映画“オデュッセイア”をIMAXで観た。
クリストファー・ノーラン(1970~)の全監督作13本は封切で観ているが、これまでの最高傑作だと思ったダンケルク(2017)を超え映画史上に残る大傑作で、アカデミー作品賞はほぼ当確か。

以下”世界史に大きな影響を与えた海の民とは何者か?”・”ヘレンの貌が傷付けられているのはなぜ?”といった重要だが原作にないネタバレを含むので要注意。
古代ギリシアのホメロス(紀元前8世紀?)がトロイア戦争(紀元前12~13世紀の設定)を描いた同名の叙事詩を、神話的部分を大幅カットした以外はほぼ原作に忠実に映画化していてストーリーがわかりやすい。
なお現在と過去が交差するフラッシュバックはノーランの得意な表現だが、これは原作でも採用されていてホメロスこそフラッシュバックの元祖とされている。
登場人物の性格等は現代風にアレンジされているが、視覚的に最大にアレンジされているのは、世界史上に名高い絶世の美女とされトロイア戦争の原因(トロイアの王子パリスがスパルタ王妃ヘレンを母国に攫ったというか駆け落ち?したのに反発して全ギリシアが同盟してトロイアに攻め寄せた)でもある“トロイのヘレン”に黒人女優のルピタ・ニョンゴを起用していることだろうか。

ルピタ・ニョンゴ
これはハリウッドのキャスティングにおいて多様性、公平性、包括性(DEI)を反映させる潮流に乗ったもので、ヘレンは実在の人物ではなく人種を超越したギリシア神話のキャラであるという解釈もあるだろう。
007シリーズの最新作では上記ブログのようにボンドガールどころではなく007その人に黒人女性が起用された(ダニエル・クレイグ=ジェームズ・ボンドは引退したという設定のため)という例もあるが、最近のキャラである007と現代西洋文明の祖とされるギリシア文明の最高のヒロインとは重みが違うのではないか・・・
このキャスト発表時には猛烈な批判があったようで、おまけに主要キャストは北西ヨーロッパ系(+黒人)ばかりで地元のギリシア人はおろか南欧系すらキャスティングされていない。
そのため19世紀以後の北西欧州(特に英米)中心の史観に彼らが奴隷にした黒人との融和の視点を加えただけで人種的偏向が甚だしい作品と云われていた・・・と過去形で書いたのは作品自体と彼女の演技(特に一人二役でアガメムノン王を殺害する王妃役も兼ねる)の素晴らしさでそんな悪評は吹っ飛んだため。

とはいえ英米人が考えるような典型的な白人美女としてのヘレンのイメージと実際のトロイア戦争時代のギリシア人とはかなり乖離している。
単純に云えば古代ギリシア人は地中海型であり、DNA解析や当時の彩色されたフレスコ画の研究から、オデュッセウスの時代のギリシア人は、「ウェーブがかった黒髪または茶髪で、肌の色はやや褐色(オリーブ色)、目は茶色」だとわかってきた。
つまり現代の南欧人(イタリア人やスペイン人、そして現代のギリシャ人)とあまり変わっておらず、古代ギリシア人は北欧人の様な“白人らしさ”を備えていたが後世の混血によって現代のようになったのだというイメージは全くの間違いとなる。

ダイアン・クリューガー
このイメージから2004年の映画”トロイ“(ブラッド・ピット=アキレウスの出番を増やすためトロイ陥落時まで生きている位はまだ許容範囲だが、メネラオス王がヘクトルに殺されたり、パリスがヘレンやアンドロマケーと共にトロイを脱出したりとメチャクチャな筋)ではヘレンに金髪のドイツ人ダイアン・クリューガーを起用し、1956年の映画”トロイのヘレン“ではイタリア人のロッサナ・ポデスタが起用されたが髪は金髪に染めている。
もっともそういう意味の“白人らしさ”を突き詰めていけばDNA的にはコーカソイド・Caucasianの語源となったコーカサス人が典型であり、下記ブログのように現代ではアーリア人が移動したイラン(アーリアンからで、アラブ人と区別するため?純粋な白人のイメージを強調して国名を伝統あるペルシアから変えてしまった)と北部インドが最もその形質を受け継いでいるといえる。
ついでに云えば金髪というのは突然変異が主要因であって広い民族集団で考えると“金髪率”が一番高いのはオーストラリアン・アボリジニである。マリリン・モンローやブリジッド・バルドーをはじめ金髪女優の多くは染めたものであり、そもそも欧米人には金髪はほとんどいない。
それではギリシア人とはいかなる民族かというと、その歴史は紀元前20世紀頃から文明化?して紀元前12-13世紀の全盛期(トロイア戦争の時代)を迎えてから突然滅亡したアカイア人・ミケーネ文明の時代と、その少し後から南下してきたドーリア人が紀元前8世紀頃(ホメロスの時代)からポリスを発展させて先進文明を築いて以後現代まで続く時代に大別できる。
ただしその最大転機にミケーネ文明を滅ぼしたのはドーリア人ではなく正体不明の“海の民”であり、この海の民は東地中海で暴れまわってヒッタイトを滅ぼしたりペリシテ人(パレスチナの語源)としてガザ地区に拠ってユダヤ人と戦ったりしている。

なお聖書に登場するサムソン(ユダヤ人)とデリラ(ペリシテ人)やダビデ(ユダヤ人)とゴリアテ(ペリシテ人)のエピソード(上記画像は1949年の”サムソンとデリラ“のタイトルロールであるヴィクター・マチュアとヘディ・ラマー)もこの時代である。
ただし下記ブログのように現代考古学ではこの時代のユダヤ史は神話時代に過ぎない(少なくてもエルサレムの周辺からは当時の原始的な住居跡しか発掘されていない)のに対し、ペリシテ人の方はサムソンが崩したような大神殿の遺跡などが発掘されていて、”海の民“はかなりの文明度で実在していた。
ノーランのオデュッセイアではこの”海の民“が海から来る得体のしれない脅威として繰り返し言及されているが、実は彼らは、オデュッセウスとその仲間たち(ギリシア軍)自身、あるいは彼らがトロイアで引き起こした破壊の連鎖そのものを象徴していたというのが本作最大の伏線・テーマとなっている。

即ち自分たちこそが文明の頂点にいると信じていたギリシア軍は、トロイア戦争において欺瞞(画像下のトロイの木馬で海岸の半分砂に埋まったビジュアルが素晴らしい)を使い、略奪と虐殺という非道な大罪を犯した結果、彼らは神々の掟(ゼウスの歓待の掟)を破り、モラルを失った「野蛮な略奪者=海の民」へと自ら成り下がってしまったというわけであり、これはノーランのギリシア史における新解釈である。

その新解釈の当否はともかくとして当時のミケーネ文明の軍事力(=野蛮さ)は相当なものであり、トロイア戦争もペロポネソス半島(現代ギリシア)と小アジア南西岸のミケーネ人同士の貿易利権(特にヒッタイトに対しての)をめぐる内輪もめを象徴させたものという説が現在は有力である。
本作もその説を採っていて、ヘレンの貌が傷ついているのもそんなことは重要ではなく利権を確保するためにはトロイを滅ぼすことがこの戦争の第一の目的というギリシア側の本音を象徴したものとなっている。
なお当時のヒッタイトが鉄製武器を用いて周辺諸国を軍事的に圧倒していたというのは下記ブログのように全くの間違いで、当時の鉄は貴重品で装飾用途程度にしか用いられていなかったらしい。
ヒッタイトが海の民(ミケーネ人が主力の混成民族?)に滅ぼされたのも青銅器武器時代末期の戦いであって、トロイア戦争のように内輪もめばかりしているミケーネ人の様な野蛮人にしてやられるとは思ってもいなかったであろう。
また女神アテナもトロイアの祭神(この神殿を破壊した時虐殺された女神官と女神アテナがゼンデイヤの二役で、画像下のようにマット・デイモンのトラウマとなって現れる)であるというのはトロイアもまたギリシア文明圏の一部(ホメロスもトロイアの近くの詩人)であるからで、後にこの女神を主神とする都市国家アテネが大発展してギリシアの中心となっていく。

アテネは現代ギリシアの首都であり、今もギリシア文明のシンボルであるパルテノン神殿(画像下:永遠の修復工事中であり、私が40年位前に訪問した時も工事現場という趣で、観光客向けのパンフレットみたいな美しい姿を現わすのはいつの頃やら)が建っているのでこの辺りがずっとギリシアの中心と思いがちである。

しかし実際にはアテネが主導権を握るのは紀元前5世紀のペルシア戦争から200年くらいと短期間であり、オスマントルコから独立して1835年に首都になるまでは田舎町とも言えない寒村であった。
ギリシア文明の本拠地として長く栄えたのはアレクサンダー大王が建設したエジプトのアレクサンドリア(絶世の美女といえば神話ならヘレンであるが、歴史上実在人物ならこの時代のクレオパトラ:画像下でどちらもギリシア人)とコンスタンチノープル(現在はトルコのイスタンブール)であり、現代ギリシア人の新年のあいさつは”来年の正月は(奪回した)コンスタンチノープルで祝おう“だとか。

映画クレオパトラ(1963)でのエリザベス・テーラーで当時の絶世の美女といえばこの女優
1453年にオスマン・トルコによってコンスタンチノープルが陥落するまではトロイア戦争時代を含め三千数百年にわたりギリシア人は東地中海の覇者であって、一時期ローマ帝国に占領されてからもいつの間にか東ローマ(ビザンツ)帝国はギリシア人が乗っ取って(というかローマ人が埋没・同化して)自分たちこそローマ(ルーム)人だと名乗るようになった。
400年ぶりのギリシア独立後にアテネの様な寒村を首都として選んだのは、このような興亡の歴史の中でも文明的にその頂点であったペルシア戦争から200年の絶頂期とそのシンボルとしてのパルテノン(紀元前480年にアケメネス朝ペルシア軍がアテネを焼き払った後に建設)をギリシアの精神的支柱としたからであろう。




























































































