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ステップあやです。
以下2016年04月28日(木) の記事をリライト。
最近よく、太ったとかデブとか言われる気がします。胸ないし余計ブスなんだろうな…
でも、直接じゃないし、気がしてるだけで思い込みかもしれんよなーって思いつつ、でもやっぱり傷つきます…
太ったとか言われなくても「私が一番わかっとるわー!!」って言い返したい(笑)。悔しい…。
でも、そう言ってくる人の通りに痩せようが太ろうが、その人は好きに生きるだけで。
それよりあやさんの言葉を、ここで自分と同じように悩んでる方々の言葉を信じたいです。
って思いながら自信が持てなくて書き込んでます。
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ステップあやです。📧ありがとう。
気がするだけかもしれない、
本当にそういう人がいたとしても、言われないように…って逃げるように痩せても全然幸せになれない。
そういう声かけで自分の心守れるようになってきたね^^
私も摂食障害のピークのころは、こうして対人関係で何かあったとき「思いを巡らせる」ことがうまくできなくて
「あの人に言われたから痩せなきゃ」
「誰にも言われないようにずっと痩せてなきゃ」
ってがむしゃらに無理なダイエットに突進して、自分自身を苦しめていた。
がむしゃらなダイエットというのは、
自分が全く幸せでない、制限型ダイエット(過食は食べちゃダメ!の反動です)、野菜がほとんどを占めるような拒食ダイエット、過食嘔吐、チューイング、下剤ダイエット、生活がままならないまでの運動。
そして、健康的な食事とされている食べ方、食べ物以外はダメとするオルトレキシア(←健康的なものしか食べられない摂食障害)も。
そういう苦しいダイエットで”太ったねって言われないような体型”でいなければ!ってやっていたけど、
実際は、そんなやり方で痩せても、生き辛さはまったく解決することはないんだ。
それで得られるのは、せいぜい、ダイエットがうまくいったときだけは調子が良い、という一時的な安心のみです。
そういうことに気付けるようになっている人は、一歩前進だよ。
ここから先は、それよりもう少しラクになれるかもしれない考え方(身の守り方)を補足しておきますね。
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さっき、ちょっと違うことで検索かけてたら、
”ふっくらした~?って言われるようになりました♪”
って、それを「いいこと」として書いてる方たちが沢山いました。
やせて見える=疲れて見える、というコンプレックスのひとたちの会話です。
本来、ふっくらした、太った(ように見える)ということ自体は、単なる変化であって、いいコトでも悪いコトでもないはずなのだよね。
だから、
本当は、太った?という指摘だけならそれ自体は、褒め言葉でも見下す言葉でもどっちでもなく、逆に、痩せたっていうのも特に褒め言葉とは限らない。
けど、良くも悪くもどちらでもない現象も、
自分のコンプレックスや、過去の体験などの思い込み”心のフィルター”を通すと、自己流の解釈になり、そこからまた自己流の感情が生まれます。
▼詳細
こういう考え方も思い出してみて
「”あ、自分のフィルター【思いこみ)で醜くなったねっていわれたきがしたけど、そういう意味じゃなかったかも?」
「本当は誰も私を貶めたりしてないのかも?」
って、”かも?”からでいいから、自分を苦しめている”自分の当たり前”を疑ってみることをしてあげてほしいんです。
それやってすぐに苦しい気持ちが変わらなくても、日々の生活で思い出したときに、そのように思いを巡らせるのを習慣にしてるかどうかが大切。長期的に続けることでラクになるものだからです。
だけど、
言われて嫌な気持ちになっちゃった自分がいけない、って否定してしまうと、余計に嫌な気持ちになっちゃうので、
①”昔、体型のことであんな辛い経験した(あるいは他人が体型で嫌なこと言われてるのを見て育った)のだから、こう反応しちゃうのも仕方ないよね”
というように、
自分が苦しい思い込み(心のフィルター)を持つに至った経緯や、そのフィルターを通して傷ついている自分に、自分自身が寄り添うことをしてあげてほしいと思います。
②その次に、先ほどの「自分の心のフィルターの点検」をしてみる。考え方を変えよう!とせずに、ただ点検するだけ。
太る=絶対駄目=価値が劣るっていう思い込み(自分の当たり前)を疑いもしなかったころよりは、生きやすくなったりします。
なんいうのも、今まで記事を書いてきたので、気になる方は”ブログ内検索”でキーワード検索してみてね。
③そして、これかな?というフィルターが見つかったら辛かったね、って自分が自分に寄り添う。
この順番だと思います。
くれぐれも、
ネガティブな感情を
=感じるべきではない
=感じないように考え方を変えなきゃ!
って否定しないでほしいんです。
その気持ちをそのままで上ににかいたこと(当たり前を疑ってみること)やってても、自分の感情のほうをこれじゃ駄目って否定することになり、苦しいだけになっちゃうと思う。
西野カナちゃんのうた、「トリセツ」の歌詞にも出てくるよ。
たしか
”♪太ったとか余計なことは
気づかないでいいからね♪
みたいな内容の歌詞があった(笑)
健康なひとだって、太った?って指摘されたら全ての幸せや健康を犠牲にしてまで痩せなきゃ、とまでは思わなくても、やだなぁとは思うわけで、やだなぁと思うこと自体はだめではないんだ。
ただ、その嫌だなぁの程度が問題なだけですから。
「体型についてのこと」ではなくて「自分全体の価値が低くなったと言われた」と感じるほどの打撃になってしまうと生き辛いから、ラクにしていけたらいいね、ということ。
あと、コミュニケーションで何かできることがあるとすれば
太ったね・・を言ってくる人が、いつも会う人で繰り返し言ってくるとか、これからも気持ちよく付き合いたいと思っている大切な相手の場合は
私、それ気にしてるんだ。本気で傷つくんだ(_;)
って自分の弱点として伝えて、気遣いをお願いしてみることも大切だよ。
誰だって弱点もあるし、言って欲しくないこともあるもん。
それ一人でじっと我慢しつづけてずっと言われ続けてストレスためるのは、自分がかわいそうだし、そのたびに、恨まれる相手もかわいそう。
ずーっとひとりでかかえてたら
いつか感情が大爆発するか、
ウツになるか
無理なダイエットで痩せる安心や、無理に食べ物詰め込む過食の快感など一瞬の快に依存して、そのつらさをごまかしてないといられなくなるのも不思議じゃないよ(/_;)。
いまの私も、体の形の変化は、なるべく気付かないで欲しいし、そっとしておいてほしい人です(笑)。だから軽々しく言う人には、本気で傷つくこと嫌なこと伝えます。
嫌なことを嫌といったくらいで関係性がおかしくなるような相手なら、なおさら、そんな相手とうまくやっていくために”我慢””平気なフリ”し続けてまで、表面上のいい関係を続ける必要のない相手です。
そこまで覚悟して、ソレ気にしてるんだぁ~悲しい(/_;)っていっても言う人は言うよ。
でも、そんなときもね
「私がそんなこといわれる必要があるほど太っているからだ。あの人に言われないよう、痩せなきゃいけないんだ」
…って自分の問題にすりかえちゃだめよ。
ソレを言われるのは自分の問題じゃなくて、デリカシーがないという相手の問題がそこにあるだけというのが実のところです。
その場合は
>相手の事情に思いを巡らせてみる
っていうのもやってみるといいかも。
これ、相手を許そうっていう意味ではないですよ。
相手の事情というのは、
たとえばその相手が
①痩せた太ったで傷つく人がいるってことがほんとうに分からない人だった
②痩せる太る=人の価値と考えてないからこそ、髪きった?と同じ感覚で言っちゃう人だった
③ただ「何かが変わった」けど「何がかわったかわからない」ので、とりあええず太ったのかな? を疑ってみた人だった(そこに、いい意味も悪い意味もついてない)
④本当にあなたを貶め傷つける目的で悪意ある言葉として言った
‥などなど、様々な相手の事情があるかと思います。
最初の3つだったら、(それで気持ちよくはならないけど)「醜くなったといわれた!」って思いこんでるより心がちょっとらくになるね。
最後の④だとしたら???
そんな人のために、自分の心身苦しめるダイエットして苦しんで痩せても、その先にいいことなんて一つもないよ。
また、苦しんでダイエットして痩せれば、自分をわざわざ傷つけ貶める人たちに、「痩せた?」って言ってもらえるかもしれない。あるいは、「太った」とは言わなくなるかもしれない。
でもその人たちは、あなたが苦しんでダイエットしてること、その反動で過食に苦しんでるコトなんて全く知らずに生きてるよ。
そして、あなたが痩せるために失うもの、時間、健康、、、あなたを傷つけた相手は、どれひとつとして責任とってくれません。
そんな人たちに、苦しんでまで痩せて、いい評価してもらっても、。。その先、何かいいことあると思う?
あなたがあなたの人生を苦しんでいないと認めてくれない相手なら、そこまでして認めてもらう価値ある相手なのか、、
ってコトを考えてみてください。
そうかんがえてみても、痩せて、太った?って言葉を撤回してもらえれば何かが解決した気がするときもあるかもしれない。
でも、解決した気になるのは一瞬。
実際のところその”解決”に似た感じの正体は
「ずっと苦しいダイエットし続けてなきゃ、まただめになる(またバカにされる、いじめられる)」
っていう怖れに支配される人生なんだよね(/_;)
そんな相手に受けてもらおうとするばかりじゃなく、自分がdiet以外の自分の人生を楽しむことを優先て、その中でできるだけのことをするのはいいけど、それダメだという人ならば、
「自分の人生にその人必要ない」
「自分は、その人たちを選ばない」
って自分に必要な人とそうでない人を取捨選択していくんだよ。
ありのままの自分を認めてくれる人なんて本当にいないと思うかもしれない。
でも違うと思う。
相手の評価に合わせた苦しい努力で自分を変えて選ばれようとしてたら、そういう人がそばにいても、ありのままを見せてないから気づけない。あるいは、苦しんで作った自分じゃないとダメな人が集まってきちゃうんだよ。
今までの癖でそう考えられなくても仕方ないけれども、こういう考え方を思い出す努力はしてみてほしい。
そしたら、
他人の言葉に衝撃を受けても、
闇雲なダイエットや過食に走るのではなく(←ダイエットじゃなくて、仕事や勉強のなどの評価に依存する人も同じです)、
自分は自分が心地よくいられる生き方、食べ方を優先しよう、
という具合に、他人軸にぐらついた心の姿勢を自分軸に戻せるようになります。
こうして少しずつ、ラクになっていけたらいいね。
ダイエットって、苦しんでも痩せたら後は手放しで痩せていられるものなら、一度苦しんで頑張ってもいいんじゃないかと思う。
けど、ダイエットって、苦しんででも一度痩せればそれで終わりで一生痩せていられるものじゃなく、苦しんで痩せたら、今度は維持のための苦しいダイエットが待ってる。
痩せれば解決じゃないし、苦しんででも痩せたら苦しみも終わり、、、じゃない。
だから、つい苦しんででも痩せて解決…っていつもの思考になってしまっても、本当はどう生きていきたいのか? 今の苦しいダイエットとそれについてくる生き辛さ、人間関係の難しさ、、すべて含めて、どうしたいかを、考えてみてほしいと思うのです。
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今日はこのまま寝ようとおもったけどせっかくコメント欄に書いたので、説明加えて記事にしてみました。
そろそろリンク集の工事の前に止まってる記事の続きに戻ります。
おやすみなさい(^-^)/
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