福島県、会津名物のソースカツ丼。ご飯の上にキャベツがのり、その上に上等のトンカツがのる。ブタ肉にクセがなくうまい。トンカツとご飯の間にキャベツがはさまり、カツとキャベツの味がうまく融合している。おいしかった。鶴ヶ城入口にある鶴ヶ城会館で食した。
鶴ヶ城(若松城)。瓦が赤っぽい。
福島県、会津名物のソースカツ丼。ご飯の上にキャベツがのり、その上に上等のトンカツがのる。ブタ肉にクセがなくうまい。トンカツとご飯の間にキャベツがはさまり、カツとキャベツの味がうまく融合している。おいしかった。鶴ヶ城入口にある鶴ヶ城会館で食した。
鶴ヶ城(若松城)。瓦が赤っぽい。
福島県にある観光地・大内宿へいった。江戸時代、宿場町として栄えた。小高い丘からとった写真。屋根が茅ぶきだ。白川郷に似ている。観光スポットとして、今後人気が出るだろうと思った。
モミジであろうか、大内宿にあった。紅葉が美しい。
上の写真と同じ紅葉。
大内宿へいくときに乗った電車の窓から撮影した。紅葉にはまだ少し早いようだ。
大内宿の最寄り駅の「湯野上温泉」駅。駅前からバスに乗り、10分ほどで大内宿に着く。駅舎の屋根も茅ぶきだ。茅ぶき屋根の駅舎を持つ駅は、全国でふたつしかないとガイドさんがいっていた。
ネギソバ。箸のかわりに1本のネギを持ち、ソバを引っかけて食べる。わたしはネギをかじりつつ食した。
同じ大和屋で食べたシュークリーム。極端に甘くなく、塩味がし、おいしかった。
ご近所から、新潟産のサザエをいただいた。海の幸というのは珍味だ。写真に写っているように、ヨウジを刺しこみ、電子レンジで熱して、ダシの素をかけて食した。最初にヨウジを刺しておくと、貝殻から中身を容易にとり出せる。
The 15th episode of Tetsuzo Iwamoto, one of the Japanese eminent flying aces, will be published in the Nov issue of the magazine, Maru, the title of which is “The Instructor for the Tenrai Suicide Corps”. In June, 1945, at the Iwakuni Base in Yamaguchi Prefecture, Tetsuzo trained the members of the Tenrai Unit, the mission of which was to have a 250 kilo bomb exploded in the formation of B-29 bombers. The zero fighter pilots, of course, couldn’t survive this suicide mission. Tetsuzo, opposing any suicide attacks, got confused, but, orders are orders, he unwillingly did his job.
零戦撃墜王・岩本徹三の第15話が、雑誌『丸』11月号に掲載される。今回は「天雷特攻隊教官編」である。1945(昭和20)年6月、山口県・岩国基地にて、徹三は天雷特攻隊隊員の訓練をおこなった。天雷隊の任務は、零戦に250キロ爆弾を搭載し、大型爆撃機B‐29の編隊の中で爆発させ撃墜するという自爆攻撃だった。9月28日ごろに、雑誌『丸』は本屋さんに並ぶ。
This book has passed down quality information.
The author, Toshio Hijikata, was forced to join the navy when he was a student of the Tokyo Academy of physics, currently Tokyo University of Science, becoming a fighter pilot. After the war, he became a teacher of junior high schools and high schools, once working for the personnel section of the Foreign Ministry. When the war was over, he didn’t discard his aviation record which had been expected to write everyday by a pilot like a journal. Because he wrote this book by using his aviation record, it can be said that it was written correctly. In addition, he was highly educated person, graduating a university, so that, with integrity and sincerity, he correctly wrote combats in the air and the surrounding facts of each situation which are prone to exaggerated bombasts when other war heroes talk about their combat experiences.
本書は良質の情報を後世に伝えている。
著者の土方敏夫は東京物理学校在学中に海軍に入り、パイロットになった。戦後は中学、高校の教師になり、外務省人事課につとめたことがある。終戦時、土方は自分の「航空記録」を捨てず、本書はその記録をもとに記憶をたどって書いている。だから内容は正確といえる。また高等教育を受けているので、大言壮語におちいりがちな空戦記憶を制御できている。
昭和20年5月25日、岩本徹三は乗機をさんざんに撃たれ、ハチの巣にされた。が、岩本自身が戦後書いた「回想ノート」(『零戦撃墜王』のタイトルで書籍化されている)では、この日付が4月28日となっている。どちらが正しいかだが、わたしは5月25日のほうを採用したい。というのは土方敏夫が書いた『海軍予備学生・零戦空戦記』では、5月25日になっているからだ。土方は、この日の岩本に関して次のように書いている。
「岩本少尉も穴だらけの零戦で帰還した。その弾痕は30数発。岩本少尉の飛行靴の右外側に弾の跡があった」
土方は自著をみずからの「航空記録」をみて書いている。5月25日には米山孝中尉が南西諸島で戦死したと土方は書く。これも事実である。土方は「航空記録」を戦後廃棄せずに保管していたのだ。また土方は東京物理学校(現東京理科大学)を卒業した学究肌の人物で、書いた内容には事実を追及する姿勢がみられる。
以下は、5月25日の空戦を報告した米側1次資料のそれぞれ最初のページである。わたしはこれらをみて、記事を書いた。
空母「ホーネット」の「戦時日誌」。
空母「ベニントン」「戦闘報告書」。
空母「ベニントン」「戦時日誌」。
空母「ランドルフ」「戦時日誌」。
空母「ランドルフ」1次資料で、これは日本の国会図書館にある。
空母「エセックス」「戦時日誌」。
空母「モンテレー」「戦時日誌」。
空母「ベローウッド」「VF-30 航空機戦闘報告書」
空母「ベローウッド」「戦闘報告書」。
空母「バターン」「戦時日誌」。
空母「ラングレー」「戦時日誌」。
空母「サン・ジャシント」「戦闘報告書」
空母「サン・ジャシント」「戦時日誌」。
Carrier Air Group Eighty-twoの「戦時日誌」。
海兵隊第312戦闘飛行隊(VMF-312)「戦時日誌」。
海兵隊第441戦闘飛行隊「航空機戦闘報告書」。
海兵隊第422戦闘飛行隊「航空機戦闘報告書」。
第8戦艦部隊「戦時日誌」。