地面に合っているとはつゆ知らず、保存してしまった写真です。

 

 

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こちらはピントが息子に合っているとはつゆ知らず、保存してしまった写真です。

 

 

昔は通学路にいっぱい落ちていたような気がします。

「大人が道に捨てんなボケ」と子供ながらに思っていました。

 

だから取り外さなくていいプルタブが開発された時、「かしこい大人はちゃんと考えてるなー」と思ったことも覚えています。

 

 

ゴミがでなくなったとはいえ、けっきょくのところ子供の力ではうまく開栓できずに

メロウイエローを落下させて半分くらいこぼしてしまったのは言うまでもありません。

 

 

 

この時拾ったプルタブは自販機横のゴミ箱に捨ててしまったのですが、後日ブログ書こうと写真を見直したらピンボケしていることに気が付き、持って帰ってきたらよかったと若干後悔したけれど、まぁいいやとすぐに開き直ったことも言うまでもありません。

バーン100S(LS)をハイブリッドで張る。

 

この仕上げに張り手のこだわりが凝縮されるような気がします。

 

特殊なストリングパターンなので、美しく正確に張ろうと思うと相当に難題です。

 

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メーカーの開発担当者は、打球データ採取の時に正確に張れているのでしょうか?

張れているとするなら、その方法をなぜ周知徹底しないのでしょうか?

 

ひょっとすると、カタログに示されているデータは変形したラケットで測定したものなんじゃないの?

 

ラケットの性能を最大限に引き出すってどういうことなんだ?

 

またいつものスパイラルにはまってしまう。

 

なかなか明確な答えをご用意できません。

なにせストリンガー達にも流派があり、全員納得の張り方なんて存在しません。

 

 

自分で考え導いた方法を進化・深化させていくしかありません。

 

その上でお客様に安心して使っていただくことだけがすべてです。

 

いつも立ち帰るのはその一点だけです。

 

 

匂いと記憶の関係は非常に深いのだとどっかの脳科学者さんが言っていました。

 

ふとした瞬間に完全に忘れていた記憶がサラサラっと蘇ったりするのは、たいてい何かしらの匂いを感じた時かもしれません。

 

僕の場合、デパート1階の化粧品コーナーの横を通る時、2泊3日で修行体験にいった比叡山の線香を思い出したことがありますし

マシンやラケットのメンテで使うアセトンの匂いを嗅ぐと、学生時代にアセトンを腕にかけて涼んだことを思い出したりします。

 

昨日テニスの帰りに初めて天風ラーメンにいってきました。

白菜ラーメンが看板メニューのようですね。

 

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このラーメンのスープをひとくち飲んだ瞬間、また小さい頃の記憶が蘇りました。

 

小学生高学年のころ、家族と知人ご夫婦で野沢温泉にスキーに行った時の記憶です。

その頃はだいたい野沢の民宿でみんなで年越しをしていました。

 

白菜の風味と和風しょうゆだしのせいなのでしょうか、味わった瞬間強烈に記憶を引っ張り出してきたのです。

 

ラーメンもおいしかったのですが、雪国の夜の楽しい記憶がカムバックしてきたことに感動してしまいました。

 

 

いまの僕は基本的に鼻が詰まっています。

これではいけません。

数年後に今日という日を思い出すことができません。

 

以前こちらに書いたナザールが手放せないですね。

http://ameblo.jp/stringer-kiitos/entry-11998081913.html

 

 

あと、どうでもいいですが、

タイトルの 『初天風』 って、おすもうさんの四股名みたいです。

まぁタイトル考えるのも僕ですけど。

今日はいまひとつですが、昨日・一昨日と星がきれいでした。

 

久しぶりにはっきりと北斗七星を見た気がしましたし、それ以外の星もけっこうキラキラしていました。

 

写真は3月に東京へ行った帰り、刈谷のSAでもらった星座早見表です。

 

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子供のころ理科の付録であったアレですね。

天体イベントがちょうどやっていてこれをもらうことができました。

 

 

 

この早見表、いざ使ってみるとめっちゃよくわかる!

夏の大三角形もその他星座もすぐに見つけることができます。

 

おもな星の名前も書かれていて、「確かそんな名前やったなぁ」と懐かしい気持ちにさえなってしまいます。

 

 

小さいころから

「あんな飛び飛びの星を結んで、よくもまぁ白鳥とか大熊だ小熊だとかひねり出したもんだ」

と思っていました。

「髪の毛座ってなんやねん!ただの線やんけ!」とかね。

太古の人は想像力が半端やないなぁと。

 

 

でもおそらく僕は間違っていたのです。

 

きっと太古の夜空には現在とは比べ物にならないほど無数の星が煌いていたのです。

 

光の点で描かれた白鳥やくまさんが空にはきっと浮かび上がっていたのです。

 

 

 

 

いやー、素敵や。

まさに浪漫や。

 

久しぶりにプラネタリウムに行ってみようかなと思います。

子供もきっと喜ぶでしょう。

 

 

さて、サボりにサボっていたブログを今月からまたがんばろうと思います。

 

ちょっとした隙間にアウトプットされる駄文にいつもお付き合いくださりありがとうございます。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

さて早速本文ですが、

今週末に鈴鹿のミックスダブルス大会が開催されます。

この大会はA,B,Cの3部門にクラス分けがなされており、それぞれに適したレベルの相手ペアとのゲームを楽しんでいただく大会です。

 

ですが、ここ2年A級部門が不成立となっています。

参加希望者が少数すぎるからです。

(今年は2組、昨年は0組)

 

そもそも

自分がA級だと自負し勝ちすすむ自信を持っている方、あるいはA級レベルにチャレンジして自分の実力を確かめたいというストイックむき出しの方、

以外は、ペアとの相談で

『ぶっちゃけ微妙やけどそこそこ勝っていっぱい試合したいからB(orC)で出とこか?!』

となるわけです。

それが普通なのです。

当然の心理です。

 

 

しかし運営側としては、3部門ともだいたい一緒くらいのドロー数でやっていきたいわけです。

だってわざわざクラス分けしてるのに、結局レベル混じってたら意味ないし。

 

入賞への道筋(および試合数)は均等であってしかるべきなのです。

 

 

というわけで

僕が提案したいのは自己申告であるクラス分けを細分化してしまうことです。

 

A=上級者

B=中級者

C=初級者

だけでは曖昧すぎるのです。

自分が何者なのか基準がみえないからです。

 

 

そこで僕なりに基準をつくり細分化してみたいと思います。

 

 

a=現時点で県ランキングポイントを取得している方

b=県ポイント取得経験のある方

c=ベスト4以上の戦績のある方

d=なかなかベスト4の壁を越えられない方

e=なかなかベスト8から抜け出せない方

f=ベスト8以上の戦績のある方

g=3回戦まで基本勝っていく方

h=年間10試合以上出場されている方

i=3回戦進出経験のある方

j=年間5試合以上出場されている方

k=試合で何回か勝ったことのある方

l=試合で1回勝ったことのある方

m=いままでに5回くらい試合に出場したことのある方

n=初めて試合に出場する方

o=ラリーが5回くらい続けられる方

p=テニスをしたことが無い方

(*試合や戦績は市の大会を指す)

 

細分化しすぎて考えるのがめんどくさくなった感がありますが、こんなもんでどうでしょう。

a~pの項目すべて読んでくださったあなた、ハグさせてください。

 

なにせ16分割してるのです。

自分がどこに属しているのかわかりやすくなったと思います。

 

その上でエントリーを集計し、人数で3分割すればいいのです。

 

エントリー数が合計60人でも、aは3人でkが20人、mが10人などとばらつきがでるでしょう。

そんなときは

a~j → 「A」 23人

k → 「B」 20人

l~p → 「C」 17人

と、だいたい人数が均等になるように運営側がA,B,Cにわければよいのです。

 

 

こんなこと他の地域ではおこなってないと思うので、試しにやってみる価値は十分にあるかと思います。

 

わくわくドキドキしながら初めて試合(もちろんC)に出てみたら、なんか明らかベテランなペアにボコスコに打たれ何もできず負けてしまい、

「もうなんか…、試合とかええわ…、ってゆうかテニスもうええわ…」

となる人を無くしたいのです。

 

みんながそれなりに楽しく試合ができてこそ、大会の意義があるってもんです。

 

いかがでしょう?

 

ちなみに

僕が担当する大会はクラス分けが無いので、非常に残念ながらこの案は採用できません。

 

 

この少し批判を含む駄文が

協会の方の目に触れるかどうか謎ですが、僕も理事の端くれとして実際に理事会で主張していきます。反乱分子望むところです。

 

去年と同じことを何年も繰り返し続けているだけでは、テニスの普及と強化は進んでいかないのです。

 

率先して新しいことやっていきましょうよ!

熊本の大地震、なんとか皆さん無事に過ごして欲しいです。

僕の友人も近くに住んでいますし、熊本出身の知り合いのご家族もたくさん住んでおられます。

さぞ心配されてることでしょう。

無事が確認できてることを祈るばかりです。



鹿児島の自衛隊で僕の後輩が働いています。

厳しい仕事になるのでしょうが、無事に全うしてもらいたいです。



地震にあう度思いますが、率先して避難するのってすごく難しい気がします。

でも真っ先に逃げないと命に関わる。

テレビ局の様子が流れるけれど、逃げてる人をほとんど見ない。

報道も大事やけど身を守ることを優先するような避難マニュアルがあってしかるべき。




僕らも他人事とせずにしっかり準備しておくべきですね。



被災者の方の無事を祈るばかりです。


僕にとって大切な方が、先月相次いで亡くなられました。


頼りにしている人がいなくなるというのは、すごく淋しく悲しいですね。


今だに実感が湧かないです。




義父のお葬式では 『これからも僕ら家族を見守っていてください』 とお願いしました。


姿形は見えないしお話しもできないけれど、すぐ近くにいてくれるような気がします。




恩師の先生のお葬式では 『これからは好きなだけご自分の時間を楽しんでください』 と伝えました。


世界も時空も飛び越えて、興味のあることすべてを楽しんでいかれるような気がしたのです。





少し落ち着いたこの頃、生きること死ぬことについていろいろ考えます。


十代の頃は、惜しまれながら死んでいく英雄にあこがれたりもしましたが、いまは考えが変わりました。




いまを生きられることに感謝しなくてはいけません。


生と死は、対極にある正反対のものではない気がします。


同じベクトルを持っていて、隣りで近づいたり離れたりしながら、ずっと一緒にあるものなんだと思います。