今美人塾に参加してくださった方から、すごく立派なレポートが届きましたので参加されなかったみなさんにおすそわけです
簡潔にまとめてくれているので、その場で話を聞いてない人は、よく巷で聞く「アレか・・」って意図と違うこととリンクしちゃったりするかもと懸念もあったのですが、まあそうなる人もいるだろうし、そうじゃない人もいると思います。
ブログから探したりわからなかったら私に直接それができませんとかそれ意味わかりませんってききにいってみようと思ったり、昔聞いたり読んだりしたけど忘れてたことを思い出すきっかけになればと思います。
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12月2日大井町会場の第2部と3部に参加させていただいたまゆりと申します。
感想をお送りさせていただきたくメールしています。
生あやさんには初めてお会いしたのに、なぜか懐かしくて温かい気持ちになりました。
お伺いするかやめるか、当日の朝まで迷っていたのですが、思い切ってお伺いしてよかったです。
美人塾への参加は初めてでしたが、いろいろな気づきのある素敵な4時間でした。
以下、感想です。
まずは第2部から書かせていただきます。
●「病気のことはわからなくても、自分が否定されているわけでもない」
何とも言えず、へぇ!って思いました。
私は確かに病気ですが、
私→病気、でも、病気→私という方向ではないのかも?と思いました。
●「相手の顔色が曇ると、嫌われたり否定された気になる」
まさしくそうです。
相手の顔色が何より大事!という感じでした。
でも誰でも顔が曇ることはあるし、人の機嫌をどうこうしようとしても仕方ないというか、人の機嫌をどうこうできるというのは思い上がりだったなぁと反省しました。
●「”放って置く”練習をしましょう」
ちょうど先日、あやさんのブログに載っていたのを拝読して、実践してみたのです。
なんだか母が不機嫌で、私もイライラしてきそうなときに、
「あ、お母さん、何か不機嫌…。ちょっと放って置いてみよう」ということで放って置きました。
すると、何時間もしないうちに、「お夕飯どうしよう?」と普通に話しかけてもらえました。
今となっては、そのときの母の心の動きを知ることができないので、本当に不機嫌だったのか確かめることはできませんが、放って置くっていいなぁと思いました。
●「嫌われないようにしてたって、嫌われる」
目から鱗でした。
八方美人とか自分がないとか思われて、嫌われることもあることに気づきました。嫌われる勇気もときには必要なのですね。
注 by あや
どうせ嫌われないようにしてても嫌われるときは嫌われます。
だったら、嫌われるかもしれなくても、自分がしたいようにしたいことをして生きるほうがよくない?どちらにしても嫌わる時は嫌われますが、好かれるときはすかれます。
結局同じだけど、嫌われない自分をつくるのやめてそれでもいいといってくれる人の言葉は、深く深く心にしみます。
●「ガーガーいってる人(怒ったり怒鳴ったりしてる人)は、本当は心が子猫みたい」
そうなのかぁ…って思いました。
傷ついたり、さみしかったりして、ガーガー言ってしまっているのかも?と、配慮するゆとりを持てたら良いなぁって。
きっと大変すぎて、キャパ越えて、ガーガー言ってしまっているのだろうなぁと、一歩引いてガーガーにガーガーで対抗しないようにしたらいいのかな?と思いました。
*怒ってる=困ってる人 です。コレはこのブログに設置されている「ブログ内検索」でも出てくると思います。
●したいこと=ルン♪と感じることがない
楽しいな、ルン♪と感じられないときに、とりあえずラクを選ぶというのが新鮮でした。
今までは複数の選択肢のなかで、一番困難なものを選んできたように思います。
ルン♪がないから、したいけれど出来ないというもどかしい状況を作っていたのかもしれません。
●「うるせーなバカ!と思っても良い」
あやさんのご本やブログを拝読して、どんな感情もあっていい、というような理解をしていたのですが、改めてわかりました。
思ってしまうのはどうしようもないことなのに、またこんなことを思ってしまった、またこんな感情を抱いてしまった…と落ち込んでいたのですが、思ってしまうものはどうしようもないですよね。
●「親もきっと、心配したいと思っているよ」
(心配かけそうで自分が苦しんでることを言えないという人に対し)
あやさんのこの一言、泣きそうになりました。
心配かけたくなくて、心配してくれる気持ちを素直に受けて取れていませんでした。
それどころか、心配されることを鬱陶しく思ってしまったりもしていました。
●「すぐ辞めることも才能を見つけるプロセス」
そうであって欲しいと思いました。
もしかして、すぐ辞めること自体、才能だったり…?
●「正しい正しくないではなく、やりたいかどうか」
したくないことをやめて、したいことをして、でもそれっていけないことじゃない?、って思ってしまうときに、人の力を借りて認めてもらうというステップがあってもいいのだと気づきました。
それいいね!と言われる言葉の重みが違う、それがいい!と言う人もいる、大丈夫!気にしない!という人がいる、でもそういう人たちの言葉を、脇に置いてしまっているというお話しも納得でした。
確かに「あやさんはそう言ってくれるけれど…」と思うとき、あやさんよりも得体の知れないブラックホールから聞こえてくる「ダメだダメだ、お前ダメだ」という声の方を優先してしまっていました。
結果的にあやさんのお言葉を無視してしまった、そういうことがあるのだなぁと知り、びっくりしました。
そして申し訳ございません。
●「脇に置いていた言葉を心に戻す」
すごく大事だと思いました。
早速、いくつかの言葉を心に戻しました。
●「愛される、認められるかどうかと、愛されない存在というのとは違う」
ここの部分、よくわからないまま、質問も出来ず終わってしまいました。
もし機会がありましたら、ブログの記事で取り上げていただけたらと思います。またご本も読み返しているところです。
●こんなことをしたら迷惑じゃないか、
嫌われてしまうのではないかと思ってしまう
⇒「人を信用する」(してもいいの”かな?”と思ってみる)」
なんでこんなに人を信用できなくなってしまったのか、
自分が信用できない人間だから、周りも信用できない人間なのだと思い込んでいるのか、自問自答です。
でも、いやな顔されたらどうしよう、ではなく相手は嫌だったら嫌だといって”くれる”から大丈夫!(=相手を信用する)というあやさんのお言葉に納得しました。
皆にすべてをさらけ出す必要は全くないですが、わかってくれる人にだけは、ネガティブな気持ちでも隠さず言ってみようかな…と思いました。
●「自己愛が強く見られる=自尊心が高い、ではない」
そこがどうであっても大丈夫だろうと思えるのが、自尊心というのがわかりました。
自尊心が低いから、あれもこれも大丈夫じゃない→心がしんどい→心の悲鳴=症状、という理解でいいのでしょうか。
●「いいものの悪く考えるクセをつけてみる」
(あえて悪いほうを考えてみるというのが)新鮮でした。
いいものをいいもの、悪いものを悪いものと見るのは仕方ないけれど、いろいろな角度から見る必要があるのだとわかりました。
自分が悪いとコンプレックスに思っていることでも、そこがいい!、っていってくれる人もいるのかな?と思いました。
以上、第2部の感想でした。
続いて第3部の感想を書かせていただきます。
次に続きます
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