寧静致遠の備忘録~虫の知らせ | 闘狼荘日記

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乾坤を其侭庭に見る時は 我は天地の外にこそ住め

私の父親はC型肝炎と肝臓癌を患い現在闘病中である。どちらの症状も最末期と云う状態だ。父は世間で言うところの「薬害肝炎患者」だが、残念ながら「カルテの無い薬害肝炎被害者」である。発症してから、もう二十数年以上にもなる。父は昭和50年代始め頃の或る乱闘事件で頭部を負傷し、其の際に受けた止血治療で血液製剤を使用されたと推測される。尤も其の時期は他にも多くの乱闘騒ぎで何度も身体のあちこちを負傷している父であるが・・・。薬害肝炎だと判ったのも、薬害肝炎の原因とされる血液製剤を使用した北九州市内の病院のリストに、負傷した父が運び込まれた病院の名が記載されていたので私の推測は間違い無いと思われる。

父は家庭の事情で家計を支える為に終戦後直ぐに旧制中学を中退し社会に出て働き始めたので学歴など勿論有る筈も無く、凡ゆる肉体労働から違法スレスレの極道紛いの危ない橋も渡って来た様であるし、あの混沌とした終戦直後の時代に加え更に土地柄として気性の荒い流れ者が多く集まった北九州地方でローティーンの少年時より生き抜いて来た父の気性を鑑みれば、乱闘事件と云うのも当時幼かった私にとっては其れほどの一大事では無かった様に記憶している。なにせ、何をやらかしていたのか血まみれで帰宅したり父の車に鮮血が付いているのを目撃したりと云う記憶が数多く有るので、其の事件の際も日常茶飯事の様に「またか・・・」と言う感じで私自身の記憶は逆に鮮明では無い。

先述したとおり父は学歴が無いので、大企業等に就職する事も出来ず最終的にはタクシー運転手の仕事を選んだ。終戦後の高度経済成長で自動車が広く社会に普及し始めた頃で、日雇いの飯場等での単純な肉体労働に従事するよりは何倍もマシだと運転手と云う職業を選択した父の当時の気持ちは痛い程良く分かる。其のタクシーの運転手をしていた当時に、客として乗せた三人の男が端から売上金を奪おうと企みタクシー強盗に豹変した事件が起きて、父は頭に大怪我を負ったのだ。其れより以前のもっと若い頃にはプロボクサーをやったり空手の黒帯でもあったり、混沌とした終戦後を当たり前の様にストリートファイトや荒くれの飯場等で生き抜いて来た父の事であるから、タクシー強盗と分かった途端に大通りのど真ん中に車を停めて其の場で乱闘となったそうで、二人を痛め付けた後にもう一人から羽交い締めにされて頭を殴られて大出血したそうである。此の事件は結局は警察沙汰となり刑事事件にまで発展し加害者側は検挙されたが、父の方も過剰防衛で咎められたと云う事も考えれば手酷く加害者側を叩きのめしていたと思う。

前置きが相当に長くなったが、此の事件により薬害肝炎を患い肝臓癌まで併発した父の余命は後僅かであり、此処最近は末期症状を呈し癌の痛みや肝不全の苦しみも相当に酷い。先週の日曜日である2月24日の午前中、入院中の父の元へ行こうと支度をしていた時の事だ。突然、私の右手の指が真っ直ぐに伸びたまま硬直し、更にはまるで脇の下から二の腕にかけて何者かに持たれて引っ張り上げられる様に肘が直角に曲がり動かなくなったのである。本当に誰かに腕を掴まれて引き戻されるような感覚だった。此の様な経験は初めてで、普段から運動をしている私が腕が攣るなんて有り得ないと相当に驚いた。硬直した腕を無理矢理に何度か振り回して右手は何とか元に戻った。其の時は、「腕が攣るなんて俺も焼きが回ったもんだ・・・」くらいにしか思わなかったが父の元へ到着して驚いた。なんと、腕がおかしくなった時刻は父が癌の痛みに耐え切れずにベッドの上で、のたうち回っていた時刻と重なったのである。此の日は本当はもっと早く出発する予定だったのだが諸事情で出発が遅れた。後から、こじつければ何とでも言えるのだが、私は此れを「虫の知らせ」と確信した。苦痛に耐えかねた父が私に縋ったのではないかと思う、いや、きっとそうだろう。此の年になると若い頃には信じもしなかった事が、すんなりと納得出来る。偉大なる先人が残した言葉には正鵠を射る様な意味や由来が有るのだと云う事を改めて考えさせられた。以上、此の件も備忘録に加筆する。

平成二十五年三月四日