【今回の記事】
「テレビ寺子屋」20191215日放送分(再放送)

 テーマ「働くお母さんだからできること

 講師「花まる学習会」代表 高濱正伸



【記事の概要】

 働くお母さんは「時間がない!時間がない!」とよく口にします。特に、休めない仕事がある時に子どもが体調を崩すと、「何でこんな大事な時に!」と思ってしまいます。その一方で、「私は子どもの事が大好きなのに何でこんな事を思ってしまうのだろう...。」と自己嫌悪に陥ることもあるでのはないでしょうか。

 でも大丈夫。私が見てきた「働くお母さん」の良い所、そして子ども側からみた母への思いについてお話したいと思います。(以下ポイントのみ紹介)


◯専業主婦で1日中子どもと一緒にいるお母さんが、いつの間にか子どもの学校の成績や受験の結果が自分の評価であるかのように考えてしまっている。非常に危険。昔は近所のおばちゃん達がいたから話を聞いてくれたから気持ちの切り替えができたが、今は閉じた時代になったのでためにそれが減ってきた。

 その点、仕事に行くと子育てをリセットしたり職場の人との繋がりができたりするので好ましい。重要なことは、子育てを1人でやってはいけないということ。自分を人との繋がりの中におかなければいけない。その意味で仕事の人間関係は有益。


◯「子供のため」と思っていちいち口を出してやる事が大切と思うのは完全な幻想。子供達のために一生懸命仕事と子育てをしている母親の姿を見せることが大切。「ごめーん遅くなっちゃった!」と言いながら自分のために走って帰って来て、自分の着替えもそこそこに食事を作ってくれるお母さんの姿を見て育った子供はそれを裏切ることができない。


◯愛情の時間を15分でいいから必ず取ることが大切。できれば時刻を決めて、子供を抱っこしてその日あったことを聞いてあげる、ただそれだけのルーティンがあるだけで子どもは残りの23時間55分を生きていける。これは間違いない。


【感想】

 高濱氏のお話は大きく分けて三つだと思いました。

◯お母さんの気持ちに関わること

◯子どもの気持ちに関わること

◯子どもへの愛情に関わること


 以下に一つずつ私が気がついたことをお話しさせていただきます。


お母さんの気持ちに関わること

 高濱氏は話を聞いてくれる他者の存在の大切さを指摘しています。このことを通して、改めて「子育てを1人でやってはいけない」という意味を痛感します。

 私達人間には「共同養育」(→https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12588246351.html)という“本能”があるそうです。育児と同時に家事ができないというような物理的な弊害はもちろんですが、子育てが自分一人に任せられているという精神的な弊害も生きている私達にとっては大きいと思います。人間に限らず、生物が本能に逆らって行動すれば何かしらの問題症状が表れるのは当然です。

 事実、私達日本人は、戦後の高度経済成長期に夫が子育てを妻一人に任せて仕事に出かけたために妻が精神的に追い込まれたことで「不安型」愛着不全が生まれたという歴史的経緯を経験しているのです。


子どもの気持ちに関わること

「『子どものため』と思っていちいち口を出してやる事が大切と思うのは完全な幻想」と高濱氏が指摘する意味は、お母さんが忙しくて子どもに手が回らないくらいがちょうどいいということだと思います。その分子どもはそれを補おうとするので、知らず知らずのうちに成長します。


 この「忙しい親と子どもの成長」について、ここで若干補足します。

 過去に私がブログの中で取り上げた記事に次のようなものがありました。

テキトー母さん流☆子育てのツボ! 〜『見放し母さん』より『見守り母さん』に!〜」(https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12210794791.html)

 記事の筆者は、立石美津子専門家ライター。32歳で学習塾を起業。現在は保育園、幼稚園で指導しながら執筆・講演活動に奔走。自らは自閉症児の子育て中のお母さんです。

 この中で立石さんは次のように話しています。

「パーフェクト母さんである必要はありません『なんでも答えてやれる完璧母さんにならないとダメだ』『子どもが困っていたら直ぐに助けてやらないと』なんて考える必要はありません。たとえば子どもが幼稚園にタオルを持っていくのを忘れたとき、すぐに届けるのではなく、あえて知らんぷりすると、『先生、タオル忘れたので貸してください』とSOSを出す術を身に付けることができます。さらにいつまでも親に頼らないで、翌日から自分で用意するようにもなります。料理だって『私が全部作ってやらないと』『危ないから』といつまでもやらせないとできるようにはなりません。お弁当だって“料理の仕方”を教えていれば親が朝、熱が出てお弁当を作れないとき、自分でありあわせの残り物でお弁当を作れる中学生になるかもしれませんね。ママがお出かけのとき『今日は娘が夕飯当番』なんて夢のような日が将来、やってくるかもしれませんよ」 


 仕事に追われるために子どもに対して「テキトー」になってしまうくらいが、無意識のうちに子どもと一定距離をおいて見守る父性的な支援環境(「見守り4支援」)になり、子どもはたくましく育つのかも知れません。逆に子どもとの距離が近過ぎると、親の愛情がしつこくなって、場合によっては「不安型」愛着不全になることもあります。高濱氏が1日中子どもと一緒にいるお母さんがまるで子どもの成果が自分の評価であるかのように考えてしまう」と言うのは、その状態を指しているのでしょう。ただ専業主婦のお母さんも、子どもの表情に曇りがなく、遠藤流愛着理論の「場面②」(→ https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12587878396.html)にいることが分かるなら、努めて「見守り4支援」を意識すれば問題はありません。


子どもへの愛情に関わること

 高濱氏が提案する“15分の愛情時間”。全く同感です。

 私も以前に投稿した親子のふれあいの“質”を高める「愛着」形成の工夫」(https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12385242962.html)の記事の中で愛着形成行為である「安心7支援」の行為がたくさん盛り込まれるジャンケンコチョコチョ抱っこ」という提案をしていました。この方法だと、愛着形成に最も効果のある「スキンシップ」はもちろんのこと、「見て微笑む」「楽しい会話(「うわあ、そこのコチョコチョはゆるして~」等)」「褒める(「ジャンケン強いね!」等)」等の愛情行為が一度に実践可能です。ジャンケンは連続で行うので、所要時間も5分程度で十分楽しめるのではないかと思います。


 ただ、高濱氏の提案の優れているところは、子どもの話を聞くという点です。特に10歳くらいになると、思考・判断や自分を客観的に捉える機能を司る前頭葉が発達し、自分についての悩みを抱え易くなるので、ジャンケンで楽しむより効果的な場合があると思います。子どもの発達段階や実態に応じてチョイスすればいいでしょうか。

 また「遅くなってごめん」という子どもへの言葉は、子どもの「承認・尊重欲求」(人間が本能的に満たしたいと思っている五段階欲求のうちの一つ)の「尊重欲求」を満たすものでもあります。私達は、自分が相手から不利益を被った時に「ごめんなさい」と言ってもらうことで、自分の存在を蔑ろにされていないことを認識できます「遅くなってごめん」という言葉によって「子ども達に迷惑をかけてしまった」「子ども達を困らせてしまった」という親の気持ちを示すことで、子どもは親が自分のことを大切に思っていることを感じることができるのです。
 因みに「承認・尊重欲求」の「承認欲求」を満たすのは、相手の利益になることをした時に「ありがとう」を言ってもらうことです。「ありがとう」「ごめんなさい」が言える子どもは、承認・尊重が重要な意味を持つ友人関係を上手に築くことが出来るのです。