私はこの40年以上飲まなかった日が一日もないという立派な?アル中ながら、首から下はどこも悪い箇所がないという健康優良爺である。
これは毎日のアルコール摂取量を度数換算により計算して、少なくとも月平均では飲み過ぎないように気を付けているからかもしれない。
なお酒はワインと日本酒以外はだいたい度数が高いほど美味しい(特にビールとウィスキー)が、度数が高いものは大量に飲めないので結局はハイアルコールのものを飲む方がトータルアルコール量は抑えられるようである。
というわけで酒は強くないが強い酒は好きな自分の飲み方(下記ブログに書いたように混ぜるためにできた酒はないと開高健から聞いたことも影響しているかも)
は健康にいいと思っているのであるがさあどうだろうか。
なお酒を飲んだ方が健康にいいという統計データ?をよく見るが、これは酒を飲めるほど健康な方(私みたいな)と体が弱くて飲めない方を同列に比較しているからであって、原因と結果を取り違えている。
酒が健康にいいはずはなく、まあだいたい旨いものは体に悪いとしたものである。
ただ古稀が近付いてきた現在では、酒量は40台の頃の6割程度になった。
特に下記のブログに書いたような一人でバーに行くことが、最近ではほぼなくなったのは、日常生活であまり張り詰めた時間を過ごすことがなくなって3rd place的な場所が必要なくなったのかもしれない。
(2011年11月26日 作成)バーの愉しみ
バーで酒を飲んで何が愉しいのか?
私はこの何十年飲まなかった日が一日もなかったという立派な?アル中だが、それは純粋に酒が旨いと思っているからであって別に酒を飲む雰囲気が好きというわけではない。むしろ本当に好きな酒なら自室で味わいながら飲みたい。
バーの大きな愉しみといえば、カウンターでマスターや隣の客などと会話を愉しむということであろうし、常連として通う店でも、また見知らぬ国の見知らぬ街の見知らぬ店で見知らぬ方々と交流するのもいいものである。
しかし会話こそがバーで必須の愉しみかというと、ただ腰をおろしてぼんやりと時間を過ごすだけというのも一日の終わりになぜか癒される時間である。
バーには酒の種類が豊富だし、カクテルなど素人には作れないものも飲めるからいいかというとそうでもない。
私は基本的にどんな酒もストレートなので、カクテルはあまり飲まないし名前もほとんど知らない。またバックバーに飲んだことがない酒がずらりと並んでいる中から選ぶのは愉しいものであるが、これは経営的な側面からは店にとっても客にとってもお勧めできない。
というのは珍しい酒をずらりと並べようと思うと在庫費用がとんでもなくかかり、売れ残りも発生する。バーでストレートで酒を注文するとカクテルやビールを飲むよりはるかに割高になるのはこのためである。
私がこれまで訪問したバーで最もモルトの数を揃えていたのは赤坂見附の裏通りにある店で、バックバーに約700本。置ききれないのでマスターの自宅にあと500本あるとか。この数になるとオフィシャルはほとんどなく、大半はボトラーズものなので説明を聞かないと何が何だかわからないが、65%程度のカスクなどはごろごろしていてまさに宝の山である。
元編集者のマスターは闘病生活中で、余命いくばくもとブログで公表しながら店に立っている姿は壮絶で潔い印象であったが先日ついに代替わりした。客の数から考えてかなりの量はマスターが自分で飲んでいたのではないだろうか。
スコットランドは訪問したことがないが、英国でもこれほどモルトの品揃えがそろった店は見たことが無い・・・という以前に品揃えの多さに拘った店そのものがないような気がする。
バーボンも良質のものは日本でしか飲んだことがない。
水質の影響かバーボンの産地とクレーの産地は一致しており、アトランタで買収した事業所向けのクレー採掘の関係から十数年前にケンタッキー・テネシーを走り回ったときのこと。(下記ブログ参照)
西部劇にでも出てきそうな(画像下は19世紀のウェスタン・サルーン)メインストリート1本の両側にしか街らしきものがないという田舎町でバーも1軒だけ。バーボンは樽詰めのハウスバーボン?1種類のみ。銘柄を聞いたが“それはバーボン(笑)”というだけで銘柄もヘチマもない。
フランスのド田舎で、ラベルも貼っていないハウスワインマグナムボトルがどんと目の前に置かれ、好きなだけ自分でついであとは目分量で飲んだ量を計算するというのと同じ感覚であり、日本人は少し贅沢なのかもしれない。
ただしビールだけは生のタップが数多く立っているのを見ると嬉しくなり、生ビールのサービスというのは原則的に売れ残りが生じないことを前提としているので価格に跳ね返らない。
私の生涯アルコール摂取量の約70%はビールからであるが、昔はビールといえば英国とベルギーに限ると考えていて、特に英国訪問時に嵌ってしまい(下記ブログ参照)、
上面発酵エールを求めて当時流行っていたアイリッシュパブ・ブリティッシュパブによく訪問するようになった(下記ブログ参照)。
しかし最近の日本の地ビールの発展は日本酒醸造の技術力があるからか目覚しいものがあり、今では日本のビールは世界一といえると思う。
ただそういう地ビールメーカーは小資本であり、上面発酵ビールの欧州大手ブリューアリーに比べると運賃を差し引いても価格競争力がない(ビールは他の酒に比べると装置産業という側面が強い)のが難である。
私がこれまで訪問した中で生ビールタップ数のMAXはインディアナポリスの裏通りにあるバーで四十数本立っていた(現在は画像下の両国・ポパイが100本ほど立っていて、個人経験の最高記録)。大半は米国の地ビールであり、米国ビールといえば水みたいな不味いビールの代表という先入観があるが、案外米国は個性的なマイクロブリューアリー大国なのである。
そして最近私の地元でも三十本ほど立っているバーが開店した。ほとんどは日本の地ビールで10%以上のものも何本かそろえており、リアル用のハンドポンプも3本ある。こんな田舎に大丈夫かと思ったがかなりの盛況であり、こういう店が増えれば日本のクラフトビールの将来は明るいと思う。
バーでは会話が無くてもぼんやり過ごすだけでもいいという話に戻ると、そのぼんやりのBGM?としてライブ演奏というのもいいものである。
シカゴの場末のブルースハウスやNYはハーレムにあるジャズバーは短期滞在中何晩か続けて通ったが、完全にBGMに徹していて存在感を主張しないのがいいと思った。(下記ブログ参照)
なおハーレムというのは危険で寂れたスラム街ではなく世界中から観光客が来る繁華街であるが、裏通りのそのバーなどはマスター・客・演奏者がすべて黒人で“らしい”雰囲気であった。
またバーというのはそんなに価格が高くないというのも大きなメリットである。
私はカラオケに興味がないのでスナックという業態の店には絶対に行かないのだが、場末のスナックよりもどんな高級店であってもバーの方が安心して飲めるだろう。
これに対してバーの価格面での不満という点ではチャージの問題がある。
チャージのような不明朗なものを請求されるのは不愉快だというのではなく、その逆にチャージをもっと高くして酒の単価を安くしてほしいと思う。
バーの経費のうち、酒の占める割合はほんの一部だと思うのに、5杯飲む客は1杯しか飲まない客の5倍の料金というのは不公平ではないのか?
これを解決するにはチャージを思い切り高くすれば良い。ただしこれを極端にすると飲み放題の店になってメチャクチャになるだろうから、チャージと平均酒代が同じくらいというのがちょうどいいバランスではないだろうか。
こんな方針のバーはないかと思っていたら最近みつけた。隅田川を見下ろす高層マンションの一室にある看板もないプライベート?バー。
4ショット頼むとチャージと同じくらいの料金で、トータルするとその場所柄の相場よりはるかに安い。もっともこの料金体系だと客がなかなか帰らずローテーションしなくなるが、そのバーは元々そういう経営方針で、マニアックな会話を長時間まったりと愉しむというのがコンセプトだからそれでいいのである。
何だか主題(そんなものがあるのか?)から外れたとりとめもない話になってしまったが、とってつけたような結論でバーの一番の愉しみとして“人との出逢い”をあげたい。
バーのカウンターで偶然隣合せにならなければ、絶対に出逢う可能性がなかったような方と知り合ったり、顔と名前くらいしか知らなかった方とバーで飲んで親しくなったり・・・中には一生の付き合いになるような方も。
なぜバーだとそういうことになるのか? 東海道線の座席で隣同士になった場合(笑)ではダメなのか-さすがにどんな美女が隣に座っても声をかける勇気?はありません。
理由はわからないがそれがバーの雰囲気というものであろうし、そういう雰囲気が濃厚である店が、少なくとも私にとってはいいバーである。
(2011年11月27日追記)
そういえばケンタッキー・テネシーの19世紀から操業している鉱山でクレースラリーを巨大な木製の樽に入れて貯蔵しているのを見たことがある。ウィスキーのように樽の中で寝かす効果は全くないが、ポリやステンレスのタンクが出現するまでは実用的な方法だったのだろうし、バーボンの産地だけに樽の製造技術も優れていたのだろう。(下画像はバーボン樽)
欧米の樽は中央が膨らんだ構造であるが、日本の樽は桶の大きなものであるのでストレートな構造である。どちらも職人の高度な手作業であり、和樽の方が芸術的ともいえる精緻な構造であるが、大型化に向くのは洋樽である。
(2011年11月28日 追記)
なおウィスキーの色は樽からの抽出成分であり、蒸留酒に色がついているはずはない。
ということは醸造酒を寝かすのとは意味が違うのであるから、樽の成分を添加すれば短期間で高級酒を作ることはできないのか? もっと極端に言えば蒸留工程も省いて工業用アルコールに旨み成分?みたいなものを加えるのはどうか。
誰もそんなことを研究しないのは、そうやって作った人工酒?は何かニセモノというイメージでせっかく資金をかけて研究しても高く売れそうにないからか。嗜好品であるからイメージも大事なので・・・というか酒が旨いと感じること自体が酒造メーカーの刷り込み戦略に乗せられているだけかもしれない。