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↓『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』川口マーン惠美著、講談社、2013)より引用(05)
数年前、日本の女子大生がフィレンツェで聖堂に落書きをしたということで、騒ぎになったことがあった。
大学の学長が、泣きじゃくる女子大生とともに謝罪に出向いたというばかばかしい話だ。
フィレンツェまで飛行機に乗って遊びに行ける大人なら、自分の行動には自分で責任を取ってほしい。
落書きをして悪かったと思えば、自分で謝ればいいし、どのみち落書きだらけなのだから、別に悪くないと思えば、そういえばいい。
学長が出てくる幕ではない。
親が子供の行動に、直接責任を持てるのは、せいぜい一八歳までだ。
実際には一四歳くらいでほぼ不可能になる。
三〇歳を過ぎた息子が麻薬で捕まるのは、親のせいではない。
それは百パーセント息子の罪だ。
だから親の任務は、せめて子供を一四歳くらいまでに、自分の頭で考え、行動に責任を持てるようにすることなのだが、これが残念ながらいつもうまくいくとは限らない。
ただ、どうしようもない親から、立派な子供が育つこともあるのだから、子供の出来不出来をすべて親のせいにしてはいけない。
たいていの親は、良かれと思っていろいろやっている。
それが残念ながら裏目に出たからといって、親だけを責めるのは酷だ。
日本の教育の問題は、子供をうまく独立させてやれないことだと思う。
遅くとも高校の時点で、子供を大人にしてやるべきだ。
保護や指導ばかりでなく、責任の取り方を教え、大人として扱ってやれば、大学生はもう少し毅然とし、日本の将来は明るくなるのではないかと思う。
↑(引用ここまで)
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「子離れ」。
「子どもを自立させてやること」。
不況、不況とは言いつつも、日本もまだ、それなりに豊かだということなのでしょうか。
子どものいる大人(とくに母親)の第一の関心事は、「衣食住」でなく「かわいいわが子」のようですし、大学の授業料から自動車運転免許のお金まで、親が当たり前のように払ってやっていると聞きます。
私事ですが、私が親に払ってもらった授業料は高校までですし、高校でアルバイトを始めてからは、参考書のお金から大学入試センター試験の代金はもとより、大学の授業料から車の免許なんかもすべて、自分でやりくりしていました。
「そんな自分って偉いでしょ」と自慢話がしたいのではありません。
自分が親の立場で、「子どもに金をかけない」「子どもに経済的責任を与えてやる」ことができるかどうか、という「覚悟」「子離れ」の話です。
子どもは確かにかわいいですが、所詮は他人。自分の人生ではありません。そいつには、そいつの人生がある。
逆に言えば、私たち大人にだって自分の人生があるのですから、いつまでもガキと乳繰り合っていないで、さっさと「子離れ」して、大人の友人たちと、おもしろおかしい毎日を送ったらいいんです。
だからやっぱり、子どもに執着しすぎるの、よくないですよ。とくに、世の母親ども。
「子どもが一番大切」だなんて、おまえ自身の人生、どんだけ薄っぺらいんだよ、と私は心の中でいつもツッコんでいます。
ガキの存在ごときで、おまえの大人としての人生上書きされてんじゃねーよ、って。
…言いすぎでしょうか(笑)。
でも、そのくらい普段から「子どもはいつまでも家にいない」「少なくとも、外でかわいがってもらえる大人に」と、「子離れ」を意識しながら子どもたちと接するように心がけていないと、そりゃあやっぱり子どもはかわいいですから(笑)、ついつい判断が甘くなってしまうと思うんです。
「大学の授業料くらい、払ってやってもいいかな」とか。
「登下校で心配だから、携帯電話を買い与えてやったほうがいいかな」とか。
…ついつい、いつまでも「大人の管理下」に置いてしまいそうですよね。
私の父のように、「高校を出たら、寝るところくらいは確保してやるが、あとは自分で生きてゆけ」とまで、バーンと突き放せる自信はありませんが(笑)、その片鱗くらいは受け継いで、伝えて、死んでいってやろうと思う所存です。
