秋空を見上げると、天守閣にはキンキラに輝く金のシャチホコが。
名古屋城のシンボル、金の鯱(しゃちほこ)ですね。地元では略して「金シャチ」と呼んでいます。名古屋城は別名、金鯱城。
天守閣に入ってみると、多くの小学生が「金シャチ」をデッサンしていました。見学レポートを書くためのようです。子供はそれぞれ個性がありますが、とても良く描けていました。
シャチホコは姿は「魚」で頭は「トラ」。尾ひれは空を向き背中に鋭いトゲを持つ想像上の動物なのだそうです。海の魚「鯱(シャチ)」そのものではないようです。
室町時代からの厄除けで、海の動物なので火が付かない、または、建物が火事になった時に水を噴き出して火を消すという「火除けのまじない」として城の大棟に掲げられているそうです。
金シャチはオスとメスのペア。北側がオスシャチで南側がメスシャチです。伊吹おろしの冷たい北風からメスを守るために北側がオスなのだとか。
大天守完成(1612年)当時の金シャチは、慶長大判1940両、慶長小判17975両に相当する金で製造されました。
オスは約2.6メートル(2.621m・金の量44.69kg)、メスは約2.5メートル(2.579m・金の量43.39kg)。金の豪華さは破格です。江戸時代、盗賊の格好のターゲットになったようで、歌舞伎の題材になったりしていますね。
名古屋城は、徳川家康の第9子・徳川義直が初代藩主とって以後、明治維新を迎えるまでの約250年間、徳川御三家の筆頭・尾張徳川家の居城として栄えました。
「尾張名古屋は城で持つ」とも歌われた名城。大坂城、熊本城と共に日本三名城の1つになっています。
名古屋城は大天守と小天守の二つの天守閣が連結した形になっており、大天守の屋根の上には徳川家の威光を示す対の金鯱(金のしゃちほこ)が載せられています。
大天守閣は五層五階、地下一階。高さは55.6m(石垣19.5m、本体36.1m)もあり、18階建ての高層建築に相当しているそうです。
昭和20年5月の名古屋空襲で大・小天守閣、本丸御殿が焼失。現在の天守閣は昭和34年に再建されたものです。
名古屋城は、家康が慶長14年に清須から名古屋へ遷府を決定し、同15年に加藤清正、福島正則、前田利光など北国や西国の諸大名20名に普請(土木工事)を命じて築城が始まりました。
名古屋城天守閣の展示室を見ると、豊臣秀吉の重鎮・加藤清正が天守閣や石垣の普請(工事)に意欲的に取り組んだ様子が展示物や実物を通して、よく分かります。動画で見るように城壁の石の移動がリアルです。
加藤清正が豊臣家を滅亡させた徳川家の居城の建設にこれほど熱心に取り組んだ理由は何か、謎が残りますが、そのミステリーが、また、歴史の魅力でもありますね。
2009年1月から工事が始まった名古屋城本丸御殿は着々と工事が進み2018年には完成・公開される予定です。名古屋開府400年の記念すべき今年10月、工事を一時休止し、工事中の玄関を特別公開しました。
名古屋城本丸御殿:http://www.hommaru-palace.city.nagoya.jp/
大天守閣・展望室からの名古屋市内の眺めは非常に素晴らしいです。
JR名古屋駅にそびえる超高層ビルのセントラルタワーズ(地上51階建てのオフィスタワーと地上53階建てのホテル「名古屋マリオットアソシアホテル」からなるツインタワー)が建ち、発展ぶりがうかがえます。