自分の人生の構造…パターンや理論が見えてくるほどに、決まりきったパターンで分析するのには限界があるのだと思い知らされる。
自分のために行動することに挑戦しているのかと思えば次の瞬間には周りの人々のために生きられなければ苦しむような流れがやってくる…
すぐに感覚的に行動を起こすと失敗するからといって、いくら情報を集め続けたって完全に分析し尽くすことなんてできやしない…
右だと言われて進んだらいきなり左になる。
それに対応できないと道を踏み外して痛い目に遭うのだが………
なぜこんな人生を選んだのだオレは?
自分のために生きるのが正解なのだろう?
世の中のために生きるのが正解なのだろう?
それはわかる。
でも、それをどうやって実現しろと言う?
自分の願いが他人の為になり、他人の為に生きることが自分の幸福になるなんて、
そんなことは本当に実現できるのか?
自分の為に生きていいのだろう?
なのになぜ我慢しなければならない?
なぜ他人に道を譲らなければならない?
他人に道を譲りながらもそれでも自分自身を満たしてゆけだと?
本当にそんな生き方が人間にできるのか?
…だから人生は長い、か。
無茶言ってるのは誰にだってわかる。でもだからこそ引き受けなければならないのだと、わかるはず。
他の、誰かなら、できるのかな?
…本当に魂はこの人生を理想に捧げたのか。
わからない。
とても自分にそんな生き方ができるなんて、信じることも理解することも困難だ。
本当に、オレの意思は魂の願いと同じものなのだろうか?
自我の領域をまた理想のために無理矢理に切り捨ててはいないか?
本当に最高最善を求めることがオレの人生にとって最善であるのか?
それすらも破り、新しい生き方を求めるという生き方は許されないことなのか?
わからない。
まだ今の自分では見極められない…
生き急ぐのに疲れたなら、自分自身を満たすことに集中しよう。
無理矢理に意識をつくりかえるなんて付け焼き刃で真のライトワークなどできやしないのだから。
偽善でも偽悪でもないもののために
委ね、捧げることは正しいのだろうか。。。