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A Cheap Log.

Kei

久々にゆっくり過ごせた。朝一度起きたがかくたばってて再び目覚めたら午後4時になっとった…


日経に目を通しテレビのニュースを見とったら、またしても派遣社員の男性が人を刺す痛ましい事件が発生したと報じとった。

NHKのニュースでは、正社員になれず不満や将来への不安を募らせる非正規雇用の派遣社員の問題を取り上げとった。国は早急な対策をとの事だが、改正派遣法ではこうした問題が顕在化する事は最初から十二分に予測出来た筈で、国の他人事のようないい加減な施策に怒りを通り越してただ呆れ返るばかり…


僕が最初の会社に入った1991年、非正規雇用は少数やった。バブル崩壊と株価暴落と銀行破綻、他国の会計監査法導入等で日本は自国の主体的良さを自ら放棄した。

ISOも然り。PL法はうっちゃる事が出来たがISOは飲まされた。モノづくりをしていた当時の僕は、なんで日本よりレベルの低い製品しか造れん国の規格を受け入れなあかんのやと憤ってた。JISという立派な製品規格に自信を持たんのか、ほんまに理解出来んかった。トヨタ、ヤマト運輸あたりがもっと動いて潰してくれとったら、日本の中小企業は今ほど苦しくならんですんだ筈やと、今も思ってる。


バブルで儲けて泡銭を海外に投資し倍返しでパクられメッタ打ちになった企業と、総量規制の舵取りをしくじった国が握手したんが「派遣社員」という逃げの一手やった。そのツケがこうした事件に直結しとる。


平成不況で「成果主義」を導入した企業も、その限界を感じ始めている。欧米と全く異なる風土の日本が、個人主義の国で培われたやり方を真似た結果、デメリットの方が顕在化し現在に至っている。


「会社は誰のモノか?」社会人になった当初、田園都市線沿いに出来たばかりの会社の総合研究所での新人研修で、人事部の人が話しとった。この国は「我々のモノ」、諸外国は「株主のモノ」、いずれ「株主のモノ」の時代が到来すると。当時は然程重要とも感じんかったが、今は「会社は我々のモノや!」と胸を張って仕事を頑張る人々がおってくれたからこそ、戦後の日本の成長があったんやと断言出来る。自分の会社と仕事にプライドを持って一所懸命に頑張る人が多数派やったから、日本は安定成長の波に乗れた。マイナス面もあるにせよ、将来についてもよっぽどの事がない限り無職になるような事もない…国民の将来に対する安心…これが現代日本で失った一番の痛手…


個人的には正社員雇用がいいとは思っていない。極論は、会社に勤める事は、人生の時間を会社に売った対価として給料を貰ってる訳やから、当然我慢せなあかん事や苦労もある。割にあわんと思ったら自分で起業すればええだけの話…


派遣で働いてる方々がもし読んではったらご参考までに。派遣労働は基本的に兼業可能で、他で働いても文句は絶対言われません。これが正社員では一般に許されない最大のメリットです。自分で「打って出る」事が出来るんやから、夢があるんやったら休む間も惜しんで頑張って下さい。くれぐれも「自分なんて…」等と自暴自棄にならず、自分を大切にして下さい。

バタバタと多忙続きで気付けばNHK気象情報の半井小絵サンが梅雨明けを伝えとった。


先週、インドネシア駐在の先輩が急遽大阪に凱旋の連絡あり、久々に隠れ家のミナミのBARに皆集まった。年初に「インドネシアの島に行ってくるわ」と連絡あったきりで半年ぶりやった。


その後に腹へって後輩と饂飩喰ったりまた飲んだり久々に夜のミナミをうろついた。

街はだいぶ変わった。昔の生き生きした感じが多少戻ってきたように思った。昔と違うんは外国の金持ちの人らが増えた事と引っかけ橋が妙に綺麗になってしもうた事…


くいだおれはその夜の前日に店を閉めはった。後輩に「おまえ行ったことあるか」と聞いたらないと言うてた。大阪に住んでてくいだおれに行った事ない人は結構多いように思う。


南海ホークスが最後の難波球場での試合の時超満員やった事を思い出した。

確か試合は土曜日やった。学校終わって球場に駆け付けたファンクラブの小学生らは球場の外で入れず悔しそうにうなだれとった。この日球場に朝から並んでたんは熱狂的なファンの人らもいてはったと思うが、ファンでもない子らがお祭り騒ぎで駆けつけファンクラブの子らが割りを喰わされほんまに可哀想やった。解説の水島サンも「普段からこうして満員だったらこんな事にはならなかったのに」と悔しそうやった。杉浦監督の「行ってまいります」と門田さんの無言の涙に物凄く寂しい気持ちになった…


僕は幼稚園の頃東京から大阪に来て、小学校に入ってから親友の親父さんと親友に連れられてくいだおれに連れて行ってもろた記憶がある。


当時のミナミは昨今のような寂れた雰囲気は微塵も無く活気に溢れとった。人がウヨウヨおった。東京から来て間もなかった僕はその様に圧倒された。大阪ってなんかしらんがガヤガヤしとって楽しい所やと子供心に感じた。


NHKドキュメンタリーで「さよならくいだおれ」を録画しとってやっと見た。上田正樹はんが出て来た。すぐピンときたがやっぱり「ぼちぼちいこか」の歌を歌ってはった。


「ぼちぼちいこか」は上田正樹はんのLPで僕が一番好きなアルバムやった。古き良き時代の大阪が目に浮かぶ傑作でのっけの曲から「兄ちゃんこの時計なんぼや思う?」というミナミ名物の店の実況から始まるこのアルバムは大阪R&Bが何の気取りも無く素直に謳われてて今もよく聞く。昔はカラオケになかったけど「憧れの北新地」なんか最初に聞いた中学生の頃は自分もいつか金稼いで北新地に行ったると思ってた。


このアルバムジャケットもこれから生まれてくる若い世代には「これなんやろ?」となっていってしまうンかと思うと残念に思う。大阪らしさがどんどん無くなっていく今日この頃…


ぼちぼちいこか

ウィンブルドンのテニスが始まると、我が家の結婚記念日の合図。


タレントのウンナンの南原はんと全く同じ日。少し前に皇太子がご成婚されている。早いもので15年が経った。


式は大阪の玉造大聖堂。すぐ横の小学校でブラスバンドをやってて大聖堂のミサの時はよく演奏した。恩師の先生に日取りを取って貰った。式の参列は300人位駆けつけてくれてほぼ満杯やった。身内や小中高大の恩師やツレ、バイト仲間、職場の上司等々…「アホの○○が結婚しよんで!」と冷やかしに一杯来てくれた。


披露宴は大学時代の四年間学費稼ぎで仕事した中之島のホテル。当時は大阪ホテル絶頂期で花博に賑わうバブル経済真っ只中。ホテル専属の配膳バイトで常時300人を超えていた。バイト年収200万以上の連中がザラやった。

仕事は忙しかったが楽しくもあり遊びも派手やった。ディスコ貸切のドンチャンも日常茶飯事で「今楽しく生きんでどないすんねん!」という空気に溢れとった。精一杯生きようとする事に何の迷いもなかった時代やった。ベルーシの「アニマルハウス」さながらやった。


当時一緒に徹夜で仕事して今はこのホテルの役員になられた方に電話して部屋を押さえて頂いた。式の進行表は自分で作って司会はツレに任せた。料理長やサービスに入って頂いた人らみんな3年前まで一緒に汗流して仕事した人達。みんな嬉しそうな顔してはった。


結婚記念日は今もこのホテルに食事に行く事が多い。大阪のホテルは食事がアカンと続かんと俗に言われる。なだ万のエビ天なんか何がどうという事ないのに、冷めてもメチャクチャ美味かった(揚げたては当然やが)。


今年はバタバタと慌しく当日まで予約出来ず一緒に仕事していたマネージャーになった社員さんが仕切る店で食事した。料理を食べながら昔話に花を咲かせた。祝いに日比谷花壇で花をプレゼントしてくれた。もう20年の付き合いになる。


今思えばあっという間やった。結婚まで順風満帆、急遽会社をする為に脱サラ。成功や挫折色んな経験をさせて頂いた。披露宴に来た友人もその後様々な人生を歩んどる。大手石油会社から20世紀最大の経営者を生んだアメリカ最大手企業の日本No.2になった奴や脱サラ後ブライダルビジネスで年商100億をほんの10数年で突破した奴…


年1回の記念日、この日だけは心を新たに自分を見つめ直す日。かみさんと一生やっていこうと決めた日…


今の僕があるんは間違いなく僕のかみさんのおかげです。これからも迷惑かけますがよろしくどうぞ…



昨日ついてたベタの主のブログを拝見して初めて知った。ほんまにおおきにです。


また来るんや…とにかく早速先行予約を入れた(4年前の横浜はツレに任せとったらとんでもない席で…)


4年前に横浜で見た時、多分もう来ないと思った。プロモーターが意外に複数アーティストのビッグイベントは殆ど手掛けた事がなく不慣れやった。詳細はピンクのレコードチェーン店のマネージメントの連れから細かく聞いていた。寸前までドタバタやったようやけど、決して悪いイベントではなかった。全体としては付け焼刃の感はあったけど、十分楽しめた。レスポンドレーベル惨敗後復活のポールウェラーやB’zの稲葉もほんまに良かった。僕らはWHOが終わったらトリのアメリカンバンドを見ずに帰った…


can’t explainが始まった途端、涙が溢れて止まらんかった。たとえ2人のWHOクレジットのユニットやとしても、一生拝む機会はないんやと思ってた僕にとってはどんな形でも見れてほんまに良かった…


聞き続けて4半世紀を越えた。J.GEILS BANDとWHOだけ今でも頻繁に聞く。結構いろんなモノ聞いてきたが、自分にとって一番飽きないバンドってのがピッタシや思う。


どうしようもなく落ち込んだ時は大概モンタレーポップかロックンロールサーカスを見ていた。


モンタレー見てると、気弱なピートがキースの一心不乱なドラミングに後押しされて果敢に立ち向かってる様が感動的で涙する。ジョンは当時から大人やった。ロジャーは見た目と違い結構まともなただの男やった。


ロックンロールサーカスは最も好きな正規発売のライブ映像。ほんまに生で見はった方々は至福の至り…


個人的にライブで一番好きな曲は「HEAVEN&HELL」好不調はキースのドラミングですぐ分かる。


バンドとしてはかなり割を喰わされている。マネージメント力不足と第一次ブリティッシュインベンションでの出遅れ、契約の不当扱い等々…


ストーンズやキンクスと比べても持続力では圧倒的に劣る。そやけど爆発力は物凄い。チャーリーワッツがインタビューで最も凄いドラマーはと問われ「キース以外思いつかない」と言うとった。


WHO'S LASTは切なかった。ケニーは自分のスタイルを捨て精一杯キース節に合わせた。バンドがどないしたらええか全く見えん刹那に溢れとった。この頃ミックが某紙インタビューにストーンズの遠ざかったライブ再開の問いに「今自分らがやったらWHOみたいになる。ピート一人が別のホテルで他のメンバーは一緒のホテル。うちもこんな風になってしまうよ」と語ってた。キースがいなくなった現実を受け入れられないピート…


80年代の沈黙から90年代になって、ピートがキースとの決別をほんまに受け入られるようになって現在に至ってる。一人の人間の死を受け入れるんにこんだけの時間が必要やったんやと改めて感じる…


当時中古レコード屋なんかで探して集めたLP約40枚程、中にはしょうもないブートも結構ある。ビデオや写真集、ツアーパンフなんか今ではみんな宝物。今は金はあっても時間がなく個人的にはもう十分やと思ってる。


今はほんまに再発リマスターが溢れとって、僕らが必死に音源集めとった頃に比べると天国のような状況。クリス・チャールズワースのおかげやと思う。MAX R&Bも当時は強烈やった。WHOの正規モノでほんまに初めて時系列で並べたほんまのベスト盤やった。それまではMEATYが入門用やったけど中途半端でその他も「なんだかな~」的なんが大半やった。この親父さんの執念で現在の気の遠くなるようなリマスター再発が始まった。有難い事です。


再来日まで約5ヵ月、楽しみに心静かに待とうと思います。



THE WHO


被災されお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。また今もご自宅に帰れない方々が、一日も早く元の生活に戻る事が出来ます様、願っております。


数年前、災害対策の事業に関わっていた。落雷対策が主だった。建築物の落雷保護がJIS規格で改定、建築基準法も改定になる筈だったが、官庁が腰砕けで棚上げとなった。現在も落雷被害は増える一方。原因は知ってる者なら当然なのだがあまりにも認知されていない。公にされない理由も明確なのだが…


こうした事業を手掛けている時、2004年の今頃やったと思うが、東京で災害対策総合セミナーに参加した。名立たる設計士や建築家、ファシリティ関連の担当者、当方の関連企業等、参加者は200人を超えていた。主催は誰でも知ってる大手企業のファシリティ部門。


内容はあまり覚えていない。然し、その時点での日本国内での地震予測の話は明確に覚えている。何故なら翌年にそのファシリティ会社で全く予知されなかった震災が博多で発生したからだ…

震災一週間前、久々に博多に仕事で行ってたが、丁度そんな話を取引先の課長と話した記憶があるが、「博多は地震はこないよ」と仰ってた。一週間後それは間違いやったと実証された。


セミナーでは、最も地震発生の可能性が高いのは宮城県沖だと断定していた。時期までは明確に特定はされなかったが、確率では間違いないとの事だった。それは明らかに「間違い」やった。


災害の予見は難しい。くれぐれも普段から備えるという事を肝に銘じて生きて行かんとあかん…