亀田大毅選手が日本人最年少世界王者記録18才9ヶ月10日の記録更新を目指し、WBC世界フライ級王者・内藤大助選手に挑むことが決まりそうですね。
大毅vs内藤の日本人対決世界戦が8日決定(日刊スポーツ)
「大毅vs内藤」16日にも正式決定や(デイリースポーツ)
最年少記録保持者は、元ストロー級(ミニマム級)、Lフライ級の2階級制覇王者・井岡弘樹(Gツダ)選手。
「高校じゃ金が儲からない」
”浪速のロッキー”赤井英和選手に憧れ、高校は3日行っただけで卒業、プロボクサー一本に賭けた井岡選手。昭和60年(1985年)春の事である。
一緒に練習するはずだった赤井選手は、不運にも2月の試合で再起不能に陥り、入院中だった。
赤井選手は14連勝の余勢を駆って1983年7月7日、WBC世界Sライト級王者ブルース・カリー(米)に挑戦。7月7日で7回KOを予言していたが、勝負を賭けた7回に玉砕。
再起した赤井選手は、エディ・タウンゼントトレーナーとのコンビで世界再挑戦戦を目論んでいた。
狙うWBC世界Sライト級王座は、カリーの手からビル・コステロ(米)の手に移動。85年2月、元王者リロイ・ヘーリー(米)を破り3度目の防衛に成功していた。プロモーターは、ドン・キング。
ドン・キングに渡りを付けた津田会長は、赤井挑戦の約束を取り付けアドバンスを支払った。
10万ドル。当時のレートで2500万円。
しかし、赤井選手は世界再挑戦の前哨戦で再起不能。予想だにしなかった事態に陥ってしまった。
津田会長はタウンゼントトレーナーと共に渡米。ドン・キング、WBCスライマン会長にアドバンスの返還を求めたが、10万ドルは戻ってこなかった。
歴史を顧みて、何たる出来事、何たる不運と思うのは、無敗王者コステロは次の防衛戦で全く無名のロニー・スミス(米)に破れ王座転落している事実である。
次の挑戦者はスミスではなく、赤井英和のはずであった。
ただの負けなら、世界挑戦やれない事もなかったのではと思う。KO負けしても挑戦した岡部 進 (石川)選手、2連敗でも挑戦した沼田 剛 (新日本木村)選手の例もある。
しかし、再起不能では・・・。
ロニー・スミスは、初防衛戦でレネ・アルレドンド(メキシコ)に倒され王座転落。そして、来日したアルレドンドは浜田剛史(帝拳)選手にタイトルを明け渡す。
ほんとは赤井英和選手の番だったと今でも思う。
そんな事情など全く知らない井岡選手は17才の誕生日を待って、86年1月23日後楽園ホールでプロデビュー。3回KOで初陣を飾った。
「会長、この子は世界チャンピオンなりますよ」
エディさんは、最後の弟子井岡選手を引きつれ、協栄ジムにもスパーリングにやって来た。
そして当時のLフライ級トップ、喜友名朝博選手から見事な左ボディでダウンを奪って見せている。
「エディさんも熱心だったなァ。あれじゃァ、強くなるよ」
「あの子は世界獲ると思ったよ」
大竹マネジャーが回想する。そして、この時のエディさんの行動が余程印象強かったのか、後年同じ行動をしている。
先代会長亡き後、チャンピオンメーカーとしての勤めを果たすべく、まだヒヨッ子の佐藤 修 、坂田健史選手らを引き連れ、 沖 ジム、真闘ジム等に出稽古。
「試合のつもりでやって来い」
二人は世界王者となった。過保護には育てていない。
そして、この時の戻らざるアドバンスが、井岡選手、最年少王者へのきっかけとなる。 -続 くー
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