何をしたかあまり覚えてなくて寝て、
そのあと夕方頃に起きた私は例の『識別タイム』に遭遇したのです。
ちなみに今日の葛藤の形ある対象としては、
『夕飯をトンカツにするか唐揚げにするか!!』
でした。。。。。
そして『ここに答えは無い……』と悟った私はその二者択一の状況を捨て去り、外に出て頭を冷やすことにしたのですね。。。
その時にみた景色がこんなの🌨️
雪が降ってると夜でも少し明るいのですよね。
この仄暗くて遠くに灯りが見えるという光景は、まさにその時の自分の心象風景を表したかのようでとてもとても心が慰められ癒されるような気がしたのでした🌸
……そして私はなぜか5年前…………いや6年前の同じ時期のことを思い出していたのですね。。。
当時はまだ働いてたり東京で元カノと同棲中で、
そして覚醒を促される時期のような、とにかくとにかくとにかくストレスや圧力(?)のような物が多い時期だったと記憶にあります。
……
『こういう時期』の自分ですね~……『人生を死ぬほど考え抜く』とか、
実にそれっぽいタイトルだと思いますよ?
同じ自分の記憶がある者として純粋にそう思いますよ(笑)
……しかしこの時期の自分が『一番人間らしい』と感じるのですね、読み直してみると(*゚∀゚)
人間としての私らしさって、こういう物だったんだろうなって思うよ⚡
そこでも既に『随分遠くまで来たものだな……』って思ってたのに、その先に更にそういうことやああいうことなんかが連綿とずーーーーっと続いてゆくわけで……
/(^o^)\
………………なんだろう、ある一部のレベルでは自分の意識が全く変化してない気がするのですね
もちろん今でも(*゚∀゚)💥
そして私は、幸いなことに、ついに、
『なんでこんな知られたくないと感じるような自分の弱点とか未熟さについて書いて公開せにゃならんのじゃ!?』
という疑問への明確な答えを得られているのだと気付いたのですね。。。
それは説明しにくい概念な気もするけど、
つまりあれなのです、
自分が罪や弱さや闇だと恐れているすべてを明らかにして光の元に引っ張り出して、そこにあると思っていた闇のすべてが本当に見えなくなって感じられることがなくなった時に初めて、
そんな物は罪でもなんでもないし闇だったとしても完全に消え去ったならただの幻覚でしかない
っていうプロセスなのですね!!
……前回貼り付けた動画の中でフランセスさんが語っているように、
聖霊に対して24時間いつでも心を開いていようと決意するのなら、遅かれ早かれ自分が闇だと思い込んでいるすべての恐れや分離を映し出すイメージを取り消してもらわねばならんといつしか気付き必ず受け入れる時が来ると思うのです。
そう、だから私はわかったのです。
同じ道を進む者は私が理解できるのだと。
だって、それはとてもわかりやすいから(笑)
シンプルだし唯一なものなのです。
例外なく徹底なのですね。
……っていうか思いますもん、
こういうことを正面から見つめている時ってこういうことを誰かに理解してもらいたいとかいう概念は有り得ないんだって。
……聖霊を延々と頼るんですよ?
分離の記憶が見える限りは、延々と何度でも何度でもお祈りするのですよ???
聖霊と神とか愛の記憶以外のことを考える隙間なんてあるわけない。
『誰か』は見えないのです。
『何も見えないしなにもわからない』の状態が延々と続くだけですから(*゚∀゚)✨
ちょぉぉぉぉぉぉっとでも意識が途切れると
『そんな生き方をするのは狂気だ!』って思考が見えてくるのですから(笑)
……そして私は、また何もわからなくなってきたのですね…………そしてそれは、自分が知っていると思っていた何かが聖霊によって識別されたことに気付き始めたという合図だと考えてもいいみたいなのですね……
そして私のエゴ的な自分の結論は既に出ているのですから。
『私はすべて神と愛の記憶へと溶けて消え去ってしまいたい……』
というのが最後の言葉って感じですね(*゚∀゚)✨
……そんなことを気が済むまで繰り返して、
ある時聖霊に質問することを思い出す!!
そこが終着点ですね。
到達おめでとう、ってして終わりです。
だからこの記事だって同じ。
執着に付いたら消え去るのみなのです。
さらば私と世界の記憶よ………………
ってのを、『見えるものすべて』に対して延々と繰り返し続けていけば、何万通りものパターンがあるように思えている幻想も少しずつ取り消され減ってゆくことでしょう。
それが赦しの道を生きる上で、時間の中で進めてゆくべきプロセスだと思うのですね。
なんかもう記憶喪失になる感覚を自然な物として受け入れてゆくことこそが幸せな気がしてるのですね( *´艸`)
そしてそれは図らずも、かつて自分が知りたかった今この瞬間を生きるという物の実際だと感じられるのですね。
だからそう、この世界のすべてを通りすぎてゆけばいいってのはとてもわかりやすいのですね✨
幸いなことに通りすぎてもまた別の何かが見えてくるのですから、既に次の世界とイベントが用意されていると思えば別に今ある世界が消え去ってしまってもなんの問題もない気がしてくるのですねヽ( ・∀・)ノ
そんな時こそ私は明言しましょう。
別に人間に見えなくてもいいし、
別に男性に見えなくてもいい。
そんなのは些末なことです。
私は自分が真に探し求める存在がなんなのかをこの上なく知りたいのですから。
それがなんであっても構わないのです。
ただ私は純粋に知りたいのですから✨
私が見えるものはそれだけでよいのです。
だって、それ以外のすべてはちゃんと過去に置いてきてるから✨
完了した物は手放していいのです。
人生なんてどうせ何を手放した所で『次が詰まってる』のだし、手放した所で別の何かが勝手に戻ってくるのですから(*゚∀゚)
私だって『やりたいこと』とか『やった方がいいであろうこと』とかいくらでもあるのですから。
どうせなら果ての果てまで行ってから考えるとしましょう☀️
だからそれまでは判断は保留して神に丸投げ(正しくは聖霊に)しましょうヽ( ・∀・)ノ🌠
どうせたどり着く結論なんてそれなんだから(笑)
いつどこで何をしてても大して変わらんよ。
……そしてまた今の記憶を失った次の私が別の何かに見えることを始めるのですね。だからその時々で自分の役目が終わり昇天したり愛に溶けるとか考えた方が幸せかもしれませんね。
そうして誰も居なくなった……って写真だよね(笑)
🌟結論🌟
今日も同じく赦しの道を進んだ私が選んだ
夕飯は鶏の唐揚げでした。
(画像なし)
……最後に残る事実はたったそれだけだったのです/(^o^)\
わかりやすい形ある中身を求める人間には1行で充分な話なのですね( *´艸`)クスクスクスクスクス
『……これ、なんの意味もなくね?』
そう思った私に返された答えは
『なにもなくて良かったですね!』
というものでした。
そして私にはそれがなんのことなのか全然わからなかったのです。
…………あぁ、そういえば自分がしがみつこうとしてる無意味で無価値な幻想らしき物が本当にそうなのかを完膚なきまでに理解させて欲しいとお願いしたんだっけか
(゜Δ ゜)普通に完全に忘れてた。
あ、そのための題材だったのですね!!
教えてくれてありがとうございましたヽ( ・∀・)ノ
そうしてこの画像もこの記事もただの映像になったのだった……