ナウマンゾウと浜北人の時代から繋がる天竜川~秋葉~諏訪~八ヶ岳~富士 | 縄文家族|天竜楽市

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天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️




浜松市博物館・蜆塚遺跡

浜松❗といえばナウマンゾウ‼️
浜北人‼️

後期旧石器時代、人々がナウマンゾウを追い掛けたのは、天竜川~諏訪湖~甲州街道。

その、主役である
ナウマンゾウと
浜北人が、
仲良く展示される
浜松市博物館‼️



浜北人骨は、
下層が後期旧石器時代18000BP(BC16000頃)
上層が縄文時代草創期
14000BP(BC12000頃)

浜北遺跡上層人骨は、C14年代測定法(化石生物に含まれる炭素中の放射性炭素14・半減期5730年・の炭素12との含有比率によって、死亡時の年代が判定される。測定限界は3~5万年)により、本州唯一の旧石器人骨であることが確認されています。

三ヶ日人は、同測定法により、9000年前(縄文早期)以降、牛川人は獣骨の可能性が高く、明石人はレプリカしか現存していない為、上層浜北人骨の価値は非常に高いのです。

なお、浜北原人と称されることもありますが、原人(ホモ・エレクトゥス)ではなく、現世人類と同じ新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)とされています。

( ・`ω・´)💡

日本人は、ネアンデルタール人由来の遺伝子を多く引き継いでいるという研究結果があります。

中期旧石器時代に、最初に日本列島に到達したアイノイドは、よりネアンデルタール人、デニソワ人の血が濃かった可能性もあります(おそらく現代日本人は、その後に東南アジア、中国からの移民によりアイノイド由来の血は薄まっている)

浜北人が、どの程度の比率で、ネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルタールレンシス)、デニソワ人(ホモ・サピエンス・アルタイ)の血統を受け継いでいたのか、世界中の学者が注目するところでしょう。

( ・`ω・´)💡
ま、しかし、浜北人が出アフリカ後の人類拡散の重要な鍵を握っていることに気がついている浜松市民は、私だけかもしれないですね(*つ▽`)っ‼️

残念ながら、女性の骨ということで、Y染色体マーカーは、持っておりません。

浜北人たちは、ナウマンゾウを追い掛けて、天竜川~諏訪湖~茅野尖石~井戸尻~甲州街道~富士、関東へと広範囲に移動していました。

移動するのは男たちだけで、浜北根堅洞窟遺跡から発見された女性たちは、ここをベースキャンプとして半定住生活を開始していたのでしょうか❓

何れにしても、天竜川~諏訪湖~甲州街道のナウマンゾウ街道は、のちの縄文遺跡の密集地帯へと繋がっていきます。

先祖を祀り、祖先の暮らした土地を守っていく、そんな文化の萌芽が、既に浜北人の時代に芽生えていたのかもしれません⁉️

浜松市のナウマンゾウ、浜北人は、日本の古代史を理解する上で非常に重要なのです。
( ・`ω・´)💡



浜松市にも、天竜区中心にそこそこな数の縄文遺跡がありますが、

ろくに掘っていないので、当然ながら縄文土器は完品で出ているものは少ないようです。

縄文晩期と思われる瓶状の土器は、珍しい形じゃないかと思いますが、特に説明はありませんでした。

旧浜松市の大部分を占める遠州平野は、縄文海進により海底に沈んでいたと思われるので、縄文遺跡は出てきません。

弥生時代以降には、天竜川によるかなりの堆積があり、地中深くに潜ったか、氾濫で流出した遺跡も多いと思われます。

( ・`ω・´)💡

その中で注目したいのは、天竜区下阿多古の上野遺跡。

土器片がいくつか展示されていました。

天竜区の遺跡からは、各所で土器片が出ていますが、表層から拾ったものと思われ、本格的な発掘調査が行われたわけではありません。

田畑の所有者が発掘調査によって土地の利用を妨げられるのを嫌い、土器や黒曜石が出ても黙っているケースも多かったようです。

掘れば、きっとまだまだ色々なお宝が出て来そうですね( ・`ω・´)💡

二俣城が、表面調査を行っただけで市の史跡から国の史跡に格上げになり、

光明山古墳も、表面調査により県の史跡から国の史跡へ変更されるようです。


( ・`ω・´)💡

旧天竜市は、山林が多く可住区域が少なく、かつては地価が高かったこともあり、

天竜市役所(現・天竜区役所)は、平安時代から領主クラスの居館であった二俣古城(笹岡)遺跡の上に建設されました(/≧◇≦\)

二俣城も、昭和40年代に
「天守閣再建だ~(o´・∀・)o」と言っていた頃に、掘っておけばね…

戦前、陸軍の学者が、
「二俣城天守台は日本最古の可能性がある」(現在は1590年以降の石垣とされる)と言っていた頃に、論文書いてもらっておけばね…

( ・`ω・´)💡
遺跡は、何のために大金を投じて調査するか?
知っていますか⁉️

(o´・∀・)o
真実を知るため?

( ・`ω・´)💡
観光客が来て、お金になるからです‼️

(o´・∀・)o
ちっと遺物が出たからって、本当のことはわからないもんね

( ・`ω・´)💡
学者先生も、論文書いて話題になれば、出世して講演会でボロ儲け‼️

(o´・∀・)o
ゴッドハンド(旧石器捏造事件)も、バレるまでは、各遺跡の市町村潤ったらしいね❗

( ・`ω・´)💡
ウソとわかっていても、観光の為ならキリストの墓も建てちゃう‼️

(o´・∀・)o
でも、ロマンがあるよね❗
ロマンだよね‼️
嘘ばかりじゃないよね‼️

( ・`ω・´)💡
国宝になるには、出土状況の記録が重要‼️
国が認めた遺跡、遺物は信用出来ます‼️

(o´・∀・)o
じゃあ、二俣城も光明山古墳も、国が認めた信用出来る遺跡ってことなんだね❗

( ・`ω・´)💡
それだけに、遺跡の重要性を知らしめて、みんなに見に来てもらいたいね‼️

(o´・∀・)o
それには、やっぱり国のお墨付きに加えて、ロマンも必要だね‼️

( ・`ω・´)💡
遺跡そのものは、国が間違いない‼️と太鼓判を押したんだから、そこからどれだけ物語を膨らませられるかどうかが、遺跡観光のポイントだね❗

(o´・∀・)o
長野県の人は上手いよね‼️

( ・`ω・´)💡
富士宮市にしろ、浜松市にしろ、凄い遺跡があるのに、生真面目なのか、ストーリーを演出出来ていないよね。

(o´・∀・)o
そういう意味では、後世の人の想像力を膨らませるような芸術作品を遺したシナノ国の縄文人も、一枚上手かもしれないね⁉️

( ・`ω・´)💡
きっとシナノの人は、縄文時代から想像力豊かで、ビジネス勘があったんだろうね…

(o´・∀・)o
シナノの縄文人は、商売上手だったんだと思うよ

( ・`ω・´)💡
あの可愛いデザインの土器や土偶は、他国に持って行けば高く売れそうだね。

(o´・∀・)o
確かに、浜松の土器は遊び心が乏しいよ❗

( ・`ω・´)💡
きっとシナノブランドの黒曜石が、他国で珍重された頃から、シナノ人は気がついていたんだよ。
ちょっと変わったモノ作って遠くに持って行けば高く売れるんだって。

(o´・∀・)o
県民気質って、もしかしたら何万年も前からの筋金入りなのかな⁉️

( ・`ω・´)💡
きっと、そうだと思うよ‼️

( ・`ω・´)💡
そして、後期旧石器時代人や、縄文人は、現代人よりずっと五感が優れていて、頭脳も明晰だったと思います。

頭が良いだけに、楽しんで暮らしていたとは思いますが、現代より遥かに危険が多く、常に死と向き合って、厳しい状況を乗り越えていましたから。

情報の取捨選択も、厳しく行っていたと思います。

現代人のように
「放射能とモンサント叩けばバカが釣れる」山田正彦や、

ふわふわスピリチュアル、次元上昇、ハイヤーセルフ、イルミナティ、ハザールマフィア、ヴェネチアの黒い貴族、越後屋(笑)陰謀論…

寿命が伸びて人口増加が止まらないほど医療が発達した時代に、現代医学はスタートから間違っていた、医療麻薬シンジケートの暗躍で多くの人が死んでいると寝言を言う「陰謀論の総合商社」内海聡辺りに、コロッと騙されるようでは、

生きてはいけませんからね( ・`ω・´)💡

縄文を知るには、
一般的な現代人の乏しい知識で考えて及ぶところではなく、
縄文人のナナメ上の思想についていくことが必要です‼️

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