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サラリーマン社長のムービートラベル

つい半年くらい前に「ゴジラー1.0」を観た。たかが怪獣映画と言うなかれ、近年にない見事な邦画作品。いたくいたく感激致しました。時代設定、背景、脚本、どれも皆素晴らしい作品だと思いました。海外でも大ヒットし、評価されました。主演は勿論、日本最大の英雄でありヒールでもあるゴジラ。そして今回、1年の間に再度、我々の目の前に彼は参上します。アメリカ版ゴジラ映画「ゴジラ✕コング 新たなる帝国」。そしてハリウッド版ゴジラとしては再度、キングコングと顔を合わせます。

初めて我々の前にゴジラが姿を現したのは昭和29年。私は生まれておりません。もう今とは映像技術がぜんぜん違います。リアリティ、迫力、勿論、今の方がずっと上です。昔のゴジラは走りません、山から山に飛んだりしません。顔のいかつさ、背びれの迫力、どれをとっても豪快です。最初に登場したゴジラは完全ヒール。「ゴジラ-1.0」のように...。しかし私が物心付き始め、幼稚園から小学校に入る頃、そやなー、うちの親父やおばあちゃんに下町の映画館に連れて行ってももらいました。もうその頃にはヒールからヒーローに、宇宙大怪獣キングギドラや宇宙人に操られたメカゴジラ等、凶悪怪獣から地球を守る守護神として戦います。その頃には「ゴジラ対◌〇〇 怪獣大戦争」とか「ゴジラ対◌〇〇 オール怪獣大進撃」とかそんな副題がついてモスラ、ラドン、アンギラス...etc。多数ご出演でした。言わば今回はそれをハリウッドでより脚本を複雑化し、潤沢な制作資金を投入し、最新鋭の映像技術を使って映画化した作品...そう言えばええんかな?

ゴジラ、キングコング、相まみえて三年。ゴジラは地上の怪獣王として、コングは地球の地下空洞に存在する、地下世界の主として地球の守護者の役割を果たしていた。彼らが暴走しないよう管理しているのがモンスターたちの研究、調査を行うアメリカ政府の特務機構。通称〝モナーク〟。そのモナークで科学者として働くアンドリュース博士は髑髏島のイーウィス族最後の生き残りジアを養女として迎え、母娘として生活していたが口が利けず、テレパシーだけで会話するジアにとって学校は居場所のない世界だった。

そんなある日、地下空洞のモナーク施設が正体不明の電波信号を受け取る。同じ頃、ジアが無意識に机一杯に波状の奇妙な図を書き殴る。それはモナークに送られた電波の波状と酷似していた。そして地上のゴジラの活動が活発になっていく。アンドリュースは何者かが電波を発信しているのだと考えた。ゴジラは来るべき「時」に備えているのか...。彼女はかつて一緒に仕事をしたモンスターたちのことを配信するインフルエンサー、バーニーとモンスター専門の獣医トラッパーらとチームを編成。ジアも同行しモナークの地下空洞施設へ向かう。一行が地下施設に到着した時、既に施設は何者かによって破壊されたあとだった。一方、コングはまだ人類未開の地下空洞のエリアに足を踏み入れた。彼を待ち受けていたのは巨大な類人猿たちの軍団だった。

破壊されたモナークの施設を出発したアンドリュースの一行は古代遺跡の跡を発見。そこはヴェールに隠された都市、髑髏島で絶滅したはずのイーウィス族がいた。謎の電波信号はイーウィス族が発信していたのだ。イーウィス族の女王はアンドリュースたちに古代の出来事を語る。1000年の昔、口からすべての物を凍らせる冷凍エネルギーを吐く凶暴なモンスター、シーモにイーウィス族は絶滅の危機にさらされ地下空洞の辺境に追いやられた。ゴジラに撃退されたシーモを邪悪な巨大類人猿スカーキングが飼いならし、地下空洞に住む類人猿たちを恐怖で支配し邪悪な軍団を形成した。それが今、地下空洞の世界を支配し、あわよくば地上の世界へ打って出ようとしているのだ。そして、スカーキングの軍団に一人で相対し傷ついたコングがアンドリュースたちの前に逃れてきた。ラッパーは大怪我を負ったコングの右腕にハイテクのグローブを取付ることに成功。コングのパワーはアップされた。だが邪悪で残酷なスカーキングを筆頭に飼いならされた凶暴なシーモ、そして多数の巨大類人猿軍団を相手にコング一人では戦えない。ゴジラに協力させるためコングは地上に向かう。そしてイーウィス女王の命により救世主とされたジアがゴジラを説得させるためイーウィス族の守護神であり、かつてのゴジラの盟友モスラを復活させる...。

 

確かにパンフレットの表紙になっているゴジラとコングのアメフト並みに駆けだそうとしている姿はカッコイイ。コングはともかくとして昔、ゴジラが走り出し、山から山へと飛び移るなんて考えられなかった。しかも設定はゴジラ120m、コング103mです。ゴジラなんて動くたびにものがつぶれる。寝床がローマのコロッセオ...。どんなに悪徳怪獣を倒しても動く度にものが倒れればあかんやろ。ローマ、パリ、カイロ...ゴジラとコングの世界旅行。世界遺産を潰して回る、挙句の果ては地底で地上で冷凍怪獣狩り。昔、大映の「ガメラ」で冷凍怪獣バルゴンと言うのがおりました。シーモって怪獣はそれにそっくり、これモデルにしてへんかなぁ。姿形も攻撃方法もそっくり。なんか懐かしさが感じられます。このシーモに関していえば身長162m。デカすぎひん?このシリーズの設定。アメリカ製だからか?50~60mで充分やと思うけど。なんか気になりますわ。

しかしゴジラは何といっても日本映画の宝、ハリウッド映画の至宝がキングコングであるようにです。でもなんかゴジラがアメリカの持ち物みたいな感じで描いているようで...。突然ヨーロッパから上陸したりと日本が描かれておりません。せめて台湾か香港くらいから上陸してほしい。もう一つ盟友モスラ、この格好なんとかならん?

 

 

 

 

 

 

 

0(ゼロ)、-1.0(マイナスワン)、近頃こういう作り方が流行っているのか?事の始まり、事の起こり、プロローグを描く作品。「陰陽師0」はまさに陰陽師安倍晴明の若き日を描い作品です。どのような境遇から身を起こし、誰もが一目置く、陰陽師のスーパースターになったのか、まさに0(ゼロ)からの物語です。主演は山崎賢人くん、なんか話題作、注目作と言えばこの子ばっかしやね。確か「キングダム」シリーズも先日なかなか面白かったかな、と思った「ゴールデンカムイ」も彼ですよね。プロデューサーに好かれるのか映画会社に人気があるのか、私自身は主演、座長を務めるにはいささか未成熟かなと...それともう一つよさがわからないのだがね。物語は陰陽寮の学生(がくしょうと読みます。まあ陰陽師になるための学校です。)だったころに起った事件の解明と盟友・源博雅との出会いを描きます。ん?源博雅とは安倍晴明が初めてスクリーンで描かれた第一作、野村萬斎が安倍晴明を、伊藤英明が源博雅を演じた「陰陽師」で初めて出会ったのではなかったのかな。こんなところコアなファンは突っつくよ。作り手さんたち、特に脚本家の方はちゃんと1作目から観てんのかな。

948年、人々が呪いや祟りを信じていた平安時代。人々が唯一頼ったのは陰陽師。その陰陽師の学校であり省庁が「陰陽寮」と呼ばれ政務の中心であった。正式な陰陽師になるため陰陽寮に通う数多くの学生たちの中に「狐の子」と呼ばれ異彩を放つ若者がいた。名を安倍晴明。早くに両親を亡くしたが陰陽博士・賀茂忠行にその才能を高く買われた晴明は忠行の推薦により陰陽寮に通っていたのだが他の学生たちよりあまりにも秀でた能力を持つため受講に参加せず陰陽寮の書籍を読みふける毎日だった。そのため他の学生からは浮いた存在である。

ある日、寺で晴明は帝の身内に当たる中務大輔・源博雅に出会う。後日、博雅は晴明を訪ねて陰陽寮へやって来た。傲慢な態度をとる晴明に憤慨する博雅であったがなぜか心底憎めず彼に親しみを感じた。博雅は晴明にある頼みごとがあった。密かに思いを寄せる従妹に当たる元伊勢斎宮の黴子(よしこ)女王が毎夜、勝手に音を奏でる和琴に悩まされていると言う。晴明はなぜかそのことに興味を示し博雅と共に黴子を訪ねた。晴明は床下に隠れていた金の龍を誘きだし封じ込めてしまう。そんな事件が起こった数日後、学生の中の優等生「得業生」である橘泰家の変死体が井戸の中で発見された。陰陽頭の藤原義輔は学生たちに事件を解決した者は次の得業生だとふれを出し陰陽寮は大騒ぎとなった。そして学生たちの疑惑の目は異端児、晴明に向けられる。そんな中、博雅が陰陽寮に駆け付ける。再び金の龍が現れ黴子を連れ去ったと言うのだ。晴明と博雅は2つの怪事件の解明に挑む。

 

ふーん、若き日だからスケールの小さくなるのは仕方ないか...。でも悪いけど役者の質が違いすぎるかな。晴明=野村萬斎、博雅=伊藤英明、それに加えて宿敵・芦屋道満(作品では道尊)=真田広之と豪華で内容も相良親王の怨霊が相手とオカルト色がより濃くてスケールが大きく内容も数段濃いと思いますがいかがなもんでしょう?一抹の物足りなさを感じたのは私だけか?それから注目作、話題作の主演を山崎賢人ばかり演じるのはなぜ?そんなに主演を張れる若手って日本にはおらんの?未来の大将軍も不死身の杉元も天才陰陽師も皆同じ顔?近年のアカデミー賞でも評価が高い日本作品に世界で活躍する日本の役者さんと世界に認められてうれしいのになんか国内作品の大作、話題作の主演がどれも一緒と言うのは寂しさを感じますね。失礼ついでに言うと最近、ネット配信で昔の大河ドラマを観ました。「真田太平記」を観てやっぱりテレビドラマの役者さんも昔と随分ちゃうなあと思いました。もう40年近く前の作品ですが渡瀬恒彦、草刈正雄、丹波哲郎、夏八木勲...。重厚です、骨太です。草刈正雄さん以外はみんなもう亡くなられています。夏八木勲さんなんか今までの作品観てください。主演だろうが脇役だろうが、オレ大好きでした。あのアクの強さ、ぐいぐい来る演技力。今いないですよこんな人。

今の若い役者さんたちにここまで期待するの無理でしようが主演の方、皆、線が細いです。堺雅人さん、芝居はうまい人やけど作品の看板になる人かなあ。大河の主演も映画の主演もジャニーズ、ジャニーズもうあらへんけど...。こんな系統ばかりが看板俳優になってええんかな?日本の映画界は。皆線が細い! 

本作「陰陽師0」に戻りますが脇を固める、小林薫、北村一輝、國村隼が濃いくて、クセの強~い役者さんだけに物語の中心になる3人の若手が何とも薄い!ひ弱く感じるのは自分だけでしょうか?脚本もなんですがキャスティングが非常に痛い作品だと思いました。

 

安倍晴明と言う人はご存じの通り実在した人物です。いわば平安時代のスーパーマン。映画やテレビで語られるようになったのは「帝都大戦」以降かな。この作品は大正時代の話やから当然、晴明は出てこないけど晴明の血筋を引く陰陽師の名家、土御門家の総帥と言うのが出てきます。やっていたのが平幹二郎さん。けどこの作品の主役は何といっても魔人・加藤保憲を演じた島田久作。一度見たら忘れられない顔、主演はこの作品しかできないでしょうと言うこの強烈なインパクト。自分が安倍晴明や陰陽師と言うのを知ったのはこの作品かな。この作品だってすごいですよ!渋沢栄一=勝新太郎やもんね。

兎にも角にも紆余曲折を経てこれからも映画は続いていきます。次回はどんな形で平安のスーパーマン安倍晴明はスクリーンに登場してくれるのか...。

 

 

 

 

1973年、今までとは全く違った恐怖を観る者に与えたオカルト映画が誕生しました。まさにオカルト映画の金字塔。「エクソシスト」はドラキュラ、フランケンシュタイン、狼男などモンスターが闊歩する映画ではない、人の心に忍び寄る闇、人と悪魔の壮絶な戦いを描き世界中に一大オカルトブームを巻き起こしました。それを追うように三年後の1976年、波に乗るように誕生した「悪魔の子」を主人公にした作品が「オーメン」。またまた大ブーム。「悪魔の子」「666」キーワードがいっぱい。「オーメン!」漫才師が連日のようにギャグにしてました。「エクソシスト」の出来が素晴らしかっただけにこの作品は結構、賛否がわかれました。けど作品は大ヒット。その後、Ⅱ、Ⅲと続編が出来ました。成人に成長した「悪魔の子」が人類との最終決戦までなるに至りましたが私も見た記憶がありやなしや。「続編は駄作」と言うジンクスの御多分に漏れず、一作目ほどの話題にはなりませんでした。そして一作目から48年。今回「オーメン/ザ・ファースト」と題して悪魔の子ダミアンの誕生秘話が映画となりました。何を今更...と思う反面、映画ファンにとってはこれは興味津々です!

孤児として育った修道女見習いのアメリカ人女性マーガレットは教師としてローマの教会内の女子孤児院に赴任してきた。教会に奉仕することによって修道女としての道が開かれる。着任早々、ルームメイトとなった同じ修道女見習いのルスに「最後の夜だから」と強引に誘われ夜の街に繰り出し若い男性と意気投合したのだが酔いつぶれて気が付くと翌朝、自分の部屋のベットで目覚めた。

孤児院で働き始めた初日、彼女は問題児として監禁部屋に閉じ込められている少女カルリータと出会う。マーガレットは孤独で誰も寄せ付けないカルリータの姿をかつての自分と重ねるのだった。何かとカルリータのことを気に掛けるマーガレットだったがなぜかシルヴァ修道院長ら教会の修道女たちはそれを良く思わないらしい。だがマーガレットがこの孤児院に来てからと言うもの彼女の身の回りで不可解な怪死事件が起こり始める。ちょうどその頃、一人の神父がマーガレットの元を訪れる。彼の名はブレナン神父、彼はカトリック教会から破門された神父である。ブレナンはマーガレットに教会の陰謀を打ち明ける。昨今、人々の信仰心は薄れ神を蔑ろにするようになった。人々の心を再び教会に向けるためには民衆に恐怖心を与えなければならない。ならばその恐怖の象徴が必要である。恐怖の象徴、それは悪魔の子を誕生させること...。今の教会は反キリスト派が多数入り込んでいると言うのである。その先頭に立つのはローマ教皇に次ぐ権力を持つ大幹部ローレンス枢機卿。悪魔の子、その母になるのはカルリータなのか...だがマーガレットの想像を遥かに超える戦慄の真実が彼女を待ち受けていた。

 

本作の所々に一作目のオマージュがあります。まず、今は亡きグレゴリーペックが最後に写真で登場。それから悪魔の子、ダミアンの家庭教師が首にロープをかけて屋上から飛び降りるシーン、新聞記者に扮したデビットワーナーの首がガラスで切断されるシーンともうマニアなら「あっ、これっ」って一発でわかります。けど一作目「オーメン」を作ったリチャードドナー監督はこの作品を「ホラー映画を作ったつもりはない、サスペンス、ミステリーの要素がミックスされた作品」と言ってます。まあ一作目には確かに怪奇現象、もしくは偶然とも取れるシーンばかりです。「エクソシスト」のように悪魔そのものは出てこないし、勿論モンスターも出てこない。考えてみればサスペンスとホラーの境界線。それが本作では悪魔崇拝の信仰者たちが事の発端と描かれています。そしてこの作品では悪魔らしきもの、禍々しきものがちらりちらりと見え隠れします。信仰心を復活させるため悪の象徴をと言うのはどこかこじつけのような気もしますがなかなかに、それなりに面白かったと思います。48年後の「悪魔の子」の真実。世情も反映してああ、こういう時代だったのかと1970年代の不安な世界情勢を思い起こしました。