休前日ではありますが、仕事あがりにS君Kちゃんと待ち合わせて「パステル」へ。




子どもらはピザをつまんでもいいということなので、「ピッツァパスタセット」1,566円を大人ぶん注文。




…しばらく来ないうちに、オーダー形式に。しかも、カットは自分たちで。

トマトか、キャラメルのピザを選んで次々にホールで運んできてくれますが、混雑時はなかなか難しいかも。

以前のような、カットされたピザを「いかがですかー?」と常に運んできてくれるシステムではなくなっていました。




パスタも、まあ普通に。

コーヒーとトロピカルアイスティーはお替り自由、チェンジ自由のままでしたが、テンポが悪いのは、「馬車道」や「ナポリの食卓」と比べると、ちょっとマイナスかもしれません。


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↓『ニッポンを繁盛させる方法』島田紳助・東国原英夫著、角川書店、2007)より引用(09)


島田:でも、いまはそういった学歴社会は潰れたよな。
一流大学を出て一流企業に入ったって、リストラにあったり、クビになったりする。
学歴ではなく、アメリカ的に、個人の能力でのし上がっていける時代や。
別に偏差値の高い大学を出てなくても社長を目指せるいまのほうが夢があるよね。


時代が豊かになれば、そうやって能力のある個人が何人も集まって事が進んでいく。
ただし、有能な人たちは新しい物をたくさん作るから、日本に無駄な物が増えたのも事実や。


そしてあの時代は「新入社員を百人入社させて、そのうちの二十人だけでも優秀な社員で会社にもうけを出してくれるなら、残りの八十人はぼんくらでもいい」という考え方だった。


だけど、現在、2007年という時代は、その二十人だけを企業が採用する時代になったんや。
中卒でも高卒でも三流大学でも、とにかく優秀な人材だけを欲する時代なんや。


そんな時代だからリストラも、当然や。


一人の45歳の部長さんがいて、年収が一千万円だとする。
この部長さんが会社に対して一千五百万の利益を上げているのなら、会社はクビにはしない。
だけど一千万円以上の利益を上げられないなら、リストラするのは当たり前の話や。


「リストラは問題」と言われるけど、資本主義社会の仕組みというのは、そういうものだと思う。


↑(引用ここまで)
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日本の経済成長が頭打ちになって久しく、どの会社も「使えない奴」に給料を払っている余裕なんてない。それだけの話ですよね。


冷たい言い方かもしれませんが、「その他大勢」の八十人のことなんて、社会は相手にしていられないようになってきたのです。


逆に言えば、今まで「使えない奴」「ぼんくら」でもクビにならず雇ってもらえていた時代の方が「異常」だったのです。


巷では日本の失業率や就職難、リストラなんかが問題視されたりしますが、それって要は「使えない奴」「ぼんくら」の受け皿をどう確保してあげるか、ということですもんね。…ちょっと厳しい言い方でしょうか。


職場全体の流れを俯瞰して積極的に仕事を回せるわけでもなく、取引先や同僚とも気さくにコミュニケーションをとって人間関係を円滑にできるわけでもない。
普段の業務に加えて、数か月先を見て、そこから逆算して資料を準備しはじめておいたり、必要であれば周りに仕事を適度に振る
…なんてこともできない、しようともしない。


「そんな”ぼんくら”でも、会社は雇え! いや、雇うべきだ!」という「弱者救済」(?)的な考え方は、社会全体のバランスを見ればわからないではないですが、「そうだよね、世の社長たちは多少無理をしてでも”ぼんくら”をもっと雇うべきだよね」とはなかなか言えないでしょう。


とはいえ、こんなふうに偉そうに言っている私だって、「その他大勢」「ぼんくら」にいつなるかもわかりません。…もう「給料以上の価値を生み出せていない」給料泥棒になり下がっているかも、と思っては必死の毎日です(笑)。


でも、たぶん、そんなふうには考えず、「早く仕事終わらないかな」「テキトーにやって乗り切ればいいや」と思って自分のケツを叩かない人も、意外に多い、ということなのかもしれません。


ついでにもうちょっと調子に乗らせてもらえば、そういう「ぼんくら」「自分のことしか考えていない奴」が大勢いるから、私のようなハッタリ男でも、ちょっと頑張れば突出できるのかもしれません。


いつだったか紳助氏も言っていました。「おまえら若手が頑張ると、俺が”突出”できなくなるやないか。だから、あんまり頑張るなよ(笑)」と。


それこそ昔から、こんな「仕事に対する姿勢」の「格差」はあったのでしょうが、最近になって、それが浮き彫りにされつつある、ということなのかもしれません。


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ひさしぶりに「ココイチ」テイクアウト。




「豚肉と3種のキムチカレー」830円、966kcal。

思い切って、ルーの中に白菜キムチと大根キムチが入っています。…美味しい!




「グランドマザーカレー」802円、1001kcal。ロースカツをトッピングしてみたり。(+258円)


カロリー高めですが、間違いないです。


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↓『嫉妬の法則』ビートたけし著、角川書店、2013)より引用(01)


今の女の子が男を見る時に、何を考えているかって頭の中を見れば、「医者の息子だ」とか、間違いなくそんなことが出てくる。
「親父さんが金持ちだ」とか、「車持ってる」とか。


まずそっちから攻めといて、それで「すてきだから純愛だ」なんてよくあることだよ。
今の子なんてそれしか考えてないもん。
ある子に彼氏がいるって聞くと、別の子が必ず、「どんな彼氏? お金持ってるの?」っていきなり聞く。
「どこの大学行ってんの?」って。
そういう自分に都合のいいことを全部背中にしょった男に、純愛を求めるっていうのが一番汚い。


↑(引用ここまで)
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現代日本の「結婚」制度は、まだまだ「男がセックスつき家政婦を雇う」意味合いをもっている、と言っていいと思います。
男は、「結婚する女」には、「セックス」「育児」「炊事」「洗濯」「掃除」など、家庭の一切の雑務をやってほしいと(口には出さずとも)思っている一方で、女は女で「一生働かなくていい」「人の稼いだ金でラクして暮らせる」ことを、まだまだ望んでいるように思います。
…そういう意味では、需要と供給がバッチリ合っているんですよね(笑)。


一方は「セックスつき家政婦がほしい」と思い、もう一方は「セックスつき家政婦になりたい」と思う。
最近では「イクメン」なんて言葉がもてはやされ、「男は家に金を入れるだけでなく、家事・育児も分担すべきだ」「女は”家政婦”じゃないのよ」なんて言ってのけてしまう風潮もあるようですが。


とはいえ、「結婚」を考える女性の多くが、「働かないでラクしたい」「○○してほしい、私を楽しませてほしい」「”結婚”という制度は、私に”幸せ””ラク””トク”を与えてくれるはず」と思っているように(少なくとも私の目には)見えるのです。
…言いすぎですか(笑)?


もし、そんなことはないと言うのなら、皆さん、いったい「結婚」に何を求めているのでしょうか?


男女とも精神的にも経済的にも自立していて、「共同生活」や「育児」といった「人生の負荷」がほしい。
たとえ相手が「やっぱりやーめた」と言って去って行ってしまっても、その「負荷」を楽しみ、苦労し、やり遂げてみたい。
結婚相手や子どもなど、他人のために、「献身的に」過ごす楽しみと苦しみを味わいたい。


…そんなふうに思って、覚悟を決めて「結婚」制度に向き合っている人が、この日本にいったいどれだけいるでしょうか?


むしろ、そこまで「自立」した考えの持ち主は、別に「人生の負荷」なんかとは無縁な、「仕事」や「趣味」に特化した楽しい人生を送ろうと思うのではないでしょうか?


…もうおわかりですね。
みなさん(特に女性は)、「好きだから」「一緒にいたいから」「子どもがほしい」とか何とか口先では言いながら、「結婚」に「楽しませてもらおう」「幸せにしてもらおう」「とりあえず親を納得させちゃおう」と、どこかで思っているんですよ。


まさか「苦労しよう」「苦労を楽しもう」だなんて思って「結婚」を考えないわけですよ。
「消費者根性丸出し」ってやつです。


だから、私は、「結婚」を「おめでたい」だとか「幸せ」だとか評することに、とても違和感を感じます。
むしろ、若い男女に安易な「結婚」のイメージを植え付けるという意味では、「害悪」であるとすら思っています。


「結婚」「育児」をどう解釈しているかを見れば、そいつが「自分の頭で考えている人間」なのかどうかわかる。今回はそう断言しておきます。
…みなさん、世の「そういうもんだ」に流されすぎなんですよ。


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今日は土曜出張で、帰りが保育園のお迎えギリギリ間に合わないくらいと読んでいたので、S君とKちゃんにお迎え代打をお願いできるよう、待機してもらっていました。


…結果は運よくギリギリセーフ!




お礼は、「コメダ珈琲」で夕飯です。

土曜の夜はどのレストランも混んでいると予想し、夕飯時に空いていると思われる喫茶店へ。




Kちゃんは冬でも「サマージュース」!


…子どもの相手もしてもらって、楽しく食事ができました。


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先日、「結婚したい」と言っていた女性の話のつづきです。


私は、彼女と話したあと、こんなことも考えました。
世の母親のほとんどは、学校で言うところの「クラス担任」だと。
すると父親の多くは、そのクラスの「副担任」といったところでしょうか。


専業主婦にせよ、仕事をしているにせよ、一番子どもと多く接し、炊事・洗濯・掃除のメインを張っているのは「女性」である場合が、まだまだ多いのが日本の現状ではないでしょうか。
だから、「子どもたちの監督責任者」といえば、やっぱりそれは「クラス担任」みたいなもんです。
「副担任」である父親は、そのサポートにすぎない。
「家事に協力的」「育児に協力的」「風呂に入れるのは父親の仕事」…こんな言葉のどれもが、父親が「サポート」であり、「メイン」を張れていないことの表れではないでしょうか。


で、私は、世の男性では珍しく(?)「自分がクラス担任(責任者)をやりたい」と言い出したと。
そして、そんな私の日常を知る彼女だからこそ、「私の彼氏もそんなふうに”協力的”でいてくれないだろうか」と思ったのかもしれません。


しかし、それは見誤っています。
私はパっと見「超~協力的な副担任」「こんな副担任が欲しかった!」(笑)なのかもしれませんが、そのつもりは毛頭ありません。「自分こそがクラス担任」のつもりでやっているのです。


そしてそれは、私が「妻にクラス担任をやらせてあげていない」ということを意味しています。
周りの母親連中が皆、愚痴を言いながらも「クラス担任」をやっている中、「自分はろくに家事・育児をやらせてもらっていない」「自分が産んだのに、家事・育児の”苦労”をあまり味あわせてもらっていない」という「逆ストレス」はかなり妻を苦しめているだろうと想像しています。…そんな私の勝手を受け入れてくれている、彼女の懐の大きさにはただただ頭が下がります。


そういう意味では、世の母親どもは、「○○してくれない」「所詮男は…」と、家事・育児・ダンナの愚痴は言うくせに、その実「クラス担任」の座は手放したくないと思っているのではないでしょうか。
それは、「結婚したい」と言う彼女も然りです。
「結婚」するにあたって、「○○は手伝ってよ」「子どものオムツくらい替えてよ」と男に注文はつけるくせに、いざ男の方から「じゃあオレが家事・育児の全部をやるよ。キミは仕事のことだけ考えていればいい」なんて言われたら、「えっ? 私は家事・育児に関われないの?」と突然「副担任」を宣告されて戸惑うことは、想像に難くありません。


だから、私は彼女をはじめ、「結婚」を口にする女性たちに言いたい。
「”クラス担任”をやる覚悟はあるのか?」もしくは、「”副担任”に甘んじる覚悟はあるのか?」と。


「自分でひとりで”クラス担任”をやるなんて荷が重くてイヤだけど、”副担任”で子どもにあんまり関われないのはそれはそれでイヤ」だなんて、まるでガキのワガママです。
ハナから副担任を頼りにしている「クラス担任」なんて、私がそこの子どもだったら、そんな大人についていきたくないですし、「うちのダンナって何もしてくれないのよ」と副担任の使えなさを愚痴る「クラス担任」なんかも、尊敬できません。
…「クラス担任」やるんだったら、自分自身の面倒も、子どもの面倒も、責任もってきっちり見ろや。
…「副担任」やるんだったら、そこそこ「いいサポート」をしてあげて、そのぶん「仕事」や「趣味」に力を入れろや。


自ら「苦労」を買って出て、「クラス担任」をやるのか。
「仕事」や「趣味」を充実させてもらって、「副担任」として担任をサポートするのか。


口先で「結婚したい」と言うけれど、おまえは一体、そのどちらがやりたくて「結婚」するんだ? 、と私は彼女たちに問いたいのです。


そしてこの問いは、「万年副担任」の世の男性たちにも、そっくりそのまま投げかけてもいい問いだとも思うのです。


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月曜の夜に突然、S君が来訪。

子どもたちに食わすいつもの「ごはん+納豆+豆腐+ゆで卵+味噌汁」を一緒に食べながら、「明日節分だね」→「近所のお寿司やさんで恵方巻テイクアウトしよか?」みたいな流れに。




最近S君と結婚したKちゃんも一緒に、恵方巻大会。

太巻き(ハーフサイズ・10センチ)を12本に、細巻き(18センチ)を4本。。買いすぎか?(笑)




ついでにこんな、「ハンター×ハンター」のハンター試験でクラピカが作った「ニギリズシ」みたいなチャレンジ商品も。。


楽しくいただけました。


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↓『ニッポンを繁盛させる方法』島田紳助・東国原英夫著、角川書店、2007)より引用(08)


島田:戦後には夢があったよな。何もかもが新しく手に入って。
でもいまの日本人は、戦後とは大きく変わった体質になっていると思う。


だって、賞味期限や消費期限を偽造した企業のことを、あれだけニュースにするんやで。
もちろん、それがいけないことに違いはないのだけど、もっと他に伝えるべきニュースがあるんやないかな。


昔は、腐っていても食べていたよな?
冷蔵庫を開けて、自分で臭(にお)いを嗅いで、「うん、これならまだ大丈夫かな」ってね。


パン屋でパンを買って、カビが生えていることもしょっちゅうだった。
「おっちゃん、カビ生えてるで」と言えば、「あっ、ほんまか。ならこっちにしとき」と。


いまやったらニュースになる。大問題になる。


偽造する会社の姿勢は問題だけど、賞味期限を改竄(かいざん)して販売されていた「白い恋人」にしたって、商品にカビが生えていたわけではない。
実際に食べて腹痛を起こして入院した人がいたわけでもない。
それなのにあれだけ大問題になる。
やっぱり日本はすべてがおかしくなっていると思う。


豊かになったらなったで「不満」が増えていく。


↑(引用ここまで)
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マクドナルドのポテトにビニールが入っていた。
賞味期限を貼り直して出荷していた。


…そんな、はっきりいって「どうでもいい」ニュースばかりが幅を利かせている昨今の流れに、抵抗を感じるのは私だけでしょうか?


わかりますよ。
「マクドナルド」や「賞味期限」という、主婦にもサラリーマンにも子どもや高齢者にも身近なところに「こんな事件があったよ!」なんて「うわさ話」があったら、野次馬根性がくすぐられるというか、「なになに? 何があったの?(笑)」「うわあ、そりゃひどいなあ(笑)」とか言って楽しみたい下世話な感覚が刺激されて、「ついつい見ちゃう」んでしょう?


私だって、そんなネットニュースがヤフーのトップページにあったら、ついついクリックしてしまいそうになります。
テレビのニュース番組からそんな話題が耳に入ってきたら、ついつい見入ってしまいそうになります。


…でも、そんな後ろ姿、なんだか醜くないですか?
「クリックさせられている」「庶民の興味をひくような”作られた”ニュースを、ただ”消費させられている”」ようで、なんだか怖くないですか?


一昔前の日本人は、「家族でテレビを観る」ことに多くの時間を費やしていました。
夜6時以降のテレビ番組の時間帯が「ゴールデンタイム」なんて呼ばれたりして、その合間に流されるCMの宣伝効果も抜群でした。


それが、ここ最近の日本人は、「スマホやパソコンで、ネットニュースやらツイッターやらゲームやらの画面を観る」ことに多くの時間を費やすようになったと言えるのではないでしょうか。それも、相当「膨大な時間」を。
そりゃあ、各企業こぞって、バナー広告に力を入れるわけですよね。なんせ、相当多くの日本人が毎日毎日スマホの画面に見入っているわけですから。
たまに電車なんかに乗ると、どいつもこいつもスマホの画面に見入っている姿がおかしくて、ついつい笑っちゃいます。


私が思うに、「スマホ」は「持ち歩ける広告媒体」のようなもので、先述したような「身近なうわさ話」を用意しては、せっせとバナー広告を見てもらう。クリックしてもらう。アプリをダウンロードしてもらう。
だから、ニュースのタイトルも、どんどん刺激的に、もっと庶民が喰いつくように、誇張に誇張を重ねた表現になっていってしまうのは、当然といえば当然のことだと思うのです。
次々にニュースとも呼べないような下世話な「ニュースもどき」を量産すれば、庶民どもの目をスマホなどの「画面」に長時間向けることができる。「ついつい」クリックさせて、「時間」を奪える。確率論的に、それが「宣伝効果」につながる。


スマホの「ゲーム」も同じカラクリですよね。「無料」でダウンロードさせて、「一日一回はワンプレイ無料」なんて言って、庶民になるべく毎日ログインさせる。「時間」を奪う。確率論的に、「課金」者が増えていく。


紳助氏は『日本はすべてがおかしくなっている』と評していますが、これは「企業戦略に、アホな庶民どもが乗せられまくっている」という面が強いように思います。…そういう意味では、『(アタマが)おかしくなっている』と言えるかもしれませんが(笑)。


各企業は「宣伝効果」を上げるために、直接的に「カネ」を徴収するのでなく、間接的にまず庶民の「時間」を徴収しようとしている。
だから、「見ない」「クリックしない」「ネットに時間を割かない」という選択肢がない人間は、どんどん「時間」が奪われ、次いで「カネ」が奪われていくわけです。…ついでに「品位」までも。


私が「スマホ」に手を出さないのは、そういう理由からです。
電車の座席に「スマホに見入る庶民ども」がズラっと並んでいる姿を見ると、「ああはなりたくないよなあ」「”品”がないよなあ」と思い、笑ってしまうと同時に、「まるでマインドコントロール機器やなあ」と怖くもなるのでした。


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先日、長く交際している彼氏と結婚を考えている女性と話す機会がありました。


私は彼女と話しながらもまた、あらためてこう思わされたのです。
「何のために”結婚”するのか?」「何のために”出産””育児”をするのか?」と。


誰かと共同生活をする。育児をする。
これは、間違いなく「してもしなくていい人生の負荷」です。
しかし、彼女は自分からあえてそこに飛び込もうと言うのですから、「○○してあげたい」「たとえひとりであっても育児をやってみたい」くらいの覚悟がないと、相手に対する不満ばかりになってしまうのは目に見えていると思うのです。


ただ「好きだから」「一緒にいたいから」「けじめをつけてほしいから」といった理由だけで、そんな「人生の負荷」に飛び込もうなんて、それはまるで「ちょっと登ってみようかな」と何の覚悟もなしに富士登山に挑戦するようなものです。
「ちょっと走ってみようかな」と何の準備もなしにフルマラソンに挑戦するようなものです。


私は、この場でもちょこちょこと言わせていただいていますように、「シングルファーザー(マザー)だったら、これらすべての家事・育児をひとりでやっているんやし」くらいの覚悟で、結婚・育児に臨んでいます。それはもう、結婚相手に失礼なくらいに(笑)。


子どもには、何かあるたびに「はい」「ありがとう」「ごめんなさい」を言わせる。
子どもがぐずったら、自分に時間のないときでも、子どもを別室に引っ張って、膝を突き合わせて勝負する。
保育園の敷居をまたぐときは、「お願いします」「ありがとうございました」を言わせる。


…こんな育児方針を偉そうに言っちゃってるのですから、メシは作らない、洗濯はしない、保育園の送迎はしない、フロや寝かしつけもしない、では説得力がありません。


自分で言うのもなんですが、私は「育児に協力的な男」なのではありません。
「育児の責任を負う(負いたい)男」なのです。


しかし、私がこうだからといって、世の男性全員にこの姿勢を要求していい、ということにはならないと思います。
先述したとおり、「結婚」や「育児」は、富士登山やフルマラソンのように、「してもしなくてもいい人生の負荷」だからです。
「そんな面倒なことしたくないよ」と思う人が、あえて飛び込む必要なんてありません。


そりゃそうですよ。「結婚」や「育児」は、「自分以外の人間に気を遣い続けなければいけない」=「面倒くさいこと」なのですから(笑)。
「あんたもやりなさいよ」と、半強制的に富士登山に連行するなんて、とんでもないことです。
ふたりで登る準備と覚悟が決まったら、登ればいいのです。


つまり、話を戻しますと、「結婚したい」と言っている彼女の問題点はこうです。
まず「”結婚””育児”に何を求めるのか? ”人生の負荷”をあえて自分に課す自覚はあるのか?」という「覚悟」の問題。
さらに、「”○○してあげたい”という献身が人間関係のベースにあり、またその献身に見合う相手なのか?」という「人を見る目」の問題。


ハナから「家事に協力してよ」みたいな姿勢では、彼どうこう以前に、彼女自身がとうてい、「結婚」や「育児」というフルマラソンは、走り切れないように思うのです。


(つづく)


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