週末に久しぶりに家族そろったので、日本食を作ったが、味噌汁はあまり食べてくれず、いっぱい残ってしまった。 そこで、里芋、わかめ、オクラ、塩吹きこんぶ(ふじっこ)とごはんを入れて、雑炊にした。 青ねぎをたっぷり散らして熱々を食べるとおいしい。 リュウザエモンの誕生日にはみんなで外食したが、そのレストランに行くと、学校の知り合いが働いているらしく、方々からお誕生日おめでとうの声がかかる。 デザートはなしにするという理由はその夜友達(女の子)がチョコレートケーキを持って来ることになっていたから。 次の日には女の子2人に誕生日のディナーと映画をおよばれ。 本人に言わせると、どの子も本命ではないそうだ。 この間は男の友達とチャイニーズのレストランに行って、ゲイカップルのふりをしたんだって。 おいおい、いいのかそんなことして。 


兄たちに比べるとこの子は人付き合いがかなりうまいようです。 私と一緒にショッピングに行き、自分の好きなブランド物をいっぱい買いました。 American Eagles がお気に入りです。

妹のブログでうちの家族構成の話、双子の妹と姉の私、雅子様のところと同じとか。 http://ameblo.jp/kskikaku/day-20070223.html   恐れ多くもずいぶんと思い切った比較をしてくれるではないか。 


実はツレアイの方にも双子がいた。弟たちは二人とも新生児突然死してしまったけど、生きていれば双子の弟たちである。 というわけで、私が妊娠したときには、双子の可能性は普通より、多くなりますといわれた。 長男が生まれ、次男が生まれ、今度こそ、双子かなと思ったら、三男。 もし双子だったとしても、同じ服を着せたりはしなかっただろう。 お下がりを着せていたから、同じものは二つない。 要するにけちなのだ。


双子の妹たちは何か特別の絆みたいなものがあるような気がする。 私も負けずにきんさんぎんさんの上を行かなくては。 3人そろって100歳になったらおそろいのちゃんちゃんこなど着ることにしよう。 


この間はお鍋いっぱいの肉じゃがを焦がしてしまい、鍋にこびりついたこげを削り取るのに2日、台所の焦げ臭いにおいが消えるのには3日かかった。 そのリベンジでまたまた肉じゃがに挑戦。 前よりもっとお肉を使い(約1キロ半)、にんにくとしょうがでいためる、水を入れてやわらかくなるまでゆでる。 一晩置いて、あくる朝は上に張った油を取り除き、みりん、お砂糖、しょうゆで味付け。 加えるものはジャガイモ、たまねぎ、豆腐、そして今回はしいたけ。


納得できる味に出来て一人で満足。 コレステロールも何のその、さあ食べるぞ。

私の貧乏暮らしの話が一番受けると妹から聞いたので、早速ひとつ。 結婚したばかりのテレビもステレオもない一間の生活。 食べるものは牛肉ならひき肉、とりなら足の部分。 魚とかそのほかの肉なんて高くて買ったことがなかった。 一度冷凍のラビットが安くなっていたとツレアイが買ってきた。1匹のかたまりを前にどう料理しようと途方にくれたこともある。 ウサギでしょ、食べたこともなければ料理したことさえない、それをどーしろっていうのよ。 

 

野菜ものといえば、安いものはキャベツとたまねぎジャガイモ、それ以外のものを買ったことがない。 ブロッコリやアスパラガス、マッシュルーム類など、贅沢な野菜だった。 外食なんてもってのほか。 スーパーに買い物に行くと、持っているお金の30ドルで納まるように、かごの中の物を暗算で合計してみる。 昔の日本の算数教育はさすが、おちこぼれの私でも、それくらいは出来て、ツレアイの感心のまと。


今ではスーパーの買い物には糸目をつけません。 とか言って賞味期限切れの半額コーナーをあさっている私です。

久しぶりにこの週末にはクマゴローもサイノスケも帰ってきて、みんなでリュウザエモンの誕生日がお祝いできる。 17歳になる。 これでR指定の映画も見にいけるという。 それくらいしか17歳になる特権はない。 お酒もタバコもまだまだ先の話だし、法的に大人になるのは18歳からである。 下級生の数学の個人教授をたのまれて、その放課後のバイトと空手のレッスンで忙しい。 兄たちと同じ州立大学にいくと決めているので、他の学校に目移りすることもなく、適当に気楽にやっている。 こんなに暇でいいんだろうかと思うことしばしば。 日本ではこうはいかないだろう。


週末には友達とWiiで遊んで騒いでいる子供である。

ヨガのクラスではいつもバックグラウンドの音楽を先生が選んでかけている。 インドの民族音楽みたいなときもあれば、イージーリスニング(こちらではエレベーターミュージックという)の時もある。 別に、気にしなければいいのだが、耳につき始めるとこれがやたら神経に障る。 こういうのを超えて神経統一するのがヨガだろうと思っても、悟りの開けてない凡人の身。


今晩のヨガにはピアノでクラシックをアレンジしたものが流れていた。 ピアノとフルートで月光ソナタ。 すごく簡易になっていて短縮してある。 ちっ、私が習ったけど結局マスターできなかったのとはずいぶん違うじゃないか、これなら私でもひけるわい。 知らない曲のほうが聞き流せてヨガをやっている私にはいいようです。

One-upper から pushover を経て最後のとりは brown-noser にきめてもらいましょう。 露骨におべっかをつかい、上の人の受けをよくしようとする人のこと。 イヌの社会では始めてあったときに上下の決定があり、負けたほうが相手のお尻をクンクンして、服従の意思を表すという。 そのことに引っ掛けて、鼻にウンチがついて茶色になっていることをおべっか使いというようになったらしい。 まだ学校に通っていた昔、初めてこの言葉をきいたときには、その語源を考えると恥ずかしくて使えないよ、と思った。  仕事をしてもう17年目。 今では平気で使っています。


こぶしを作り、鼻の上をこするようにしても、同じ意味ですから、あの人ってこれね、とやります。 

今日も昨日の続き。 One upper とともにどこの仕事場にも必ずいるのが、pushover といわれる人。 自己主張の出来ない(背骨がないという)気の弱い人で、誰かの言いなりになってしまって仕事を余分にやらされたり、自分の領域を減らされたりする。  こういうのはここではまったくのマイナス点である。 日本では協調性があるとか、いい人になるかもしれないが、アメリカでは仕事での信用も人間としての尊敬もなくなる。 これがもっとひどくなると、こういう人は door mat と呼ばれるようになる。 玄関のドアのところにおいてあるマット。 皆に土足で踏みつけにされるイメージ。 


自分のいいたいことは自分で言わないと、だれも代りには言ってくれないというのが、当たり前の社会。 強くなければ生きていけない。(そしてやさしくなければ生きている意味がない、といったのはチャンドラー)。 

昨日のように妹のブログのネタを使って、それより私の方がもっと、という人を英語では one upper と言う。 誰かが自分の子の自慢をしていて、今度町のベースボール大会に出るんだ、と言えば、 私の子供は州のナンバーワンだったといったりするのが典型。 いいことばかりではない、 風邪をひいて39度の熱が出たと言う人に、自分は41度だったと言うのも one upper である。


それがいやみになると嫌われる。 そう思って観察していると、何に対しても勝たなくてはという人はいるもの。 大人気ないといえばそうだ。 私はそうならないように極力勤めているつもりだが、 貧乏暮らしの経験と変わった習癖のツレアイという点においては 勝つ自信があります。

妹のブログで、フロントの窓だけの雪を取り、後の窓は雪で覆われたまま走っている車の写真があった。 雪深い札幌の話である。 私もインディアナの北のほう、シカゴの南のあたりの小さな町に住んでいたころには根雪が道路に積もって壁になっていた。 そこで、フロントウィンドウの氷をほんとにCD位の大きさだけ取り除いて運転したことがある。 車に氷が張るとがりがり引っかいてとるのが大変、ガレージがあるわけじゃなし、雪が降るたびに、1メートルくらいの雪から車を掘り出していた。


凍った道で車がコントロールを失い、180度回転したこともある。 360度回転するとドーナッツという。 こういうのを楽しめるのはツレアイ。 私にはただただ恐ろしいばかり。 雪が降っても、氷になるともっと手に汗握り、心臓はどくどくと打ち始め、運転している間は血圧高くなってるだろうなとわれながら思う。


不思議なことにリュウザエモンまで、雪道や氷道の運転は怖くないよ、スピードを出さずに気をつけていれば、という。 この自信というか平常心はどこから来るんだろう。 世間知らずの16歳の怖いもの知らずなのか。