映画

風と共に去りぬ (原題 Gone with the Wind)1939

製作 デヴィッド・O・セルズニック (1902-1965)

監督 ヴィクター・フレミング (1889-1949)

キャスト レット・バトラー:クラーク・ゲーブル (1901-1960)

     スカーレット・オハラ:ヴィヴィアン・リー (1913-1967)

 

原作

風と共に去りぬ (原題 Gone with the Wind)1936

作者 マーガレット・ミッチェル (1900-1949)

 

 

 

 言うまでもなく映画史上最も成功し(インフレを考慮すると興行収入史上1位)、最も評価が高かった映画でもある。

 1939年という第二次大戦前の映画であり、無声映画からトーキーの時代になって10年近くしか経っていないにもかかわらず、その完成度や大作感は現在のレベルで考えても驚異的であり、近年に至るまで史上最高の映画という名声に包まれていた。

 

 原作は映画化のわずか3年前に出版された大ベストセラー(下写真はマクミラン社からの初版)であり、一主婦の生涯一冊だけの小説であるから文学的評価はともかくとして、米国文学としては史上最も有名な作品であることは間違いないだろう。

 

 

 私は中学1年で囲碁を始めてゲーム廃人状態になる前の小学生時代は文学少年(笑)であり、ストーリーが単純でわかり易い(これは誉め言葉です)この小説には感銘を受けた。

また映画も当時はこのような古典的名作は数年に一度は名画座ではなくロードショー扱いで(今は名画座もロードショーも死語かな)リバイバル上映されており、原作を読んでストーリーを知っていたためもあってか(そうでなければ小学生にはスカーレットの女心の機微は難しかったかも)大感激し、洋画に嵌るきっかけとなった。

 

 このように一般的な評価も個人的にも史上最高の映画としての評価が長年確立していたのであるが、近年になってその評価は大逆転し、現在においては公には口に出すのも憚られるようなおぞましい映画ということにされてしまっている。

 

 これは言うまでもなくこの作品の原点に黒人差別の思想が流れているとされたからである。風と共に去りぬという題名そのものが以下のダウソンの誌から引用されたもので・・・

 

There was a land of Cavaliers and Cotton Fields called the Old South.

Here in this pretty world, Gallantry took its last bow.

Here was the last ever to be seen of Knights and their Ladies Fair, of Master and of Slave.

Look for it only in books, for it is no more than a dream remembered, a Civilization gone with the wind...

かつて在りし旧き南部と呼ばれた騎士道と綿畑の地。

その麗しい世界で最後に花を咲かせた勇気ある騎士達と艶やかな淑女達、そして奴隷を従えた主人達。

今は歴史に記されるだけの儚い思い出となる・・・大いなる文明は風と共に去りぬ。

 

 要は黒人奴隷制をその基盤として繁栄した南部白人文明が風(南北戦争)によって崩壊したことを描いたこの作品は、その文明を懐かしがり賛美しているため黒人差別に直結していると断罪されたわけである。

 

 

 上写真はアトランタ駅前に大勢の南軍負傷者が寝かされている中をスカーレットが彷徨う場面であるが、カメラがぐんぐん引いていくと南部連合の星と十字のあの旗がフレームインしてくるという有名なスペクタクルシーンであり、“ブラッククランズマン”(2018)の冒頭でもこのシーンが切り取られて差別国家南部連合を賛美していると(暗に)糾弾されている。

 

 しかしながら時代が違えば価値観も異なるという常識論は別にしても、この小説・映画はそういう文明・価値観は時代遅れで滅びるべくして滅んだという立場に立っており、旧き良き時代としての懐かしさと共感は表明しているものの、歴史の流れとして滅亡は不可避であったという歴史観が根底にあるのではないだろうか。

 その点は同じくブラッククランズマンに取り上げられた“国民の創生”(1915 KKK団を南部復興の英雄のように描いている)と反対であり、この両作品を同列に取り上げるのは如何なものであろう。

 

 この原作はアトランタで生まれ育ったマーガレット・ミッチェルが南部への限りない共感をこめて描いたものであり、スカーレットはアイルランド系という設定(オハラO’Haraは小原庄助とは関係ない典型的なアイルランド人の姓)であり、ミッチェルもまたアイルランド系のカソリックである。

 

 

 そして父のジェラルド・オハラはアイルランドのジャガイモ飢饉(上記ブログのようにイングランドからの弾圧によりアイルランド人の半分近くは米国に移住した)の際に米国に流れ着き、ポーカー勝負で土地を得てそこをタラ(アイルランドのケルト文化聖地)と名付けたという設定であり、イングランド人からアイルランドの土地を取り上げられた経緯から土地に強い執着を持っている。そしてその気質はスカーレットにも受け継がれてWASPのヤンキーからタラを守り抜き、最後はレットに去られても私にはタラがあると力強く立ち上がるのがラストシーンである。

 

 ただしアイルランド系というだけではスカーレットの魅力が伝えきれないとして母親のエレン・オハラはフランス系の上流階級(フランス貴族出身と翻訳されたものが多いがこれは誤訳であって、ハイチからの移民で米国移住後に成功した一族)という設定も付け加えられている。米国南部は1803年のフランスからのルイジアナ購入によってフランス文化の影響も強いため、これによりスカーレットの個性的な美貌と火のように激しい気性の南部美女(Southern Belle)というバックボーンが裏付けられている。

 

 

 そしてこの映画の空前の成功の半分近くはスカーレット役にヴィヴィアンリー(写真上)を起用したことにあると思われる。

映画化に当り、レット役のクラーク・ゲーブルはまさにそのまんまのキャラクターであるのですぐに決まったが、肝心のスカーレット役は撮影が進んでもなかなか決まらず、スカーレット探しの大キャンペーンが世界中で繰り広げられたいた。

 

 画像下は前半のクライマックスであるシャーマン将軍の攻撃によるアトランタ大炎上シーンであるが、その撮影現場にヴィヴィアン・リーが現れ、炎をバックに彼女を見た製作者のセルズニックは”スカーレットがここにいる”と即断したといわれている。

 

 

 純英国人のリーがこの役を得るのには南部人からかなりの抵抗があったようだ。

 しかしスカーレットは南部気質からはむしろ正反対の異端児のような存在であり、そうい意味ではセルズニックによるこのキャスティングは大成功であった。なお米国では映画は製作者のものであってアカデミー作品賞は製作者に与えられるが、欧州では映画は監督のものであってカンヌのパルム・ドールやグランプリは監督に与えられる。

 映画史上の超大物であるセルズニックはヴィクター・フレミングだけでなく他の二人の監督にも撮影させたものを繋ぎ合わせており、スカーレットの衣装に至るまで気に入らないと撮り直しさせていたそうである。

 

 

 特に有名なシーンはスカーレットがマミー(演じたハティ・マクダニエルはアカデミー助演女優賞を受賞し、黒人のオスカー受賞は史上初)の助けを借りてコルセットを締め上げる上記画像で、セルズニックはウェストを何と46cm!まで締め上げさせ、これが可能なヴィヴィアンがこの役を得る決定打になったとか。

 

 まあ5年後であればスカーレット役は後に彼と結婚するジェニファー・ジョーンズ(1919~2009, 代表作は”慕情“1955)のものだったであろうから、まさにヴィヴィアン・リーの登場はこの映画にとってベストタイミングであった。

 

 なおこのリーという姓は当時の不倫相手で後に結婚するローレンス・オリビエ(史上最高の俳優・シェークスピア役者と云われ、代表作は主演・監督の”ハムレット“ 1948)の前の夫の姓であるが、ブルース・リーのような中国起源で世界最多の姓である”李”とは関係がない。これは南軍のリー将軍のような英語圏の姓であり、語源は草地(葉のleafも同様)である。

 ヴィヴィアン・リーはオリビエとの共演から有名になるがすぐにオリビエを押しのけでも自分が目立とうするキャラクターになり、その押しの強さがスカーレットにピッタリと思われたのかもしれない。

 

 また南北戦争といえば“風と共に去りぬ”があまりにも有名であるため、南軍の根拠地はアトランタなどの現代のイメージの南部と誤解しがちであるが、米国の南北の境界線ははるかに北であり、バージニア州から南が南部とされている。(下記ブログ参照)

 

 

 なおバージニアは元々が英国系では米国最古の地域(語源は処女王?エリザベス1世から)であるが、南北戦争で賊軍(笑)にされたことにより、年代も新しいし歴史的意義も小さいメイフラワーのマサチューセッツの方が米国の原点みたいな扱いになってしまった。

 

 北軍の首都ワシントンと南軍の首都・バージニア州のリッチモンドは車で1時間ほどの距離であり、主要な戦場も全てこのあたりであって、南軍の主力もバージニア軍であるため、これはもう日本人の感覚では北々戦争である。

 したがってアトランタ戦線から続いてのジョージア州を横断しての“海への進軍”は軍事的には大きな意味はないのであるが、その民間被害があまりにも大きかったことから南部連合の戦意を失わせるのに決定的な役割を果たしたし、アトランタと云えば南北戦争というイメージはこの映画によって決定的になった。

 

 そして現在では、結局は経済力の差で南軍が敗れた時代から状況は大きく変り、アトランタを中心とした南部のサンベルト地域は米国経済の中心となっている。

 

 

 今から35年ほど前、私は生れて初めて米国を訪問してアトランタ・ハーツフィールド空港(画像上、デルタ航空の本拠地で当時も今も世界一発着便が多い空港であり、現在は初の黒人市長の名前も冠してハーツフィールド・ジャクソン空港と改名されている)に降り立った。

 サラリーマン時代に私が勤務していた会社が初めて米国に事業所を建設するにあたり、まずは同業他社の工場を居抜きで買うための交渉のためである。

 

 なお私は化学系の研究職としてサラリーマン時代はずっと勤めていたのだが、下記ブログに書いたように初の欧州進出時の事業所の買収・売却交渉にも関った経験から外国人相手の交渉力に長けていると思われており、この手の仕事がよく廻ってくるようになっていた。

 

 

 

 初めての米国では色々と驚かされることが多かった。

 

 まず第一に面食らったのが、その事業所買収の交渉相手となったのが、こちらも2日前に初めて米国に来てその会社に雇われたばかりのスウェーデン人Vice Presidentであったことで、生まれて初めて米国に来た外国人同士が米国事業所の買収交渉を行なうという事態に、なかなか米国というのは面白い国だなと思った。

 

 そして買収交渉であるから、あれはいくらこれはいくらと金額を詰めていく(といっても基本的には残存簿価で決まる)のであるが、驚いたことには土地代の項目がない。いや別に荒野のど真ん中ではなく、アトランタという人口500万都市内の工業団地なのであるが、広大な米国においては土地というのは固定資産税がかかり所有するとむしろ重荷であるので、商業地や住宅地でもない限り土地は無価値であるらしい。

 

 そして最後は彼らの話す英語である。

 その工場を居抜きで買うため、残ってもらう従業員を選別しなければならず候補者を一人ずつインタビューするわけであるが、これが深南部訛り・黒人訛り・メキシカン訛りでさっぱり理解できないのである。まあ元々私の英語は交渉事で喋りまくって相手を煙に巻くことで鍛えられたのでヒヤリングは苦手というのもあるのだが。

 そこでやむをえず彼らの英語を“普通の”英語に直す通訳?に来てもらったのであるが、米国人だから英語が上手いだろうと考えるのは大変な誤解であるとわかった。

 むしろnative speakerというのは生まれたときから地方の訛った英語を使って育っているので、ある程度大きくなってから正式な英語を習う外国人の方が英語が上手くなるのが当然なのである。これは詭弁でも何でもなく、私がこれまで会って英語がうまいと感じた方でnative speakerは一人もいないし、生真面目な日本人は最も英語が上手い方が多いと思う。

 

 その事業所はアトランタでも治安の悪い地域にあり、買収交渉から数日後に売主はシャットダウンする予定なので、もし買うつもりならその間は中の設備等が盗まれないように警備する必要があった。

 しかしながら買収を決定するまでには社内の煩雑な手続きが数ヶ月続くと予想され、その間は警備員を正式に雇うことはできなかった。

 

 そこで継続雇用予定の方を集めて正直に云った。”私は単なる担当者であってこの事業所を買収するかどうか決定権はありませんし、それどころかこの案件からは今回の交渉が終わり次第離れることになっています。しかし買収を進めるように強く働きかけるつもりですし、そのときは皆さんを再雇用するように最善の努力をします。ですから私を信用していただけるならば、この事業所の警備を皆さん自身でお願いします”

 彼らは数ヶ月の間事業所の警備を無償で引き受けてくれ、私はもう手を引いていたが買収も無事に成功した。そして十数年後に近くに寄る用事があったので、久しぶりにその事業所を訪問した。するとそのときのメンバーの大半は残っており歓迎会を開いてくれた。”Southern Hospitality”という言葉に代表される南部気質を強く感じた思い出である。

 

 この南部気質は北部のヤンキー気質(日本ではヤンキーというと全く違う意味になってしまったが)と対立させて風と共に去りぬで繰り返し描かれている。

 

 

 そしてこの南部気質と南北戦争こそがアトランタの最大の観光資源であり、ストーンマウンテン(上写真:世界最大の一枚岩で南軍のリー将軍たちの世界最大のレリーフが彫りこまれている)やサイクロラマ(アトランタの戦いのジオラマを360度回転する観客席から観るアトラクションであり、現在は設備が老朽化して廻らなくなったらしい)でも、サザン・ホスピタリティーの過剰演出がちょっとうっとうしいくらいである。

 

 そのアトランタ事業所は次々と規模を拡張し、今ではその産業分野では世界でも屈指の大工場になった。

 日本がまだ世界一の経済大国であった時代の思い出であるが、この時代も風と共に去ってしまった。