年末の話ではありますが、仕事あがりに「オリエンタルホテル東京ベイ」に泊まりに行ってみました。




狙いは「チャイニーズテーブル」のお夜食ブッフェ。

21:30~24:00(LO23:30)もの長めの時間設定で、1,250円(税・サ込、ドリンクバー別料金)!


…でもなんだか、数年前より料理の内容がだいぶ薄くなったように感じました。

チャーハンもなかったですし、ラーメン・唐揚げ・麻婆豆腐・シュウマイ・水餃子…メインどころはそんなくらいでした。


やっぱり11月に泊まった「ホテルオークラ」に比べると、お値段相応といったところでしょうか。。


ペタしてね

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↓『ニッポンを繁盛させる方法』島田紳助・東国原英夫著、角川書店、2007)より引用(06)


島田:何にせよ、「改革」と言っても、全員が理解して、納得するような改革だったら、それは改革じゃない。
みんなの賛同を得て、全員で動くというのはとうてい無理な話。
それができていたなら、国の政治が衰退することなんてなかったはずや。


やっぱり全員が理解はできないことをやり遂げて、初めて改革者となる。
芸能界もそうやろ? 偉くなるやつって、最初は周りの人が理解できないことをする。


↑(引用ここまで)
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「改革」と「みんなの賛同を得る」ことは両立しない。


いつまでも「みんなの賛同を得る」ことばかりに気を取られていては、新しいことは何もできない。


…言われてみればあたりまえの話だと思うのですが、昨今の風潮はだいぶ「みんなの賛同を得る」方向に偏っているように感じます。


政治家のしゃべり方ひとつから、企業のキャッチコピー、我々日本人の考え方に至るまで、「誰からもクレームが来ないように」「炎上しないように」という傾向が度を超えてきている、と感じるのは私だけでしょうか?


大量生産されるチキンナゲットに不純物ひとつ混入したら大問題にされるんですよ?(笑)
そりゃいくらなんでも要求しすぎですって。
何千、何万と機械生産される工程で金属片のひとつもそりゃ入りますって。
でも、企業の姿勢としては、「今後そういったことはゼロにします」と万人向けのセリフを言うしかないわけです。


政治家だって、そんな世情では「無難に、無難に」前例踏襲をベースに行くに決まっています。
一部の団体が、さも「これが世論だ」みたいな顔をしてツイッターを炎上させれば、ニュースで大々的に報道してくれますもんね。
そんな中で、「構造改革だ」「税制改革だ」とか何とか言っても、たいした「改革」にならないのは目に見えています。
国民からすれば「前と何が変わったの?」「どこが政権をとっても一緒」と失望感を持って当然でしょう。
「改革」という言葉の価値は、薄れる一方です。


だから、「異物混入」だとか「不適切な発言」だとか、そんな本質的でない話にいちいち目くじら立てるの、やめましょうよ。
日本の借金はふくれあがる一方で、経済成長も頭打ちになり、生産性ではアジア諸国に追い抜かれ、超高齢化社会に突入するんですよ?
「みんなの賛同を得る」ことばかりに重きを置いたこの風潮に歯止めをかけないと、やるべきときに批判が怖くて何もできない腑抜けな国になっちゃいますよ? …もうなってるか(笑)。


「みんなに理解されなくても、自分は三歩先を行く」姿勢に理解を示せる世情をつくっていきたいと、最近特に思うのです。


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なんだか月例行事になりつつある、S君とのピザ食べ放題のお店「ナポリの食卓」へ。




注文は、メイン料理1品+サラダバー+ピザ食べ放題+ドリンク「シンプルミラノ」1,296円(税抜き)です。


今回は、S君のおすすめ生パスタの中から「エビとホタテのトマトクリームシチュー」をメイン料理に。


…ピザは何十切れ食べたでしょうか(^_^;)。もう食べれません。。


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↓『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』川口マーン惠美著、講談社、2013)より引用(01)


(ドイツで)脱原発法案が可決された直後を改めて思い起こすと、あのときが幸せの絶頂だったといえるだろう。
EU内で孤立しつつも脱原発に向かって突き進む自分たちの姿に、国民はほとんど恍惚状態だった。
脱原発のためなら生活が少々不便になっても構わないと本気で思っていた。
「自分たちは、物質的豊かさよりも倫理を尊ぶ民である。たとえ電気代が高くなろうが、生活が不便になろうが、貧乏になろうが、世界中で自分たちだけが正しいことをしているのだ」と信じていた。


……しかし、実際にはそれは不可能だ。
ドイツ人にとっての脱原発は、停電の心配がなく、冬の夜中もベッドのなかで震えることなく、蛇口をひねればいつでも熱いお湯が出るのが前提だ。
その状態を手放すことなど、想像さえできない。


冬に布オムツを冷たい水で洗わなければいけないなら、私は三人も子供を産むことはなかっただろう。
しかし、電力不足で産業の稼働率が下がり、国が貧しくなったときに私たちが陥る生活の悲惨さは、冷たい水でオムツを洗うことなどとは比較にもならないほど凄まじいはずだ。


貧しい国の暮らしを、すでにドイツ人も日本人も知らない。


ドイツのエネルギー転換――これはいわば、GDPを下げずにエネルギー転換ができるかどうかという壮大な実験なのである。


↑(引用ここまで)
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私はどちらかというと、「脱原発」寄り、「不便を受け入れよう」という考え方の持ち主だと思います。


ただ、「脱原発」を謳う政党が、川口氏も言う『電力不足で産業の稼働率が下がり、国が貧しくなったときに私たちが陥る生活の悲惨さ』をどこまで理解しているのかが、疑問に思うことがあります。


そりゃあ、3.11であれだけの原発事故を起こしておいて、「”安全”なんかよりも、”産業”を重視すべきだ」と面と向かって言い切れる人は、あまりいないでしょう。
「原発はすべて廃止すべきだ」と、思っている国民の方が多いかもしれません。


でも、だからこそ言いたい。
「どのくらい不便になることを想定していますか?」「どのくらいの”不便”だったら受け入れられますか?」と。


「脱原発」をさも絶対的正義のように振りかざすのであれば、「計画停電やら電気代の高騰やらで産業はみるみる衰退するし、生活はかなり不便になりますよ」ときちんと言えよ、と。


暗くなったら電気を消して、寝る。
日中も、贅沢をせずに慎ましく暮らす。
計画停電中は、冷暖房はもちろん使えない。
…そんな高度成長以前のような暮らしを日本国民が受け入れられるか、どうか。


受け入れられないなら、「原発」に頼るしかない。
「原発もイヤだけど、不便もイヤ」なんてワガママを叶えてくれる、超ウルトラ級のエネルギーなんて、どうやら存在しないようですから(笑)。


結局は妥協点を探していくしかないのでしょうが、最近は特に「脱原発」を口にする人たちが、それに付随する「不便」について言いたがらない現状に一言物申したいと思い、こう書きました。


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行きつけの整骨院に、できる限り毎月足を運びたい。今月は実現。


けっこうな確率で、帰りは整骨院近くの「餃子の王将」に行ってしまいます。



…おや、新メニューなんかも。「チャーハン番長」。店員さん曰く、けっこう辛いらしいです。

ビビっていつもの「焼き飯」に。




トリッキーなところで、「イタリアン風焼そば」なんかを頼んでみたり。

税込580円。焼そば感ゼロでした(笑)。




定番の春巻きに行かずに、「ナスとキノコの香味揚げ」486円。塩気が強すぎて、私には不向き。


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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(16)


やっぱり悪口とか暴言っていうのは、バランス感覚なんだよ。
一応、塀の上ギリギリのところを歩くけど、落ちる方向をちゃんと考えておかなきゃいけない。
そうするにはやっぱり「昔の芸」とか「歴史」みたなものをキチンと踏まえておかなきゃいけないって思うんだ。
オイラの今までの芸にしても、よく「たけしは古いものをみんな壊してきた」なんて言うヤツがいるけど、本当はそうじゃなくて、古いものを取り込んで新しい芸を作ってきたと思ってるんだよ。


↑(引用ここまで)
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私は職場が変わったとき、「前の職場はこうだった」「このやり方はおかしい」と思うことが多く、ついついそれを意固地になって新しい職場にも適用しようと四苦八苦してしまいます。
その新しい職場の、今までの「歴史」というか、「流れ」「どういう経緯でこうなったのか」をほとんど知らないくせに、相当生意気だと思われていたことでしょう(笑)。


先日、私の今の職場から転勤していった新人を迎え、飲む機会がありまして、彼が「今の職場は、○○に全然力を入れていない。新人の私は、どうしたらいいでしょう?」と言っていました。
「それをおまえが変えていくんだよ!」とやいのやいの元・同僚たちに言われている中、私の先輩にあたる人は、さらっとこう言ってのけました。
「その職場には、その職場の”流れ”や”歴史”がある。まずはその波に乗ってみて、それから考えればいい」と。


むしろその件については最前線で力を入れているはずのその先輩の口から、そんなバランス感覚に富んだセリフが出てきたことに、私は感嘆の声をもらしました。


何か新しいことをしよう、オリジナリティを発揮しよう、と思ったときは、まずはその場の「流れ」「どういう経緯でこうなったのか」を知る。「歴史」を学ぶ。
…そういう手続きをきちんと踏まないと、いくら「これが正しい」と思ってやっていたとしても、どうにも付け焼き刃の「軽薄なもの」になってしまいがちだというのは、頷ける話です。


「自分が正しいと思った道を突き進め!」なあ~んて、言うのは簡単ですが、「軽薄さ」「古いものから学ぶこと」を指摘できる大人でありたいものです。


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時間帯によっては客層が悪くてうるさかったりしたので敬遠していたのですが、久しぶりに「デニーズ」へ。




「海鮮バラちらし丼と選べる小鉢」1,283円。556kcal。

具材があまり海鮮、海鮮してなくてわたくし好み。美味しいです。




私の中での定番「焼きチーズカレーハンバーグドリア」899円。824kcal。


平日夜ということもあってか、なかなか静かな店内で、ゆっくり食事ができました。




携帯クーポンも一新されていて、誕生日クーポンで「パンケーキ」が無料に!

意外に豪華! ついつい「おかわりドリップコーヒー」もつけちゃいました。


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↓『ニッポンを繁盛させる方法』島田紳助・東国原英夫著、角川書店、2007)より引用(05)


東国原:もちろん、(モチベーションの高い若者が)県庁にもいないわけではないんですよ。
ただ、公務員は何時間働いても給料が同じだとかいうような意識をやっぱり持っているところが一部、見え隠れする。
コスト感覚やスピード感覚といったものが民間に比べて不足している。


そこで、インセンティブが必要なのかなとも思う。
公僕(公務員)っていうのはパブリック・サーバントだから、県民の皆さんが喜ぶ顔を見て喜ぶべきなのに、ちょっと違ってきているのかなとも感じています。


島田:公務員は難しい。


東国原:公務員の意識改革をするのは難しいですね。でも、できないことはないと思います。


島田:うちの店もやっぱり基本給は低くしている。
でも、売り上げに応じたインセンティブを設けている。
出来高を従業員一同、同じにすると、みんなが売り上げを意識する。
だから、しんどかったとしても、今日一日の売り上げが良かったらみんなで喜ぶ。
結果的にそれが自分にお金として返ってくるから。
でも「売り上げだけ見てたらあかんぞ」とは口を酸っぱくして言っている。
そういうことって民間だからできるけど、相手が公務員だったらどうすれば頑張るのか。


東国原:三月ぐらいにですね、地鶏などを入れて僕が訪問先で渡していた宮崎の紙袋が有名になったんです。
それで、そのデザインを活かして「Tシャツにしませんか」と提案したんです。
「分かりました」と言われてできあがってきたのが八月の半ばですよ(笑)。
春先にお願いして、できあがったときには夏の半分が過ぎていますよ。
色々な手続き等があってある程度は仕方ないけど、それにしてもスピード感覚が足りない。その頃にはもう遅いですよ。


それで、「物産館で販売します」と彼らは言う。
僕が「物産館だけではなく、空港やデパートでも販売しましょう」と提案すると、「いや、物産館に何百枚か置いてみて、その売り上げの統計をとってから採算ベースで割り増ししていく」って言うんですね。


慎重に慎重を期すのは良いと思いますけど、見切り発車で勝負していかなきゃいけないときってあると思うんですよ。


島田:公務員にとってそれは、やる気の出る仕事でないねんな。


↑(引用ここまで)
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公務員に限らず、どんな業種でもそうだと思うのですが、東国原氏のTシャツの提案のような「新しい仕事」が飛び込んでくるときって、我々下っ端の普段の業務が減ってくれるわけではないですから、もちろん普段どおりの業務をこなしながら隙間時間を作って、普段の業務と並行してオーバーワーク気味にやっていくしかないわけです。


だから、東国原氏が言うような『スピード感覚が足りない』という指摘には、半分同意ですが、半分は同情してしまうのです。


ただでさえ、人件費の削減に次ぐ削減で、我々ひとりあたりにのしかかる仕事量は年々増えてきていると感じますし、それは公務員の世界でも同様だと思います。
聞くところによると、絶対に9時~17時では終わらないような事務作業に毎日追われていて、まともに休憩や昼食の時間もとれない部署もあるとか。
県庁勤務なんかになると、繁忙期は、毎晩終電に間に合わないほどの膨大な事務作業が連日続くそうです。
もう、「公務員 = ラクで安定」なんていう時代ではなくなってきているのかもしれません。


そんな毎日忙しい中で、トップから「Tシャツ作らない?」なんて思いつきで提案されても、普段の業務の片手間にやるくらいのモチベーションしか持てないのも、わからないではないです。
…まあ、Tシャツの納期が8月半ばっていうのは仕事のクオリティとしてどうよ、やるならちゃんとやれよ、とは思いますが(笑)。


とはいえ、「現状維持は後退と同じ」なんて言いますし、何か「新しい試み」を日々の業務に挟み込んでいかなければ、どの企業も生き残っていけないというのが昨今の流れなのかもしれません。


忙しい中でも「新しい仕事」を嫌がらずに、なおかつ「Tシャツを8月に納品」なんて「現状維持」男にならないよう、「やるからにはきっちり」「自分や周囲の常識を疑う」自分でありたいものです。


ペタしてね

Lサイズオムライスがなかなかのボリューム感の「ポムズファーム」。

大飯ぐらいのS君不在時は、それでもMサイズ!




中のごはんは、ケチャップライスやバターライスが定番ですが、「ドライカレー」なんて変化球も。




期間限定でフライドポテトがついてくるオムライスなんかも。


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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(15)


みんな「たけしの毒舌はとんでもない」って言うけど、正直な話、これでも昔に比べりゃ、オイラも抑えてる方だぜ。
オイラが「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」「気をつけよう、ブスが痴漢を待っている」「寝る前にきちんと絞めよう親の首」なんて言ってた漫才ブームのころに比べりゃ、正直丸くなったもんだよ。


もし今のオイラの悪口ぐらいのことで「強烈な社会風刺」だって言うんなら、それはどっちかっていうと世間のほうが変わったんだ。
もういい加減にしろよってぐらい、規制だらけ、建前だらけになっちゃった。
そのうちチビのことは「身長の不自由な人」、デブのことは「体重の不自由な人」、ブスのことは「顔面の不自由な人」って言わなきゃいけなくなりそうな勢いなんでさ。


↑(引用ここまで)
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…『規制だらけ、建前だらけ』。


「障害者」を「障がい者」と書いたり、「”かたわ”などの差別的表現はやめよう」と言い出したり。


そう言われりゃ確かにその通りなのですが、「真面目かよ!」とツッコみたくなるような「気の回しすぎ」に見えるのは、私だけでしょうか?


この話で重要なのは、「言われりゃ確かにその通り」という部分です。
「障害者は別に”害”を与えているわけではないので、障”がい”者と書くように気遣おう!」
「”かたわ”は、本来五体満足であるものが”欠損している”という表現だから、使わないようにしよう!」
…正論です。
異論を挟み込む余地がありません。
でも、そんな「正論」ばかりが幅をきかせてる世の中では、「論理的に、配慮的に正しいこと」が何よりも最優先、となってしまう危険性があるように思えるのです。


「その”言い回し”を普及させることが最優先事項なのか?」
「”言い回し”も確かに彼らを傷つけるかもしれないけど、他にもっと配慮すべきことがあるのでは?」
…と、そんなふうにバランスをとっていかないと「”正論”を言ってしまうことが、優先事項の逆転現象を起こしてしまう」可能性があることに気付けない自分が、そこにいるように思えてならないのです。


「他者へ配慮すること」「言い回しを気をつけること」は正しい。その通りです。
私だって、どちらかというと、それを心がけて暮らしている方だと思います。
でも、「”言い回し”に工夫を凝らしてあれこれ時間をかけるより、もっと他に時間をかけることがあるのでは?」と自問できるバランス感覚なくしては、他の文化圏から見たら、非常に滑稽な物言いになっていることも少なくないと思うのです。
…滑稽ですよ、「障がい者」って(笑)。


自戒の念を込めて言いますが、「他者へ配慮しましょう」と口先で言うより先に、そんな配慮が必要な現場にいざ居合わせたときにフットワーク軽く動けるか、どうかだと思うんですよ。
「○○すべき」「○○しましょう」なんてことばかり言っていると、「お前の普段の行動はどうやねん!?」と笑い者になっているかもしれませんよ?


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