吉永達哉のコミュニケーション スクエア -183ページ目

責任

人間には権利が与えられていると同時に、同等の責任を負う。


サッカーのゲームであれば、バイタルエリア内でシュートかパスかの選択は


ボール保持者に委ねられる。


しかし、イージーなミスでそのボールを易々と相手に渡してしまえば、チャンスを


生かせないばかりか、逆にピンチに陥れることにもなり、当然のことながら


責任を感じ、そのボールを取り戻すべく必死に追いかけるだろう。


それはチームに対しての責任を十分に認識しているからだ。



その責任はピッチの中だけではない。ビジネスの世界においても当たり前。


私もステージ上の表現者、アンカーとしての責任を感じつつ仕事をしている。


企画段階から言えば、主催者は1年近く前から何度となく会議を重ね、


全ての段取りを整えて、当日私にその思いと共にマイクを預けるのである。


式典でもない限り、一言一句は全て私に委ねられている。


そこに大きな責任を感じつつ、絶対にゴールを決めるつもりで舞台に上がる。


私が上手いかどうかではなく、その企画が上手くいくかどうかがゴールなのだ。


これがチームだ。これが社会の権利と責任だ。



残り4ヶ月強に迫った山口国体。未曾有の被害で東北どころか、日本全体が


沈みかねない現状の中、スポーツの力で復興への大きな起爆剤とすべく


「立ち上がれ東北、頑張ろう日本」というスローガンのもと、加速し始めたのに。



彼はその責任の大きさ、いや責任の意味すらも理解できていなかったのかも。




文の姿勢

明日みんなでランチしない?っていうお誘いメールの内容で


A:明日いつものみんなでランチしない?


B:明日、皆様の都合が整えば昼食会を開催したく、ご案内申し上げます。


どっちが参加しやすいですか?



お店の姿勢としての案内文として


A:ウチではキレーで美味しく!ってな感じで頑張ってます


B:当店では美味しさと併せて安心・安全をお届けするよう、努めております


どちらが行ってみたいと思いますか?



以前、言葉には色や温度などがあるとお伝えしました。


と同時に、文章には『姿勢』があります。


その文章を読めば、かしこまっているのか踏ん反り返っているのか、という


書き手の姿勢が出ます。


何時でもかしこまった方が良いわけではなく、状況に応じた文章が必要ですね。



文章を書くという作業は、話すという作業に比べて所要時間が何倍も多くなります。


それだけ時間的猶予があるにも拘らず、適した文章が書けないということは


話しをしているときにも場にそぐわない、空気が読めない発言が多いでしょう。



とは言え、いくら砕けた文章だとしても、その文章は必ず読み手がいるもの。


その読み手への配慮やおもいやり、真摯な『姿勢』は無くしてはいけませんね。



また今夜も自分への戒めを抱きつつ。。。





心技体

味は超一流でも、接客や店内の清掃などおもてなしが三流以下のお店と


味は二流でも、おもてなしが一流のお店。


みなさんが馴染みになるお店はどっちでしょう。



味は天下一品でもおもてなしがない店は、物珍しさで一度は行っても


二度目はない。


考えが一流でもコミュニケートして発信しないと無に等しい。


素晴らしい内容でもプレゼンで表現出来なければ契約は遠のく。


スーパーな選手でも自惚れて高飛車であればチームにいない方がいい。



何事も技術(中身)は必要です。でもそれと同等の「気持ち」や「姿勢」が無ければ


その技術(中身)は勿体ない事に無になってしまうでしょう。いや、マイナスにさえ


なりかねません。



現代の日本人は得てして技術に走りがちですが、脈々と受け継がれた


心を大切にする文化もあったはず。


『心技体』・・・なぜ3つのうち“心”が最初に謳われているのか。


感謝やおもてなしの“心”無くして、技術や身体も成立しないんです。



と、まぁ自分を戒めながら未だ実践できていない自分に反省をしながら。。。