亀田史郎氏vsJBC>文科省・協会は!?
テーマ:ボクシングを考える21日亀田ジムの五十嵐会長はJBCを訪れ、セコンドライセンス無期限停止中の亀田史郎氏の処分解除の申請書類を追加提出すると共に、改めて史郎氏の復帰を訴えた。
亀田ジム、文科省に直談判も!史郎氏ライセンス停止解除求める(スポーツ報知)
安河内事務局長との会談後、「JBCが動かないようなら文科省に判断を仰ぐこともありうる」と五十嵐会長は明言。2月7日の大毅選手の3度目の世界挑戦までをリミットに、JBCはその対応を迫られる。
財団法人である日本ボクシングコミッション(JBC)を統括するのは文部科学省
である。
日本初の世界タイトルマッチ。ダド・マリノvs白井義男戦を実現させる為、昭和27年(1952年)4月あわてて設立されたJBCは、歳月を重ね昭和53年(1978年)11月1日、財団法人の認可を受けた。
コミッション発足と同時に、クラブオーナーらで構成されていた協会は任務終了したとして解散。しかし、昭和37年(1962年)4月、全日本ボクシング協会は再び結成される。
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昭和22年。戦後2回目の総選挙で初当選したのは初代早大ボクシング部主将の多賀安郎氏。戦前の帝拳ジムからウェルター級でプロも経験している。
その多賀代議士が、昭和23年『ボクシング管理法案』を提唱。すなわちコミッション制度を国法で定めようとするもので、もしも国会を通過していたならば、米国のように法律によるコミッション制が実現していた。
しかし、GHQの管理下にあった国会では、時期尚早として握りつぶされてしまった。
昭和24年12月、分裂していたボクシング協会、ボクシング連盟、自由連合が一本にまとまり、全日本ボクシング協会が結成され本田 明 氏が協会長に任じられた。
この時もコミッション設立が提案され、かなり具体的な線まで話はまとまった。コミッショナーは複数による委員制で、委員長には鳩山一郎代議士が選出されていた。
しかし、これも土壇場で日の目を見ることは出来ず。白井選手の台頭によって、ようやくコミッションが設立されるに至る。
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昭和37年に再結成された全日本ボクシング協会は、昭和47年協栄ジム金平正紀会長の協会除名問題に端を発し分裂。二つの団体が同じ協会を名乗る時代を迎える。
分裂当初、協栄ジムの選手がもう一方の協会加盟ジムの興行に出場する際、出場を拒否されるという場面があり、裁判も辞さずとなる。しかし、ここは何とか収まり、以後も新人王戦、選手交流は続けられた。
昭和51年4月。東京高等裁判所の調停で、協会統合推進委員会が発足。委員長に三迫仁志氏が任命される。11月、二つの協会はようやく統合された。翌52年1月、新全日本ボクシング協会の会長に三迫氏が選ばれ再出発。そして、現在に至る。
プロボクシング界内の大きな問題は、コミッションが協会の意見を取り入れつつ協議されて来た。日本プロボクシング協会は、来年から大橋秀行新協会長が誕生する。
大橋氏、後任会長就任へ=原田氏退任で東日本と兼務-日本プロボクシング協会(時事通信)
大橋新会長率いる協会が、史郎氏復帰問題へどのような見解を示すのかは、ライセンス停止解除への大きなキーポイントを握る。長老(失礼)、若手会長たちからの様々な意見をどのように束ね、まとめていくのか。その手腕の見せ所になります。
【訃報のお知らせ】日本ボクシングコミッションのベテラン・タイムキーパー、小川弘氏(写真右)が19日急逝されました。享年49歳。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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