寧静致遠の備忘録~死に逝くと云う事 | 闘狼荘日記

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乾坤を其侭庭に見る時は 我は天地の外にこそ住め

私の父はC型肝炎を三十年来も長患いし、壮絶な闘病の末に現在では肝不全の末期症状に加え肝臓癌を併発して、医師に言わせれば手の施しようもない状態である。以前にも書いたとおり薬害肝炎の疑いが非常に強いが、其れに対して恨みつらみを言いもって何処ぞの左翼政党の集票目的の人間広告に成る積もり等父には有る筈も無いが・・・。

父は此の病気を発症してからずっと地元の公立総合病院に掛かっている。私から見れば此の病院の患者に対する対応は如何にも公務員的且つ事務的でロクなところでは無いと思えるが、父の担当医の前任者は大病院の医療従事者には珍しい様な人格者だった。しかし其の先生は過酷な過剰勤務が原因と推測される自殺をして既に他界されて居られる。何とも言い様の無い大病院勤務医の闇と言うか苦悩と悲哀を感じて個人的には居た堪れない。

私や妹は過去に何度も父にセカンドオピニオンを勧めたのだが、父は頑として其れを受け容れなかった。其の理由は自殺した前任者からの恩を感じ、昔気質の義理を通す父の矜持であったと言えるかも知れないが、無理矢理にでもセカンドオピニオンを選択させた方が良かっただろうと思える様な公立総合病院の対応、いや現代医療其のものに私は今でも疑問を感じざるを得ない。


勿論、父の病が最末期状態となった時点で担当医と我々家族との間で「無闇な延命治療はしない」と云う旨と、父には「最後まで告知はしない」旨の申し合わせを行なっていた。比較的に体調が良く一時退院にて自宅で過ごしていた父の癌細胞が二月二十日に破裂して病院へ担ぎ込まれ、其の容態を診察した担当医は、「もう此れで最後でしょう。恐らく一ヶ月も保たないでしょう・・・」と我々家族に宣言し、まだ意識が確りしている筈の父の目前で私達家族に「必要なら麻薬を使いましょう!」と無思慮に言い放った。病状を告知されていない父の前で麻薬を使いましょうと言う事は、最早助からないと言うのと同義であるが此の担当医はいとも簡単に言い放った。以前から私は感じていたが此の担当医にはデリカシーの欠片も無い。今まで父の難しい手術を再三成功させ確かに腕は立つのかも知れないが、此の男には患者や患者の家族の精神までケアする能力や他人とのコミュニケーション能力は明らかに欠けていると思わざるを得ない。私達家族に対しても、例えば延命治療をするかしないか?の意思決定も「白か黒か?」の回答を求める。白か黒かの答えを出すまでの家族の苦悩する灰色の時間を彼は待てない。其の様な人間である事は承知していたが、意識の確りしている父が此の医師や病院に対してセカンドオピニオンをしないと云う義理立てしたのだから仕方が無いのである。

こうして担当医から一ヶ月は保たないと言われた父は既に一ヶ月を保ち堪えた。医師も舌を巻くほどに父はタフなんだそうだ。「普通の人なら、とっくに死んでますよ・・・」と云う事らしい。肝臓上部の癌が破裂し出血は続き、腹水は蛙の腹の如くパンパンになる程に溜まり、一日おきに2リットルもの腹水を抜いているが未だ父は保ち堪えている。相当に痛くて苦しい筈であるが、当初父は私達家族が痛み止めと称する麻薬投与も通常の痛み止めさえも頑として拒んだ。先の大戦と終戦後を身体一つで生き抜き何事も我慢しようとする気骨の人なので、本人の意識が確りしている間は可能な限り本人の希望に添う様にして来たが、流石に我々家族が静視に耐えられず、点滴と称して先週よりモルヒネを投与するようになっている。其の所為だろうか?時折父の意識が飛ぶようになった。此れで少しは父が穏やかに最期を迎えられれば幸いに思うのだが・・・・果たしてどうだろうか?私は今でも此の様な介護しか出来ない自分に忸怩たる思いで一杯である。

確かに破裂した癌の止血もせず輸血もせず、昇圧剤の投与も止めている。其れでも父は強靭な生命力を未だに保っている。相変わらず医師や看護士達は事務的で、時には思い遣りある言葉を投げ掛けている様にも見えるが本心からでは無い様にも見える。考えてみれば当たり前だろう、現代医療機関の病院は飽くまでも対症療法しかしない・・・いや出来ないのだから。そして現段階での医療技術では父の様な肝炎患者を救う事は出来ず、死を待つ患者の大量生産しか出来ない。其れも此れも、此の様な医療を選択した我々の自己責任なのである。父は自らの死をもって人間の死に逝く事への教訓を私に示してくれているとも言える。

さて私が死に逝く時は、果たしてどの様な死に方を選択すれば良いだろうか?
其れまでには、もう少し時間的猶予が残されているかも知れない。
其れまで確りと考えよう。


神仏よ
もしも本当に貴方がたが存在するのならば
父に安らかで穏やかな最期をお与え下されまいか・・・・

何故に此処まで父が苦しまなければならないのか?私には納得が行かない。
十五の歳から幼い弟や妹達の親代わりとして働き尽くめ、趣味らしい趣味も無く、楽しみと云えば細やかな読書と細やかな食事くらい。
大酒も呑まず博打も打たず、若い時分は煙草が好きで喫んでいたが、中学生の分際で煙草を喫み始めた私に諭すが如く煙草を止めてしまった。
確かに気性が荒く文字通り鉄火場で生き抜いて来た父は、若い時分は喧嘩三昧で母に苦労を掛け続けたのは間違い無いけれども、自身の幼い兄弟達を育て上げ我々子供達をも立派に育て上げた父に人として何か不足が有ったのだろうか??
痩せ細った父の前腕や太腿や身体には、過去の喧嘩で負った刃傷等の傷痕があちこちに有るけれども、まさか人を殺めた訳でも有るまいに・・・其れとも何か他に犯した罪でも有り其の代償とでも云うのか??

繰り返し祈ります。
神仏よ、もしも本当に貴方がたが存在するのならば
何卒安らかで穏やかな最期を父にお与え下さい。

平成二十五年三月二十四日