「かつや」のかつ丼は、1杯500円程度で、しかも味の染みたごはんとお肉、たまねぎ、卵などは小さな子どにも与えやすいと思い、久しぶりに寄ってみることにしました。




いつもは「かつ丼(梅)」ですが、子ども2匹に分け与えることを考えて、「かつ丼(松)」でごはん大盛りに。




大人は期間限定の「味噌カツ丼」なんかも。




あれ。。よく考えたら、「かつ丼(梅)」2杯の方が、ライスも多くて同じくらいの値段でお得だったんじゃないか…? なんてことに気づく。失敗。



…ちなみに、昨日は夕方からY君、S君が立て続けに来訪。朝5時までほぼ徹夜で麻雀をやることに。。

明日の祝日も朝から親戚巡業だというのに、生活リズムの崩れた子どもたちはまだ昼寝(夕寝?)中。。


ペタしてね

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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(14)


だけど、(「IQ84」が)これだけ売れりゃ出版社も村上春樹のヨイショをするしかないよな。
辛辣な批評でもして自分のトコで書いてもらえなくなっちゃ、オオゴトなんでさ。
どこの出版社でも「あわよくばウチも」なんて思ってるわけで、もうどこからも悪口なんて出てこないわけだよ。


だけど、売れるもの、強いものには必ず「アンチ」がいるわけで、村上春樹の悪口を聞きたいって人はホントはそうとう多いはずだぜ。
『週刊ポスト』あたりでも悪口書いてみたらいいのにさ。
『ポスト』の記者のアンチャンがいくら頼んだって、「女性器」とか「TENGA」とかやってるんだから、お上品な村上センセイは書いてくれないぞ。
悪口言えないんだったら、オイラが代わりにガンガン言ってやろうか(笑い)。


「国民的小説」「国民的ドラマ」なんて大騒ぎするのはいいけど、そうなると批判的な声はこの国じゃまったくなくなっちゃう。
「売れたものは叩けないファシズム」ってのが、この国にはあるってことだよな。


↑(引用ここまで)
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…『売れたものは叩けないファシズム』。


有名ホテルの食品虚偽表示はあれだけニュースになったのに、ディズニーオフィシャルホテルの食品虚偽表示は、あまり報道されませんでしたね(私の知る限りですが)。


そりゃあ、ディズニー(オリエンタルランド)のスポンサー(NTTやドコモ、第一生命など)のイメージダウンにもなるし、ディズニー自身も、大手新聞社の巨大広告からゴールデンタイムのテレビCMまで、巨額のスポンサーであることを考えれば、新聞やテレビで大きく叩かれないのも頷ける気がします。


そういう目で日々の報道を眺めていると、ツイッターか何かで個人的に「アンチ」を謳うことはあっても、組織的に「アンチ」な意見が「意図的に報道されない」ことも多いように思えてくるのです。


それは、すでに「売れたもの」「売れているもの」に限ったことではなく、「今、これが流行っています」だとか「○○が今、注目されています」だとかいう一般の報道も然りです。


「今、これが流行っています」なんて、本当に流行っているのかどうかも怪しい報道に、マイクを向けられ「別に興味ありません」なんてコメントをしても、そんなインタビューはもちろんカットされるでしょう。
というか、本当に流行っていたらみんなが知っているわけだから、報道する必要すらないと思うのですが…(笑)。
どうにもそこに、「もっと世間の目をそこに集めよう」という「商業的(または政治的)意図」「金儲けのにおい」を感じてしまうのです。


3.11震災当時の東京電力バッシングなんて、そんな「政治的意図」の最たるものですよね。
私は「確かに対応が後手後手かもしれないけど、逃げずに現地で頑張っている社員もけっこういるわけだし、もっと評価されてもいいんやないかなあ」「自分が社長だったら最善・最速の対応ができたか? と言われたら難しいんとちゃうか」くらいに思っていたのですが、そんな東京電力を擁護するような報道は(私の知る限りでは)まるでされていませんでした。
「遺族の気持ちを考えて云々…」とか何とか理由をつけて、STAP細胞の小保方さんのように、東京電力がやり玉にあげられたわけですよ。
おかげで、東京電力バッシングに対する「アンチ」な少数意見は報道されずに、「東京電力は何をやっているんだ!」という方向に世論が誘導されていったわけです。…まさに『ファシズム』!


「報道されるもの」と「報道されないもの」。
個人的にネットやらで、無責任に「アンチ」をつぶやいて悦に入るつもりは毛頭ありませんが、少なくとも「報道されないもの」「世論を誘導する商業的(政治的)意図」を想像できないようでは、民主主義国家に生きるひとりの「主権者」だなんて、口が裂けても言えませんよね。


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前々から気になっていたモスバーガー系列の紅茶に特化した「マザーリーフ ティースタイル」に行ってみました。




「ハンバーグ雑穀ごはん&サラダ」や「ビーフシチューオムライス」にワッフルと紅茶がついたセットもあります。




さすがワッフルはもさっとせず、サクサク美味しいです!


ポットで出してくれるアールグレイにぴったりでした。


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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(13)


美人の女の子がネットに自分の顔を晒してたら、そりゃ悪い男が寄ってくるに決まってる。
この世の中、ネットでうまく自己主張できるヤツが偉いみたいな風潮になってるけど、そんなもんウソだよ。
一般人は、ネットに情報が漏れるのをいかに防ぐかを考えたほうがいい。


↑(引用ここまで)
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ネットとの付き合い方。
こうして8年以上も、毎週毎週ものを書いてはネット上にアップし続けている私ですが、「思考の整理」「行動記録・ログ」という意味合いが強いように思います。


「だったら、ネット上になんか晒さないで、日記帳でもつけとけば?」というツッコミが今にも聞こえてきそうですが(笑)、私だって人間ですから、他人から評価されたい欲もありますし、「他人に見られる」ことを意識するから、文章の体裁を整えたり、締切を守ったりするという面も、もちろんあるのです。


しかし逆に、「所詮はネット。便利だけど、”匿名性”や”無責任”が蔓延している世界」だと思うようにもしています。
自分や友人のフルネーム、年齢、職場、住所は晒さない。画像添付や文章引用には気を配る。
人によって基準の違うところだとは思いますが、私の考える「ネットへの信用」のラインはだいたいこのへんです。


…でも、画像や文面から、私のだいたいの生息地域と年齢層くらいはわかってしまうかもしれません。
そういう意味では私も、たけし氏が指摘するような「晒しすぎ」の部類に入ってしまうのでしょうか。


前回たけし氏の『フェイスブック方式』という話を紹介しましたが、芸能人も、我々一般人も、ネット上で注目を浴びるためには「プライベートの切り売り」がもっとも簡単な方法でしょう。
日常の些細な出来事をいちいち「ツイート」するのもいいでしょう。
たとえば花火大会へ出かけて、花火を写真に撮って「LINE」にアップするのもいいでしょう。


しかし、そのどれもが「プライベート・個人情報の切り売り」でしかなく、「そんなことしている暇があったら、”今、この瞬間”を楽しめや!」という指摘が成立することを忘れてはならないと思うのです。
少なくとも私は、「写真を撮るとき」に、それを感じてしまいます。
「写真を撮る」「画面やファインダー越しにそれを見る」ということは、「今、この瞬間」「肉眼で見ること」を犠牲にしているという側面がついて回るわけですから。…そんな理由で、私は若いころほど写真を撮らないようになりました。


「ネットとの付き合い方」は、個人差もあるでしょうし、誰かに強制されることでもありませんし、いわゆる「正解がない」ことだとは思います。
ただ、私はその「安易さ」、「所詮はプライベートの切り売りであること」、「ネットにかまけている暇があるのか? というツッコミ」を思うと、どうにも肯定的にはなれないのです。


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2014年は、私自身、仕事と育児に奔走しながらも、友人のS君、Y君が続けて「結婚」に飛び込むという出来事がありました。
転勤もあったT君は、相変わらず忙しそうです。…身体壊すなよ!


私は「”結婚””育児”という”人生の負荷”に自ら飛び込んだのだから、炊事も、洗濯も、育児に関わるすべての雑務を、メインを張って取り組みたい」と思い立ってしまったため(笑)、妻には申し訳ないくらい、「シングルマザーやシングルファーザーだったら、これくらい全部ひとりでやっとるんやし」を合言葉に毎日を過ごしております。
…だって、そんな「面倒くさいこと」がしたくないのなら、「結婚」や「育児」に飛び込まなければいいだけの話ですから。
どうせやるなら、徹底的にやろう、と。


おかげさまで、いろんなことが見えてきました。


「これらすべての雑務を”女の仕事”と決め込んで家でゴロゴロされていたら、そりゃ腹立つやろなあ」とか。
「子どもの食事・排泄・着替え・お風呂・睡眠・保育園の送迎・ケガや病気などのトラブル…これらすべてをひとりで背負って真面目に向き合っていたら、そりゃノイローゼにもなるわ」とか。


世の主婦たちの悩みどころも理解できるようになりましたし、逆に「自分の人生を犠牲にしすぎ」「子どもにばかり時間とカネをかけすぎ」という傾向もわかるようになってきました。
…さすがの私も(?)、日々の仕事に加え、これらの雑務が立て込んでくると、知らず知らずにイライラしていたり、ちょっとしたことで腹が立つようになってしまっている自分に気づくことも、あります。
仕事で夜遅く帰ってきた妻に、なぜだかねぎらいの言葉もかけてあげられない気分になってしまっている自分に気づくことも、あります。


そういう意味では、私も強がっているだけで、世の主婦たちと同じように、家事や育児という膨大な雑務に真面目に取り組みすぎて、やられぎみなのかもしれません。


とはいえ、毎日帰宅が夜9時10時を過ぎる仕事を持つような男性には、私のような立ち回りはできないでしょうし、そういう意味で、結婚に飛び込んだ友人ふたりの生活バランスのとり方が、心配でもあり、逆に楽しみでもある、というあたりが正直な心境です。
私の十年あとを行く若者たちが、いったいどんな「立ち振る舞い」を見せてくれるのか、と。


私も、そんなら彼らに、おもしろおかしい「立ち振る舞い」を見せて生きられるよう、世の「常識」に埋没せずやっていく所存です。


…そんな彼らが、小さな子どものいる私のところに、十年前と変わらず、夜でも遠慮なく訪ねてきてくれることを、たまらなく嬉しく思います。
本年も、よろしくお願い致します。


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近所の「ステーキけん」跡地に「鶴亀堂」ができたので行ってみました。




「とんこつみそ」。




「博多とんこつ・全部のせ」+「半チャーハン」。ランチタイムだと「半チャーハン」が300→200円。


「全部のせ」は、きくらげ、味玉、ネギなんかがちょっとずつ足されている感じ。

足元ツルツルの「ザ・博多ラーメン」な店なんかよりはあっさりめに作っているので食べやすいかも。


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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(12)


最近、役者とかお笑いとか歌手みたいな実体のある仕事を全くしていないのに、プライベートをドンドンさらけ出すことによって露出を増やしている妙なタレントが多いよな。


あえて誰とは言わないけど、映画の試写会やイベントのオープニングセレモニーに呼ばれて自分の私生活について答えたり、他人のスキャンダルについてテキトーな感想を述べるだけで食いつないでるヤツラだよ。
で、テレビのほうもそういう人たちをなぜか重宝してるって構図があってさ。


オイラは最近これを「フェイスブック方式」と呼んでるんだよね。


ネットに詳しいワケじゃねェからおおざっぱな解釈だけどさ。
フェイスブックってのは、知り合いのプライベートをのぞいている人に対して、その情報の脇にある広告(バナー)を見せることで儲けるってシステムだろ。
タレントを試写会に呼んでプライベートを語らせて、その脇に映画やDVD、イベントのポスターを置いて宣伝するっていう手法は、それと全く同じに見えるんだよな。


↑(引用ここまで)
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…『フェイスブック方式』とは、またうまい表現ですよね。


売れなくなった歌手やアイドルが、出産・育児をきっかけに、それをダシに再びテレビに出てきたり。
自分では何も新しいものを作り出さないのに、他人が作った作品にあーだこーだコメントするだけで金をもらっている「○○評論家」みたいな人だったり。


日々のインターネットニュースの検索上位なんかを見れば、そんな「芸能人のプライベートネタ」ばかりがクリックされていることがまるわかりです。これがもう、情けなくらいに(笑)。
みなさん、暇さえあればスマートフォンを開いて、その実、何をしているのかといえば、ゲームやLINEに興じているか、そんな下世話な芸能ニュースばかりを日々チェックしてらっしゃるわけです。


そりゃあ、ゲームのアプリやインターネットニュースの脇に広告バナーがひしめき合っているのも頷けるでしょう。
そして、直接バナーをクリックしないまでも、企業名や商品名は、バナーの視覚的効果によって、徐々に我々の頭の中に蓄積され、ある種の「ブランド」意識を植え付けられ、確率論的に商品の売上げを伸ばすことになっているのです。


…人間は、いつの時代でも、下世話な噂話が好きというか、他人のプライベートを覗き見る快感に弱いというか、野次馬根性を煽られると、いとも簡単にそちら側へ流れて行ってしまうものなのかなぁ、としみじみ思ってしまいます。ちょっと偉そうでしょうか(笑)。


もちろんそれは、私とて決して例外ではなく、ボーっとネットサーフィンしていたら、ついついそんな「他人のプライベート」をクリックしてしまいそうになります。別に、誰に見られているわけでもないですし(笑)。


でも、個人的なプライドというか、なんというか、「他人のプライベートを覗き見る」ことに時間を奪われている自分が恥ずかしい、という意識が、クリックしようとする私の右手を止めるのです。
しかも同時に「広告バナーの影響を知らず知らずに受けて、個人的好みや考え方まで左右される可能性」もあるわけですし、「お膳立てされた芸能ニュースやバナーに、簡単には惑わされんぞ」「誰もがそこに興味があると思うなよ」と、集団に埋もれることを嫌う私としては、そんな独り言をぶつぶつ言いながら(笑)、パソコンを閉じるのです。


フェイスブックやミクシィで他人のプライベートを覗き見るのも、ヤフーニュースのトップページで気になる芸能ニュースをチェックするのも、基本的に同じ種類の「惰性」だと思うのです。
そして、商売人たちは、そんな「惰性」を見過ごさない。「絶好のカモだ」と、企業名や商品名を刷り込んでくるわけです。


…あなたは、そんな「惰性」に時間を奪われていませんか?
そして、商売人たちは「時間」だけでなく、徐々に徐々に、あなたの「金」や「プライド」も奪っていってしまいますよ?


今回は(も?笑)偉そうに言いましたが、自分への戒めも込めて書きました。


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行きつけのミニストップを失ってからはや数カ月。。

その跡地にパン屋さんができました。




オープンしたてでも、パン屋さんって別に安くなるわけじゃないんですね。。なんだか通常営業っぷり。

しかも、この「ぴーぷる」というチェーン店では、イートインで珈琲無料のサーバーが設置してあって、それお目当てで行っていたのですが、数か月前から別の店舗では「1杯20円」という札とともに貯金箱のようなものが。


さらに、上の写真のように、ふつうに一杯150円の珈琲となる有様。。もう珈琲サービスなんて、やっていけないんですかね。。


ちなみにパンとは別レジでピザ380円+ドリンクセット100円で480円。

朝7時から夜7時まで営業。うーん、微妙?



今日はSさんの実家で4人の子どもたちにお年玉リリース後帰宅、明日の産みの母親の方の差し入れにワインを購入しに出かけて帰宅、S君とKちゃんが来訪して、興奮状態の子どもふたりを肴にコーヒーを飲み、ようやく就寝です。。

さて、正月巡業も明日まで! がんばりますか。


ペタしてね

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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(11)


それよりも親にとって大事なのは、夢破れた子供のために逃げ道を用意しておいてやることだね。
勘違いしてほしくないんだけど、それはエスカレーター式の学校にやったり、貯金や資産を残してやろうって話じゃなくてさ。
人間は決して平等じゃない、努力したって報われないことのほうが多いっていう厳しい現実を、子供の頃から親の責任で叩き込んでおいてやるってことなんだよ。


オイラがガキの頃は、自然にそうだった。
ウチの近所なんて、「学者になりたい」って子供には「無理だよ、お前バカなんだから」で終わり。
そういう毎日だから、子供はおのずと自分の「分」をわきまえることを覚えていったんだよ。


今じゃ世の中豊かになって、たいがいのものは手に入るようになった。
それで、子供も世の中も、「努力すれば夢は叶う」と勘違いしてしまったのかもしれない。
でも本当は「努力すれば叶う夢もごくまれにある」ってことなんだよ。


男ってのは、自分には才能がないとわかってからが勝負なんじゃないか。
親父にできるのは、いつか子供がうまくいかずに傷ついた時に、それでも生きていけるような強い心を育ててやること。
だから、子供の心を傷つけることを恐れちゃいけないと思うんだ。


↑(引用ここまで)
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…『子供がうまくいかずに傷ついた時に、それでも生きていけるような強い心を育ててやる』。


親や教師は、子どもといつまでも並走してやれないのですから、子どもがひとり社会に放り出されても、へこたれず生きていけるような、しなやかで強い心を育ててやる。
これこそが、「しつけ」「教育」の目的だと思うんです。


私たち大人の、子どもたちに見せる振る舞いひとつひとつが、そこから逆算されたものであれば、他の細かいことなんて、どうでもいいと思うんです。
「子どもにばかり目を向けず、自分自身も魅力的な人間であるよう努める」のも、もちろんそのひとつです。


子どもが外へ出て、親や教師の知らないところで他人にいじられ、恥ずかしい思いをすることも当然あるでしょう。
…だったら、日ごろから適度にいじってやらなきゃ。適度に恥ずかしい思いをさせて、内心反省したり、笑い飛ばしたりする機会を与えてやるべきですよね。
過保護に「おまえは正しいんだよ、おまえは大切な子どもなんだよ」と、そんなメッセージばかり子どもに与えていたら、外でいきなり「おまえなんて別に大勢の中のひとりだし、大切でもなんでもない」という扱いをされたら、心折れてしまうかもしれませんよね。


先日、私の父が、妹の子ども(3歳)を児童館で遊ばせていたところ、他の子とおもちゃを取ったり取られたり、ちょっと小競り合いみたいになっていたそうなんです。
そこで、父のとった行動は、「傍観」。
心配してケンカを止めに行くどころか、「さてさて、奴はどうやって解決するんだろう? 見ものだ」と、ちょと離れたところで楽しんで(?)傍観していたと言うのです。
結果は、多少の小競り合いの後、妹の子どもは「なんやコイツ、うっとうしいなあ」みたいな目をしながら、別のおもちゃのところに行って、ひとり楽しそうに遊んでいたそうです。


…う~ん、正解! ですよね。


子どもは今後も、幼稚園やら小学校やら、少なくとも親の目の離れたところで、いじめたり、いじめられたり、多少の小競り合いに遭遇するに決まっています。
そんなときに、いちいち親や教師が割って入って「仲良くしようね」なんて仲裁してあげ続けられるはずもありません。
自分で解決していくしかないのです。


しかしながら、子ども同士で小競り合いをしているのを目の当たりにしたら、ついつい手や口が出てしまいそうですよね。
もしくは、相手の母親かなんかから「なんで止めないで見てるんですか!」とキレられる可能性すらありますよね(笑)。
…さすがは我が父です。教育の「目的」からの逆算がしっかり染みついています。
「今、ここで大人が手を差し伸べるべきかどうか」という瞬間的ジャッジが的確だった事例と言えます。


とはいえ、こんな偉そうに言っている私だって、子どものトラブルに対して、いつでも正しい判断ができている、なんて口が裂けても言えません。
しかし少なくとも、「子どもが転んでも、自力で起き上がるまで手を差し伸べない」「子どもどうしのトラブルに、すぐに割って入らない」選択肢をもった大人、教育の「目的」を見誤らない大人でありたいと、心底思うのです。


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