タイソンが尊敬する男・ ファイティング原田 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

”黄金のバンタム”エデル・ジョフレ(ブラジル)を破り、世界バンタム級王座獲得。フライ級に続き日本人選手初の、世界タイトル2階級制覇を成し遂げたファイティング原田(笹崎)選手。世紀の大誤審 さえなかったら、3階級を制覇していた名王者である。

『戦後の貧困の中からはい上がり、不屈の闘志で栄冠をつかんだ名チャンピオンが劇的な人生を振り返り、ボクシングの魅力を語る』


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読売新聞の連載”時代の証言者”で、ファイティング原田選手が自らの半生を振り返った24回の連載が先月終了した。楽しみに読んでおられたファンも多かったことだと思います。

プロデビューは1960年(昭和35年)2月。プロボクシングの世界チャンピオンといわれる人間は、全8階級8人しかいなかった。

父が倒れ、中学の授業が終わると米屋のバイトに励んでいた原田少年が、笹崎ジムの練習風景をのぞき、心をひきつけられる。「男なら、学者になるか、金持ちになるか、栄光をつかめ」。父の言葉を思い出した中学2年生は、アルバイトでためた入会金千円を握りしめ、笹崎ジムの門をたたく。

中学の授業を終えると、米屋のバイト、そしてジムでの練習。当時の月謝は5百円。中学卒業後就職。しかし、機械の組み立て仕事は僅か1ヶ月で辞める。「練習時間が思うように取れない」というのが、その理由であった。

栄光を目指し、原田少年のボクサー生活が始まる。

「人が10ラウンドのスパーリングをするなら、15ラウンドやりました。10キロ走るなら15キロ走りました」

「お前、拳闘で飯をくう気はないか」。デビュー間もなく、連勝を続ける原田選手は笹崎ジムの内弟子となる。
鬼の笹崎と恐れられた笹崎タケシ会長とのマンツーマン・トレーニングが始まった。






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「今は優しい指導者が増えましたね。でも、厳しさはないとダメですよ」

「ボクシングの練習には、そう変わったものはありません。縄跳び、シャドーボクシング、ミット打ち・・・・。単純なことの繰り返しで、強くなる近道なんてないんです。世界王者になっても同じこと。単調なメニューを毎日毎日、繰り返すことが大切なんです」

「減量中、オヤジ(笹崎会長)ととっくみあいのケンカになったことがあります」

「原田との練習は戦いだった」とは笹崎会長。練習に対する取り組み方、姿勢が直に伝わってきます。

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リングネーム候補には、”ジャイアンツ”原田というのもあったらしい。しかし、”ファイティング”原田に落ち着いた。今、”ファイティング”のリングネームは、JBCで欠名扱いとなっている。

1967年1月、米スポーツ・イラストレイテッドは”黄金のバンタム”ジョフレを破った原田選手の特集を組む。そのボクシングスタイルは、「フランティック・ウィンドミドル=狂ったように回る風車」と描写された。

伏兵ライオネル・ローズ(豪)によもやの判定負けでバンタム級王座を失った原田選手はフェザー級へ転向。ノーランクから世界挑戦権を獲得。豪州での王者ジョニー・ファメション(豪)挑戦→世紀の大誤審→国内初のWBCタイトルマッチ→まさかのKO負け。


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70年1月ファメションとのリマッチは、「この野郎」と燃えるものがなく敗戦。3週間後、26歳の原田選手は、「何の悔いもありません」とさわやかに引退を発表。10年間のボクサー生活を終えた。

元世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米)は、1966年6月30日生を受ける。12歳で最悪の少年院に収監されたタイソン少年は、更生プログラムの一環として行われていたボクシングと出会う。

才能の一端をかいまみせたタイソンは、名、トレーナーカス・ダマトが身元引受人となって出所。ボクサーとしての成功を目指す。そして、その才能は見事に開花し世界ヘビー級王者の称号を得る。1988年3月、タイソンは”東京ドーム”でトニー・タッブス(米)相手にタイトル防衛戦を行った。

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ホテル・ニューオータニに宿泊している、人気絶頂の世界ヘビー級王者を原田氏は訪ねる。大きなガードマンに止められました。でも、私の名前が伝わると、タイソンは「オレは、その人のファンなんだよ」と、入れてくれました。

ベッドサイドには、恩師カス・ダマトと共に、なんと原田氏の写真が飾られており、タイソンは原田vsジョフレ戦の映像を見ていたという。ヘビー級としては小柄(180センチ)のタイソンは、原田(158センチ)氏のファイティング・スタイルを尊敬し、研究していたというのは有名な話ですね。

日本人選手としてただ一人、”国際ボクシング名誉の殿堂”入りしている原田氏。現在はファイティング原田ジム会長として、「ボクシングをやってて良かったなと、そう思える選手を育てたいですね」と夢を膨らませる。


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やはり偉大な選手です。


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