坊さんとして暴走してます。No Buddhism , No Life! -12ページ目

坊さんとして暴走してます。No Buddhism , No Life!

No Bnuddhism , No Lifeをテーマにして面白いことを画策してます。

さて、昨日は月に一度の演芸デー(笑)
鈴本演芸場へ7名の団体鑑賞でした。
柳家さん喬師匠はじめ、柳家喬太郎師匠、古今亭菊之丞師匠などなどの話芸をたっぷりと。紙切りの二楽師匠の時、ご常連の方々に圧倒されてリクエストが出来なかったのが残念でした。演芸体験3回目の友人(女性)が春風亭一之輔師匠に惚れ込み、「嫁になる」と息巻いていました(笑)

鈴本演芸場でも大量に飲酒し、16時30分の終演後には当然、上野の町へ。
で、まず向かったのは「まきしま酒店」さん。
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ここは東京では珍しい「角打ち」が出来るお店です。
そこでサバ缶などをつまみに一杯。
おいしい日本酒をコップ酒で頂きながら、味わい深い大将との素敵な時間でした。大勢の人数で行ってましたので、ご常連がお越しになられた時点で退散。あーいうお店はサッと飲むのが粋なのでしょう。看板猫くんに萌えながらの一杯でした。
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で、2件目は「みこし」さんへ。前回の演芸ツアーで同行のN師が店構えのインスピレーションのみで決めて入って、実に楽しく過ごしたお店です。今回も素晴らしくまったりとした時間。ご夫婦で営まれており、その雰囲気は最高です。

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ここはカレーが味わい深いのですが行った時点で本日分が売り切れ。ただ、明日の分を仕込んでいて店内にはカレーの素晴らしい香りが(笑)で、「残念~」とか言っていると「これは寝かしていないのだけど」と牛すじカレーを特別に出してくれました。

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みんなでつまみましたが、最高の味でした!そこに合流者も加わって、3件目へ。
これも前回の演芸ツアーで行ったタイ屋台料理の「メーアン」さんに。
ここでもにぎやかに(笑)
ただ、メンバーの風貌、店の雰囲気も相まって「麻薬取引をするマフィア」っぽい感じに(笑)
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怪しすぎます(笑)
おいしいタイ料理で幸せな時間でした。
なにはともあれ、素敵なメンバーで楽しい演芸&飲酒ツアーとなりました。
2月1日より「攻殻機動隊 S.A.C.」が新作の制作記念ということでYOUTUBEで無料公開されている。DVDも持っているし、散々に視た作品です。でも、視てしまうのです。テレビで「天空の代ラピュタ」を放映すると、思わず視てしまうのと同じことなのかもしれない心理状態なのです。
で、昨日はかなりバタバタとした一日だったけど、ふと出来た時間で視ようとしてYOUTUBEにアクセスして、ドン引きしました。

某女性アイドルの丸刈り姿がトップ。

ネットの話題等々で知ってはいたけど、ありゃ、なんとも、引きますね~。
あれを体罰等々で結びつける話題もあるし、本人の意思だから云々等々など賛否両論のようですが、僕としては、やはり、気分の良いものではなかったです。
ファッションとしてきれいに女性が丸刈りにしているのは格好よくもあり、素敵だなと思えるのですが、まばらな刈り方で、しかも暗い表情。見ていて気分の良いもんじゃないですね。
見るからに懲罰を受けていますという感じで。
本人の意思とはいうけど、公式チャンネルにアップできたということは、その操作をしたスタッフなり、それを許可した人がいた思われるんですよ。
アイドルが自分の判断で公式チャンネルにアップできる無法状態というのはありえないんですよ。
ということはあのいかにも懲罰的な荒い刈り方の姿の動画を見て、ストップをかけなかった人がいたという事なんですよ。
女性アイドルが突発的に刈って、スマホのカメラなんかで撮影して、個人のアカウントでアップしたというのと違うんですよね。
もし、僕がスタッフの立場ならアイドルがそういう行為に出たら、動画なんか撮りませんし、当然に公開なんかもしません。
そういった所も含めて極めて「ドン引く」映像となりました。

まぁ、そのあとの草薙少佐でスッキリしました。丸刈りどころか全身義体のサイボーグな人でした(笑)
少しでも良い事を言おうとすると「偽善者!」や「騙してみぐるみをはぐ気だ!」などと絶賛される僧侶の僕です、グーテン・ターク!

先日、愛する我が大月市の鳥沢町にある中華料理屋さん「喜楽」さんにラーメンを食べに行った。煮干しが聞いて美味いし、地域に愛される町中華なお店と聞いて、酒場ライターの僕としてはチェックする必要があったので。ただ車で行ったので飲まなかったけど。

で、ラーメン。噂に違わず美味い!いや、旨いと言った感じ。なんともホッとする味で、また食べたくなる。
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嫁さんと一緒に行ったのでシェアするつもりでチャーハンも。
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チャーハン坊主(自称)の異名を勝手に名乗る僕としては、少し残念な感じ。具なんかがゴロゴロ入っていて美味しいんだけど、うーん、微妙。ラーメンが美味しかった分ね。けど、土曜日の昼に義本新喜劇を見ながら食べたオカンが作ったチャーハンを思い出せる。

で、そんなこんなでランチを楽しむ僕ら夫婦の隣のテーブルにお年を召した女性が二人。相当に高齢だと見受けられた。

僕としては「あー、地元で愛されてるお店なんだな~。久しぶりに尋ねてきた友人と、ちょっと気分を変えて外でお昼ご飯を食べに来たのかな~。」と勝手に脳内劇場が演じられている中、女性お二人が注文。

「ビールと焼酎お湯割りと餃子」

二度見しました(笑)
変な事でもなんでもないんだけど、なんか素敵だな~と思って。
なんかお年寄りは静かに日向ぼっこしたり、茶飲み話したりしているというイメージがある気がするんですよね。もちろんそうしたい人はすれば良いけど、遊びたい人はもっと昼からお酒のんで、色々楽しんで欲しいと思います。色恋沙汰もあっても良いと思います。
しかし、そういう場が結構少ないのかもしれません。
お寺の本堂でお酒を飲むのは無理ですが、どっかお寺で「角打ち」的に集える場所を作れたらと思ったランチタイムであったことです。
さて昨日は「僧職男子に癒されナイト」でした。
月1回開催のペースで開催してきましたが、まもなく開催して約2年経過。他人事みたいな言い方ですが、よく続くこと(笑)
当初からは色々と変わりましたが、今となっては「銀座という人々が行き交う場所のオシャレなビルに月に一度は仏教の道場が出現する」というのが定義で、やっていることは「読経して、法話して、食事して、会話して」というどこのお寺の法要でも見られる光景。ただ、ちょっと気軽な感じの味付けをしているぐらいです。

内容自体はいつも通り(笑)
ただ、せっかく用意してもらった「百人一首」を使った「坊さんの坊主めくり」という、言いたいだけやん!という企画はサックリできませんでした。色々とお話が盛り上がっちゃいまして(笑)

で、そのあと。
10時すぎに閉会して、終電までの時間。お坊さんとギャラリーのスタッフでダラダラとお話をしています。残ったお料理とお酒での小宴会(笑)
そこでも色々とお話するのですが、これがかなり面白い。仲間内の話をしてではなく、外部の方が横で聞いていても面白い。
有り難い話や下らない話。きわどい話や嘘みたいな話。
もちろん、永遠に公開されることの無い話ですが(笑)
そんな雰囲気の中でも「どうやったら、もっと魅力的に伝えることが出来るか」という事に対しての色々な意見。
昨日は僕らが夏頃のイベントでつかんだキッカケが形に出来そうな感じを受けました。
決して奇抜なことをやるのではなく説明すれば誰でも簡単に想像できるものなんですが、凄く面白くいものになりそうな予感。

もう少し練って、どこかでやろう!という話になりました。
さてさて、どこで「封切り」となりますでしょうか。
あけおめ。ことよろ。
元旦です。

めでたいです。
なんで、めでたいんでしょう。
一切の文献へ尋ねずに考えてみようと思いました。

ザックリというと新年の元旦って「生」だと感じるのです。
「なま」ではないです。
「せい」です。
けど、「しょう」と呼びたいところです。
「生死」の「生」です。
数え年では元旦に一歳づつ年をとりますしね。


卑小な自分の身で把握できる大きな「生死(しょうじ)」はまさに自分の一生です。
生まれて、死ぬまで。
対して把握できる小さな「生死」は「息」だと思います。
吸って、吐くの繰り返しはそのまま「生死」の繰り返しとも感じることが出来ます。
もう少し大きい「生死」は「一日」でしょうか。
寝て、起きての「生死」を繰り返し。

その中で「年が変わる」という新年は、自分で捉えることができる「生死」の中でほどよい「希少感」があるのだと思います。
そして今ある「生」の喜びがそのままめでたさを感じる理由なのではないのかと。
でも、ただめでたいめでたいと終わるようでは大変にもったいないことです。
元旦はこの繰り返しの「生死」をわかりやすい「希少感」で私に問うてくれます。
ただなんとなく「めでたい」というのではなく、この瞬間に「いのち」がある喜びをめでたいと味わう。
「生死」の繰り返しは日々の息のレベルで繰り返していることを感じ、その繰り返しの先にある世界に思いをはせる。
でも、吸った息をかならず吐くことが出来る保証はありません。
元旦は、いまこの瞬間に「生死」の繰り返しを止めるかもしれない我が身の「現実」も問うてきます。

初詣は「賽銭をいれて、我が身に都合の良い欲望を、仏に叶えさせる」場ではありません。
佛様の前にひれ伏し、我が身を見つめ直す場です。
見つめれば、見つめるほど、弱く、儚い我が身です。
そんなに儚い身であるのに日々の息すら大事に味わうことの出来ない驕った身です。
驕り高ぶる身であるがゆえに「生死いづべき道」を考える事のない日々です。
そのような日々を送る私の前におわします佛様は「そのままで来い」と呼びかけておられます。
いや、今この場に来た私に言うのではなく、その前から、そして私がどこ行こうとも私の傍にあり「そのままで来い」と呼びかけてくださいます。

元旦こそ、佛様にお参りし「南無阿彌陀佛」と味わう日でありたいと思うことであります。