【今回の記事】
 NHK
「チコちゃんに叱られる」(320日放送分)

(ご覧になられた方も多いと思いますが、私なりの感想を加えたうえで自分自身の知見に組み入れるために今回記事にしました。ご容赦ください。)

【記事の概要】
 テーマ「なぜ出産してママになるとイライラする?」 
 チコちゃんの答えは「人は群れで生きる動物だから〜!」でした。
 以下は専門家の解説。
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 女性は妊娠すると胎盤から様々なホルモンが分泌される。その一つが胎児を育むための『エストロゲン』。しかし出産するとエストロゲンは一気に減少する。
 更に「オキシトシン」ホルモンが分泌されることもイライラに関係している。本来オキシトシンは「愛情ホルモン」とも呼ばれ、出産した子どもとの絆を深めるためのものだが、その反面、攻撃性を持ったホルモンであることが最近の研究で分かってきた。
 また、同局の『NHKスペシャル』によれば、あらゆる動物の中で人間だけが、生まれて間もない我が子を他人に任せる「共同養育」という子育て術をあみだしたとされる。そのおかげで人間は次々と子どもを産み育てられるようになった。先の「エストロゲン」が減少し母親に不安やイライラを感じさせるのは、母親が不安や孤独を感じれば、仲間と一緒に子育てしたいと思うようになる、つまり母親を「共同養育」に向かわせるためではないか?と考えられている。しかし現実は、8割にも上ると言われる核家族であり、「共同養育」もままならない現状。母親はそのギャップに苛まれ、更にイライラを感じてしまう。
 更に最新の研究で「オキシトシン」は子どもを外敵から守るために攻撃性を含んでいることも分かってきた。そのため、ちょっとした父親の仕草が敵対シグナルと認知されてしまうために、旦那さんに怒りを向けてしまう。
 また、母親がリラックスしている時は、①オキシトシンが分泌されている授乳の時、②夫が妻に向き合って会話をしている時。これも『NHKスペシャル』からの情報。
 
 ということで、「ママになって出産するとイライラするのは、人は群れで生きる動物なのに、『共同養育』できないから」でした。

【感想】
オキシトシンが夫を攻撃する時
 今回の放送では、一つ興味深いことが紹介されています。それは、本来「愛情ホルモン」とも呼ばれ、出産した子どもとの絆を深めるためのオキシトシンが、子どもを外敵から守るための攻撃性を含んでいて、ちょっとした父親の仕草が母親には“敵対シグナル”と認知され怒りを向けてしまう、ということです。この「敵対シグナルと認知されるちょっとした父親の仕草」とはどんなものでしょう?その点については、番組の中では解説されていませんでした。

 我が子に危険が及んでいるのは、子どもが危険を訴えている場面、それは子どもが泣き叫んでいる時とも言えます。その際に、父親が何もしない、又は「うるさい」等と冷たい言動をとると、母親は、それを敵対シグナルと認識し怒りをぶつけてしまうのではないでしょうか。つまり、母親が育児について父親に怒りを向けてくるのは、単に母親の気質によるものではなく、実は、危険が迫っている我が子を守ろうとする言動かも知れません。「父親も育児をするべきだ」という声がありますが、それ以前に、父親も危険を訴えている我が子の様子に敏感になることが大切なのではないでしょうか。
 その一方で、夫が妻に向き合って会話をしている時に母親はリラックスするとのことです。視線を合わせ、穏やかに語りかける「安心7支援」によって、両者を繋ぐ愛着が形成されオキシトシンホルモンが分泌されている証拠です。夫婦関係を円滑に保ち、離婚や貧困家庭問題を回避するうえで必要不可欠な接し方と言えるでしょう。

「子どもにとっての特定の人」と「共同養育」との関係
 さて、愛着の大きな特徴の一つは、それがある「特定の人(ほとんどの場合は母親)」と子どもとの間に結ばれる絆であるということです。これを「愛着の選択性」と言います。つまり、子どもは自分の周囲の大人達の中から「この人が自分を守ってくれる特別の存在だ」と特定の養育者を選び出すのです。
 その一方で、今回の番組で紹介された「共同養育」は、母親が周囲の大人と協力して養育に当たるという行為です。
 ここで次のような疑問が生まれます。
「赤ちゃんが『特定の人』との愛着の形成を結ぶためには、母親のみが養育に当たるべきではないか?」
「周囲の大人達と協力して子育てに当たることは、赤ちゃんが『特定の人』と絆を結ぶことの妨げになるのではないか?」
 
 では、「愛着崩壊のスパイラル」が始まる高度経済成長期前の母親は、子どもにとっての「特定の人」となるために、誰にも頼らずに育児をしていたのでしょうか?それは「NO」です。高度経済成長期の「核家族」が始まる前の三世代以上の大家族であったからこそ、母親は実母や義母のアドバイスや助けを受ける場面がありました。それでも、子どもが母親のことを「特定の人」と認識できていたのは、母親が周囲からの協力を受けながらも「私がこの子の母親」という自覚を持って、誰よりもその子が困った時に世話をし守ってきたからです。
 しかし、私達の祖先が、出産後に敢えて「エストロゲン」を減少させ母親に不安を与えてまで「共同養育」に向かわせようとしてきたのはなぜでしょうか?それは、いくら母親が「我が子」という自覚を持って誰よりも主体的に世話をしようとしても、誰からの協力も受けないで出来るほど育児は簡単なものではない、ということが私達の本能に刻み込まれているからではないでしょうか?
 その「共同養育」の長い歴史に、くさびを打ち付けたのが、核家族になり夫の協力さえも得られなくなって露顕した「ワンオペ育児」であった考えます。その育児形態は、「共同養育」を取り入れようとしてきた本能に反するものだったと思われます。つまり、たった一人で我が子と二人だけの環境に押し込められ、結果的に虐待に走ってしまう現代の母親の行動は、私達の遺伝子に組み込まれた本能に逆らった結果、必然的に生まれた結果ではないかと思うのです。

 現実に、三つ子の幼子を育てていた母親が「最低24回の授乳」「睡眠時間は1時間程度」と考えられないほど辛い毎日を過ごした結果、うつ病になり突発的に次男を床に叩きつけてしまった痛ましい事件がありました。彼女が言葉にこそできなかったけれど本能で求めていたものこそが、正に「共同養育」だったのでしょう。