蒼空日記 -15ページ目

蒼空日記

しあわせダイアリー


毎晩、娘の寝顔食べながら、
ずっとこうしてたいと願います。

あんま早く大きくなんないで。


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まなちゃんがどっかの港で一万円くらいのマグロの切り身見て、
その値段に固まっていたから、
つい、

「まなちゃん。あんたならいくらでも買えるよ・・・」

と、いらん事つぶやくと、
娘、

「おかあさんは貧乏だから買えないけどね。変な顔してるし。」


・・変な顔関係あるか?


いらん心の傷を負いました。








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娘。
激しい反抗期を迎えております。
笑っちゃうほどしんどいです。
いとおしいです。




みつをの丸文字が、
襲いかかる炎みたいに見えます。
よく目にしたこのひとことを、
こんなにも重く捉える日がくるなんて思いもしませんでした。

幸せです。




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うちの近くの山のふもとの、とってもおいしいピザをたらふくご馳走になり、

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娘の自転車を買い、
娘の満足気な顔に幸せを感じ、
今日はお腹いっぱい胸いっぱいでしたー

ささやかな贅沢でも感謝。




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娘。帰りの幼稚園のバスから降りるや否や、その場に身につけているもの全て放り投げます。
帽子、かばん二種類、
時には髪についたリボンまで。
毎日私が拾い集めて家に入ります。
一日中頑張った娘にとっては、何かから解放された心の表れなのでしょうが、
今日は、怒ってみました。


娘、低い声で、
「うんこババア」


口が悪いのは私のせい。
でもこのタイミングで笑ったら負けだ。

私は無言で家を出ました。
お母さんは、怒ってるんだぞ。

娘、おかーさーん!と泣きながら裸足で追っかけてきました。

たまらずに二人でだきしめあいました。
だっこしながら、しばらくの間紫陽花を見ました。
まだ涙のたまる笑顔が、
いとおしすぎて涙が出ました。


なにこの間抜けなシチュエーションは。
ちゃんと怒れずにまた自己嫌悪。


でも明日の帰りのバスでは、
今日の事思い出して。
荷物をブーメランにしないって、うんこババアは信じてる!


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娘の柔らかな可愛い手をさすればおばあちゃんを思い出す。

二十歳の時に亡くなったおばあちゃんは、
オセロが大好きだった。
セブンスターが大好きだった。
人が、大好きだった。

私はおばあちゃんが大好きだった。

おばあちゃんはいつも、私の手を、痛いくらいさすった。

きれいだね、きれいだねって言いながら。

私の手をさするおばあちゃんの手は、
ガリガリで、ごつごつしていて、血管が浮き出てて、黒っぽくて。
あの感触は、今でも覚えてる。

生きるためにとても苦労した事は母親から聞いていた。
勲章だと思った。

私はおばあちゃんが離すまで、いつまでも手を離すことができなかった。



おいしいものを食べると、
これを食べさせたかったと、もういない大切な人を思い涙が出る。
何気ない食事にとても感謝する。

もっとこうすればよかった、ああすればよかった、
いくら思っても、
いくら後悔して会いたいと願っても、
いろんなこと、謝りたいと願っても、
おばあちゃんはもういない。

おばあちゃんの手に触れたくても、
おばあちゃんはもういない。




今あなたのそばに大切な人がいるなら、
たくさんたくさん、手を握ってあげてほしい。
たくさん伝えてほしい。


愛していると
ありがとうと
伝えてほしい。















浜松の「杜のふう」
ばーちゃんチョイスです。

食事から、

優しさとか、
こころづかいとか、
繊細さとか、
愛情とか、

そんなのをまとめて全部味わう事ができたのでした。

とにかく感動しました。

野うさぎが、覗いて見てました。


ばーちゃんありがと!


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 この歌が私に染み込んでいる理由が今日わかりました。
お父さんは、よく口ずさんでいた。

今度この歌を歌いながら、
一緒に、亀石峠を越えよう。

幼い頃の思い出を探しに父親を誘いたくなりました。

 

 

以下は、数年前に父親が、教職員の退職互助会の機関誌に載せたものです。

 

みかんの花咲く丘

 

故川田正子の音楽葬が行われた時、教え子たちによる「みかんの花咲く丘」の合唱が厳かに響いた。
昨年一月、心不全のため亡くなった川田は、享年七十一歳だった。

八歳でデビューし亡くなる前日も、長崎県五島市で童謡を歌っていたので、まさに童謡一筋の人生だった。

同世代の私は、戦後ラジオドラマで川田が歌う「鐘の鳴る丘」の主題歌、「とんがり帽子」
が流れると、一緒に合わせて歌った事が懐かしい。
川田の「里の秋」「お猿のかごや」など、数あるヒット曲の中で、「みかんの花咲く丘」は、童謡の名曲中の名曲として、今日まで歌い継がれている。

歌手の由紀さおりは、「曲は八分の六拍子だが三拍子のように聞こえ、軽快で当時としてはお洒落な曲」と評している。

子供の頃、女の子たちがこの曲を歌いながら手の掌を合わせ「せっせっせ」と手遊びしているのを見掛けたこともあった。

孫が四歳になったばかりのとき、風呂に入りながら、この曲を教えたらメロディーはすぐに覚えてしまった。
軽快なこの曲は、誰もが魅了させられる童謡なのである。


「みかんの花咲く丘」の作曲者は海沼実で、川田が所属している「音羽ゆりかご会」を主宰していた。

戦後まもない、昭和二十一年八月、NHKラジオ「空の劇場」という番組が、東京と伊東を結ぶ初の二元生放送が、現在の伊東西小学校で行われた。
川田の、軽快で弾むような明るい歌声が全国に放送され、敗戦による虚脱感に打ち拉がれていた多くの国民の心を癒したのである。

実は、この童謡は、放送日の前日に誕生したというよく知られたエピソードがある。
海沼はNHKから「番組で川田に歌ってもらう、静岡らしい童謡を作ってもらいたい」という依頼がきていた。
しかし海沼は、静岡という詩のモチーフが掴めず困り果てているうちに、とうとう放送前日になってしまった。

たまたまその日、雑誌「ミュージックライフ」の記者であり、「かわいい魚屋さん」でヒット曲を出した作詞家でもある加藤省吾が、人気絶頂だった川田の取材に来ていた。

海沼は、加藤が静岡県富士市出身であることを知っていたので、救いの神とばかり作詞を依頼した。
加藤は短期間では無理と一旦は断ったが、海沼に説得され、故郷静岡の風景を思い浮かべながら、三十分足らずで一気に詞を書き上げた。
この時、詞は一番と二番しかなかったので、海沼は三番を付け加えてくれるよう頼んだ。

一番、二番は静岡の風情であったが、三番は「やさしい母さん思われる」と自分の母への思慕を詠った。

加藤は十一歳のとき父母と離散しているし、母を戦争で亡くしたという境遇にあった海沼は、
出来上がった詞を携え、川田と共に伊東へ向かった。
列車の中で作曲にとりかかり、車窓に海が見えてきた大磯あたりで出来上がった。
伊東の旅館で、川田に口移しで必死に教え、翌日の放送に間に合わせた。

川田の歌は好評を博し、後にレコード化され大ヒットした。

この頃の日本の世相は、町は殺伐とし、人々は食糧難、失業などの生活難にすさんでいた。

だが、GHQの政策もあったせいか、ラジオからは陰うつさを打ち消すかのように、毎日明るい歌が流れていた。

海沼が主宰する「音羽ゆりかご会」の合唱は代表的だった。


余談だが、私は小学校の時に兄に「おまえは音羽ゆりかご会の出身だぞ」と言われ驚いたことを覚えている。
これは兄の勘違いで、私が音羽幼稚園の卒園生だったので、そうだと思っていたらしい。

だが、このことがきっかけで卒園アルバムを見て、海沼が音羽幼稚園の音楽の先生だったことを知った。
くしくも、アルバムに先生と一緒に撮った写真も載っていたので嬉しく思った。
当時のことは何も覚えていないが、教えていただいたことを誇りに思っている。


亀石峠から、伊東側に少し下った海が見える所に歌碑が立っている。


私は伊東に十三年間住んでいたので、ここを通る度に、「みかんの花咲く丘」を口ずさんできた。

ここから見渡す、伊東の青い海は、生涯忘れられない。


http://ameblo.jp/sshbond/entry-11267467373.html

 

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あっ ひめだ


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えっ おひめのともだち


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育児に関しては、
のんびりしすぎてるとおこられます。

もっと、もっと先回りする事が親の務めだと。

雑念をとる努力をしてみたら、
娘が生きている事が奇跡で、
手を繋いで歩ける事があまりに素敵なことで、
愛おしくて、
それに感謝すれば、
娘に多くを望まなくなるのです。

私自身、幼い頃から能力とは伴わないまわりからの大きな期待に応えられず、自分に勝てなかった人間です。
そんな人間が正しい答えなど見つけようがないのです。

ただ、娘が生きていてくれている事がどれだけ素晴らしい事か、
感謝すべき事か、
立ち止まり気付く事ができた。
こんなどうしようも無い自分に、命がけで教えてくれた息子にも支えられ、
私なりに歩いております。




娘よ。
一番前に出てこれなくてもいい、
着替えがいつもびりっけつでもいい、
どんくさくて、みんなの輪についていけなくてもいいの。
はじかれても笑ってるあなたがお母さん、大好きなの。

おしりをたたくことは簡単だけど、
もう少し、お母さんにそっくりな今のあなたといたい。

毎日そうちゃんに優しく話しかけ、
枯れた花にいち早く気付く、

お母さん、その優しさを大切にしたくなるの。
お母さんの勝手な感情が、
あなたの一番輝く部分をつぶしてしまうのが怖いの。

正しい事なんて誰にもわからない。

あなたの歩幅で、
あなたのいちばん輝く笑顔と、
ずっとずっと一緒にいさせてください。