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2009年12月24日(木)

大橋秀行vs世界挑戦21連敗

テーマ:ボクシングを考える
23日熱海市で開催された日本プロボクシング協会(JPBA)理事会で元世界ミニマム級王者大橋秀行(44)氏が、満場一致で新しい協会長に選出された。これまで7期21年に渡り、ボクシング界の顔として活躍されてきた原田政彦協会長は来年3月で勇退される。長い間ご苦労様でした。

次期会長に大橋氏…競技普及を最優先(毎日新聞)

「いかにボクシングを(一般に)見てもらうか、いかに練習生を増やすかを第一に考えて取り組む」

1990年2月7日。後楽園ホールは異様な熱気に包まれていた。WBC世界ミニマム級タイトルマッチ。チャンピオン 崔 漸煥(韓国)へ挑戦すのは、日本の切り札大橋秀行(ヨネクラ)選手。

世界王者不在1年3ヶ月。世界挑戦連続失敗記録は”21”を数えていた。

ボクシング界だけの問題ではなく、社会問題とされた世界挑戦21連敗。大橋選手が勝てなければ・・・・。業界、ファンの期待を大きく背負う挑戦者だが、自身これが3度目の世界挑戦。これに失敗すると後がない。自らの進退問題にも波及するだろう。

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90年1月。原田協会長をはじめとするプロボクシング協会は、世界タイトル挑戦資格を改めた。これまでは「日本チャンピオンになること」が最低条件とされて来たが、「指名選手との防衛戦をクリアする事」を必要条件として付加している。

原田氏はさらに、「世界ランカーを破る事」を提案する。しかし、この案は「世界戦が全く開催できなくなる可能性がある」として見送られている。

ファンの願い。大橋選手は中盤からペースを握る。恐ろしくタフなチャンピオン。

「こりゃ、上じゃあ倒れないな」


崔vs大橋。

そう感じた挑戦者は、狙いをボディに切り替える。そして迎えた9回。鋭い左フックが崔のボディをえぐった。ダウン。立ち上がった王者は荒れ狂う。よくパンチを見切った挑戦者は、再びチャンスを伺う。またしても左ボディ一閃。

キャンバスを転げ周り、苦しがるチャンピオンは、自らのコーナーを見やりグローブを振る。「もうダメだ」の合図。レフェリーは、カウントテンを数え上げた。

新ヒーロー誕生!

待ちに待った世界王者誕生シーンにファンは酔った。大歓声とうれし涙。会場があれほど興奮した世界王座奪取劇は、そうあるものではない。大橋選手は、一夜にしてボクシング界の救世主となった。


歓喜の勝利ポーズ大橋選手。

この当時世界王者5人を抱えていた韓国ボクシング界。だが、人気低迷、不振が叫ばれている。「経済の発展と共に、ボクシング人気が落ちてきた」。

IBF王者乱造で世界チャンピオンの価値を下げてしまった事もあり、世間の関心はサッカー、プロ野球に移り、若者もそちらへ流れていく。

「数年後には、現在の日本が置かれているような不振状態に陥るのではないか」

そんな事をいっていた韓国ボクシング界は、不振の日本どころではなく、一気に没落してしまった歴史がある。

「自分の選手が勝つことばっかり考えてちゃダメだよ」

「やっぱり、お客さんが見たいカードを作らなきゃあ」

「面白かったらもう一回やったっていいんだから」

こう語るのは、元世界フライ級王者の花形 進 会長。それを実践しているとがまた凄い。

「じゃあ会長、また何かやりますか」(~~)

「そんな事言ってまたうちをカモにする」(~~)

「何言ってんですか会長。瀬藤もやられちゃうし、うちはやられっぱなしですよ。うまいんだから会長」(~~)

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メキシコでファンに囲まれる花形選手。

その昔、”好カード推進委員会”というものがあった。

一般の方々にボクシングを見ていただく機会を広げる為にも、また社会にアピールする意味でも、ファンが見たい好カード実現は面白い。協会がアンケートを取り、上位のカードを実現させたのなら、大いに盛り上がるでしょうね。

1978年(昭和53年)の、OPBFフェザー級王者ロイヤル小林(国際)vs日本同級王者スパイダー根本(草加有沢)の一戦は、協会が窓口となった世界タイトル挑戦者決定戦として行われた。

亀田昭雄(協栄)vs赤井英和(Gツダ)の中量級ビッグカードも、協会の手で推進され実現一歩手前までいった。両選手のファイトマネーは500万円。どちらが勝っても再戦するという事に決まっていた。

今でこそ、全日本新人王獲得者は同時に日本ランキングを手に入れる事が出来るが、一時代前はそうではなかった。新人王にチャンスを与える為に、ランキング下位(9、10位)選手との対戦機会を与えたのも協会である。

日本タイトル戦複数開催。景品ありの勝者宛クイズ。ファイトマネーの公開。女性、高校生以下への客席解放。危機が叫ばれてて久しい協会は、様々なアイディアを試行錯誤して来た。

『ファンあってのプロボクシング』

今、再び業界、ファンの期待を一心に背負う形になった大橋新協会長。その手腕が大いに発揮される事を願います。

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2009年12月22日(火)

亀田史郎氏vsJBC>文科省・協会は!?

テーマ:ボクシングを考える

21日亀田ジムの五十嵐会長はJBCを訪れ、セコンドライセンス無期限停止中の亀田史郎氏の処分解除の申請書類を追加提出すると共に、改めて史郎氏の復帰を訴えた。

亀田ジム、文科省に直談判も!史郎氏ライセンス停止解除求める(スポーツ報知)

安河内事務局長との会談後、「JBCが動かないようなら文科省に判断を仰ぐこともありうる」と五十嵐会長は明言。2月7日の大毅選手の3度目の世界挑戦までをリミットに、JBCはその対応を迫られる。

財団法人である日本ボクシングコミッション(JBC)を統括するのは文部科学省 である。

日本初の世界タイトルマッチ。ダド・マリノvs白井義男戦を実現させる為、昭和27年(1952年)4月あわてて設立されたJBCは、歳月を重ね昭和53年(1978年)11月1日、財団法人の認可を受けた。

コミッション発足と同時に、クラブオーナーらで構成されていた協会は任務終了したとして解散。しかし、昭和37年(1962年)4月、全日本ボクシング協会は再び結成される。

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昭和22年。戦後2回目の総選挙で初当選したのは初代早大ボクシング部主将の多賀安郎氏。戦前の帝拳ジムからウェルター級でプロも経験している。

その多賀代議士が、昭和23年『ボクシング管理法案』を提唱。すなわちコミッション制度を国法で定めようとするもので、もしも国会を通過していたならば、米国のように法律によるコミッション制が実現していた。

しかし、GHQの管理下にあった国会では、時期尚早として握りつぶされてしまった。

昭和24年12月、分裂していたボクシング協会、ボクシング連盟、自由連合が一本にまとまり、全日本ボクシング協会が結成され本田 明 氏が協会長に任じられた。

この時もコミッション設立が提案され、かなり具体的な線まで話はまとまった。コミッショナーは複数による委員制で、委員長には鳩山一郎代議士が選出されていた。

しかし、これも土壇場で日の目を見ることは出来ず。白井選手の台頭によって、ようやくコミッションが設立されるに至る。

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マリノvs白井。  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

昭和37年に再結成された全日本ボクシング協会は、昭和47年協栄ジム金平正紀会長の協会除名問題に端を発し分裂。二つの団体が同じ協会を名乗る時代を迎える。

分裂当初、協栄ジムの選手がもう一方の協会加盟ジムの興行に出場する際、出場を拒否されるという場面があり、裁判も辞さずとなる。しかし、ここは何とか収まり、以後も新人王戦、選手交流は続けられた。

昭和51年4月。東京高等裁判所の調停で、協会統合推進委員会が発足。委員長に三迫仁志氏が任命される。11月、二つの協会はようやく統合された。翌52年1月、新全日本ボクシング協会の会長に三迫氏が選ばれ再出発。そして、現在に至る。

プロボクシング界内の大きな問題は、コミッションが協会の意見を取り入れつつ協議されて来た。日本プロボクシング協会は、来年から大橋秀行新協会長が誕生する。

大橋氏、後任会長就任へ=原田氏退任で東日本と兼務-日本プロボクシング協会(時事通信)

大橋新会長率いる協会が、史郎氏復帰問題へどのような見解を示すのかは、ライセンス停止解除への大きなキーポイントを握る。長老(失礼)、若手会長たちからの様々な意見をどのように束ね、まとめていくのか。その手腕の見せ所になります。

【訃報のお知らせ】日本ボクシングコミッションのベテラン・タイムキーパー、小川弘氏(写真右)が19日急逝されました。享年49歳。



心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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2009年12月21日(月)

協栄vsWBA・そしてJBCは!?

テーマ:協栄ジムの歴史
WBA世界フライ級王者デンカオセーン・カオウィチット(タイ)vs挑戦者亀田大毅(亀田)のダイレクトリマッチは、来年2月7日神戸ワールド記念ホールで開催される事が発表された。

だが、JBCは。

協栄ジム・金平桂一郎会長のブログ によると、”デンカオセーンvs亀田戦の勝者が、坂田健史選手と対戦するという確認が取れるまでJBCはこの試合を承認しない”という。

WBAメンドサjr副会長から、事前にデンカオセーンvs坂田戦承認の内諾を経てチャンピオン側と正式契約、そしてJBCの正式承認を得た事等も、金平会長のブログで報告されています。

まず問題ない交渉過程。

亀田選手側の提訴。再戦要求はパナマのWBA本部へ直接持ち込まれた。

しかし、正式契約書送付後WBAから正式承認の連絡は来ない。そして、結論は11月16日からコロンビアで開催されたWBA総会へと持ち越しされる。

「これほど長く正式承認してこないのはおかしい。だけど、総会でハッキリするだろう。アドバンスも払って、正式契約交わしているわけだから」

私としてはそのように受け止めていました。


撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

語学堪能である世界戦担当藤山氏(写真)が協栄ジムの代表としてコロンビアへ乗り込んだのは、念の為にというJBC安河内事務局長のアドバイスがあったという。藤山氏は、「日本語でもあれだけ訴えるのは難しい」といほどの状況説明、契約の正当性を訴えた。

亀田選手サイドも再戦の正当性を訴える時間を与えられた。結論はその後、その場で出るはずであった。が、なぜか翌日に持ち越された。

「なぜだかわかりません。理由はありませんでした。だけど、明日藤山さん帰っちゃうんですよね。結論聞けないで・・・・」

総会一番乗りでコロンビア入りした藤山氏は、個別に各役員の意見を聞いた。「全く問題なし」。

一晩持ち越されて出てきたのが、「坂田選手の挑戦は認められない」というものである。結論の発表は一方的。意見聴取する形の場ではない。JBC安河内事務局長にも発言の機会はない。

WAの最高決定は覆らない。現実的には坂田選手に与えられた指名挑戦権を獲得する他ない。その為の条件、「フライ級で1試合クリア」は、理不尽ではあるが早期に消化しなくてはならない。これがこの問題に関する今までの流れです。

坂田選手のフライ級テストマッチ決定。JBCからWBAへ90日以内の指名挑戦権に関する詳細の決定と承認を得てもらう。JBCがデンカオセーンvs大毅戦承認。今、現実的には、このような流れに向かっていくのではと推測します。

28年前。協栄ジム所属のWBA世界フェザー級王者西城正三選手が、世界王座を剥奪されるという 大事件が起こっている。


西城正三。  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】 

1971年春も過ぎた頃。WBAエミール・ブルーノ選手権委員長は、JBCを通じ協栄ジム金平正紀会長へ、「7月25日までに、1位アントニオ・ゴメス(ベネズエラ)と戦うはずの防衛戦はどうなっているのか。一刻も早く、ゴメスと契約を完了せよ」という通告を何度か発していた。

2月28日西城選手5度目の防衛戦は、フランキー・クロフォード(米)が相手。クロフォードとは前年7月4度目の防衛戦で戦い大苦戦の末判定勝ち。決着をつけようとた再びクロフォードを選んだ西城側とWBAの間には、取り決めが交わされた。

「西城vsクロフォード戦は再戦である。したがって勝者は90日以内に1位の挑戦を受けること。もし、この約束を破った場合はタイトルの剥奪もあり得る」

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クロフォードを降して5度目の王座防衛を果たした西城選手。金平会長は早速米国へ飛び、ロスに滞在するゴメス陣営と交渉を持つ。「ファイトマネーが安い。TV、ラジオの放映権料は・・・・・」。

「あんな条件ではのむことはできない」

交渉決裂。ゴメスとの交渉がまとまらない西城選手は、7月1日札幌でWBC世界Sフェザー級10位レイ・ベガ(メキシコ)とノンタイトル戦を行う事に決定。

「7月1日にノンタイトル戦を行うというが、それが事実なら、7月25日までにゴメスの挑戦を受ける意思がないと判断し、タイトルを剥奪することになるだろう」

再びブルーノ委員長からJBC宛電報が入る。「早く契約をまとめたほうがいいよ」とJBCも忠告している。しかし、ベガ戦は強行された。そして、翌2日WBAは西城選手の王座剥奪を通告して来た。

当時のWBA会長はビル・ブレナン(米)だが、中南米勢力が台頭し米国勢衰退の様相を呈していた。パナマのエリアス・コルドバ氏が米国勢から政権を奪うのは1974年になる。

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事情説明するJBC菊地事務局長。  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

7月3日。ホテルニューオータニの一室に、金平会長、JBC役員、通訳、その他関係者が集まる。ブルーノ委員長に電話で確認。「剥奪は確か」。金平会長が電話口で直接確認した。そして、僅かな救いも与えられた。

「タイトルは剥奪したが、近日中に契約を交わせば、撤回も考える」

5日。金平会長は急遽渡米。ゴメス側と接触する。2日後契約完了。足元を見られた金平氏は、挑戦者側に相場の倍のファイトマネー1万5千ドル(540万)を支払うことで契約を完了。すぐさま帰国した。


羽田空港で記者団に囲まれる金平会長。  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

9日。「西城のタイトル剥奪処分を撤回する」との外電が流れる。

当初8月12日と決められていた試合は、9月2日まで猶予を得た。しかし、ベネズエラへの放送権料はタダ同然でベネズエラ陣営のものとなった。そして、西城選手は10万ドル(3600万円)のファイトマネーを得るも敗れ去る。

先代会長も真っ青になった西城選手の王座剥奪。だが、この大ピンチはJBCとの連携、持ち前の行動力で突破することに成功した。再び勃発の、協栄vsWBA。理不尽な決定に負けてはいられない。坂田選手は元気です。(~~)

「去年の大晦日より、絶対強くなってるけど何でベルトがないのかなァ」(~~)

今日も厳しいトレーニングは続きます。

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2009年12月21日(月)

WBO世界Lヘビー級戦・レフェリングvs勝負!

テーマ:リングサイド・レポート

19日(現地時間)ドイツ・シュベリンで開催されたWBO世界Lヘビー級タイトルマッチ。王者ユルゲン・ブリーマー(ドイツ)vs挑戦者デイミトリィ・スコツキー(ロシア)の一戦は、「ミスマッチ」の声もどこへやら、チャンピオン大苦戦となった。


撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

緊張の挑戦者スコツキー。14戦全勝(9KO)の28歳。予想は圧倒的不利。


撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

サウスポーの王者ブリーマー。34勝(28KO)2敗。31歳のチャンピオンはキャリアで大きく上回る。






撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

試合はスタートから自信満々の王者が挑戦者を攻め立てる。

予想通りチャンピオンの一方的展開になりつつあった。




撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

スピードの差は歴然。

だったが・・・・。

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撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

中盤戦。一生懸命戦う挑戦者の重そうな右ストレートが王者を捕らえ始める。



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撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

8、9回とラウンドを失った王者。

あと一発もらったらヤバイというタイミングで、王者は巧みなクリンチ。

だが、続く10回は大ピンチに見舞われる。




撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

チャンピオン危うし!

しかし、ここでレフェリーマイク・オルテガはドクターチェックを要請。




撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

挑戦者のパンチでカットした右目上の傷にドクターチェックが入る。

「止められても仕方ない傷のように見えましたが」

この回、ピンチを2度に渡る傷のチェックで救われたチャンピオン。

このラウンドは勝負の大きな分かれ目だった。


撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

ラスト2回はチャンピオンも踏ん張って12回終了。

オフィシャルのスコアは、116-112が2者と、118-110で地元の王者ブリーマーを支持。挑戦者には厳しい採点だった。




撮影Sumio Yamada   ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

勝利に安堵するチャンピオン陣営。

「レフェリングが勝負のポイントになっちゃいましたね」

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2009年12月19日(土)

V10王者長谷川穂積vs”明日のジョー”丹下段平

テーマ:偉大なファイター達
18日WBC世界バンタム級チャンピオン長谷川穂積(真正)選手は、挑戦者アルバロ・ペレス(ニカラグア)を4回2分38秒TKOで降し、王座連続10度防衛の偉業を成し遂げた。

しかも、最近5試合は全てKO決着。階級アップにゆれる胸中だが、帝拳ジム本田明彦会長は、「階級上げても即世界挑戦出来る」との見解を示した。

本田会長が長谷川「転級即世界戦できる」(日刊スポーツ)

喜びに沸く長谷川陣営の中、ただ一人苦言を呈しているのが長谷川選手の父大二郎氏。「今日のボクシングなら、フェザー級に行っても強い相手なら難しい」。

「バランス悪い」長谷川父は辛口評価(日刊スポーツ)

元プロボクサーの大二郎氏は、劇画”明日のジョー”で矢吹 丈 を育て上げる丹下ジム会長丹下段平のモデルといわれる、元日本フェザー級チャンピオン菊地万蔵氏の教え子である。


元日本フェザー級王者菊地万蔵。  ★キクチボクシングジム  

後楽園ホールに一番近かった田辺ジム・マネジャーとして選手育成に励んでいた菊地氏が、V10王者の父を語ってくれた。とみぃ・は~んず さん、ありがとうございます。

「あれはパンチがものすごく強かったから期待してたんだよ。だからデビュー前から牧(公一・日本フライ級王者)のキャンプに連れて行って、バンバン走らせたんだ」

「ヤッチャバで働いて、ジム近くに下宿してたんだよなぁ。真面目だったよ」

大いに期待されていた長谷川大二郎選手であったが、試合後の身体検査で思わぬ事が判明する。普通に生活する分には何の問題もないが、プロスポーツ、特にボクシングのような激しい競技はやらないにこした事はない。

無理もできたろう。しかし、人情家の菊地会長は、「俺は『体が大事だからもう辞めろ』って言ってやめさせたんだよ」

志半ばで夢を断念した師弟。しかし、大二郎氏は自身の夢を息子に託し、穂積選手によってその悲願は達成された。

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元日本フライ級王者 牧 公一選手。地味で控えめでまじめというのがその評価である。左ジャブ、ワン・ツーを得意としたボクシングスタイルは、厳しいトレーニングの賜物以外何もない。大二郎選手は、チャンピオンから何を学んだのだろうか。

牧選手の名前が最初に世間に知られたのは、1974年5月28日”海老原2世”具志堅用高(協栄)選手のデビュー戦相手としてである。高校生3年生でプロデビュー。間もなくキャリア1年を迎えようとしていた牧選手は、4勝2敗という戦績。

やり手の金平正紀会長の事であるから、間違っても負けない相手として、牧選手を選んだのだろう。

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具志堅vs牧。  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

高校王者は白星でプロデビューを飾る。しかし、その内容は期待はずれの感が強かった。ハッキリしなかった結果を受けて続くプロ第2戦目も牧選手と戦う事になった。今度は沖縄リングでの再戦であったが、またしても牧選手はしぶとく食い下がる。僅差の判定で具志堅選手は事なきを得るのである。

この結果を受けて、具志堅選手と渡辺トレーナーの長い基本練習の日々が始まる。

「最初に入った練習生がやるような事、ずっとやってたなァ。でも、感心したよ」

努力を惜しまなかった天才は、Lフライ級新設という運にも恵まれ9戦目で世界王座奪取を成し遂げる。一方、具志堅選手との連戦を落とした牧選手は、その間にピューマ光矢(M山上・後日本1位)選手にも敗れており、これで3連敗。だが、めげてはいない。

「欲がなかったけど、3連敗して新人王戦が始まり、やる気になった」

準決勝戦は引き分け。牧選手はかろうじて第31回東日本新人王決勝戦にクリンチする。対戦相手は大本命。将来のチャンピオン候補岡橋 勲 (SB川口)選手。17歳にして9勝(7KO)1敗という脅威の戦歴を誇る長身のスタイリスト・パンチャーである。

1975年1月24日。初めての6回戦。両選手フルラウンド戦い抜いた結果は引き分け。そして、1ラウンドの延長戦。牧戦選手のスタミナは切れる事はなかった。負けて当然といわれた男が勝者扱い。控え室で感激に胸をつまらせる。

「ただもううれしくて・・・、夢見たいです」


前列左下が牧選手。  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

”将来、彼がチャンピオンになっても、あるいは無冠のままでリングを去ることになっても、おそらくこの夜のことは忘れないほど強烈な印象となって、心に焼き付いていることだろう”。

順調にランキングを上昇させた牧選手がベルトを手に入れるのは、、1978年3月27日。絶好調が伝えられた日本フライ級王者加藤憲治(帝拳)選手を、後半息切れしながらも振り切って判定勝ち。デビューから5年の歳月が流れていた。


ついに日本王座獲得。  ★携帯ストラップに→【ミニグローブ】

15勝(3KO)8敗3分。雑草派の新チャンピオンが語る。

「今でも具志堅に負けたと思っていない」

「延長戦で勝った時の喜びは、日本チャンピオンになった時以上だったし、一番印象に残っている」

やはり、あの夜の事は彼の人生を変えるほどの強烈な印象を残したのだった。そして、つまずいたホープ岡橋選手は、ついに無冠のまま引退するのである。

王座防衛4度の記録を残し、牧選手のキャリアは終焉へと近づく。菊地マネジャーが牧選手の後釜にと期待した長谷川大二郎選手はいない。田辺ジム閉鎖以来、キクチボクシングジム を創設。牧選手に続くチャンピオン育成に懸命な菊地会長。

V10王者の父を指導した丹下段平が待つ、いや違う、菊池万蔵会長が待つキクチボクシングジム 。指導のキャリア、系譜は、長谷川チャンピオンへと受け継がれている。

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