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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(13)


美人の女の子がネットに自分の顔を晒してたら、そりゃ悪い男が寄ってくるに決まってる。
この世の中、ネットでうまく自己主張できるヤツが偉いみたいな風潮になってるけど、そんなもんウソだよ。
一般人は、ネットに情報が漏れるのをいかに防ぐかを考えたほうがいい。


↑(引用ここまで)
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ネットとの付き合い方。
こうして8年以上も、毎週毎週ものを書いてはネット上にアップし続けている私ですが、「思考の整理」「行動記録・ログ」という意味合いが強いように思います。


「だったら、ネット上になんか晒さないで、日記帳でもつけとけば?」というツッコミが今にも聞こえてきそうですが(笑)、私だって人間ですから、他人から評価されたい欲もありますし、「他人に見られる」ことを意識するから、文章の体裁を整えたり、締切を守ったりするという面も、もちろんあるのです。


しかし逆に、「所詮はネット。便利だけど、”匿名性”や”無責任”が蔓延している世界」だと思うようにもしています。
自分や友人のフルネーム、年齢、職場、住所は晒さない。画像添付や文章引用には気を配る。
人によって基準の違うところだとは思いますが、私の考える「ネットへの信用」のラインはだいたいこのへんです。


…でも、画像や文面から、私のだいたいの生息地域と年齢層くらいはわかってしまうかもしれません。
そういう意味では私も、たけし氏が指摘するような「晒しすぎ」の部類に入ってしまうのでしょうか。


前回たけし氏の『フェイスブック方式』という話を紹介しましたが、芸能人も、我々一般人も、ネット上で注目を浴びるためには「プライベートの切り売り」がもっとも簡単な方法でしょう。
日常の些細な出来事をいちいち「ツイート」するのもいいでしょう。
たとえば花火大会へ出かけて、花火を写真に撮って「LINE」にアップするのもいいでしょう。


しかし、そのどれもが「プライベート・個人情報の切り売り」でしかなく、「そんなことしている暇があったら、”今、この瞬間”を楽しめや!」という指摘が成立することを忘れてはならないと思うのです。
少なくとも私は、「写真を撮るとき」に、それを感じてしまいます。
「写真を撮る」「画面やファインダー越しにそれを見る」ということは、「今、この瞬間」「肉眼で見ること」を犠牲にしているという側面がついて回るわけですから。…そんな理由で、私は若いころほど写真を撮らないようになりました。


「ネットとの付き合い方」は、個人差もあるでしょうし、誰かに強制されることでもありませんし、いわゆる「正解がない」ことだとは思います。
ただ、私はその「安易さ」、「所詮はプライベートの切り売りであること」、「ネットにかまけている暇があるのか? というツッコミ」を思うと、どうにも肯定的にはなれないのです。


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