この年末年始は、12/28(日)に全員集合→夜更かしして29(月)は麻雀。睡眠不足。




写真は「スティックスイーツファクトリー」イートイン。ホットコーヒー&アイスコーヒーお替り自由で、なくなったカップをカウンターまで持っていけば、笑顔で注いでくれます。

子どもふたりにおやつを食べさせながら、S君と2杯ずついただきました。


30(火)は2日間の睡眠リバウンド。

28(日)の夜から食べっぱなしだったので、24時間以上水分のみで胃腸を休めました。ドラクエ10のビンゴが楽しいです。


31(水)は、みなとみらいのジルヴェスターコンサートで越年。

みなとみらいホールは、20:30~0:50まで子どもひとり4,000円で預かってくれる託児サービスがあるので、職場の先輩夫婦と越年クラシック。

深夜1時頃から先輩たちを自宅まで送りがてら車を走らせたら、帰ってきたのは3時すぎ。。


おかげで、特に越年を生活上で意識することもなく、1/1(木)はまたもや睡眠リバウンド。

起きてから子どもたちに、「1年」という概念と挨拶を坦々と説明して仕込む。

夕方から近所のショッピングモールにごはんを食べに行き、先ほど帰宅。


さて、明日からは2(金)は父にお年玉をあげに。3(土)はSさんの実家にお年玉をあげに。4(日)はひとりで喫茶店を営む母親にお年玉をあげに。

…そしたらもう、仕事ですなあ(ToT)。


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↓『ニッポンを繁盛させる方法』島田紳助・東国原英夫著、角川書店、2007)より引用(04)


島田:これも格差社会の影響なのか、うちの店の「寿司 はせ川」や「OKONOMIYAKI のろ」に働きに来る子も、個人の能力とやる気の差が激しい。


東国原:それは県庁職員でも同じですね。


島田:いまの日本には怠け者の若者が山ほどいる。
一方で、俺らのときよりもすごく頑張る若者もいっぱいいる。
その差が激しい。特にいまは女の子の方がすごい。


東国原:女性は負の状況をチャンスだと思えるんですよ。
落ちるところまで落ちたら、あとは上がるだけ。それはチャンスということじゃないですか。


島田:不思議なもんや。
「寿司 はせ川」で働いている二十一歳の女の子がいるんだけど、その子は予約の少ない日に、暇だから事務所に入って電話をしていた。
誰に電話しているんやろと思っていたら、顔見知りの常連さんに「今日、お店が暇なのでいらしてください」とお願いしていた。
二十一歳のバイトの子がそれを自主的にやるんだよ。
ホステスじゃないんだから(笑)。びっくりした。


こちらが「やれ」って言っても、恥ずかしがって嫌がるのが現代っ子だと思う。
だからつい、彼女に「お前、うちの会社の社員にならへんか」と誘った。
社員になったらなったで、めちゃめちゃ働きよる。


休みの日も休まない。
その子が休みのあるとき、「たまにはみんなで遊ぼうや」って呼び出したことがあった。
九時ごろに飯を食い終わって「みんなと一緒にうちの家に来るか」って誘ったら、「すみません、親方。いまから店に行っていいですか?」と言う。


「今日、常連さんが十時半に予約してはるのであいさつだけさせてください」って。
俺が「約束したんか?」と尋ねると、「いえ、してません。店に行っても常連さんに『なんや、お前』っていわれるだけですけど、ちょっと行きたいです」と俺に訴えるんだよ。
二十一歳でそこまで働くやつがどこにおるねん。
あまりにもおかしいから、どこかの飲食チェーン店のスパイかなと思った(笑)。


↑(引用ここまで)
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いやあ、私の職場には、そんな若者はいないですね。それは、私も含めて。
自分が休みの日でも「今日はちょっと顔を出しておくべきやろ」と出向くことは多少ありますが、暇なときに営業の電話をかけるほど、職場への帰属意識はないかもしれません。


でも、不思議と、紳助氏の周りには、そういう一生懸命な若者や、男気あふれる人たちが集まってきているように見えます。
「その人の周りの人間を見れば、その人がわかる」ということなのでしょうか。
所詮は、自分のレベルと同程度の人間しか寄ってこない、という。それは、職場でも、友人でも、恋人でも。


今の職場のおっさんやおばはんが自慢話ばかりでおもんないのも、付き合う異性が失礼の多い奴なのも、すべては自分のせい。
自分が、まだそいつらと同じレベル、ということなのでしょう。


だから、まずは自分から「一生懸命」にならないと。自分の「レベル」を上げないと。


他人に「やりすぎだよ」とツッコまれるくらい徹底的に気配りをし、役割意識をもち、道理を尽くす。
そうすれば、おのずと自分の周りにはレベルの高い人間だけが残り、また集まってくると思うのです。


人間としてのレベルの高い、感動的な気配りのできる人たちに囲まれて暮らしたい。
そう思ってやまない私は、紳助氏のこんな話を目にしては、今日も自己鍛錬に励みます。


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日曜の日中から、S君に子どもたちの面倒を見てもらいつつコストコへ。。

夕方にY君が合流し、そして夜に仕事帰りのT君が。


コストコや近所のスーパーで買いこんだ材料で醤油とんこつ、濃厚味噌の煮込みラーメンを。


寝る時間を削って、みんなでドラクエ10のビンゴ大会。。



そして、T君を朝出勤に送っていったら、麻雀大会に巻き込まれ、午後3~5時のラーメン屋さんの休憩時間に驚き、仕方なく(?)近所のブロンコビリーへ。

…サラダバーつきとはいえ、大人4人で余裕の8,000円超。…高い(>_<)!


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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(10)


この国の教育がいかにキレイゴトで表向きばかりを取り繕っているか、それは夏の甲子園を見ればよくわかる。
みんなが、出場している高校球児たちを「模範的な子供たち」「さわやかでひたむき」ともてはやすけど、本当にそうだろうか。


(中略)


そもそもなんでこの一番暑い時期に、全国大会をやんなきゃいけないのかって疑問もあってさ。
いつだったか、タレントのイベントでファン36人が熱中症で搬送されたってんで批判されていたけど、それなら夏の甲子園だって批判されてもおかしくないと思うけどな。


アルプス席もグラウンドもおそらく40度はありそうな中でやらされてさ。
現に水分不足で足がつったり、フラフラになってる選手もいるしさ。危なくてしかたがないんでね。
選手や応援する人たちのことを考えてりゃ、冷房の効いたドーム球場でやったほうがいいに決まってるじゃねェか。
これじゃ公然虐待じゃねェかってさ。
まァ、やってる本人たちは甲子園でやることを夢だと思ってるわけだから、そんな風には思わないだろうけど、おそらく外国の人間から見たら理解できないだろうね。


(中略)


結局ほとんどの人は、エアコンの効いた快適な部屋で、夏の甲子園ならヒンヤリ、冬の箱根駅伝ならポカポカの「絶対安全圏」から選手たちを見ているわけでさ。
どうも卑怯な気がするんだよ。


結局「夏の甲子園」ってのは、大新聞が主催して、自分たちで記事にして、各地方で選手たちの家族やら関係者に新聞を買わせようっていうマッチポンプの構造があるわけでさ。
いかにも爽やかぶったイメージのウラで、いろんな利権がうごめいてるんだよ。


↑(引用ここまで)
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「夏の甲子園」も、「箱根駅伝」も、「オリンピック」も、それらは皆、商業ベースで行われている。それは、まぎれもない事実です。
「商売」として成り立っているから、スポンサーがついてテレビ放映されるし、たけし氏も言うように、エアコンの効いた部屋からぬくぬくと、国民こぞって「無料」だと思ってそれを観るわけです。
…結局その視聴料は、スポンサーの商品代に含まれているにもかかわらず、です。


なんだか、「見たいもの」、個人の「興味」すら、スポンサーどもに大勢がコントロールされている現状って、怖くありませんか?
私だけですかね、そう感じるのは。


モノを売るため。
新聞や雑誌を買わせるため。
インターネットニュースをクリックさせて、バナー広告の宣伝効果を上げるため。そしてまた、モノを買ってもらうため。


試合時間がテレビ放映の枠内におさまらないから、間延びするからと、バレーボールはラリーポイント制になり、卓球は11点制になり、野球はオリンピック競技種目から消えたわけです。
すべては、モノを売りたい「スポンサー」側の言い分によるものです。


…もっと、そんな流れに抵抗する人がいてもいいと思うんです。
スポーツの「商業的側面」を見ようともせず、ただスポンサー・大企業の手のひらの上で御膳立てされた「感動」に、皆でこぞって右を向き、左を向かされているこの現状が、私は気持ち悪くて仕方がないのです。


私は別に、高校球児を否定しません。オリンピック選手を否定するわけでもありません。
ただ、そこに興味を持つように、持つように、コントロールしている商売人たちのあからさまなやり口に黙って従う日本国民の気持ちが知れないのです。


かくいう私だって、スポーツ観戦はします。テレビCMの影響を受けて商品を買っていることだって、そりゃあるでしょう。


でも、「自分の”興味””嗜好”までは、商売人たちになぞコントロールされんぞ」という頑迷さを、もっと皆持っていいと思うのですが、いかがでしょうか?


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モーニングが様変わりしていた「珈琲館」。


ランチメニューはこんな感じでした。




ナポリタンは定番ですが、ボロネーゼは若干味が弱いかも。




ハンバーグカレーも定番。でもレンジもの丸出しの中身冷え…なんてときも。




あ、それでも、モーニングの時間帯に、モーニングセットに追加で+160円でサンドイッチを単品注文させてくれたりするのは健在でした。…私の行った店舗の店員さんの計らいなのかもしれませんが!


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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(09)


今じゃ、親が学校に文句を言ってくれるから、調子に乗って親に言いつけるし、その結果、教師はガキを叱らなくなる。
子供は増長して、教師はナメられ、教育環境はドンドン悪くなる。
叱られたことすらない、社会に出ても使い物にならないヤツが大量生産されちまうんだよな。


まァ、とにかく深刻ないじめ問題だけど、政府や行政やどうにか解決策を出してくれるなんて考えてちゃバカを見るぜ。
どうやらいじめ問題は、公立の小学校や中学で起こってるケースが多いみたいだけど、政治家やらエリート官僚は、たいてい自分たちの息子を名門私立に通わせてるわけだからね。
むごいいじめも「対岸の火事」程度にしか思っちゃいないよ。


市立の場合、「問題を起こすような生徒は辞めてもらう」ってスタンスだから、いじめなんてほとんど起こらない。
一方公立校は「義務教育だから辞めさせられない」ってんで、悪さをするヤツがドンドン出てきてさ。
そうなってくるといじめが増えるのは自然なことだよな。
子供を私立に通わせられないビンボー人は公立に行かせるしかないわけでね。


東大生を子に持つ親の年収が一番高いって話もあったけど、格差の影響はもう子供の学力だけじゃなくて「いじめに遭う確率」にも影響するという生死に関わる問題になっちまってるんだよな。


東大や医学部に入るのも金持ちの息子、小さい頃から英才教育を受けてスポーツで一流になるのも金持ちの息子でさ。
漫才師やコメディアンになるのだって、芸能プロが作ったお笑いスクールに入らなきゃいけないっておかしな時代なんだからさ。
で、ビンボー人の子は、勉強もスポーツもパッとせずいじめの恐怖におびえなきゃいけないということでね。


↑(引用ここまで)
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いつだったかテレビ番組『松本紳助』で、島田紳助氏が3人の娘さんの教育について話していました。


子どもの方から「私立の小学校を受験してみたい」と言ってきても、「小学校までは公立に行かなきゃダメだ」と突っぱねたという話です。
「金持ちの子がいたり、貧乏な子がいたり、やんちゃな子がいたり、そういう正しい”社会の縮図”で6年間生活しないと、学べないことがたくさんある」と。


そこで松本人志氏が「でも公立に通わせたら、”芸能人の息子”というだけで、いじめられるんとちゃいますか?」と聞くと、「いじめられたらええねん」と紳助氏。
「オレの子どもだからと、優遇される場面も多いはずや。だけど、他人から妬まれたり、いじめられたりするデメリットがあることもちゃんと学習せないかん」と。


実際、イヤな目にもたくさん遭ったそうなのですが、紳助氏が「ちゃんといじめられてるか? 大丈夫か?」と聞くと、娘さんたちは「うん。大丈夫」と。「そうか。がんばれよ」というやりとりを、何度もしたそうです。


…比較的お金のある人たちの集団に属していれば、確かに安全性は高いかもしれません。
でも、それは正しい「社会の縮図」ではない、という考え方には賛成です。


また、スポーツや芸能の世界で一流になる可能性が高いのも、そういう「比較的お金のある人たちの集団」だということは理解できます。
でも、それは「社会の縮図」と呼べないような特殊な環境で、子どもが成長期を過ごすことを意味している、とも思うのです。


ある能力だけを異常に特化させようと幼少の頃から環境を整えて訓練すれば、そのぶん本来「社会の縮図」で学ぶべきことのいくつかが劣化する。当然の話です。人間が身につけられる能力の総量には限界がありますから。
だから私は、若くしてオリンピック選手になっていたり、またはそれを目指しているような子どもたちを見ると、複雑な心境になるのです。
「恋愛なんてしている暇はない」「食事もトレーニング理論に沿ったものを食べなさい」と指導され、またそれを正しいと思う思考ルーチンが植えつけられ、放課後好きな子がいる教室でドキドキしながらおしゃべりしたり、(栄養学に無縁な)お菓子を食べたり、テレビを観たり、本を読んだり…そういったことの多くがが経験できずに、学ぶことができずに、大人になってしまうのは、「教育」という観点からも、とても不幸なことだと思うのです。


「だから公立の学校へ行ってもまれろ」なんていう単純な話でもないとは思うのですが、我々大人が「育児」や「教育」に関わるとき、そういった考えもなしに、安直に「この子は将来プロ野球選手かも?」とか「こんなに賢い子なら東大に入れるかも?」とか言ってしまうのには、苦言を呈さずにはいられないのです。


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久しぶりに、モーニングの時間帯に「珈琲館」へ。




従来はお好みのドリンクに+80円、+150円等でトーストやサンドイッチをつけられるシステムだったと思うのですが、合算でのセット形式に。




こんな感じで期間限定のサンドイッチも。




「トースト&ゆで卵」490円にミニサラダはつきませんでした。


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↓『ニッポンを繁盛させる方法』島田紳助・東国原英夫著、角川書店、2007)より引用(03)


島田:俺はほとんど店に行かないんだけど、時々行って、みんなにやる気を起こさせる魔法をかける。
やっぱり知事っていう仕事も県民に魔法をかける仕事だと思う。


東国原:それはもうおっしゃるとおりですね。


島田:従業員たちに夢を語らないといけないし、夢を持たせないといけない。
特に、知事という立場は絶対に「自分が得をしよう」と思ったらいかんよな。


東国原:その気持ちは僕にもいっさいないですね。


島田:その気持ちを東国原知事は県庁職員にまず伝えるべき。
俺にとって店の経営は遊びだけど、遊びだからこそ、失敗したくない。成功させたい。
その心意気がやっぱりみんなに夢を与える。


↑(引用ここまで)
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子どもや若者も含め、周りの人間を「やる気」にさせる方法は、やはり「自分がいかに本気か」を理解してもらうしかないと思うんです。


「なぜやらないんだ」「あいつはダメだな」と愚痴る前に、自分の「熱」を伝える。伝染させる。
自分が、どういう覚悟で臨んでいるのか、どのくらいのレベルを「あたりまえ」と思って臨んでいるのかを伝える。
それを見聞きした周りの人間は、その「熱」に触れて、自分んが「本気でなかった」ことや、覚悟の足りなさを自覚し、改善・成長していく。


それがきっと、紳助氏の言う『魔法をかける』ということなんだと思います。


親や教師、職場の上司や管理職の出来不出来は、そこで決まると言ってもいいかもしれません。
…私はちょっと苦手なんですけどね(笑)。


若者に「うっとうしい」と思われるのもイヤですし、打っても響かなかったときが怖いというか、自分でやれることは多少無理をしても自分でやってしまいがちです。


嫌味なくらいに自分が動いても、伝わらないやつには全然伝わりませんし、言ってもそいつの「常識」はなかなか変わりません。


「自分が得しようと思って、偉そうに言っているわけではない」こと。


「自分がこのくらいの覚悟をもって、望んでいる」ということ。


これを地道に地道にに伝えていくことでしか、子どもや若者の「覚悟」を変えてやることはできない。


…紳助氏は、きっと上手に『魔法』をかけるんでしょうね(笑)。

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平日昼12:00ど真ん中…どこも混んでいるだろうなあ、と思いながらも「びっくりドンキー」へ。




駅から遠い、郊外の店舗で、しかも周りに役所や工場がないと、意外に空いていたり。




「ハンバーグ&若鶏しょうゆ香り揚げ」662円。

+129円で、コーヒーもつけられます!


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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(08)


運動部のシゴキに限らず、「いじめ」って言葉を聞かない日はないけど、この言葉の響きが本質を見誤らせてるんだよな。
弱い同級生を殴ったとか、恐喝してカネを奪って、ついには自殺に追い込んじまったなんて「いじめ問題」が毎日話題になっているけど、これはもう「いじめ」じゃなくて「犯罪」だろうよ。


「暴行罪」「脅迫罪」「恐喝罪」と、ほんとの罪状で呼んでやらないと。
これは「犯罪だ」ってことをガキの足りない頭でもわかるようにしてやんないと、また同じことが起こっちまうぜ。


だいたい、なんでニッポンって国は、こんなに物事をオブラートに包んでしまうんだろ。
痴漢のニュースだって、「スカートの中に手を入れた」「下腹部にいたずらした」なんて言うけど、要は「性器をなで回した」ってことなんでね。
婉曲表現で実態をうやむやにしようって狙いがバレバレだよ。
とにかく、くさいモノには全部フタをしちまう。
それが「いじめ」ってものを陰湿にしちまってる理由だと思うんだよね。


↑(引用ここまで)
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安易な「呼び名」が生む誤解、ありますよね~。


たけし氏がはっきり言ってくれているように、『ガキの足りない頭でもわかるように』呼び名を工夫してあげないと、事の重大さ、恥ずかしさに気づけない、という輩が大勢いると思うんです。


以前に、『松本紳助』というテレビ番組で、松本人志、島田紳助の両氏が言っていました。
「”フリーター”とか”ニート”とか、そういうカッコええ横文字にするのがアカンよな」と。
「せめて我々は、この番組ぐらいは、仕事もせんと親のスネをかじっとる奴らを”ニート”でなく”ピョヨヨン”と呼ぼうで」と。


確かに、お母ちゃんに「アンタ、仕事もしないで、いつまで”ピョヨヨン”なんてやってんの!」と叱られれば、「ニート」や「フリーター」なんて評されるより、なんだかとっても情けない気がします(笑)。


「いじめ」然り。
「万引き」然り。
お偉いさんがしたり顔で使う、いらない横文字然り。


物事を軽々しく感じさせてしまうそういった「呼び名」は、鼻で笑い飛ばすくらいのバランス感覚を持っていないと、あなたも私も、「いじめ」のニュースを見て「けしからん」と安易に同調するおっさんの仲間入りですよ?


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