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サラリーマン社長のムービートラベル

「ミセス・クルナスVSジョージ・W・ブッシュ」。文字通り、ジョージ・W・ブッシュはアメリカ第43代大統領であります。人呼んで小ブッシュ。レーガン政権下で副大統領を努め、レーガンの強硬派路線を引き継いだジョージ・H・W・ブッシュ、人呼んで大ブッシュの息子さんであります。第二次世界大戦のエースパイロットから戦後に政界入り、バリバリのタカ派でレーガンの後を継ぎ、保守派からの支持も厚かった親父に比べ、若き日は劣等性、大統領選もアップアップで勝ち、人気も底辺だった彼が一時は支持率91%までになったのは、そう2001年の9.11同時多発テロのおかげ...と言うのは亡くなった方々には失礼ですよね。けど「戦うアメリカ」を前面に打ち出し、これだけの支持率を獲得したのはやはりアメリカって国は好戦的な国家なんやね。でその「ジョージ・W・ブッシュ」の名前の前にVSが付きます。VS...戦う相手がおるわけですわ、誰か?、ミセス・クルナス...誰?、ドイツに住む普通のおばはん、普通のオカンです。なぜか? 9.11のひと月後、そうアメリカ中が、テロを許すな!イスラム教徒は排除しろ!国民世論が沸きに沸いていたころ、この人の息子が旅行先でテロリスト=タリバンと間違えられて拘束されたわけですな。それで5年にも及ぶ裁判を行ったわけです。この作品は実録風にだけどどこかコミカルに描いているわけですが...作品自体はようできていると思います。政府関係者の無関心、夫やほかの息子たちのことをかまえなくことへの苦悩、海外で「何か」あったらあてにできるものは何もないんだと、そんなことがひしひしと感じられます。けど一方で、ん?このオカン気持ちはようわかるけど個人責任てあるんやない?その先には世界中で今問題となっている「移民問題」も浮き彫りになり、事の重大さを痛烈に感じる作品でもあります。

2001年、9.11アメリカ同時多発テロの約1カ月後、ドイツ・ブレーメンで暮らすトルコ移民の家族クルナス家の長男ムラートが旅先のパキスタンから消息を絶つ。テロリスト集団「タリバン」の嫌疑をかけられアメリカ軍に拘束されたと言うのだ。母ラビエは息子の無事を願い奔走する。だが警察も行政も思うように動いてくれない。それどころかイスラム教に熱心で足繫くモスクに通うムラートの行動から警察は疑いを持ちさえする。

ラビエはムラートがキューバ、グァンタナモのアメリカ軍収容所に収監されていることを知る。一年近くがたってようやくムラートから手紙が届く。ラビエはその手紙をもって電話帳で調べた人権派弁護士と言われるベルンハルトドッケの事務所の門を叩く。アポもとらずヅカヅカとやって来てまくし立てるラビエにベルンハルトは面食らってしまう。あまり乗り気でなかったベルンハルトであったが手紙の差し出し人の住所を目の当たりにし彼の顔色が変わる。

ベルンハルトが協力してくれることになったがラビエは尚も持ち前の強引さで独自で行政を駆け回る。だがドイツの外務省はムラートがトルコ国籍であることを理由に腰を上げてくれない。トルコの法務省には「国のために何か奉仕をしましたか?軍隊の経験は?勝手に外国へ移住したのはあなた方でしょ?」。移民一家としてのハンデがラビエの前に大きく立ちはだかっていた。

行き詰っている彼女にベルンハルトは一つの提案をする。「アメリカ合衆国の最高裁判所で政府を訴える集団訴訟に参加しよう」。世界中にはムラートと同じような境遇でアメリカ軍に拘束されている者たちが大勢いた。アメリカの支援者たちの協力を得てそれは大きな一つの力となっていた。ラビエはホワイトハウスに請願書を出すためベルンハルトと共にワシントンDCへ飛んだ。多くの同じような境遇の家族や支援者たちの前で突然ラビエはスピーチを依頼される。最初は戸惑っていたラビエだったが母親としての彼女の心の叫びは会場を埋めた聴衆の心を揺り動かす...。

 

確かに自分の身内や愛する人たちがこんな状況に陥ったら、矢も楯もたまらず彼女と同じような行動を取るだろうと思います。けど...この京塚昌子さんを彷彿とさせる「肝っ玉かあさん」ラビエに対する違和感は何?イマイチ、彼女に対して感情移入できないのはなぜ?妄信的なイスラム教徒が「イスラム憎し」を全面的に押し出していた頃のアメリカが世界中で網をめぐらし、手ぐすね引いて待っているのは明らかなんです。そんなんが布教だなんだと言ってのこのこと「海外旅行」へ行くなんて起こるべきして起ったことでしょ?この「肝っ玉母さん」が海外へ行ったら御上りさんになって買い物だ、土産だと走り回っている姿も共感が持てないですね。まあ逆にこのノー天気さが暗くなりそうな作品をコミカルにどこか明るく仕上がっていると言えるのかもしれないですけど。

ドイツと言う国は移民政策に取り組んだのは1960年代。早いんですね。もう1961年にはドイツ(当時は西ドイツ)はトルコとの間に「外国人労働者募集協定」と言うのを結んでいました。要するに労働者不足のドイツ国内においてトルコに「働くとこなかったらドイツに来てくださーい」ってことです。それが今どうなってます?この移民問題が大きく影を落としています。ドイツだけではありません。フランスでも、イタリアでも。そりゃね、国は移民よりもその国で生まれ、育った者を大切にしますよ、いや大切にすべきです。この移民たちがヨーロッパ中で暴動を起こしています。金をよこせ、権利をよこせ、保証しろ...。できるわけがない、国は手軽に労働力を手に入れようとした。けどそんな移民たちがドッカとその国に腰を下ろし、半世紀以上にもわたって二世代、三世代とその国で暮らしているうちに「イヤ、お前らの法律は認めない」「俺たちのルールを認めろ」ってこと言いだしてくる。そりゃ国は崩壊します。完全に誤り。なのに50年以上もたって「我が国もこれを見習おう」と言って失敗例があるにもかかわらず右へ習えと始めたのが我が国日本です。まあー、政治家がアホの骨頂だと言うことがよくわかりますね。

話しが大きくそれましたがこのオカンがドイツやトルコの行政にいってもけんもほろろに追い返されるのは納得してしまった次第です。映画は世相を表しますと言うのは先週の「猿の惑星」でも話しました。やはりそれは実話の社会派ドラマ、SF

映画に関わらずのようですな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔、昔、チャールトンヘストン主演、監督フランクリンJシャフナーで公開された「猿の惑星」。公開されたのが1968年、私がこの作品を初めて観たのが公開から5年後の月曜ロードショー。まだ小学生やったなぁ。けどなんかよう覚えてます。核戦争だのなんだのって当時はようわからんかったけど、ヘストンのラストのセリフ

「おおー、何てことだ!人間なんて、人間なんて、みんなくだばっちまぇー!」

浜辺で埋まっているリバティ(自由の女神)を目の当たりにして叫ぶんです。私は最初ようわからんかったんですが別の星に辿りついたと思ったら地球やったわけです。この絶望感、あまりにもアンハッピーエンドのラストが衝撃的でした。

物語は宇宙船がある惑星に不時着するところから始まります。このファーストシーンの宇宙船の中のちょっとした出来事がミソ。宇宙飛行士はみんな冷凍睡眠のカプセルの中で眠っているわけですが中で一人だけカプセルが割れてしまって死んでしまった飛行士がいたんやけど老衰で干からびて死んでいるわけです。日時を現すメーターも潰れてしまっている。だから地球を出発してからどれだけ経ってるかわからん。そして不時着したその惑星は空気もあり、水、草木も...地球そっくり。だけどこの地球を支配しているのは人間ではなく猿(エイプス)だった。宇宙飛行士の一人、チャールトンヘストンが迷い込んだのは猿が人間を狩っている真っ最中。ここは一体...。

テレビで初めてこの作品が放映された時、時間も延長して、おまけに当時、絶賛された猿になるためのメイクアップを解説の荻昌弘さんが体験すると言う特別企画までありました。大々的に放映されたこの番組は当時の映画放映では最高視聴率を記録したそうです。あれから40年以上たって2011年に「猿の惑星 創世記ジェネシス」として「なぜ猿が地球を支配することになったのか」と言うシリーズが始まりました。一匹の異常に知能の高いチンパンジー、シーザーが飼い主の青年の言葉を理解するようになり、やがて会話ができるようになる。猿はエイプス(猿人)となり、人間の圧政からシーザーが立ち上がった。そして自らの命を犠牲にして人間から独立する。この前三作から数えて四作目、シーザーの死から何世紀もたった未来、エイプスが遂に人間を支配するようになったと言うのが本作です。あの「衝撃」はないけれどこの人類滅亡のストーリーはコロナ当時のウイルスも絡めて面白いって言うと不謹慎かな。

エイプスたちの神ともいうべきシーザーが死んでから何世紀もたった世界。今、3頭の若いチンパンンジー、ノア、アナヤ、そして雌のスーナは成人のための儀式を前に儀式に必要な鷲の卵を捕ろうと険しい崖を登っていた。彼らが生活しているチンパンジーのイーグル族は鷲を飼いならし漁をさせて静かに暮らす種族だった。彼らは卵を捕獲し村へ戻ったのだが、その夜、村に女のエコー(人間)が忍び込んでいるのと鉢合わせしたノアは驚いた拍子に卵を割ってしまう。真夜中、アナヤとスーナが止めるのも聞かずもう一度卵を捕りに崖へ向かう。だが、その途中、武装したゴリラの種族の軍隊に出くわす。思わず森に隠れたのだが別の種族の村を全滅させた彼らはどうやらイーグル族の村を狙っているようだ。ノアは急いで彼らの後を追ったが時すでに遅し、村は焼かれ、父は殺され、母や友人たちは連行された。必死で抵抗するも彼の意識は遠のいていく...。

翌朝、目覚めたノアは死んだ父に母や仲間を連れ戻すことを誓い、ゴリラたちの後を追った。途中、彼はオランウータンのラカと出会った。ラカの部族もゴリラたちの軍隊に全滅させられたのだ。二人は共に旅を共にすることになる。ノアは博識なラカから今まで父や長老から教えられた歴史や価値観、エコーに対する認識などことごとく違うことを知る。道中、二人はエコーの若い女と出くわしともに行くことになった。しかしノアはその若い女メイが言葉を話し、高い知識を持っていることを知り驚愕する。人間は知能も低く、口もきけない動物だったと思っていたからである。

三人は一団に追いついたがゴリラたちの狩りの真っ只中、ラカは川に流されノアとメイはゴリラたちの軍隊に捕縛される。そして二人が連行された先は自らをプロキシマス・シーザーと名乗る暴君が治める帝国(キングタム)だったのである。

 

1968年当時は冷戦真っ只中の世界情勢でした。だから核戦争後の地球が舞台となりラストのヘストンの絶叫となるわけです。この雄叫びだけ聞くとチャールトンヘストンと平和主義、反体制派と思うのでありますが、実のところ彼はゴリゴリのタカ派、かの全米ライフル協会の会長なんかもやってました。この映画だけを観るとそうは思えんのでね、昔からずーっと引っかかってました。まあそれはともかくとして1968年当時は冷戦、そして核兵器が世界情勢の話題の中心でした。そして今はウイルス...映画は世相を反映します。けど何十年経とうと一貫して映画が訴えるのは人間の愚かさ、阿保さです。

ノアが最後にメイに言いますね、「お前たち人間は変わらない。物を作り、すべてを破壊する」。

高い知識を誇り、文明を築く。そしてそれを事も無げに破壊する。人間自らがその姿を描く。なんとも50数年たった今でも

変わらないと言うのはなあ...。

特殊メイクキャップの時代から特殊映像技術の時代へ。これだけは革新の進歩があります。凄いです。エイプスたちは人間のように話し、人間のように動く。だが運動能力は人間の身体能力を遥かに超える。知能と行動力、そしてそれを統率する者さえいれば猿がエイプスとなり地球上を支配する。そんな時代が来ても不思議ではない。だが結局は人間と同じ、暴力で弱きものを支配し、すべてを破壊する。権力、暴力、それを手にしたものはやはり人類の世界でもエイプスでも破滅へと導く。権力、暴力を凌駕し平和を導くものとは一体何か。これは永遠のテーマです。この欄でもしょっちゅう書いているように我が国の周りには権力、暴力を思いのままにする指導者が顔を連ねています。ほんまに「阿保の惑星」ですな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久々の香港映画、いや中国映画やな。懐かしきあの香港映画は今はありません。まあ、香港映画でも散々、日本人は悪役にされたけどね。これが中国映画になると輪をかけて益々、憎っくき日本人と言うことになります。中国には純粋の日本人でありながら中国内で悪党専門の日本人として活躍する日本人俳優がいるそうであります。本作「無名」でも森博之と言う役者さんが活躍しています。役は関東軍の諜報員総元締。本来ならこう言う作品は日米合作として両国公平に歴史的事実を公正に描くもの。まあ訛りのない日本語をしゃべる日本軍人を演じる役者さんが何人か出演しているのでこう言う役者さん、いっぱい中国にいるんでしょうね。中国人のそう快感を得るために...。作品中には日本軍人に頭の上からセメントを流されて生き埋めにされる中国人たちの姿なんかが描かれています。本当なら仕方ないけど、聞いたことないけどなあ、うーん。日本人としては複雑です。

主演はトニーレオン、いい役者ですよねぇ。「非情城市」から始って「インファナル・アフェア」「レッドクリフ」、香港フィルムノワールの数々の作品、なんか沁みる役者さんです。それからもう一人の主演ワンイーボー、若手の俳優で歌手でダンサーだそう。相当人気あるそうですが私は全然知りません。あしからず...。スパイが暗躍する上海を舞台に残酷でダーティーな世界が繰り広げられます。善人が一人も出てこえへん。

世界大戦末期の上海。汪兆銘政権の国民党・政治保衛安部のフーは中国共産党の秘密工作員ジャンを訪ねていた。フーはジャンから共産党幹部の情報を聞き出すことに成功する。

1941年上海。1938年の広州大爆撃を生き延び政治保衛部の主任になったフーは石原派を自認する日本帝国・関東軍スパイのトップ渡部と戦局の分析をおこなっていた。その場には従弟で部長のタンもいる。フーにはイエとワンと言う部下がおり親日派である汪兆銘の国民党の元で諜報活動をおこなっていたがある時、任務に失敗し処刑されるはずだった国民党の女スパイの命を助け、引き換えに日本人の要人リストを手に入れた。

1944年名古屋で汪兆銘が死去すると国民党は蒋介石政権へ。中華民国・国民党、中国・共産党そして日本帝国・関東軍の諜報機関の間でも微妙な空気が流れだした。イエにはファンと言う婚約者がいたが彼女は共産党のスパイであり、日本を敵視していた。ファンはイエに別れを告げる。数日後、ファンはイエの同僚ワンから暴行を受け殺害される。

1945年戦局は日本に不利になり渡部は日本を去る決意をする。共産党の工作員ジャンは諜報活動に疲れ共に過ごした女性工作員チェンと余生を過ごそうとしたが彼女には夫がいた。共産党の工作員だったチェンの夫はフーだったのである。一方、イエはワンがファンを殺害した理由を問い詰めた。ワンはファンが共産党員だったからだと聞かされ激怒する。その怒りの矛先は共産主義者だと知ったフ-へ...。1945年8月15日。日本敗戦。戦争と政争に翻弄された諜報員たちの運命は...。

 

ややこしい、ああトニーレオンは結局共産党員だったのねと言う結末に。ラスト近くのトニーレオンVSワンイーボーのガチのセメントファイトは派手だった。なんでもスタントなしだそう。時代背景を言うとこのあたりの中国情勢と言うのはほんとうにややこしいです。1930年代は中国各地を軍閥と言うのが支配していていたんですが満州は日本の租借地として認められていたわけです。その満州で日本はうまくビジネスをやっていて世界大恐慌の中でもなんとか乗り切っていたわけ。だから日中戦争勃発後も国民党の汪兆銘は親日派で交流がありました。ただ中国国内には共産党員も多く、これは全くの反日、そして国民党自体も汪兆銘が死ぬと蒋介石が政権を取り日本に反旗を翻します。この男、散々日本に世話になっております。日本に留学させてもらい、日本帝国陸軍で勤務させてもらい、一説によるとかの松井石根大将に下宿の世話までして貰ったとか。なのに南京事件の張本人に仕立て上げ...。まあこれ以上言うと一方的になりますので。

またここでは東条派、石原派と陸軍にはあってこの作品に出てくるスパイの親玉は石原派だとか。まあ確かにこの二人仲が悪かったのは確かですがそんな単純なものではない。東条派とは勿論、陸軍大臣、首相を兼任し終戦後は東京裁判で絞首刑になつた東条英機であり石原派とは戦争の天才、石原莞爾であります。派閥で言うなら皇道派と統制派であり単純に言えば天皇親政の下での国家改造を目指すのが皇道派、陸軍大臣を通じて政治上の要望を実現するという合法的な形で列強に対抗し得る「高度国防国家」の建設を目指すっていうのが統制派。「226事件」以降、皇道派の勢力は弱体化。東条は統制派やったけど石原はどっちにも属さずやったと言います。まあそこまで中国映画に求めるのは酷。けど日本人が中国に自分の国のことを語られるとなんともチープ。そんなことで上げ足を取るような映画じゃないんですけどね...。