------------
↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(09)
今じゃ、親が学校に文句を言ってくれるから、調子に乗って親に言いつけるし、その結果、教師はガキを叱らなくなる。
子供は増長して、教師はナメられ、教育環境はドンドン悪くなる。
叱られたことすらない、社会に出ても使い物にならないヤツが大量生産されちまうんだよな。
まァ、とにかく深刻ないじめ問題だけど、政府や行政やどうにか解決策を出してくれるなんて考えてちゃバカを見るぜ。
どうやらいじめ問題は、公立の小学校や中学で起こってるケースが多いみたいだけど、政治家やらエリート官僚は、たいてい自分たちの息子を名門私立に通わせてるわけだからね。
むごいいじめも「対岸の火事」程度にしか思っちゃいないよ。
市立の場合、「問題を起こすような生徒は辞めてもらう」ってスタンスだから、いじめなんてほとんど起こらない。
一方公立校は「義務教育だから辞めさせられない」ってんで、悪さをするヤツがドンドン出てきてさ。
そうなってくるといじめが増えるのは自然なことだよな。
子供を私立に通わせられないビンボー人は公立に行かせるしかないわけでね。
東大生を子に持つ親の年収が一番高いって話もあったけど、格差の影響はもう子供の学力だけじゃなくて「いじめに遭う確率」にも影響するという生死に関わる問題になっちまってるんだよな。
東大や医学部に入るのも金持ちの息子、小さい頃から英才教育を受けてスポーツで一流になるのも金持ちの息子でさ。
漫才師やコメディアンになるのだって、芸能プロが作ったお笑いスクールに入らなきゃいけないっておかしな時代なんだからさ。
で、ビンボー人の子は、勉強もスポーツもパッとせずいじめの恐怖におびえなきゃいけないということでね。
↑(引用ここまで)
------------
いつだったかテレビ番組『松本紳助』で、島田紳助氏が3人の娘さんの教育について話していました。
子どもの方から「私立の小学校を受験してみたい」と言ってきても、「小学校までは公立に行かなきゃダメだ」と突っぱねたという話です。
「金持ちの子がいたり、貧乏な子がいたり、やんちゃな子がいたり、そういう正しい”社会の縮図”で6年間生活しないと、学べないことがたくさんある」と。
そこで松本人志氏が「でも公立に通わせたら、”芸能人の息子”というだけで、いじめられるんとちゃいますか?」と聞くと、「いじめられたらええねん」と紳助氏。
「オレの子どもだからと、優遇される場面も多いはずや。だけど、他人から妬まれたり、いじめられたりするデメリットがあることもちゃんと学習せないかん」と。
実際、イヤな目にもたくさん遭ったそうなのですが、紳助氏が「ちゃんといじめられてるか? 大丈夫か?」と聞くと、娘さんたちは「うん。大丈夫」と。「そうか。がんばれよ」というやりとりを、何度もしたそうです。
…比較的お金のある人たちの集団に属していれば、確かに安全性は高いかもしれません。
でも、それは正しい「社会の縮図」ではない、という考え方には賛成です。
また、スポーツや芸能の世界で一流になる可能性が高いのも、そういう「比較的お金のある人たちの集団」だということは理解できます。
でも、それは「社会の縮図」と呼べないような特殊な環境で、子どもが成長期を過ごすことを意味している、とも思うのです。
ある能力だけを異常に特化させようと幼少の頃から環境を整えて訓練すれば、そのぶん本来「社会の縮図」で学ぶべきことのいくつかが劣化する。当然の話です。人間が身につけられる能力の総量には限界がありますから。
だから私は、若くしてオリンピック選手になっていたり、またはそれを目指しているような子どもたちを見ると、複雑な心境になるのです。
「恋愛なんてしている暇はない」「食事もトレーニング理論に沿ったものを食べなさい」と指導され、またそれを正しいと思う思考ルーチンが植えつけられ、放課後好きな子がいる教室でドキドキしながらおしゃべりしたり、(栄養学に無縁な)お菓子を食べたり、テレビを観たり、本を読んだり…そういったことの多くがが経験できずに、学ぶことができずに、大人になってしまうのは、「教育」という観点からも、とても不幸なことだと思うのです。
「だから公立の学校へ行ってもまれろ」なんていう単純な話でもないとは思うのですが、我々大人が「育児」や「教育」に関わるとき、そういった考えもなしに、安直に「この子は将来プロ野球選手かも?」とか「こんなに賢い子なら東大に入れるかも?」とか言ってしまうのには、苦言を呈さずにはいられないのです。
