昨晩はY君の提案で、もつ鍋大会。

夜更かしもそこそこに、深夜2時すぎにS君を家まで送り、朝から起きて、Y君を駅まで送り、毎月恒例美容院に。…T君が仕事がらみで来れなかったのが残念!




帰りはいつも「FT」か「コメダ珈琲」なのですが、近くにできたモスの新店舗に行ったら、なかなかいい雰囲気。奥まった楕円形のソファ席もあって、子ども連れでもゆったりできました。




ひさしぶりにチリディップソース(80円)も追加して、ポテトにつけたりも。




…昼食後はやっぱり、近くの「FT」で買い物がてら、子どもらを遊ばせながら「WK」でコーヒー。


さあ、子どもらを昼寝させたら、妹家族が顔を出しに来るぞ!


ペタしてね

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↓『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』川口マーン惠美著、講談社、2013)より引用(05)


数年前、日本の女子大生がフィレンツェで聖堂に落書きをしたということで、騒ぎになったことがあった。
大学の学長が、泣きじゃくる女子大生とともに謝罪に出向いたというばかばかしい話だ。


フィレンツェまで飛行機に乗って遊びに行ける大人なら、自分の行動には自分で責任を取ってほしい。
落書きをして悪かったと思えば、自分で謝ればいいし、どのみち落書きだらけなのだから、別に悪くないと思えば、そういえばいい。
学長が出てくる幕ではない。


親が子供の行動に、直接責任を持てるのは、せいぜい一八歳までだ。
実際には一四歳くらいでほぼ不可能になる。
三〇歳を過ぎた息子が麻薬で捕まるのは、親のせいではない。
それは百パーセント息子の罪だ。


だから親の任務は、せめて子供を一四歳くらいまでに、自分の頭で考え、行動に責任を持てるようにすることなのだが、これが残念ながらいつもうまくいくとは限らない。


ただ、どうしようもない親から、立派な子供が育つこともあるのだから、子供の出来不出来をすべて親のせいにしてはいけない。
たいていの親は、良かれと思っていろいろやっている。
それが残念ながら裏目に出たからといって、親だけを責めるのは酷だ。


日本の教育の問題は、子供をうまく独立させてやれないことだと思う。
遅くとも高校の時点で、子供を大人にしてやるべきだ。


保護や指導ばかりでなく、責任の取り方を教え、大人として扱ってやれば、大学生はもう少し毅然とし、日本の将来は明るくなるのではないかと思う。


↑(引用ここまで)
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「子離れ」。
「子どもを自立させてやること」。


不況、不況とは言いつつも、日本もまだ、それなりに豊かだということなのでしょうか。
子どものいる大人(とくに母親)の第一の関心事は、「衣食住」でなく「かわいいわが子」のようですし、大学の授業料から自動車運転免許のお金まで、親が当たり前のように払ってやっていると聞きます。


私事ですが、私が親に払ってもらった授業料は高校までですし、高校でアルバイトを始めてからは、参考書のお金から大学入試センター試験の代金はもとより、大学の授業料から車の免許なんかもすべて、自分でやりくりしていました。


「そんな自分って偉いでしょ」と自慢話がしたいのではありません。
自分が親の立場で、「子どもに金をかけない」「子どもに経済的責任を与えてやる」ことができるかどうか、という「覚悟」「子離れ」の話です。


子どもは確かにかわいいですが、所詮は他人。自分の人生ではありません。そいつには、そいつの人生がある。
逆に言えば、私たち大人にだって自分の人生があるのですから、いつまでもガキと乳繰り合っていないで、さっさと「子離れ」して、大人の友人たちと、おもしろおかしい毎日を送ったらいいんです。


だからやっぱり、子どもに執着しすぎるの、よくないですよ。とくに、世の母親ども。
「子どもが一番大切」だなんて、おまえ自身の人生、どんだけ薄っぺらいんだよ、と私は心の中でいつもツッコんでいます。
ガキの存在ごときで、おまえの大人としての人生上書きされてんじゃねーよ、って。
…言いすぎでしょうか(笑)。


でも、そのくらい普段から「子どもはいつまでも家にいない」「少なくとも、外でかわいがってもらえる大人に」と、「子離れ」を意識しながら子どもたちと接するように心がけていないと、そりゃあやっぱり子どもはかわいいですから(笑)、ついつい判断が甘くなってしまうと思うんです。
「大学の授業料くらい、払ってやってもいいかな」とか。
「登下校で心配だから、携帯電話を買い与えてやったほうがいいかな」とか。
…ついつい、いつまでも「大人の管理下」に置いてしまいそうですよね。


私の父のように、「高校を出たら、寝るところくらいは確保してやるが、あとは自分で生きてゆけ」とまで、バーンと突き放せる自信はありませんが(笑)、その片鱗くらいは受け継いで、伝えて、死んでいってやろうと思う所存です。


ペタしてね

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↓『ニッポンを繁盛させる方法』島田紳助・東国原英夫著、角川書店、2007)より引用(07)


島田:日本は「中国は偽物ばかり作っている」と糾弾するけれども、日本だって昔は他国の製品を真似して作っていたよね。
人のこと言える立場じゃないと思う。
それに中国に対して「偽物商品ばかり作るな」と言って、「お前らだって勝手に漢字を使っているじゃないか」と言われたらもう反論できないやろ(笑)。


↑(引用ここまで)
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昨今の中国や北朝鮮、東南アジアに対する安易な批判には、目に余るものがあります。


確かに、日本の企業に比べればずさんな衛生管理だったり、現代日本人の常識では考えられない「未熟さ」ばかりが目につくのはわからないではないです。


でも、日本も高度成長期の入り口はそうだったでしょ、って。
日本だって、欧米のコピー商品ばかり作って、テレビ・冷蔵庫・洗濯機をこれでもかというくらいに量産して、当時のアメリカ・ヨーロッパからすれば、相当「未熟」で「下品」に見えていたはずです。
洋画に出てくる「日本人」といえば、きまってメガネにカメラを首からぶら下げ、カネのやりくりには厳しい、といった人物像ばかりでしたよね(笑)。
「エコノミック・アニマル」と揶揄されても文句の言えない「下品さ」があったことは否定できないと思います。


日本人の誰もが自国の経済的発展に誇りをもち、「象徴」という名目で天皇を崇拝し、一心不乱に働き、外貨を稼ぎまくる。
国営放送(現NHK)では芸術やスポーツでの日本人の活躍を、誇張に誇張を重ねて報道し、「日本人こそが一番優れた民族だ」と言わんばかりの様相。
…北朝鮮を笑えませんよね。


というか、ここ最近でも、スポーツやらノーベル賞やらの報道は、そういう「日本びいき」「誇張表現」が過ぎるように思います。
…見ていて恥ずかしいですもん。
「そこまで”日本”を誇りに思うか」って(笑)。
「そこまで自国びいきな報道しちゃうと、北朝鮮と何も変わらんよ」って(笑)。


経済成長時には、時代の早い遅いはあるにせよ、「下品な」経済戦略になるものです。
人件費を安く抑えて、「質より量」で工場をバンバン作って、外貨を稼いで、稼いだカネで海外旅行に繰り出す。
日本だってかつてそうだったように、中国や東南アジアの国々もその道を歩んでいるだけなのです。


ただそれだけのことなのに、そこに「欧米人(白人?) > 日本人 > 他のアジア人」みたいな変な差別意識をはさんで安易な批判に走るから、「自分たちの歴史を振り返ってみろや」と言いたくもなるのです。


「他人(他国)を非難するなら、まずは自分(自国)の後ろ姿から」。
自分のことは棚に上げておいて、簡単なところで他人を非難して悦に入るなんて、最低人間ですよ?


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↓『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』川口マーン惠美著、講談社、2013)より引用(04)


また、アンケートによると、ドイツで働いている人の三分の一が、同じ時間内にこなさなければいけない仕事がどんどん増えていると感じている。


確かに、それはあるだろう。ドイツ人の労働時間は短く、しかも賃金は高い。おまけに、社会保障費も高い。
社会保障費の半分は雇用者が負担しなければいけないし、労災保険は全額負担しなければならないから、雇用者側は、当然、できるだけ従業員を増やさずに、労働効率を上げようとする。


つまり、同じ時間内にこなさなければならない仕事がだんだん増えていっても不思議ではないのだ。


(中略)


日本に帰ると、元気そうなお年寄りが、スーパーの駐車場の前で車の誘導をしている姿をよく見る。
リタイア後のアルバイトだろうが、ドイツなら絶対にドイツ人のしない仕事だ。


こういった仕事を日本人がしているという事実が、どんなに素晴らしいことかを、日本人はもっと自覚すべきだ。


そのうえ日本の労働現場は、幸いなことに、合理化だけに縛られていない。
ホームに立って乗客の安全を確認する駅員とか、駐車場へ出入りする車の交通整理をする係員とか、工事現場の横で歩行者が安全に通れるよう誘導する人など、ドイツ人が聞いたらびっくりするような仕事も多い。
ドイツなら、こういう職は経費のせいで絶対に消えているはずだ。


↑(引用ここまで)
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おそらくドイツだけでなく、日本でもご多分にもれず、「合理化の波」

は押し寄せてきているように感じます。


私の職場でも、事務員の数が年々ひとり、ふたりと減ってゆき、ついには近年、我々従業員全員が、今まで事務員の方が取り次いでくれていた福利厚生や諸手当の手続きを、仕事の合間を縫って自分自身の責任でやるようお達しが出ました。
これでますます、従業員が本来の業務以外でパソコンの画面に向かっている時間が増え、コミュニケーションがとりづらい職場になっていくことでしょう。
…こんなことは、どこの会社でも自分でやってるよ、当たりまえだ、なあ~んて怒られちゃうかもしれませんけど(笑)。


さらに、私の職場では、従業員の数自体も年々減らされ続けているうえに、新たに、年度初めの計画書を出せだの、報告書を出せだのと、従業員ひとりあたりにのしかかる雑務が、じりじりと増えていっているのも実感しています。


川口氏は、日本の良い面ばかり持ち上げてくれているようですが、そんな日本の「サービス」に特化した仕事も、「合理化の波」にさらわれ、徐々に無くなっていってしまうのではないでしょうか。


私個人としては、時間的・精神的「ゆとり」が、後々仕事が通りやすくなるような何気ない会話を生んだり、誰かの悩みに気づいてあげられたり、仕事上の問題点に気づけたりするようにしてくれていると思うのです。


お客さんや取引先とのちょっとの無駄話すらままならないような「ゆとり」のなさというのも、なんだか殺伐とした雰囲気でやりづらいですし、そんな状況では新しいサービスや企画を考えるのも面倒くさくなってしまうよなあ、と危機感ばかりが募ります。


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コーヒーばかりでたまには紅茶。ごはんも軽めに済ませたい…そんなときは、「AfternoonTeaRoom」。




ボロネーゼは1/28(水)で終わっちゃいます。…クリームがマッチしていて、付け合わせのパンのおかわりしちゃいました。




3/25(水)まで期間限定フードメニューが決まっているようです。




…でもやっぱり、定番「マッシュルームサラダサンド」も食べたくなっちゃうんですよね。。


客単価は軽く1,500円超えちゃいますけど…抜群の安定感です!


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↓『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』川口マーン惠美著、講談社、2013)より引用(03)


さて、日本人に比べるとゆったりと休暇を満喫しているように見えるドイツ人だが、一方で、燃え尽き症候群が社会問題になりつつある。
ストレスにやられる人間が増えているのは、日本だけではないのだ。


燃え尽き症候群とは、働いても働いても仕事が減らない状況が続くうちに、眠れず鬱になったり、ぱたりと何もできなくなること。


ドイツ人は常に物事を悲観的に考えるので、燃え尽き症候群に対しても報道はかなり大仰だ。
「これは新しい国民病であり、軽視してはいけない。兆候が出れば、すぐに医者にかかるべきだ」となる。


まさにそのせいで、最近は、精神科やカウンセラーの紹介状をもらっても、順番待ちで半年ぐらいはアポイントが取れない。
そうこうしているうちに、長期病欠者の急増で、雇用者と健康保険の負担も無視できない金額に膨れ上がってきた。


ドイツのメディアは、燃え尽き症候群の増加現象を、「休暇の最中でさえケータイやパソコンを持ち歩き、会社のためにスタンバイしなければならなくなったストレスのためだ」と分析しているが、私はそうは思わない。
人々がケータイやパソコンを携行しているのは、会社のためではなく、仲間のネットワークから離れないため、あるいは、休暇中の自分の写真を即時フェイスブックにアップするためだ。


↑(引用ここまで)
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電車の中で、レストランで、皆でこぞってスマートフォンをいじくり回しているさま。
…何なんでしょう、そこに私が感じる「違和感」は?
その光景に、ある種の「異常さ」、「恥知らず」感を見て取るのは、私の感覚のほうが異常なんでしょうか?


オナニーを覚えたサルのように、片手で操れるネットやゲームの端末を与えられた日本人は、一心不乱にそれを使って「暇つぶし」をする。公共の場でもお構いなしに、画面に見入る。バカ高い毎月の料金を払う。どんなに生活の苦しい人だって、生活保護を受けている人だって、スマートフォンの料金だけはなんとか工面する。


その姿は、どこか「モノを作る側の人間に操られている」ようにも(少なくとも私には)見えますし、「おまえら、そろいもそろって、他にやることないんかい!」「個性、個性と言うなら、そういうときの過ごし方こそ、”個性”を出すべきなんと違うか?」とツッコミを入れられても仕方のない状態のように思います。
そう、それは、ところかまわずニンテンドー3DSを開く子どもたちの姿に酷似しているのです。


少なくとも、私は人前でケータイをいじくる自分が「恥ずかしい」です。
急いでメールを返信するときや、電車の時間を調べたりするとき以外は、公共の場ではできるだけケータイを出さないようにしています。
それは何というか、自分の「見え」を意識するから。
ショッピングモールでニンテンドー3DSの画面を凝視しながら練り歩くガキんちょのようにはなりたくないから。


「見え」と「持て余した時間の使い方」と「プライド」。
「別に人それぞれでいいじゃん」と開き直られれば口をつぐむしかありませんが、こんなことを言う「頑固オヤジ」がもっといてもいいと思いませんか?


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夜の「チャイニーズテーブル」に引き続き、おとなり「グランサンク」でモーニングブッフェです。




シェフがエッグベネディクトを作ってくれたり、なかなかの品数。

宿泊費込みでしたが、単独では2,400円(税・サ込)。6:30~10:00です。9:00くらいにゆっくり入店しても、笑顔で対応してくれました。ただ、10:00をすぎると、さすがに料理がどんどん下げられていきます。


一泊朝食つき、一般ロビーの混雑を横目に子ども連れ専用の別フロアでチェックイン・チェックアウト、しかもフリースペースつき・ドリンクバー無料つきのフロア、会員になればチェックアウトは14:00まで延長可能、駐車場サービスつきで、大人ひとり8,000円!


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↓『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』川口マーン惠美著、講談社、2013)より引用(02)


ある日、私が定期健診で病院に行ったら、医師が日本の福島第一原発事故のことをテーマに話しかけてきた。
私が、「現在、日本では原発がすべて止まっている。問題は電力供給だ。日本には石油もガスもない。すべて輸入に頼らなければいけないので、貿易収支がマイナスになっている。ドイツや日本のような産業国で、電気代が高騰すると致命傷だ。その点、ドイツは褐炭があるから、恵まれている」と言うと、医師は、「褐炭?」と意外な顔をしたのだ。
褐炭のことなど、考えてもみなかったという顔である。


そして、彼は次のように言った。
「日本は海に囲まれているのだから、オフショア風力発電をすれば良い」


私は、「日本の近海は北海やバルト海と違い、海底が急に深くなるところが多いので、やたらに風車を建てることはできない。
しかし、ドイツのオフショア発電だって簡単ではない。10年後に原発の分を再生可能エネルギーで代替するのは、おそらく無理だろう」と言うと、「いや、私は可能だと信じる」と、急に不機嫌になり話を打ち切られた。


しかし、この医師が特異な人というわけではない。
ドイツでは、脱原発決定から一年、脱原発の決定に大いなる誇りを持つあまり、良い面ばかりしか見なかったのである。


(中略)


これまでのように、常に全会一致のような状況は非現実的で、かえって不健康だった。
賛否両論があってこそ、地に足の着いた、良い妥協案が見つけられるに違いない。


↑(引用ここまで)
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TPPにせよ、集団的自衛権の問題にせよ、「全会一致」とはいかないまでも、「勢い」だけでダーッと一方に流れてしまう傾向は、いまだに日本に根強い気がします。
そしてそんな状況は、川口氏も指摘するように、『不健康』だとも思います。


「経済を活性化しないと、日本は危ないんじゃないのか?」と煽られれば、たいした考えもなしにTPPの流れに乗っかる。
「北朝鮮がミサイルで狙っているぞ!」と煽られれば、矢面に立つ自衛隊のことなど何ひとつ考えずに、集団的自衛権の行使容認に傾く。


…公明党やらが反対しているから、ちゃんと『賛否両論』あるじゃないか、って?
あんなもの、「慎重に議論が進められているように見せる」パフォーマンスに決まっているじゃないですか(笑)。
仮に、真面目に議論しようとしているなら、連立与党の公明党なんかではなくて、日本共産党や社民党あたりの言い分も、バンバン放送していいはずですよね。
安全な会議室から命令を出すだけのおっさんたちの話ばかりでなく、現場で命を張る自衛隊の人たちの意見も、バンバン取り入れてみていいはずですよね。
でもそれはあまり、というかほとんど出てこない。


「オレはそんな、日本の腐った”政治”や”経済”に興味なんてねぇし」みたいな若者だって、「今、これが流行っています」「行列のできる○○グルメ特集」みたいなメディアの煽りに、御多分にもれず洗脳されているのではないでしょうか。
メディアは「食」・「美味しいものを食べる」ことに当然誰もが興味があるのがデフォルトでしょ? 、と決めつけんばかりの様相ですが、そんなに「食」に興味がない人だって、もっといていいはずです。
「スマホの新機種」や「ケータイゲーム」に興味がない人だって、もっといていいはずです。
要するに、こういった日常的な私たちの興味でさえ、誰かの「意図」によって煽動されていて、考えなしの愚民どもはダーッとそちら側に流されてしまっている…そんなふうに思えてならないのです。
そしてそれは、気を付けて暮らしているつもりの私だって、きっと例外ではないはずです。…ちょっと油断すれば、すぐに「その他大勢」の仲間入りです。


いちいち疑問に思う、「面倒くさい」人。
「ケータイ」「ネット」「流行りもの」に背を向ける、いわゆる「頑固者」。
…もっといていいはずの、こんな人たちの少なさが、毎週毎週私にこんな文章を書かせている。そんな気がするのです。


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