タイは東南アジアでは唯一植民地化を免れた国であり、現在も比較的政治は安定しており国民性も穏やかである。
その大きな理由として中国系住民の現地タイ人との同化がこの数百年うまくいっていることが挙げられ、これは現在の世界情勢の大きな不安定要因である中国の膨張に対して何らかの解決策を示しているように思われるので、十数年前に書いたブログを以下に引用する。
(2011年10月06日 作成)
日本三大チャイナタウンといえば横浜中華街・神戸南京町・長崎新地(当然ながらすべて湊町)であり、まさに中国人好みの極彩色の別世界であり異国情緒を味わうことができる。
しかし世界三大チャイナタウンといってもあまりピンと来ないのは、日本のように少数民族である場合ではなく、シンガポールのような国民の大半が中国人であれば町や国全体がチャイナタウンになってしまうため、これをチャイナタウンといっていいかどうか微妙だからであろう。
異国情緒を感じさせるという意味では私は横浜中華街とマンハッタンのチャイナタウン(画像上)がベストだと思うが(行った事がないサンフランシスコのチャイナタウンを観ればここがベストだと思うかも)、もう一つあげるとすればバンコク・ヤワラー地区のチャイナタウン(画像下)かと思う。
しかしここは横浜のような完全異国情緒型でもなく、かといってシンガポールのような街全体がチャイナタウンというわけでもない、何か周囲の街とのバランスが微妙な位置づけであり、これはタイにおける中国人の微妙なポジションによるものであろう。
ウン十年前、私はバンコクからチェンマイに向かう国道1号線沿いのとんでもない田舎町に2ヶ月ほど滞在していた。その田舎町の郊外にできた工業団地に提携企業(資本参加はしていたがマイノリティー)の工場があったからである。
田舎町でも料理が美味しいのは感激であり(もっともタイ料理が口に合わない人は地獄だろうが)、日本ではいや世界中どこでもこんな田舎に行けばありえないようなハイレベルのレストランが多い。これはタイではどんな貧乏人でも食事は外食が当たり前であるので競争が激しいからで、これは料理のマスプロダクション化によるコスト削減を考えれば合理的な習慣といえる(逆に家で食事ができるというのはコックを抱えているような金持ちの贅沢)。
もっともタイ料理が口に合わない人にとっては地獄だろうが、私は元々タイ料理が大好きであり、特にパクチーにははまってしまった。レストランではボウルに山盛り(上画像はイメージ)でサービスされるのをあらゆる料理に料理が見えないくらい手づかみでぶっかけて、さらにお代わりボウルをもらうのを常としていた。
しかし驚いたのは席に着くなり客は箸や取皿を備え付けの紙でゴシゴシ拭き始めることであり、これはバンコクの一流半クラスのレストランでも同じであったことから、これがタイの当時の衛生水準だったのだろう。ただし今では田舎でもこんなところは見なくなったので、これをやると店を侮辱したと思われるのでご用心。
なお衛生面で一番怖いのはエイズであるが、品行方正(笑)にしていれば問題なく、エイズ菌は耐性が弱いので、エイズの方を刺した蚊にその直後に刺されても大丈夫・・・と聞いたが真偽は保証できない。
またその町は10車線くらいの国道1号線で真っ二つに分断されているのであるが、驚いたことに街中に信号とか横断歩道とか陸橋とかは一切ない。ということはこの道を渡るのは命がけであり、滞在期間中に工場へ向かう車から5-6回車にはねられた死体?を見たが、警察が来るまで誰も付いておらずそのままにしてあるらしい。
さてその提携先の企業であるが、所謂財閥系の企業であり、事務方・技術方はほぼ全員が中国系であった。タイの財閥のほとんど(全部?)は中国系であるためである。
またタイは王室も中国系とつながりが深く、現在のチャックリー王朝の先代で首都をアユタヤからバンコクに移し暁の寺として有名なワットアルン(画像上)を建設したタクシン王は純中国人であった。しかしながらここが微妙なところであり、タクシン王の臣下であった現王朝初代のラーマ1世は反中国のタイ人に担がれて、アユタヤ系王朝の血を引いていることから即位したのであるが、現在に至るまで現王朝は親中国系と看做されており、中国系財閥と王室は強く結びついている。
これに対して純タイ人?の勢力はというとこれは軍がその基盤となっている。
したがって王室-財閥―中国系 VS 純タイ人―軍 というのがその基本対立軸であり、例えばムエタイ(キックボクシング)のスタジアム・興行・ランキングは王室系のラジャダムナン(画像上、一度見に行ったがちょうどチャンピオンカーニバルみたいなものが開催されており、全階級のタイトルマッチがすべて判定でKOは1試合もなかったのはタイ人は打たれ強いからか)と軍系のルンピニーとに完全分離している。
またその提携企業にも勢力のバランスをとるためか数人の軍からの出向者?(実質的には仕事はしていない)が上層部にいたが、全員が純タイ人であり完全に人種によりすみわけられているのが面白かった。
しかしこのタイ人と中国人たちには微妙な感情の齟齬はあるものの(そのあたりの調整能力を買われてのタイ出張だったわけだが)他の東南アジア諸国にあるような華僑と現地人の対立のようなものはないように感じた。
これは彼らは中国人といってもタイにほぼ同化しているからであり、名前もチャンドラ何とかというようなヴェーダの主人公みたいだし中国語を話せる方も少ないようである。また現代タイ人で中国系の血が混じっていない方はないという説もあり、タイ人と中国人との融和は世界のどこよりもうまくいっているように感じられる。
現代において中国(人)の膨張は世界の大きな緊張要因のひとつである。いや世界どころか中国国内においても漢族と少数民族の対立はチベット等で大きな問題となっている。私の勤めている会社の中国事業部門の代表は中国国籍のウィグル人であるが、彼が中国人(漢族)に抱いている感情は酒を飲んで本音が出るようになるとよくわかる(ウィグル名門の出でイスラム教徒だから親兄弟の前では飲めないそうだが)。
これは漢族が発祥の地である中原から周囲の民族を同化しながらどんどん拡がっていく過程(下記ブログ参照)
で数千年にわたって繰り広げられた軋轢であるが、そろそろ限界にきているように感じる。
そしてその解決策としてタイの国のあり方はいい方向を示しているように思える。
タイは微笑みの国といわれているように何か落ち着ける雰囲気がある。例えば百数十年の伝統を誇るオリエンタルホテルはロビーに座っているだけ(文字通り”だけ”で1バーツも使っていない)でもホスピタリティを感じて落ち着くのは、世界のこの種ホテルは通常は張り詰めた空気感があるのと対照的である。
といってもタイで仕事上付き合う”タイ人“はほぼ全員中国系なのであるが、彼らが世界中どこへ行ってもうるさく自己主張が強い中国人とは思えないイメージで、にっこり微笑む(特に女性が)のは何かほっとさせられる。
(2011年10月07日 追記)
何故タイでは中国人が現地に同化したのかは不思議なところであって、中国語も話せないというのは他国の2世・3世にはよくあるが、名前も現地風(インド風なのはタイはインド文化の影響が濃いためで暗号みたいなタイ文字もサンスクリット文字のバリエーション)で、第一中国(人)に対する帰属意識が全くない。
だけど中国人なのははっきりしていて顔はタイ人とはっきり違うし、むしろ本物の?中国人より日本人に近く、日本人と見分けがつかない方も多勢・・・ということは日本人も(中国系)タイ人と間違えられることがしょっちゅうある。
これはなぜかというのは非常に難しく私にもよくわからない。移住してからの歴史が長いといっても、インドネシアなどは何百年たっても華僑VSインドネシア人の対立は消えないし、華僑は絶対に現地にはとけこまない。
一つ考えられることはタイが周辺大国であったクメールやビルマと戦いながら(下記ブログ参照)
勢力を拡大していく過程において、タイ人と中国人が協力しながら戦ってきたという歴史的経緯だろうか。まあそれを言い出すとそれではどうして他の国では協力できなかったんだということにもなるが、それはタイをとりまく当時の情勢がタイ人・中国人の双方にとって協力することが好適だったということではないかと思う。
(2011年10月8日追記)
余談であるがマクルックというタイ将棋を指しているところを、社員食堂で1度だけ見た。縁台将棋みたいな雰囲気だったが、見たのはそれ一度だけでありあまり盛んではなさそう。
ベトナムの中国将棋のレベルは本家に匹敵するみたいで、ハノイの旧市街では縁台中国将棋を指している方をよく見たのでタイでも流行りそうなものなのに全く話を聞かないのは、やはり中国系タイ人はもはや中国人とは別物になっているのであろう。
なお日本では縁台将棋は既に見られなくなったが、縁台チェスは結構世界中で盛んでNYのワシントンスクエア(この近くにチェス専門の古書店があり掘り出し物をゲットしたことも)は映画の“ボビーフィッシャーを探して”(画像上)で取り上げられたように大勢が愉しんでいる。
なお縁台碁というのはあまり聞かないが、映画の“ビューティフルマインド”でジョン・ナッシュ(ゲーム理論でノーベル賞、演じたのはラッセル・クロウ)がプリンストン大学のキャンパスで愉しんでいたのは実話らしい。