闘狼荘日記

闘狼荘日記

乾坤を其侭庭に見る時は 我は天地の外にこそ住め

Amebaでブログを始めよう!
小倉城下紫川畔の灯籠流し。


我が父と叔父貴を同時に見送った。
ご時世とはいえ、筏に灯篭を乗せて川面に固定したままで「流れない灯籠流し」を企画する行政の考え方と云うのも如何なものかと思うけれども…死者には何の責も無しなのは言うまでもない。

親父の灯篭の灯が消えた時に、親父が「もう帰っていいぞ!」と言っているように見えた(笑)

親父、叔父貴、初盆で忙しかったでしょう。
ゆっくり休んでください。

灯籠の あれが父かと 見送りつ 消えぬ灯りに 袖を引かれむ














大東亜戦争の名言・格言より引用

広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。

日本は投下される何の理由があったか。

当時すでに日本はソ連を通じて降伏の意思表示していたではないか。

それにもかかわらず、この残虐な爆弾を《実験》として広島に投下した。

同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。

そこに人種的偏見はなかったか。

しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない。

彼らの手はまだ清められていない。

こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか

ラダ・ビノード・パール 
(インド、裁判官、極東国際軍事裁判判事)

















昭和二年正月に撮影した古写真を発見。
朝鮮の曽祖父の別荘にて撮影されたものと思われる此の写真は、祖母方の実家で保存されていた。当家と祖母方の親類縁者が写っている。

当家は引き揚げの際に殆どの物を紛失もしくは放棄しているので非常に貴重な一枚と思う。



後列左から二人目が私の曽祖父、同じく後列左から四人目の無帽でロイド眼鏡でスーツを着用した人物が私の祖父で、いかにもインテリ然とした印象だ。
前列左から二人目が私の大伯母、同じく前列左から三人目が私の祖母と生後間もない父の長兄。前列中央の紋付を着た人物が祖母方の私の曽祖父。
此の写真は昭和二年の撮影なので我が父はまだ出生していない。

ざっと確認した顔ぶれは内地在住だった祖母の実家の方の親類縁者が、当家の者よりも数が多い事を考えれば、昭和二年当時では内地同様に人々が気軽に朝鮮と往来していた事を伺う事ができる。また既婚女性の服装は和服に日本髪が、ごく普通だったのだろうと認識できる写真は改めて新鮮に目に映る。







私の父はC型肝炎を三十年来も長患いし、壮絶な闘病の末に現在では肝不全の末期症状に加え肝臓癌を併発して、医師に言わせれば手の施しようもない状態である。以前にも書いたとおり薬害肝炎の疑いが非常に強いが、其れに対して恨みつらみを言いもって何処ぞの左翼政党の集票目的の人間広告に成る積もり等父には有る筈も無いが・・・。

父は此の病気を発症してからずっと地元の公立総合病院に掛かっている。私から見れば此の病院の患者に対する対応は如何にも公務員的且つ事務的でロクなところでは無いと思えるが、父の担当医の前任者は大病院の医療従事者には珍しい様な人格者だった。しかし其の先生は過酷な過剰勤務が原因と推測される自殺をして既に他界されて居られる。何とも言い様の無い大病院勤務医の闇と言うか苦悩と悲哀を感じて個人的には居た堪れない。

私や妹は過去に何度も父にセカンドオピニオンを勧めたのだが、父は頑として其れを受け容れなかった。其の理由は自殺した前任者からの恩を感じ、昔気質の義理を通す父の矜持であったと言えるかも知れないが、無理矢理にでもセカンドオピニオンを選択させた方が良かっただろうと思える様な公立総合病院の対応、いや現代医療其のものに私は今でも疑問を感じざるを得ない。


勿論、父の病が最末期状態となった時点で担当医と我々家族との間で「無闇な延命治療はしない」と云う旨と、父には「最後まで告知はしない」旨の申し合わせを行なっていた。比較的に体調が良く一時退院にて自宅で過ごしていた父の癌細胞が二月二十日に破裂して病院へ担ぎ込まれ、其の容態を診察した担当医は、「もう此れで最後でしょう。恐らく一ヶ月も保たないでしょう・・・」と我々家族に宣言し、まだ意識が確りしている筈の父の目前で私達家族に「必要なら麻薬を使いましょう!」と無思慮に言い放った。病状を告知されていない父の前で麻薬を使いましょうと言う事は、最早助からないと言うのと同義であるが此の担当医はいとも簡単に言い放った。以前から私は感じていたが此の担当医にはデリカシーの欠片も無い。今まで父の難しい手術を再三成功させ確かに腕は立つのかも知れないが、此の男には患者や患者の家族の精神までケアする能力や他人とのコミュニケーション能力は明らかに欠けていると思わざるを得ない。私達家族に対しても、例えば延命治療をするかしないか?の意思決定も「白か黒か?」の回答を求める。白か黒かの答えを出すまでの家族の苦悩する灰色の時間を彼は待てない。其の様な人間である事は承知していたが、意識の確りしている父が此の医師や病院に対してセカンドオピニオンをしないと云う義理立てしたのだから仕方が無いのである。

こうして担当医から一ヶ月は保たないと言われた父は既に一ヶ月を保ち堪えた。医師も舌を巻くほどに父はタフなんだそうだ。「普通の人なら、とっくに死んでますよ・・・」と云う事らしい。肝臓上部の癌が破裂し出血は続き、腹水は蛙の腹の如くパンパンになる程に溜まり、一日おきに2リットルもの腹水を抜いているが未だ父は保ち堪えている。相当に痛くて苦しい筈であるが、当初父は私達家族が痛み止めと称する麻薬投与も通常の痛み止めさえも頑として拒んだ。先の大戦と終戦後を身体一つで生き抜き何事も我慢しようとする気骨の人なので、本人の意識が確りしている間は可能な限り本人の希望に添う様にして来たが、流石に我々家族が静視に耐えられず、点滴と称して先週よりモルヒネを投与するようになっている。其の所為だろうか?時折父の意識が飛ぶようになった。此れで少しは父が穏やかに最期を迎えられれば幸いに思うのだが・・・・果たしてどうだろうか?私は今でも此の様な介護しか出来ない自分に忸怩たる思いで一杯である。

確かに破裂した癌の止血もせず輸血もせず、昇圧剤の投与も止めている。其れでも父は強靭な生命力を未だに保っている。相変わらず医師や看護士達は事務的で、時には思い遣りある言葉を投げ掛けている様にも見えるが本心からでは無い様にも見える。考えてみれば当たり前だろう、現代医療機関の病院は飽くまでも対症療法しかしない・・・いや出来ないのだから。そして現段階での医療技術では父の様な肝炎患者を救う事は出来ず、死を待つ患者の大量生産しか出来ない。其れも此れも、此の様な医療を選択した我々の自己責任なのである。父は自らの死をもって人間の死に逝く事への教訓を私に示してくれているとも言える。

さて私が死に逝く時は、果たしてどの様な死に方を選択すれば良いだろうか?
其れまでには、もう少し時間的猶予が残されているかも知れない。
其れまで確りと考えよう。


神仏よ
もしも本当に貴方がたが存在するのならば
父に安らかで穏やかな最期をお与え下されまいか・・・・

何故に此処まで父が苦しまなければならないのか?私には納得が行かない。
十五の歳から幼い弟や妹達の親代わりとして働き尽くめ、趣味らしい趣味も無く、楽しみと云えば細やかな読書と細やかな食事くらい。
大酒も呑まず博打も打たず、若い時分は煙草が好きで喫んでいたが、中学生の分際で煙草を喫み始めた私に諭すが如く煙草を止めてしまった。
確かに気性が荒く文字通り鉄火場で生き抜いて来た父は、若い時分は喧嘩三昧で母に苦労を掛け続けたのは間違い無いけれども、自身の幼い兄弟達を育て上げ我々子供達をも立派に育て上げた父に人として何か不足が有ったのだろうか??
痩せ細った父の前腕や太腿や身体には、過去の喧嘩で負った刃傷等の傷痕があちこちに有るけれども、まさか人を殺めた訳でも有るまいに・・・其れとも何か他に犯した罪でも有り其の代償とでも云うのか??

繰り返し祈ります。
神仏よ、もしも本当に貴方がたが存在するのならば
何卒安らかで穏やかな最期を父にお与え下さい。

平成二十五年三月二十四日












他人の空似。
世の中には、そっくりな人間が三人は居ると云うけれど・・・
この人は本当に、うちの嫁にそっくりで驚愕する。

もちろん、容姿だけで性格などは全く別物なんでしょうけど。


例えば、他人が「街で、あなたに似ている人を見たよ」などと言う時は、得てして良く良く見ると全く似ていなかったなんて事が多々あるが、日常的に接している身内である自分が似ていると思うのだから、やはり似ているんだろうな~・・・


身内贔屓では無いが、今一番好きな女性ヴォ-カリストです。

あ、いや、シルヴィが一番ですが・・・

シルヴィは別格です・笑
















私の父親はC型肝炎と肝臓癌を患い現在闘病中である。どちらの症状も最末期と云う状態だ。父は世間で言うところの「薬害肝炎患者」だが、残念ながら「カルテの無い薬害肝炎被害者」である。発症してから、もう二十数年以上にもなる。父は昭和50年代始め頃の或る乱闘事件で頭部を負傷し、其の際に受けた止血治療で血液製剤を使用されたと推測される。尤も其の時期は他にも多くの乱闘騒ぎで何度も身体のあちこちを負傷している父であるが・・・。薬害肝炎だと判ったのも、薬害肝炎の原因とされる血液製剤を使用した北九州市内の病院のリストに、負傷した父が運び込まれた病院の名が記載されていたので私の推測は間違い無いと思われる。

父は家庭の事情で家計を支える為に終戦後直ぐに旧制中学を中退し社会に出て働き始めたので学歴など勿論有る筈も無く、凡ゆる肉体労働から違法スレスレの極道紛いの危ない橋も渡って来た様であるし、あの混沌とした終戦直後の時代に加え更に土地柄として気性の荒い流れ者が多く集まった北九州地方でローティーンの少年時より生き抜いて来た父の気性を鑑みれば、乱闘事件と云うのも当時幼かった私にとっては其れほどの一大事では無かった様に記憶している。なにせ、何をやらかしていたのか血まみれで帰宅したり父の車に鮮血が付いているのを目撃したりと云う記憶が数多く有るので、其の事件の際も日常茶飯事の様に「またか・・・」と言う感じで私自身の記憶は逆に鮮明では無い。

先述したとおり父は学歴が無いので、大企業等に就職する事も出来ず最終的にはタクシー運転手の仕事を選んだ。終戦後の高度経済成長で自動車が広く社会に普及し始めた頃で、日雇いの飯場等での単純な肉体労働に従事するよりは何倍もマシだと運転手と云う職業を選択した父の当時の気持ちは痛い程良く分かる。其のタクシーの運転手をしていた当時に、客として乗せた三人の男が端から売上金を奪おうと企みタクシー強盗に豹変した事件が起きて、父は頭に大怪我を負ったのだ。其れより以前のもっと若い頃にはプロボクサーをやったり空手の黒帯でもあったり、混沌とした終戦後を当たり前の様にストリートファイトや荒くれの飯場等で生き抜いて来た父の事であるから、タクシー強盗と分かった途端に大通りのど真ん中に車を停めて其の場で乱闘となったそうで、二人を痛め付けた後にもう一人から羽交い締めにされて頭を殴られて大出血したそうである。此の事件は結局は警察沙汰となり刑事事件にまで発展し加害者側は検挙されたが、父の方も過剰防衛で咎められたと云う事も考えれば手酷く加害者側を叩きのめしていたと思う。

前置きが相当に長くなったが、此の事件により薬害肝炎を患い肝臓癌まで併発した父の余命は後僅かであり、此処最近は末期症状を呈し癌の痛みや肝不全の苦しみも相当に酷い。先週の日曜日である2月24日の午前中、入院中の父の元へ行こうと支度をしていた時の事だ。突然、私の右手の指が真っ直ぐに伸びたまま硬直し、更にはまるで脇の下から二の腕にかけて何者かに持たれて引っ張り上げられる様に肘が直角に曲がり動かなくなったのである。本当に誰かに腕を掴まれて引き戻されるような感覚だった。此の様な経験は初めてで、普段から運動をしている私が腕が攣るなんて有り得ないと相当に驚いた。硬直した腕を無理矢理に何度か振り回して右手は何とか元に戻った。其の時は、「腕が攣るなんて俺も焼きが回ったもんだ・・・」くらいにしか思わなかったが父の元へ到着して驚いた。なんと、腕がおかしくなった時刻は父が癌の痛みに耐え切れずにベッドの上で、のたうち回っていた時刻と重なったのである。此の日は本当はもっと早く出発する予定だったのだが諸事情で出発が遅れた。後から、こじつければ何とでも言えるのだが、私は此れを「虫の知らせ」と確信した。苦痛に耐えかねた父が私に縋ったのではないかと思う、いや、きっとそうだろう。此の年になると若い頃には信じもしなかった事が、すんなりと納得出来る。偉大なる先人が残した言葉には正鵠を射る様な意味や由来が有るのだと云う事を改めて考えさせられた。以上、此の件も備忘録に加筆する。

平成二十五年三月四日


睡眠不足が続いている・・・束の間の息抜き。

「南瓜」シリーズのW.C.フィールズ!
あのジャッキー・チェンも、恐らく影響されまくっただろうガチンコ・スタントは、やっぱり凄いな~・・・

















私の年齢は既に人生の折り返し地点を経過した様に思える。しかし其の後半生をどう生きるべきか?私自身でさえ覚束ず此れから一体どのような人生の後半章が待ち受けているのか想像だに出来ていない。

私は一言で言えば所謂筆無精と云う人間である。幼少時より読書は好きだったが逆に字を書く事は大嫌いで、親に半ば強制されて通った書道も嫌で嫌で堪らず基礎的な習得もしないまま放り出した。そんな性分が災いし成人した現在も其れは其れは下手くそな字を書き、自身でメモした文を後に自身で解読出来ない等と云う失態を何度も繰り返す程の筆無精、いや筆嫌いである。

そんな筆嫌いに加えて記憶力が良い方でも無く過去の事は余り覚えないタチで、良く言えば楽天家、悪く言えば学習能力欠如者である。幼い頃の記憶も驚く程に断片的で其の記憶量も少ない。或る意味、ポジティブで結構な性格なんだろうが、過去を自省しない者は只の愚者でしかない。自分自身の後半生の糧として一層充実した後半生を過ごす為に、どの様な事でも備忘録として文章に残したいと切に思う様になった。

そんな私に福音とも言えるのが現代電子技術の結晶の一つであるパソコンとインターネットだった。此の素晴らしい発明が無ければ私の様な不精者は伝えたい事も満足に文章には出来なかっただろうと思う。パソコン以前にもワープロと云うものが存在したけれども何故か其れには余り食指が動かなかったが、兎にも角にも此の様な素晴らしいものを利用しない手は無い。

どんな形にせよ、そして拙く恥ずかしいにせよ、文章を綴ろうと思う。其の手始めに此のアメブロを利用するのが手っ取り早く便利な様に思われる。しかし良く良く考えてみれば、こんな無料ブログなどと云うものは何時なんどきサーバー側の一方的な都合で利用を解除されるかも知れないと云う大きな危険を孕んでいる。そもそもインターネットのサーバー上にのみ電子化された文章をストレージすると云う事が如何にリスクが大きいかは深く考えなくても察しがつく。此れは有料のサービスでも大して変わらないだろう。其の為には必ず自身で管理できるバックアップを二重三重にしておかなければならないと思う。

ただ単純に無料だからと始めた此のアメブロも当初とは様相が一変した。アメブロ全体に低俗極まりない傾向が目に付いて仕方が無くなって来ている。特にモバイルでマイページにログインした際の、自身のブログを利用するページ以外の宣伝広告や芸能ネタやモバゲー勧誘等は不快極まりないが其れもタダ故の弱味、「タダほど高いものは無い」と昔の人は良く言ったものだ。将来的には有料でなるべくマシなところへの引越しを真剣に検討すると同時に先述した二重三重のバックアップを疎かにしないようにしよう。

平成25年2月25日













いずれ此の曲を真顔で聴く日が来ると思っていましたが、どうやら本当に其の日が迫って来ている様です。

今の私の心境は、まるで此の曲の中盤の様に昂り混乱に掻き回されています。

此れから私が出来る事は一体何が有るのだろうと、繰り返し繰り返し考える程に無力感に苛まれています。


喜びと悲しみを同時に味わねばならない人生の皮肉に当惑そして混迷しています。

願わくば、此の曲のエンディングの様に静かな心で感謝を捧げたい。

只其れのみを念じています。

世界一の親不孝者より