「クリスマスは恋人と過ごすべき」ってどう思うよ? | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私が実際に幸福で豊かな人生を目指してゆくディバインマスタリーなブログ~

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14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

書きづらい話だ。実に書きたくないものだね!!



それが世間の常識?
クリスマスを誰か自分以外の素敵な人と過ごしたいと言われたら、どうするよ?

…そうだ、オレの現在の状況だ!!(゚Д゚#)


ってわけで意識の整理と統合のために語ります。
確かに普通に考えたらそうなるよな。付き合ってるのに別の異性と過ごしたいだなんて言われたら、頭が沸いてしまうことは簡単に想像できる。
だがしかし、これから一生、自分とクリスマスを過ごしてほしいとしたら、「クリスマスを他の異性と過ごすことを許してくれた」ということはずっと記憶に残ると思わないか?

マジオレ超器でかいじゃん!?
…みたいな話で霊的な観点とか高い意識の側から見たらすごい下らないとも思うけど、
でもそれくらい相手を信じて自由にさせてやるのって愛だと思うんだ。むしろ本当に愛しているというのならそう言ってきた恋人の主張を「なに裏切るの?人間としてクズじゃん」とか言わずに理解を示してくれる人間が自分のパートナーだったらさ、自然と大切にしようって思えるじゃん?
だってそれだけ自分のことを信じてくれる相手が一体どこに落ちているというのかね?
そういうのは長い年月をかけて得られたお互いの理解や信頼関係ってのがないとムリでしょ?

それならさ、やっぱり、自分の愛に従うんだったらさ相手の意志を尊重してあげたいと感じるわけよ。愛の意識としてはね?


…で、ここからがいつもの話ね?(笑)

それが愛だと知っているのなら、じゃあどうやって自分の中にある「でもクリスマスだよ?せっかく恋人がいるのになんで一緒に過ごせないんだよ!ヒドイ!」
とか思う自分をどのように扱うのが一番最善だろうか考えたいというわけだ。

いわゆる愛だとかそういうのに目覚めてくると、どうやっても、そういう「崇高な意識」とエゴとかよく呼ばれる「一人の人間としてはそんなの当然だろ?」みたいな意識のどちらもあるわけで、たいていエゴの方を否定すると猛烈に欲求不満に陥るわけだよ。もちろんそれで心がギクシャクするわけです。

でも心は、魂は知っている。
愛があるというならそちらを撰ぶのが自分が真に求める関係に近づくのだと…
思えばオレの人生はこの、通常の人間としての意識と宇宙や物事の流れとかを俯瞰して眺めた時に望ましいとわかる行動をどのようにバランスしてゆくかということでばかり悩んでいる…。


自分の高い意識に目覚めると、必然的にエゴの部分も同じくらいの意識に育てていかないと、精神がやられてしまうのですよw
だから人間としての意識を鍛えるってのは、スピリチュアルな生き方を実現するには必要不可欠だと思うんだよオレは。もしそれをしないって言うなら、自我を高次の意識に同化させるというやり方…すべてを手放すとか委ねるとかああいうやつ。そういうやり方になると思うんだけど、
オレは人間としての経験が欲しいんだよ!波動を上げまくって自分の心の中に至福の世界を実現しても肉体も目の前の世界も残るんだよ!!
そういう目の前にあるものを否定して生きるのはこの人生に相応しくない。だからなんとか高い次元の意識を保ちながらこの3次元的な世界を余裕で渡り歩いてゆけるだけの自力が欲しいんだよ。

語った…語ったよオレ。



で、愛のある話に戻りますね?(笑)


だってどっちかで言ったらさ、
「いいよ、君が望むまま感じるままにやってみるといいよ。僕は君を愛しているから君の望むものなら否定しないし信じて見守っているよ。でもやっぱり一緒に過ごしたいと思ってるよ」
ってくらいの人がいいと思わない!?
(そんな恥ずかしいセリフを瞬時に言葉にして発するにはオレはまだまだ経験が必要だ(  ̄ー ̄)

でも思っちゃうよね。
確かに恋人だって一人の人間で自由に生きる権利がある自分の持ち物でもなんでもないのはわかってるけど
「それでもやっぱり自分を一番に選んでほしいんだよぉ~(´;ω;`)」

って。


…そういう意味では本当にオレは若くて幼い。
わかってることと自分が望むものがまだまだ一致してないし、望ましくないと感じる現実を受け入れ処理するのにも時間がかかる………。
究極的には相手を真に愛してさえいれば、どのような振る舞いをしても自分の中にある愛を見失うことなく常にその意識に従って思考し行動できるんだろう。そうすれば自然に相手も自分の愛に答えるだろう…真の愛の前ではあらゆる幻想や偽りは消え去るものなのだから。。。
だからそのような者が聖人として語られるわけだ。
だってその人が居るだけでみんな影響されて真の姿をあらわすようになるから…。


いかにも若い人間の苦悩って感じだね(苦笑)
どうやら明日には帰ってきてくれるらしいのだが…



自らに問うべきはこれだけだな、
彼女を愛しているのか?
彼女を愛そうとしているだけなのか?

…そういう微妙な意識の違いってのがまったく違う現実を生み出すんだってさ。
そうなんだよ。愛してるから信じて見守るよ!!


…ある意識では、
クリスマスだからってなんで恋人と一緒に過ごさなきゃいけないってのさ?どうせ不安とか孤独を感じてのことだろ?それならもっと自分のことを愛せよ、そっちの方が現実は変わるだろ?
不安だからって自分を求める人間に魅力を感じられるのか?違うなら自分が一番相応しい生き方をしろよ?

って。
それがマスターの意識ってやつですね!わかります。


所有とかさ、確かに人間は物じゃない。
でもその思考の歪みを正してゆくのにも時間とエネルギーが必要なんだよ。
だから焦らずに生きようじゃないか。どうせすべては最高最善へ続くのだから…そうだろう?
って自己対話でした。

彼女を愛してるという意識に相応しい思考と行動をできるように、する!そして、なる!!


終わり