2018年12月14日 作成

 最近たて続けに三つのロック音楽の映画・公演を観た。

 

ポール・マッカートニー(1942~)

エリック・クラプトン(1945~)

フレディ・マーキュリー(1946~1991)

 

 この3人が主役であり、ポールはビートルズで若くして有名になったためかなり年上という印象があるが、ほぼ同世代である。伝説の3人であるが生き方は対照的で、単純に言えばポールは常にエネルギッシュで成功街道一直線、クラプトンは破滅型だがしぶとく生き残り、フレディは典型的破滅型といえるだろうか。

 

 

 もっともクラプトンはロックではなくブルースに分類されることも多く、このドキュメンタリー映画でもBBキング(1925~2015)がクラプトン(キングを崇拝していることで有名)によりブルースではこれまで行けなかった世界への扉を開いてくれたと感謝の言葉を語っていた(写真上)。

 

 これはブルースやその発展形?のジャズは小規模のライブハウスでの公演が中心なのに対して、ロック(の影響を受けたブルース)では巨大なスタジアムや劇場での公演が打てるため動くお金やミュージシャンの収入のケタが違うという意味である。

 これは伝統的なブルースがアコースティックギターでの弾き語りであり、楽器が中心のジャズもロックのような大音響をかき鳴らすというものではないからである。

 

 そして大音響ロックの極め付きがボヘミアン・ラプソディのクライマックスシーンで描かれたライブエイド@ウェンブレー球場でのクイーンの21分間のパーフォーマンスであり、映画ではそのシーンを忠実に再現している・・・というよりも本物以上の迫力で迫ってくる感じである。

 

 

 フレディ役のラミ・マレックも外見はあまり似ていない(外見だけで言えばブライアン・メイの役者がそっくり)のであるが、何か乗り移ったような迫真の名演で今年のアカデミー賞の最有力候補ではないだろうか。

 もっともマレックはコプト教エジプト系米国人とのことであり、イラン系ゾロアスター教徒のインド(パキスタン)人にしてザンジバルで育った英国人ロッカーというフレディの複雑な出自(彼の家族も映画ではじっくり描いている)をよく表現していた。ただこれだけの当り役になるとイメージが固定してしまい将来大変かもしれないが。

 

 もっとも私は大音響ロックをあまり好まず、小さなライブハウスでの公演・・・よりさらに小規模なバーのカウンターに座りながら店の一角でミュージシャンが演奏するといった形式を好んでいる。つまりメインは酒であり、そこで公演が(偶然)あればその雰囲気を楽しむという感覚である。

 シカゴのブルースバーやハーレム(スラム街のイメージに反し中心部はド派手な大繁華街)のジャズバーではよく演奏を聴いたが、有名人が出演するような有名な店ではなく場末のバーであるからこそ、逆に雰囲気はよく出ていると思う。

 特にブルースはブルーな気分を唄うからそういう名前になったわけであるから、場末の方が雰囲気はふさわしい・・・というような一般的な傾向に反発したのがキングの先述のコメントなのであろう。

 

 というわけで私はこれまで大規模なコンサートには一度も行ったことがなかったのであるが、友人からポールの公演チケットが一枚余っているという話を聞き、これでもう最後かもしれないなと思い東京ドームまで出かけた。

 ビートルズの武道館公演をTVで観た(確か1日遅れの録画放送)のは小学5年生の時であるから、52年の時を経てホンモノとの初対面となったわけである。

 

 

 まず驚いたのは御年76歳のポールのエネルギッシュぶりである。

 武道館公演では司会者や前座などが混じって、正味は30分で10曲くらいだったと思うが、今回は2時間半の公演時間中ずっと歌いっぱなしである。

 そしてメドレーかと思うくらい曲の間隔もなく、しかも休息時間がないどころか水すら飲まない(トイレが近くならないためかもしれないが)。

 

 曲の配分はビートルズ時代が半分、ウィングス時代とそれ以後等が1/4ずつ程度で40数曲かと思うが、つい数カ月前に全米チャート1位の新作アルバムを出したとかで“現役感”も十分で、まさに生ける伝説がそのまま眼前で歌っている感じである。

 

 客の年齢層もドームの階段を登るのが辛そうな方が多かったが、そんな方でも大半はポールよりは若いであろうからなおさらポールの年齢を超越したエネルギッシュぶりが目立ち、まさに化け物というか本当に凄いモノを見せてもらった。

 

 そんなポールの勢いと比較するとクラプトンは浮き沈みも激しくもはやコンサート出演は体力的に難しそうであるが、映画では元気な現在の姿を見せている。また過去のジョージ・ハリスンやパティ・ボイドとの因縁の映像(よく残っていたな)から現在の妻や娘との一緒の姿に至るまでしぶとく生き残ってきた様子をあまりドラマチックにせずに淡々と描いている。

 

 そしてフレディは―最近はフレディといえばフレディ・クリューガー(エルム街の鉄の鉤爪の人)の方が有名であったがーこの映画で一気に人気が大復活し今やLGBTの輝ける星にしてシンボルという立ち位置になりつつあるようだ。フレディ自身がそれを望んでいたかは別問題であるが、映画ではその点を真正面から描いているのは時代の進歩だと思う。

 

 三人三様の生き方を見せた映画と公演をたて続けに観たが、こういうノスタルジックなのを観たくなったというのは歳を重ねて昔のことを振り返りたくなったのかもしれない。

 

2019年03月15日 追記

ラミ・マレックは予想通りアカデミー賞を獲った。

それにしても今年のオスカーはLGBTのオンパレードだな。