"ある日々を思い出しながら"懐かしき我が家の味~ただの昔話長々と。」
とても懐かしくなり
"ふと!?"
味わいたくなった
(カチュー湯)カツ湯を作った時に、
"懐かしさ"を思い出しながら、
・(今回の記事内容)
私の束の間のヒトトキの時間、
・マイペースな,ただの昔話、
懐かしい味と話のアレコレ長々と。
・私のヒトトキの"何かを"
(少し手紙風ぽくでもあり、)
(少し語り調ぽくもあり。)
束の間のヒトトキの中で
マイペースに、
"何かを"書いてみたくなり、
"何処か自分自身への手紙風でもアリ"
"何処か大事な何かへの手紙風でもアリ"
思いを1つ1つ辿りながら
"自分自身へ"
"感謝の思い出へ"
そんな風に、
今回の記事を書き綴りました。
【生前の大正生まれの祖父の言葉を
思い出しながら。】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
手間ヒマも労力も時間も
とてもかかるけれども、
とても遠回りしてるかもしれないが
遠回りでも、
1つずつ進む針の音は
進む道と一緒に響いているし
遠回りしてるからといって
自分自身が取り掛かってる事や
取り組んでる事に
自分自身だけは絶対に責めちゃいけないよ
"何かを育てる事も"
"何かを作り仕上げる事も"
正直に生きてたらね
大丈夫
"何かを作る流れが
どこかで繋がって
大事に育てる道のりと時間がかかってこそ"
優しいモノが出来上がる。
だからこそ、
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
という言葉を思い出しながら、
ただ書き綴りました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ある日のこと。
なんだか懐かしく感じて
久しぶりに
沖縄の(カチュー湯)を。
カチュー湯を作りました
3パックの絹ごし豆腐が1つ
残ってたので、
花カツオと小松菜と小ネギで
(削り節)を使用するのですが
私は残ってた花カツオを使用して
作りました
好みの味付けをして
(私の場合は少し御味噌を一人分足し
味の確認と調整で、
いただきました。)
1人分の容器に足してお湯注いだら完成)
"ありがたやー"と呟き御挨拶
いただきました♪
とても味が懐かしくなり
懐かしくなったワケは
特にナイのですが、
「ただの昔話を。」
"ふと"
思い出す時の
"あの懐かしい味。"
なんだかんだと、
"あの頃と"
"あの時からの"
月日と時間と
季節の過ぎ去る流れの早さを
ー今までよりも更に、
とても早く感じる日々。ー
私が幼かった当時、
亡き両親が、
共働きで留守が多かったので、
ほとんど、
(母方の祖父母)
亡き大正生まれの祖父母の家に
預けられている事が多かったのですが
サトウキビと田んぼの農家を営んでた
亡き大正生まれの祖父母が
毎朝,カツオ節を削り器で削り
それにお湯を注ぎ作って
"カチュー湯を"味わっていたので。
大正生まれの亡き祖父は
キャンベルスープ クリーム
マッシュルームの
マシュルームのスープ缶の
スープの味が好きで
缶詰めの中身を缶から取り出して
少し牛乳を足したり
時には豆乳を足したりしながら
葉野菜と一緒にあたためて
朝のメニューの1つに味わってました
あとは、
玄米の甘い飲み物が好きで
あとは祖父の楽しみの1つに
農業作業の帰りに
当時の農協に販売されてた
柔らかな黒糖を一欠片を
お茶と一緒に味わいのんでました
オヤツの時は
缶詰入りの甘い豆の…
(昔はよくスーパーで見かけたけど
今はあるのか?無いのか?
ちょっと分からなくて。)
それを冷蔵庫に冷やして
幸せそうにいただいてました。
大正生まれの亡き祖母は、
朝の御飯はパン派で
人参と玉ねぎとグリンボールの炒め物と
トマトと玉ねぎとワカメと葉野菜を黒酢で少し浸けたのに白ごまそえて
あとは、
魚のアラの部分を茹でて臭みを取り除いたのをカチュー湯に入れて
一緒にいただいてました。
あと、
祖父はお肉が好きで
祖母が作っていた手料理は、
全部、
"残さず美味しい幸せな顔で"
いただいていました。
私が幼かった当時の頃の話しです。
祖父は、
毎朝、
ゼンマイ仕掛けの古時計の
ゼンマイのネジを鍵で回して
柱時計の針を動かしてから、
田んぼや、
サトウキビ畑に向かうのが日課でした。
まだ当時、
幼かった私に、
草の葉で
流れ船を作ってくれたり、
ブランコを弟と妹と私にと
手作りしてくれたり、
当時,小学生だった頃の話しです。
私が田んぼの蛙とアメンボとバッタの虫が
泣くほど大の苦手だったので、
田んぼを前にして怖じ気づき。
"手のひらを太陽に♪"を
怖じ気づく気持ちを必死におさえて、
田植えの手伝いをしながら、
苦手だった蛙さんやアメンボさんに向かい
小声で歌ったのを♪
恥ずかしく
懐かしくもアリ、
そして、
サトウキビの収穫の時にも、
ふるえ怖じ気づく心をおさえて、
同様に小声で歌いながら
でも、
やはり怖くて、
バッタやトカゲの虫を前に固まっていた私に、
「……。」
そんな私に向かい、
「もう蛙居ないから
大丈夫だから
早く苗植え手伝って
ほらっ
苗持って。」
「トカゲもバッタも何もしないから、
サトウキビの収穫手伝って
その後、
弟と妹の面倒みて。
あと、みんなの分のお弁当も、
簡単で良いから作って持ってきてよ。
頼んだよ。」
祖父母は、
そう言い残し直ぐに農作業に追われて
日が暮れるまで
農作業をこなし続けていました。
また、
小学生だった頃の当時の私は、
小学校から帰宅後、
宿題を片付けて、
お弁当を作り届ける
弟と妹の面倒をみる
というのが、
ほとんどでした。
時々は、
友人みんなで買い物に出掛けたり
遊んだりもしましたが、
いつも、
弟と妹を連れて歩かなければならなかったので、
結構,大変といえば大変でしたが、
弟も妹も
私のあとを追いかけて離れなかったので、
それから、
当時の、
唯一つの楽しみと心待ちにして感じていたのが、
夏休みに帰省して来てくれていた
神奈川県から帰省して来てくれていた
いとこ家族が訪れてくれることでした。
一緒に、
蛍を見たり
花火をしたり、
絵を描いたり、
お年玉で貯めて買ったカメラで、
当時の景色を、
互いに
写真を撮影したり
過ぎた日々と季節の中で、
色んな出来事がありましたが、
それも、
今となっては"宝物の思い出の中の
何番目かの1つとなりました。"
大人の今でも、
蛙さんやアメンボさん…
トカゲさんバッタさん…
"ごめんなさい。"
怖くて苦手なのです。
(好きになれるように克服しますね。)
それから、
御寿司とお刺身と海産物系が苦手なので、
(美味しい。
好きな味だと。
好きになれるように克服しますね。)
"克服しなきゃならないモノや事が
たくさんアリ…頑張ります。"
今は亡き、
・(母方のオバぁーへ)
・(母方のオジぃーへ)
・(父方のオジぃーとオバぁーへ。)
・(両親へ。)
・ここからは、
(少し語り調な手紙風に。)
書きました。
オバー、
そちらでは(空の向こう側では、)
オジーと仲良く
喧嘩せずに
元気に笑って過ごせているでしょうか。
オジー、
大正時代から、
昭和、
平成、
"令和"という
新しい時代になりました。
オジーの生まれた大正時代から、
生きてきた,その後の時代から、
変わってきたようで、
変わっていないようにも
感じる事がありますが、
"大正時代の頃の事は、
私は知らないのですが、"
今度は、
"私からオバーへ渡す"のではなくて、
"オジーからオバーへと、
渡したいお土産を、
素直に照れずに渡してくださいね。
オバーも、
きっと、
その方が嬉しいと思うから。"
"令和の時代は、"
自分自身の気持ちや心に、
素直に正直に生きやすい
"優しい時代ですよ。"
オバーも、
オジーも、
きっと、
自分達の事はいいからと、
二人で、
私の事を心配してると思いますが、
それから、
父さん、
母さん、
父方の祖父母の、
オジーへ
オバーへへ、
母方の祖父母の
オジーとオバーへ。
いつも見守ってくれて
"どうもありがとうございます。"
私は、
父さんと母さんと、
父方の祖父母のオジーとオバーと、
母方の祖父母のオジーとオバーに、
足りないくらいの
"ありがとう"と感謝を忘れずに
日々を頑張っています。
大事に一緒に歩んできた道のり
1つ1つの思い出を忘れずに。
大切にしながら。
大事に想い心から尊敬しています。
家族として。
親子として。
孫として。
父さんも、
母さんも、
父方の祖父母の、
オジーとオバーも、
母方の祖父母の
オジーとオバーも、
ハラハラして
日々の私を、
空の向こう側から、
見守ってくれていると思いますが、
安心してください。
私は元気だから大丈夫ですよ。
相変わらずな私ですが、
日々、
"新しい発見に巡りあったり、"
今までの私自身が知らなかった
"新しい色々な出来事に出逢えたり、"
"ふと"
寂しさを感じ思う事もありますが、
"生きてたら誰しも、
そう思う事はあると、"
また改めて、
角度と視点を変えてみながら
色々な方向から、
1つ1つのヒトトキを、
1つ1つのヒトコマを、
楽しんで歩んでいます。
空とともに、
日々を過ごしなから
色々ですが、
まぁー、
元気にボチボチと、
頑張って過ごしています。
最近、
つくづく感じ思うのです。
あの当時に、
もっと沢山
オバーから
沖縄の歴史や行事や文化とか、
野菜買う時の知恵や
田んぼやサトウキビの収穫の時の
あの頃の畑作業の手解きも
今さらなんだけど
尖らずに素直になって
もっと習っておけばよかったと。
オバーの生きてきた
オバーの歩んできた道のりの話や
色んな出来事の話し
もっと、
ちゃんと耳を傾けて聞けてあげれてたら
今さらなのですが、
オバー、
オバーが2006年に他界した後にね、
今はね時代の元号が変わって
令和って新しい時代になったんだよ!
なったんだけどね
オバーにも
今の時代見せてあげたかったなぁ
ほんと、
いろんな出来事があり過ぎて
オジーにも
母さんにも
それから
父さんにも
今、
こんな時代なんだよ
って話せたらなぁー
なんてね
ただ,そう思うだけで
そう思う事しか出来なくて
空の場所から聞いてもらえてたら
現実の(いまの)私は、
独りだけど、
まぁ…日々なんだかんだとあるのだけれど
その出来事さえも角度変えてみると
また知らない世界が
広がって知れて触れて感じられるから
その出来事1つ1つが愛しく
難しい出来事もあるにはアルのだけれど
"何故だかね
ホンノリ淡くワクワクと楽しいんだ"
目の前を自分自身の気持ちで心で
自分自身に正直になれる選択の自由がアル幸せや
元気に歩いて笑えてる幸せがアル事を
知ったから
元気に歩いて笑えてるよ!
時代が変わって時移ろえども
変わらず
私は
オバーの笑顔大好きだよ!
私は
私で
私なりに
"何気ない"って幸せを大事にしながら
"自由に選択出来る幸せも
決して当たり前なことだと思わずに"
"そのままの自分自身で
素直な気持ちのままで
自分自身の気持ちに正直に"
毎日を走れる事に感謝して
日々を生きてるよ
空から見てると思うけどさぁー
安心して見守っててね。
月日と季節が
とても早く過ぎて感じてさぁ
(もう…
そんな事を感じる年齢になったのかな)
そうそう、
祖母はお魚のアラ汁が好きでした
大正生まれの祖母でしたが…
何故だか?
ポテトチップスが大好きで
ヤクルトも好きで
ミカンも好きで
私が送迎送り迎えしてた
病院通院の時に
こっそりと…
ひっそりと…
私にバレないようにと
バックに忍ばせていました。
実はね、
オバー、
私は知ってて
"知らぬフリをしてました。"
オバーが嬉しそうな笑顔で、
ハリキッテ、
私の運転するマイカーに乗車する姿をみて、
持っていくのを
無理に止めさせる気にはなれませんでした。
私が、
オバーの立場なら、
きっと、
久しぶりのドライブやお出掛けが
嬉しくて楽しみに、
その当日を待っていたと
そんな風に、
オバーの気持ちや心の嬉しさを、
想像して寄り添い思ったからです。
私が運転する車で嬉しそうに
楽しそうにドライブ遠足を満喫してました
病院について
受診の際に
カバンに忍ばせてた"ミカンが転がり落ち"
ドサッと、
ポテトチップスも同時に飛び出してしまい
オバーにしてみたら、
"上手く隠してたハズなのに…"
(ヤバい(* ̄ー ̄))"→(汗)
とぼけながら、
慌てるオバーの姿に、
お医者さんは、
苦笑いして問診をしてくれました。
問診をうけて
その帰り道は
オバーの寄りたい所に運転して連れていきながら
買い物したり、
美容室へカットに連れていったり
「留守番して心配して待ってる
オジーのお土産も買わないとねー。」と、
よく、
オジーと喧嘩してたオバーは
なんだかんだ言いながら
心の中では
オジーの事を大事に想い
とっくに喧嘩してた事も忘れ
すでに許していましたね。
オジーはオジーで、
なんだかんだ言いながら
いつも、
オバーの大好物の食べ物を
農作業の帰りに
近くのマチヤグワァーで(小売り商店で)
買って帰り
オジーからと言わずに
私からと言って渡してと
(自分で渡したら良いのに。と
私はそう想いながらオバーに渡してました)
大正時代生まれのオジーらしい
なんとも歯がゆい
頑固といえば頑固で
素直になるのが苦手で
不器用な表現法方ばかりの
オジーの姿がそこにありました。
オバーと一緒に
その帰り道に、
オジーの大好物の
黒糖と
あんパンを買って帰ったのが
つい昨日の事のように思い出されます
2006年の冬の青空の日。
祖母が他界した
その日、
祖父は、
黙ったまま静かに
オバーが腰かけてた椅子を見つめてました。
ずっと…
立ち尽くして。
泣いてはいなかったけれど、
うっすらと、
涙を堪えてたのを覚えています。
オバーの大好物だった
"いなり寿司"を持って、
それからの祖父は、
2007年に他界するまでの間、
祖母が腰かけてた椅子に座り、
庭の景色を眺めたり、
私達の前では、
いつもと変わらない元気な姿で
ふるまっていましたが、
時折,
"ふと。"寂しそうにも見えて感じてました。
祖母が2006年に他界した後、
祖父は、
2007年に心不全の病気療養中の末
青空の冬の日に他界しました。
亡き父方の祖父母も
亡き母方の祖父母も
亡き両親も
今の道のりを独り歩んでる私にとって
その時の
その頃の
1つ1つが愛しく大切な心の宝で
時々の中で躓く時
ふと迷い風が吹く時
そんな時に
"自分自身を思い出させてくれる"
そっと背中をさすってくれる
寄り添ってくれる
大事な
大事な
私の尊敬する大事な家族です。
本当は
あの当時も
あの頃の月日の中でも
ゆとりがあれば
旅行にでも連れて孝行出来たら良かったのだけれど、
私が運転するマイカーで
ドライブがてらに
好きな場所や行きたい場所へと
連れていけるだけで
いっぱいで。
今となっては
喜んでもらえてた姿が
楽しんでくれていた姿が
懐かしくて
柔らかく
あたたかい
戻らぬ日々ばかりで。
とても幸せな
季節ばかりが思い出されて
大事なモノは
いつまでも褪せず
そんな風に感じる事ばかりです。
戦前と戦後
何一つ残ってなかった所から
祖父母は互いに力を合わせて
寄り添いながら
亡くなる前まで
サトウキビと田んぼの農家を営み
農家としての仕事に誇りを持って
常に自然と共に
自然の流れを観察しながら
あとは
水にとても拘りを持ち
農作業のバランス1つ1つを
とても大事にしてました。
「食べ物は人の口に入るモノだから
手間ヒマも労力も時間も
とてもかかるけれども、
とても遠回りしてるかもしれないが
遠回りでも、
1つずつ進む針の音は
進む道と一緒に響いているし
遠回りしてるからといって
自分自身が取り掛かってる事や
取り組んでる事に
自分自身だけは絶対に責めちゃいけないよ
空はね、
そういう姿を
そのまま静かに何も言わずに
信じてくれて
そっと寄り添いさすりながら
見てくれてるから
いつも頑張って生きている自分自身を
信じるんだよ
キラキラ輝いて笑顔で
幸せな人生を生きるんだよ
柔らかく
あたたかく
見守り続けてくれてる
空がある事を信じてね
元気があれば
元気でいてくれてたら
あとはね
自然に流れが導いてくれるさぁー
何でもそう
ゆっくりでいいさぁー
正直に生きてたら
あとは
どうにかこうにかなるもんだよ
下をうつ向かなくても良いんだよ
"何かを育てる事も"
"何かを作り仕上げる事も"
正直に生きてたらね
大丈夫
"何かを作る流れが
どこかで繋がって
大事に育てる道のりと時間がかかってこそ"
優しいモノが出来上がる。
だからこそ、
愛しく大切に
日々の農作業を大事にしたいんだと、」
生前祖父が私に話してくれたヒトコマです。
なんだかんだと長くなりましたね。
ごちそうさまでした。
今回の記事は、
この辺で。
*【関連リンク記事です。】
ある日のカチュー湯。(写真とマイペースと。」
"ふと!?"
味わいたくなった
(カチュー湯)カツ湯を作った時に、
"懐かしさ"を思い出しながら、
・(今回の記事内容)
私の束の間のヒトトキの時間、
・マイペースな,ただの昔話、
懐かしい味と話のアレコレ長々と。
・私のヒトトキの"何かを"
(少し手紙風ぽくでもあり、)
(少し語り調ぽくもあり。)
束の間のヒトトキの中で
マイペースに、
"何かを"書いてみたくなり、
"何処か自分自身への手紙風でもアリ"
"何処か大事な何かへの手紙風でもアリ"
思いを1つ1つ辿りながら
"自分自身へ"
"感謝の思い出へ"
そんな風に、
今回の記事を書き綴りました。
【生前の大正生まれの祖父の言葉を
思い出しながら。】
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
手間ヒマも労力も時間も
とてもかかるけれども、
とても遠回りしてるかもしれないが
遠回りでも、
1つずつ進む針の音は
進む道と一緒に響いているし
遠回りしてるからといって
自分自身が取り掛かってる事や
取り組んでる事に
自分自身だけは絶対に責めちゃいけないよ
"何かを育てる事も"
"何かを作り仕上げる事も"
正直に生きてたらね
大丈夫
"何かを作る流れが
どこかで繋がって
大事に育てる道のりと時間がかかってこそ"
優しいモノが出来上がる。
だからこそ、
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
という言葉を思い出しながら、
ただ書き綴りました。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ある日のこと。
なんだか懐かしく感じて
久しぶりに
沖縄の(カチュー湯)を。
カチュー湯を作りました
3パックの絹ごし豆腐が1つ
残ってたので、
花カツオと小松菜と小ネギで
(削り節)を使用するのですが
私は残ってた花カツオを使用して
作りました
好みの味付けをして
(私の場合は少し御味噌を一人分足し
味の確認と調整で、
いただきました。)
1人分の容器に足してお湯注いだら完成)
"ありがたやー"と呟き御挨拶
いただきました♪
とても味が懐かしくなり
懐かしくなったワケは
特にナイのですが、
「ただの昔話を。」
"ふと"
思い出す時の
"あの懐かしい味。"
なんだかんだと、
"あの頃と"
"あの時からの"
月日と時間と
季節の過ぎ去る流れの早さを
ー今までよりも更に、
とても早く感じる日々。ー
私が幼かった当時、
亡き両親が、
共働きで留守が多かったので、
ほとんど、
(母方の祖父母)
亡き大正生まれの祖父母の家に
預けられている事が多かったのですが
サトウキビと田んぼの農家を営んでた
亡き大正生まれの祖父母が
毎朝,カツオ節を削り器で削り
それにお湯を注ぎ作って
"カチュー湯を"味わっていたので。
大正生まれの亡き祖父は
キャンベルスープ クリーム
マッシュルームの
マシュルームのスープ缶の
スープの味が好きで
缶詰めの中身を缶から取り出して
少し牛乳を足したり
時には豆乳を足したりしながら
葉野菜と一緒にあたためて
朝のメニューの1つに味わってました
あとは、
玄米の甘い飲み物が好きで
あとは祖父の楽しみの1つに
農業作業の帰りに
当時の農協に販売されてた
柔らかな黒糖を一欠片を
お茶と一緒に味わいのんでました
オヤツの時は
缶詰入りの甘い豆の…
(昔はよくスーパーで見かけたけど
今はあるのか?無いのか?
ちょっと分からなくて。)
それを冷蔵庫に冷やして
幸せそうにいただいてました。
大正生まれの亡き祖母は、
朝の御飯はパン派で
人参と玉ねぎとグリンボールの炒め物と
トマトと玉ねぎとワカメと葉野菜を黒酢で少し浸けたのに白ごまそえて
あとは、
魚のアラの部分を茹でて臭みを取り除いたのをカチュー湯に入れて
一緒にいただいてました。
あと、
祖父はお肉が好きで
祖母が作っていた手料理は、
全部、
"残さず美味しい幸せな顔で"
いただいていました。
私が幼かった当時の頃の話しです。
祖父は、
毎朝、
ゼンマイ仕掛けの古時計の
ゼンマイのネジを鍵で回して
柱時計の針を動かしてから、
田んぼや、
サトウキビ畑に向かうのが日課でした。
まだ当時、
幼かった私に、
草の葉で
流れ船を作ってくれたり、
ブランコを弟と妹と私にと
手作りしてくれたり、
当時,小学生だった頃の話しです。
私が田んぼの蛙とアメンボとバッタの虫が
泣くほど大の苦手だったので、
田んぼを前にして怖じ気づき。
"手のひらを太陽に♪"を
怖じ気づく気持ちを必死におさえて、
田植えの手伝いをしながら、
苦手だった蛙さんやアメンボさんに向かい
小声で歌ったのを♪
恥ずかしく
懐かしくもアリ、
そして、
サトウキビの収穫の時にも、
ふるえ怖じ気づく心をおさえて、
同様に小声で歌いながら
でも、
やはり怖くて、
バッタやトカゲの虫を前に固まっていた私に、
「……。」
そんな私に向かい、
「もう蛙居ないから
大丈夫だから
早く苗植え手伝って
ほらっ
苗持って。」
「トカゲもバッタも何もしないから、
サトウキビの収穫手伝って
その後、
弟と妹の面倒みて。
あと、みんなの分のお弁当も、
簡単で良いから作って持ってきてよ。
頼んだよ。」
祖父母は、
そう言い残し直ぐに農作業に追われて
日が暮れるまで
農作業をこなし続けていました。
また、
小学生だった頃の当時の私は、
小学校から帰宅後、
宿題を片付けて、
お弁当を作り届ける
弟と妹の面倒をみる
というのが、
ほとんどでした。
時々は、
友人みんなで買い物に出掛けたり
遊んだりもしましたが、
いつも、
弟と妹を連れて歩かなければならなかったので、
結構,大変といえば大変でしたが、
弟も妹も
私のあとを追いかけて離れなかったので、
それから、
当時の、
唯一つの楽しみと心待ちにして感じていたのが、
夏休みに帰省して来てくれていた
神奈川県から帰省して来てくれていた
いとこ家族が訪れてくれることでした。
一緒に、
蛍を見たり
花火をしたり、
絵を描いたり、
お年玉で貯めて買ったカメラで、
当時の景色を、
互いに
写真を撮影したり
過ぎた日々と季節の中で、
色んな出来事がありましたが、
それも、
今となっては"宝物の思い出の中の
何番目かの1つとなりました。"
大人の今でも、
蛙さんやアメンボさん…
トカゲさんバッタさん…
"ごめんなさい。"
怖くて苦手なのです。
(好きになれるように克服しますね。)
それから、
御寿司とお刺身と海産物系が苦手なので、
(美味しい。
好きな味だと。
好きになれるように克服しますね。)
"克服しなきゃならないモノや事が
たくさんアリ…頑張ります。"
今は亡き、
・(母方のオバぁーへ)
・(母方のオジぃーへ)
・(父方のオジぃーとオバぁーへ。)
・(両親へ。)
・ここからは、
(少し語り調な手紙風に。)
書きました。
オバー、
そちらでは(空の向こう側では、)
オジーと仲良く
喧嘩せずに
元気に笑って過ごせているでしょうか。
オジー、
大正時代から、
昭和、
平成、
"令和"という
新しい時代になりました。
オジーの生まれた大正時代から、
生きてきた,その後の時代から、
変わってきたようで、
変わっていないようにも
感じる事がありますが、
"大正時代の頃の事は、
私は知らないのですが、"
今度は、
"私からオバーへ渡す"のではなくて、
"オジーからオバーへと、
渡したいお土産を、
素直に照れずに渡してくださいね。
オバーも、
きっと、
その方が嬉しいと思うから。"
"令和の時代は、"
自分自身の気持ちや心に、
素直に正直に生きやすい
"優しい時代ですよ。"
オバーも、
オジーも、
きっと、
自分達の事はいいからと、
二人で、
私の事を心配してると思いますが、
それから、
父さん、
母さん、
父方の祖父母の、
オジーへ
オバーへへ、
母方の祖父母の
オジーとオバーへ。
いつも見守ってくれて
"どうもありがとうございます。"
私は、
父さんと母さんと、
父方の祖父母のオジーとオバーと、
母方の祖父母のオジーとオバーに、
足りないくらいの
"ありがとう"と感謝を忘れずに
日々を頑張っています。
大事に一緒に歩んできた道のり
1つ1つの思い出を忘れずに。
大切にしながら。
大事に想い心から尊敬しています。
家族として。
親子として。
孫として。
父さんも、
母さんも、
父方の祖父母の、
オジーとオバーも、
母方の祖父母の
オジーとオバーも、
ハラハラして
日々の私を、
空の向こう側から、
見守ってくれていると思いますが、
安心してください。
私は元気だから大丈夫ですよ。
相変わらずな私ですが、
日々、
"新しい発見に巡りあったり、"
今までの私自身が知らなかった
"新しい色々な出来事に出逢えたり、"
"ふと"
寂しさを感じ思う事もありますが、
"生きてたら誰しも、
そう思う事はあると、"
また改めて、
角度と視点を変えてみながら
色々な方向から、
1つ1つのヒトトキを、
1つ1つのヒトコマを、
楽しんで歩んでいます。
空とともに、
日々を過ごしなから
色々ですが、
まぁー、
元気にボチボチと、
頑張って過ごしています。
最近、
つくづく感じ思うのです。
あの当時に、
もっと沢山
オバーから
沖縄の歴史や行事や文化とか、
野菜買う時の知恵や
田んぼやサトウキビの収穫の時の
あの頃の畑作業の手解きも
今さらなんだけど
尖らずに素直になって
もっと習っておけばよかったと。
オバーの生きてきた
オバーの歩んできた道のりの話や
色んな出来事の話し
もっと、
ちゃんと耳を傾けて聞けてあげれてたら
今さらなのですが、
オバー、
オバーが2006年に他界した後にね、
今はね時代の元号が変わって
令和って新しい時代になったんだよ!
なったんだけどね
オバーにも
今の時代見せてあげたかったなぁ
ほんと、
いろんな出来事があり過ぎて
オジーにも
母さんにも
それから
父さんにも
今、
こんな時代なんだよ
って話せたらなぁー
なんてね
ただ,そう思うだけで
そう思う事しか出来なくて
空の場所から聞いてもらえてたら
現実の(いまの)私は、
独りだけど、
まぁ…日々なんだかんだとあるのだけれど
その出来事さえも角度変えてみると
また知らない世界が
広がって知れて触れて感じられるから
その出来事1つ1つが愛しく
難しい出来事もあるにはアルのだけれど
"何故だかね
ホンノリ淡くワクワクと楽しいんだ"
目の前を自分自身の気持ちで心で
自分自身に正直になれる選択の自由がアル幸せや
元気に歩いて笑えてる幸せがアル事を
知ったから
元気に歩いて笑えてるよ!
時代が変わって時移ろえども
変わらず
私は
オバーの笑顔大好きだよ!
私は
私で
私なりに
"何気ない"って幸せを大事にしながら
"自由に選択出来る幸せも
決して当たり前なことだと思わずに"
"そのままの自分自身で
素直な気持ちのままで
自分自身の気持ちに正直に"
毎日を走れる事に感謝して
日々を生きてるよ
空から見てると思うけどさぁー
安心して見守っててね。
月日と季節が
とても早く過ぎて感じてさぁ
(もう…
そんな事を感じる年齢になったのかな)
そうそう、
祖母はお魚のアラ汁が好きでした
大正生まれの祖母でしたが…
何故だか?
ポテトチップスが大好きで
ヤクルトも好きで
ミカンも好きで
私が送迎送り迎えしてた
病院通院の時に
こっそりと…
ひっそりと…
私にバレないようにと
バックに忍ばせていました。
実はね、
オバー、
私は知ってて
"知らぬフリをしてました。"
オバーが嬉しそうな笑顔で、
ハリキッテ、
私の運転するマイカーに乗車する姿をみて、
持っていくのを
無理に止めさせる気にはなれませんでした。
私が、
オバーの立場なら、
きっと、
久しぶりのドライブやお出掛けが
嬉しくて楽しみに、
その当日を待っていたと
そんな風に、
オバーの気持ちや心の嬉しさを、
想像して寄り添い思ったからです。
私が運転する車で嬉しそうに
楽しそうにドライブ遠足を満喫してました
病院について
受診の際に
カバンに忍ばせてた"ミカンが転がり落ち"
ドサッと、
ポテトチップスも同時に飛び出してしまい
オバーにしてみたら、
"上手く隠してたハズなのに…"
(ヤバい(* ̄ー ̄))"→(汗)
とぼけながら、
慌てるオバーの姿に、
お医者さんは、
苦笑いして問診をしてくれました。
問診をうけて
その帰り道は
オバーの寄りたい所に運転して連れていきながら
買い物したり、
美容室へカットに連れていったり
「留守番して心配して待ってる
オジーのお土産も買わないとねー。」と、
よく、
オジーと喧嘩してたオバーは
なんだかんだ言いながら
心の中では
オジーの事を大事に想い
とっくに喧嘩してた事も忘れ
すでに許していましたね。
オジーはオジーで、
なんだかんだ言いながら
いつも、
オバーの大好物の食べ物を
農作業の帰りに
近くのマチヤグワァーで(小売り商店で)
買って帰り
オジーからと言わずに
私からと言って渡してと
(自分で渡したら良いのに。と
私はそう想いながらオバーに渡してました)
大正時代生まれのオジーらしい
なんとも歯がゆい
頑固といえば頑固で
素直になるのが苦手で
不器用な表現法方ばかりの
オジーの姿がそこにありました。
オバーと一緒に
その帰り道に、
オジーの大好物の
黒糖と
あんパンを買って帰ったのが
つい昨日の事のように思い出されます
2006年の冬の青空の日。
祖母が他界した
その日、
祖父は、
黙ったまま静かに
オバーが腰かけてた椅子を見つめてました。
ずっと…
立ち尽くして。
泣いてはいなかったけれど、
うっすらと、
涙を堪えてたのを覚えています。
オバーの大好物だった
"いなり寿司"を持って、
それからの祖父は、
2007年に他界するまでの間、
祖母が腰かけてた椅子に座り、
庭の景色を眺めたり、
私達の前では、
いつもと変わらない元気な姿で
ふるまっていましたが、
時折,
"ふと。"寂しそうにも見えて感じてました。
祖母が2006年に他界した後、
祖父は、
2007年に心不全の病気療養中の末
青空の冬の日に他界しました。
亡き父方の祖父母も
亡き母方の祖父母も
亡き両親も
今の道のりを独り歩んでる私にとって
その時の
その頃の
1つ1つが愛しく大切な心の宝で
時々の中で躓く時
ふと迷い風が吹く時
そんな時に
"自分自身を思い出させてくれる"
そっと背中をさすってくれる
寄り添ってくれる
大事な
大事な
私の尊敬する大事な家族です。
本当は
あの当時も
あの頃の月日の中でも
ゆとりがあれば
旅行にでも連れて孝行出来たら良かったのだけれど、
私が運転するマイカーで
ドライブがてらに
好きな場所や行きたい場所へと
連れていけるだけで
いっぱいで。
今となっては
喜んでもらえてた姿が
楽しんでくれていた姿が
懐かしくて
柔らかく
あたたかい
戻らぬ日々ばかりで。
とても幸せな
季節ばかりが思い出されて
大事なモノは
いつまでも褪せず
そんな風に感じる事ばかりです。
戦前と戦後
何一つ残ってなかった所から
祖父母は互いに力を合わせて
寄り添いながら
亡くなる前まで
サトウキビと田んぼの農家を営み
農家としての仕事に誇りを持って
常に自然と共に
自然の流れを観察しながら
あとは
水にとても拘りを持ち
農作業のバランス1つ1つを
とても大事にしてました。
「食べ物は人の口に入るモノだから
手間ヒマも労力も時間も
とてもかかるけれども、
とても遠回りしてるかもしれないが
遠回りでも、
1つずつ進む針の音は
進む道と一緒に響いているし
遠回りしてるからといって
自分自身が取り掛かってる事や
取り組んでる事に
自分自身だけは絶対に責めちゃいけないよ
空はね、
そういう姿を
そのまま静かに何も言わずに
信じてくれて
そっと寄り添いさすりながら
見てくれてるから
いつも頑張って生きている自分自身を
信じるんだよ
キラキラ輝いて笑顔で
幸せな人生を生きるんだよ
柔らかく
あたたかく
見守り続けてくれてる
空がある事を信じてね
元気があれば
元気でいてくれてたら
あとはね
自然に流れが導いてくれるさぁー
何でもそう
ゆっくりでいいさぁー
正直に生きてたら
あとは
どうにかこうにかなるもんだよ
下をうつ向かなくても良いんだよ
"何かを育てる事も"
"何かを作り仕上げる事も"
正直に生きてたらね
大丈夫
"何かを作る流れが
どこかで繋がって
大事に育てる道のりと時間がかかってこそ"
優しいモノが出来上がる。
だからこそ、
愛しく大切に
日々の農作業を大事にしたいんだと、」
生前祖父が私に話してくれたヒトコマです。
なんだかんだと長くなりましたね。
ごちそうさまでした。
今回の記事は、
この辺で。
*【関連リンク記事です。】
ある日のカチュー湯。(写真とマイペースと。」
たい焼きさんの写真と アイコンのイラストと。

たい焼きさんの写真と
アイコンのイラストと。
ある日の日曜日に
たい焼きさんをオヤツに味わいました。
幼い頃に
よく2つ下の弟と簡単なオヤツを
作り味わってたのですが
弟は器用で細かな事が得意で
なんでも器用なタイプで
私は…
とても不器用で
直ぐにはこなしきれず
とても時間が必要で
じっくりと観察しながら
周りを把握しながら
とても不器用に作るタイプでして
11年の離れた1990年生まれの妹も
弟と同じく器用なタイプで
3人の中で
お菓子作りが不器用だったのは
私でして
そんな懐かしい思い出を思い出しながら
独りパクパクと
「美味しい♪」
「幸せ~~♪」を繰り返しながら
オヤツの
たい焼きを味わった
ある日の日曜日でした♪
最近よく聴く曲を聴きながら♪
1つ1つの曲に、
たくさんのパワーと♪
元気をもらいながら
"ホッとヒトトキ癒されながら♪"
大切に聴いています!
"どうもありがとう!"
洗濯物たたみと家計簿タイムスタート。
ではでは、
今回の記事は、
この辺で。
「紅顏如霜 Cold Hearted」で
琴の音色があるのですが
私自身,学生時代に
日本琴を触れる程度ですが、
今は,もう弾いてはいないのですが、
奏で響いた弦の感触も音色も
全ての曲1つ1つが、
今では懐かしくもあり、
もう…そんなに月日が流れてしまったのかという
時の経過や
季節のかわり
景色の移ろいが、
そらら全て懐かしく
当時のコトや思い出も、
また愛しく思い出され、
(北海道や宮城県)や
(大阪や奈良や京都)へ
訪れた当時の頃を
懐かしく思い出しながら
聴いてます。
ここからは
私の,ただの思い出話しになるのですが、
学生の頃の思い出の話しで
行きの船内で、
私以外は
みんな船酔いしてたので
しばらく静かに
読書をしたり、
しおりを読んでたりと
時間を過ごしていたのですが、
なんだかなぁー。
と、
寂しく感じて、
私ひとり
船の上で
景色を眺めたり
途中は、
船内散策をして
船内キッチンに案内してもらえたり
船内のカレーと
お味噌汁が
とても美味しかった事を
今でも覚えています。
とても楽しかった船内散策でした。
あと、
初めての飛行機旅だったので、
とても嬉しかった事を覚えてます。
"雪"を生まれて
このかた
まだ一度も
触れて見たことはなく
修学旅行先で
"雪"とのご対面を期待してたのですが
とても晴れていて
旅行日和の旅でした。
ブログプロフにも少し綴り書いてますが
いつかは、
本物の"雪"に触れて見てみたいです。
私の住んでる場所は
海に囲まれてる場所なので
どちらかというと
海は…
眺める景色で
私の中では
泳ぐ場所というよりも
どちらかというと、
ボケーッと
波の音をききながら
眺める景色という感覚に近いです。
なんだかんだと、
仲間や友人みんなと一緒に
たくさん笑顔で笑ってた時間が
今は懐かしく愛しく
あと、
高校生の頃に、
みんなでワイワイ楽しく賑やかに♪
美味しく食べてた思い出のある
学食の御飯♪
あの味と、
その当時の時を思い出しながら
少しだけ
センチメンタルな想いにふけながら
何でもない事で笑い合えた
"青春のヒトトキ"と、
あの頃の叶えたかった"懐かしい夢と。"
懐かしい味と一緒に思い出しながら
そんなふうな
ある日曜日のヒトトキでした。
梅雨の季節と
蒸し暑い天気と雨の天気と
ナンやかんや
洗濯物が無事に乾いてくれたら
それでホッとしますね。
今日も1日ありがとう♪
明日も良い1日を。
関連記事ではないのですが…
それに近い感じで
私アルアルな部分の1つを
今回の記事で少し書きました、
そのバランスの取り方が
自分自身に合ってるのか?どうかは?
今のところ…なんとも掴めずなのですが
とりあえずはといった感じでした。
リンクです。
6月の空とホッチョケーチの写真 (少しお知らせ)
アイコンのイラスト
手描きで描きました。
イメージして描いたのは
(和の模様と丸い窓です。)
プロフ欄とメッセージ欄にも
書いてます。
【2024年6月12日】
ブログとXとインスタのアイコン
手描きイラストで描いたのをUPして変えました。
説明内容も少し変えました。
ブログテーマも少し変えました。
どうぞ宜しくお願いします。



6月の空とホッチョケーチの写真 (少しお知らせ)
6月の空とホッチョケーチの写真
(少しお知らせ)


・(今日の記事内容)
・(写真と
少しお知らせ)
いかがお過ごしでしょうか。
我が家のセキセイインコくん
ウーロンくんも
毎日、元気に過ごしてますよ♪
私も含めて元気に過ごしておりますので
どうぞご安心くださいね。
梅雨の季節の
蒸し暑いお天気ですが
お身体御自愛ください。
明日も良い1日を!
・(お知らせ)
今回の記事内のみだけの内容として、
今後の
こちらのでのブログ使用を少し
お知らせとして書きました。
普段書くブログ使用として
今後も変わりありません。
(こちらでのブログは引き続き続けていきます。)
ただ少し変更があり、
少しだけ変わる部分は
🔶【それ以外の置き場所として】
の部分で、
(2010年~2013年記事保管置き場)
のブログテーマの部分です。
現在、
表に投稿している記事や
写真や創作イラスト以外は、
以前の
2010年~投稿してきた記事等々も含めて
私にとって大事で大切な
それよりも,もっと大切な
思い出の景色の1つと
宝物のような1つ1つを
2010年から
今までのモノを少しずつ
残せるモノは残しますが
(写真と手描き創作のイラストと
記事と)
それ以外は
(今までの記事と写真と手描き創作イラストを)
2010年~2013年含め記事保管置き場
のブログテーマの部分に、
大切にしまっておこうと思います。
2018年の母の病気他界で旅立った
あの歳月から、
弟と妹と私と3人で
母の最後を見送った時から
ずいぶんと時が経ち
あれから、
私自身、色々な歳月と年月を重ねる中で
立ち直り
歩き出すまでの間、
とても長い月日と時間が必要で
今でも、
"ふと"した時や瞬間に、
母は、
本当に,もう
ここに居ないのだと、
実感する事も時々あります。
なるべく、
忙しく過ごして
早く立ち直らなければと、
そう思いながら。
泣かずに見送った
"あの日"から、
空を見上げる事も
新しい何かにワクワクする事も
新しい出逢いに臆病になり
直ぐに別れが来るのだから、
と、
何処かでか勝手に
心の線を引いて
勝手に臆病になって
思いきり笑うことも少なくなり
立ち止まって
振り返って
泣いてばかりの私の姿が
今まではありましたが、
それからの季節も
それからの月日も
あっという間の季節も
流れ去ってく景色の中でも
そんな思いと気持ちばかりが
繰り返しあった日々の私の姿があったのですが、
そんな私の
立ち直るキッカケにもなった
優しい風に
ホンの一瞬でも
優しい柔らかな
美しくあたたかい世界がある事を知り
気付く事が出来て
その世界に出逢えて
触れられただけでも
今の私にとっては、
とても,かけがえのない
大きな
優しい
柔らかい
大切な
新しい宝物の
思い出の1つとなり
再スタートとして、
再び歩き出し始めた
私のキッカケの1つとなりました。
その優しい風は、
ここでのブログ記事を通して感じられた、
気づけた"今の私自身が思っている柔らかな心の風と、"
"今を通して"
"現在を通して少しだけ気づけた"
日々を場面ごとの結びでアラワスとするならば、
"風は感じられなければ見つけられない、"
"そういうカタチのない様々な風"
"そういうカタチない繋がる風です。"
そういう今の私自身の
今、やっと、
立ち直れた
歩き出せたと、
ホンの少し自分自身の中では、
そう思っているところです。
この大切な宝物の思い出を、
今度は、
心からの笑顔で話せる時や日が来るように、
そのままの自分自身で、
肩に力を入れ過ぎずに頑張っていきます。
(もしかしたら、途中で、
今の言葉を忘れてしまい、
独り歩く道途中で(人生の中で、)
時折、
弱音をはいてしまっている私の姿が
この先あるかもしれません。)
でも、
今は、
自分自身の為に
そのまま下書き保存にしながら
そっと残して置いておこうと思います。
怖じ気づく部分もアル私なので、
不器用なりに、
いざ,決めつつも、
本音は、
まだホンの少し
その答えで良いのか?
そのまま下書き保存にしてしまっておこう
それが答えで良いのではないのか?
自問自答繰り返しながら
迷いながらの中ですが
"今は"
"今模様の中で"
焦らずに
ゆっくりと、
1つずつの気持ちと一緒に
自分自身の気持ちを確かめながら
客観的にじっくり観察しながら
それと同時に、
今と今後へ向けて
冷静に客観的に
自分自身の素直な気持ちを
"1つ1つ把握しつつ"
そう思っているところです。
表に投稿している記事や
写真や創作イラスト以外は、
(2010年~2013年含め記事保管置き場)
のブログテーマの部分に、
今までや
これまでに投稿してきました
残りの過去の記事や写真やイラストも
1つ1つ
私の大切な宝物の
思い出の景色の1つとして
下書き保存で
そのまま控え置いておこうと思います。
その他の
今までの過去記事写真やイラストも
私にとって、
大切な記録と思い出の一部分を、
ここに(ブログ記事内に記録として保管します。)
そのまま下書き保存でしまい置いておこうと思います。
どうぞ宜しくお願いします。
愛しくかけがえのない思い出1つ1つへ。
今までも
これからも変わらない想い
ありがとう感謝。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ここからは、
・(私自身の今思うアレコレ模様を、
書きたいままに、
"マイペースに、"
"ゆるりと、"
書き綴ってみました。)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今は、
今の思うコトや気持ちの部分を、
少し過去も振り返ってしまう事もあるかもしれません。
ただ今は、
そういう感じながらの
"何かを残していける場所として"
何かをマイペースに気分転換に
束の間のヒトトキを過ごせられる
場所として。
のんびりと。
ゆるり
ゆっくりと、
こちらのブログで、
変わらず
引き続きと思っているところでもあります。
克服出来るように、
私自身、
まだ、
色々な部分を模索中ではあるのですが、
角度を変えながら
自分自身を客観的に冷静に見る。
その1つの
"足掛かりとステップのような。"
それに近い感じなのですが、
"良い判断材料となれるような、"
"それを"何か掴められたらなと。
"柔らかく"
"自分自身の気持ちに優しくなれるように。"
独りでアレコレ詰め込み走り過ぎてしまう
そういう部分もアリ
未だに克服出来てない
人見知りと
親しくなるまで結構な時間がかかり、
距離が縮まるまでの時間がイチバンかかる
もので、
他の方よりも
色々な面で
時間が必要でかかる私なものでして。
とても情けないので話しなのですが。
真面目過ぎな部分を少し和らげる為にも
克服せねばと思っては…いるのですが。
距離が縮まるまでの時間がイチバンかかる
そういう不器用な部分も
あまり難しく考え過ぎずに
自分らしく
和らげながら
何かを
自分自身のプラスの為に
角度を変えながら
視点を変えながら
今は、
そう思っている部分も
心素直に見つめながら思っています。
真面目な部分もあるのだけれど、
逆に,違う部分で大ざっぱで適当で、
めんどくさがり屋さんな部分もアル
私なので、"
どこか抜けてる…私なので、
もう克服するよりも
そのままの私を認めながら
この私の部分と
付き合っていくしかないのかな。
と、
思いながらデスネ
色々デス。
年齢とともに、
その年、
その年の悩みや課題や目標や
ほんわかな
"何気ない夢であったり。"
様々に変わってくる部分や
自分自身が目の当たりにする事も
また、
1年、
1年と違うのは当然ではあるのですが、
本当に、
色々な部分で、
様々に通用しなくなる場面も増え
それは、
それで、
難しくもあるのですが、
"視点と発想を変えてみながら"
"通用する・しない"ではなくて、
"どうやったら、
自分自身が進みたい方向へと向かい
1つ1つを進めていけるのか?"
"その先へ"
進みたいのなら、
"その方法と手段と行動を考える。"
そして、
"とりあえず1つ1つを進む。"
"どこに辿り着く"とかは、
先走り考え過ぎずに。
今は
ど真ん中にいるよりも
"端っこにいる方が落ち着く私なので"
自分の好きな時間がイチバン
落ち着いてホッと出来て
色々な面で
とても気を遣い過ぎる方で
そんな事まで,イチイチ気にしなくても…
という部分まで
結構…気にする私でして
怖じ気づき屋さんの
怖がり屋な部分もある私なので、
未だに克服出来てない
人見知りと
親しくなるまで結構な時間がかかり、
距離が縮まるまでの時間がイチバンかかる
もので、
他の方よりも
色々な面で
時間が必要でかかる私
真面目な部分もあるのだけれど、
逆に,違う部分で大ざっぱで適当で、
めんどくさがり屋さんな部分もアル
私なので、"
デモですね、
そんな私とワタシは、
この道を歩み続けているワケでして、
もっと気さくに
色々な方面で
楽しんでみたり
なんか…こーう、
気さくに出来れば良いのですが
周りの仲間や友人に相談しながら、
参考に出来そうな部分は、
参考にしつつも、
でも、
最終的に、
"今後の自分自身が,どうありたいのか。"
"その答えと"
"そこへ辿り着くまでの過程や(道程や)"
結果、
"最終的や答えを出して進むのは
私自身なので。"
話す部分で、
気が解れると
気さくに話してくださる、
仲間や友人みんなに、
心から感謝しつつも、
私自身の中で、
自分自身の今の気持ちや
今後どう進みたくて、
今後どう歩んでいきたいのか。
そういう思いや気持ちを
を客観的に冷静に観察しながら、
有り難く感謝しながら、
参考のひとつとして、
話しを聞いています。
今の私が1つ、
"留めている事は、"
書きながら、
それを辿りながら、
今の自分自身の気持ちを確かめながら
素直に
客観的に自分自身の気持ちを見つめつつ
落ち着きながら
1つ1つを把握しつつ
今のところは、
そういう思いで
マイペースに過ごせられる
私のヒトトキな場所として
と,思っているところ
そういう部分も含めて、
私自身にとっての
マイペースな場所として、
客観的に冷静に焦らずに。
そんな風にも思いながら
そう思っています。
Xやインスタや
こちらのブログで
コメント欄は設けてないのですが
(いつも見にきてくださる方、
時々ヒョイト訪れてくださる方、
何気に訪れてくださった方、
いつもありがとうございます。)
お返事は返せないのですが、
皆様、
お一人,お一人に、
心から"ありがとう"と感謝を込めて。
皆様にとっての
毎日が素敵な優しいで溢れますように。
こちらのブログも
Xもインスタの方も
マイペースに過ごせられる
私のヒトトキな場所として
続けられたらなーと
そういう気持ちの中で
今は
そう思ってます。
仕事関連のブログではなくて
(Xもインスタの方も同じく)
【"私のマイペースな
ヒトトキの場所なのですが。"】
今までと変わらず
今後も変わらず
こちらのブログでお世話になります。
(いつかは新しい気持ちで、
また違うコンテンツも試せたらなと
思いますが、
私自身が、
今は,まだ,色々な面で、
1つ1つステップ段階と、
私自身に、
足りてない欠けてる部分も含めながら
冷静に客観的に観察しながら捉えて
自分自身にとっての、
今後への新たな方向性や、
色々と進む段階への準備や、
アレコレと今後へ向けて何が必要なのか。
そういう部分も、
冷静に判断する為の1つの材料の場所として、
と色々と模索中でもあり、
そう思いながらの
"自分自身との対話の1つの場所としても、"
等々と,色々考えながら、
ゆっくり1つ1つ。
大好きなヒトトキに囲まれながら。
今は、
"何かを残していける場所として"
何かをマイペースに気分転換に
束の間のヒトトキを過ごせられる
場所として。
今後とも
我が家のセキセイインコくん
ウーロンくんと私の
何かを書いたりする
とても
マイペースなブログを
どうぞ宜しくお願いします。
(少しお知らせ)


・(今日の記事内容)
・(写真と
少しお知らせ)
いかがお過ごしでしょうか。
我が家のセキセイインコくん
ウーロンくんも
毎日、元気に過ごしてますよ♪
私も含めて元気に過ごしておりますので
どうぞご安心くださいね。
梅雨の季節の
蒸し暑いお天気ですが
お身体御自愛ください。
明日も良い1日を!
・(お知らせ)
今回の記事内のみだけの内容として、
今後の
こちらのでのブログ使用を少し
お知らせとして書きました。
普段書くブログ使用として
今後も変わりありません。
(こちらでのブログは引き続き続けていきます。)
ただ少し変更があり、
少しだけ変わる部分は
🔶【それ以外の置き場所として】
の部分で、
(2010年~2013年記事保管置き場)
のブログテーマの部分です。
現在、
表に投稿している記事や
写真や創作イラスト以外は、
以前の
2010年~投稿してきた記事等々も含めて
私にとって大事で大切な
それよりも,もっと大切な
思い出の景色の1つと
宝物のような1つ1つを
2010年から
今までのモノを少しずつ
残せるモノは残しますが
(写真と手描き創作のイラストと
記事と)
それ以外は
(今までの記事と写真と手描き創作イラストを)
2010年~2013年含め記事保管置き場
のブログテーマの部分に、
大切にしまっておこうと思います。
2018年の母の病気他界で旅立った
あの歳月から、
弟と妹と私と3人で
母の最後を見送った時から
ずいぶんと時が経ち
あれから、
私自身、色々な歳月と年月を重ねる中で
立ち直り
歩き出すまでの間、
とても長い月日と時間が必要で
今でも、
"ふと"した時や瞬間に、
母は、
本当に,もう
ここに居ないのだと、
実感する事も時々あります。
なるべく、
忙しく過ごして
早く立ち直らなければと、
そう思いながら。
泣かずに見送った
"あの日"から、
空を見上げる事も
新しい何かにワクワクする事も
新しい出逢いに臆病になり
直ぐに別れが来るのだから、
と、
何処かでか勝手に
心の線を引いて
勝手に臆病になって
思いきり笑うことも少なくなり
立ち止まって
振り返って
泣いてばかりの私の姿が
今まではありましたが、
それからの季節も
それからの月日も
あっという間の季節も
流れ去ってく景色の中でも
そんな思いと気持ちばかりが
繰り返しあった日々の私の姿があったのですが、
そんな私の
立ち直るキッカケにもなった
優しい風に
ホンの一瞬でも
優しい柔らかな
美しくあたたかい世界がある事を知り
気付く事が出来て
その世界に出逢えて
触れられただけでも
今の私にとっては、
とても,かけがえのない
大きな
優しい
柔らかい
大切な
新しい宝物の
思い出の1つとなり
再スタートとして、
再び歩き出し始めた
私のキッカケの1つとなりました。
その優しい風は、
ここでのブログ記事を通して感じられた、
気づけた"今の私自身が思っている柔らかな心の風と、"
"今を通して"
"現在を通して少しだけ気づけた"
日々を場面ごとの結びでアラワスとするならば、
"風は感じられなければ見つけられない、"
"そういうカタチのない様々な風"
"そういうカタチない繋がる風です。"
そういう今の私自身の
今、やっと、
立ち直れた
歩き出せたと、
ホンの少し自分自身の中では、
そう思っているところです。
この大切な宝物の思い出を、
今度は、
心からの笑顔で話せる時や日が来るように、
そのままの自分自身で、
肩に力を入れ過ぎずに頑張っていきます。
(もしかしたら、途中で、
今の言葉を忘れてしまい、
独り歩く道途中で(人生の中で、)
時折、
弱音をはいてしまっている私の姿が
この先あるかもしれません。)
でも、
今は、
自分自身の為に
そのまま下書き保存にしながら
そっと残して置いておこうと思います。
怖じ気づく部分もアル私なので、
不器用なりに、
いざ,決めつつも、
本音は、
まだホンの少し
その答えで良いのか?
そのまま下書き保存にしてしまっておこう
それが答えで良いのではないのか?
自問自答繰り返しながら
迷いながらの中ですが
"今は"
"今模様の中で"
焦らずに
ゆっくりと、
1つずつの気持ちと一緒に
自分自身の気持ちを確かめながら
客観的にじっくり観察しながら
それと同時に、
今と今後へ向けて
冷静に客観的に
自分自身の素直な気持ちを
"1つ1つ把握しつつ"
そう思っているところです。
表に投稿している記事や
写真や創作イラスト以外は、
(2010年~2013年含め記事保管置き場)
のブログテーマの部分に、
今までや
これまでに投稿してきました
残りの過去の記事や写真やイラストも
1つ1つ
私の大切な宝物の
思い出の景色の1つとして
下書き保存で
そのまま控え置いておこうと思います。
その他の
今までの過去記事写真やイラストも
私にとって、
大切な記録と思い出の一部分を、
ここに(ブログ記事内に記録として保管します。)
そのまま下書き保存でしまい置いておこうと思います。
どうぞ宜しくお願いします。
愛しくかけがえのない思い出1つ1つへ。
今までも
これからも変わらない想い
ありがとう感謝。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ここからは、
・(私自身の今思うアレコレ模様を、
書きたいままに、
"マイペースに、"
"ゆるりと、"
書き綴ってみました。)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今は、
今の思うコトや気持ちの部分を、
少し過去も振り返ってしまう事もあるかもしれません。
ただ今は、
そういう感じながらの
"何かを残していける場所として"
何かをマイペースに気分転換に
束の間のヒトトキを過ごせられる
場所として。
のんびりと。
ゆるり
ゆっくりと、
こちらのブログで、
変わらず
引き続きと思っているところでもあります。
克服出来るように、
私自身、
まだ、
色々な部分を模索中ではあるのですが、
角度を変えながら
自分自身を客観的に冷静に見る。
その1つの
"足掛かりとステップのような。"
それに近い感じなのですが、
"良い判断材料となれるような、"
"それを"何か掴められたらなと。
"柔らかく"
"自分自身の気持ちに優しくなれるように。"
独りでアレコレ詰め込み走り過ぎてしまう
そういう部分もアリ
未だに克服出来てない
人見知りと
親しくなるまで結構な時間がかかり、
距離が縮まるまでの時間がイチバンかかる
もので、
他の方よりも
色々な面で
時間が必要でかかる私なものでして。
とても情けないので話しなのですが。
真面目過ぎな部分を少し和らげる為にも
克服せねばと思っては…いるのですが。
距離が縮まるまでの時間がイチバンかかる
そういう不器用な部分も
あまり難しく考え過ぎずに
自分らしく
和らげながら
何かを
自分自身のプラスの為に
角度を変えながら
視点を変えながら
今は、
そう思っている部分も
心素直に見つめながら思っています。
真面目な部分もあるのだけれど、
逆に,違う部分で大ざっぱで適当で、
めんどくさがり屋さんな部分もアル
私なので、"
どこか抜けてる…私なので、
もう克服するよりも
そのままの私を認めながら
この私の部分と
付き合っていくしかないのかな。
と、
思いながらデスネ
色々デス。
年齢とともに、
その年、
その年の悩みや課題や目標や
ほんわかな
"何気ない夢であったり。"
様々に変わってくる部分や
自分自身が目の当たりにする事も
また、
1年、
1年と違うのは当然ではあるのですが、
本当に、
色々な部分で、
様々に通用しなくなる場面も増え
それは、
それで、
難しくもあるのですが、
"視点と発想を変えてみながら"
"通用する・しない"ではなくて、
"どうやったら、
自分自身が進みたい方向へと向かい
1つ1つを進めていけるのか?"
"その先へ"
進みたいのなら、
"その方法と手段と行動を考える。"
そして、
"とりあえず1つ1つを進む。"
"どこに辿り着く"とかは、
先走り考え過ぎずに。
今は
ど真ん中にいるよりも
"端っこにいる方が落ち着く私なので"
自分の好きな時間がイチバン
落ち着いてホッと出来て
色々な面で
とても気を遣い過ぎる方で
そんな事まで,イチイチ気にしなくても…
という部分まで
結構…気にする私でして
怖じ気づき屋さんの
怖がり屋な部分もある私なので、
未だに克服出来てない
人見知りと
親しくなるまで結構な時間がかかり、
距離が縮まるまでの時間がイチバンかかる
もので、
他の方よりも
色々な面で
時間が必要でかかる私
真面目な部分もあるのだけれど、
逆に,違う部分で大ざっぱで適当で、
めんどくさがり屋さんな部分もアル
私なので、"
デモですね、
そんな私とワタシは、
この道を歩み続けているワケでして、
もっと気さくに
色々な方面で
楽しんでみたり
なんか…こーう、
気さくに出来れば良いのですが
周りの仲間や友人に相談しながら、
参考に出来そうな部分は、
参考にしつつも、
でも、
最終的に、
"今後の自分自身が,どうありたいのか。"
"その答えと"
"そこへ辿り着くまでの過程や(道程や)"
結果、
"最終的や答えを出して進むのは
私自身なので。"
話す部分で、
気が解れると
気さくに話してくださる、
仲間や友人みんなに、
心から感謝しつつも、
私自身の中で、
自分自身の今の気持ちや
今後どう進みたくて、
今後どう歩んでいきたいのか。
そういう思いや気持ちを
を客観的に冷静に観察しながら、
有り難く感謝しながら、
参考のひとつとして、
話しを聞いています。
今の私が1つ、
"留めている事は、"
書きながら、
それを辿りながら、
今の自分自身の気持ちを確かめながら
素直に
客観的に自分自身の気持ちを見つめつつ
落ち着きながら
1つ1つを把握しつつ
今のところは、
そういう思いで
マイペースに過ごせられる
私のヒトトキな場所として
と,思っているところ
そういう部分も含めて、
私自身にとっての
マイペースな場所として、
客観的に冷静に焦らずに。
そんな風にも思いながら
そう思っています。
Xやインスタや
こちらのブログで
コメント欄は設けてないのですが
(いつも見にきてくださる方、
時々ヒョイト訪れてくださる方、
何気に訪れてくださった方、
いつもありがとうございます。)
お返事は返せないのですが、
皆様、
お一人,お一人に、
心から"ありがとう"と感謝を込めて。
皆様にとっての
毎日が素敵な優しいで溢れますように。
こちらのブログも
Xもインスタの方も
マイペースに過ごせられる
私のヒトトキな場所として
続けられたらなーと
そういう気持ちの中で
今は
そう思ってます。
仕事関連のブログではなくて
(Xもインスタの方も同じく)
【"私のマイペースな
ヒトトキの場所なのですが。"】
今までと変わらず
今後も変わらず
こちらのブログでお世話になります。
(いつかは新しい気持ちで、
また違うコンテンツも試せたらなと
思いますが、
私自身が、
今は,まだ,色々な面で、
1つ1つステップ段階と、
私自身に、
足りてない欠けてる部分も含めながら
冷静に客観的に観察しながら捉えて
自分自身にとっての、
今後への新たな方向性や、
色々と進む段階への準備や、
アレコレと今後へ向けて何が必要なのか。
そういう部分も、
冷静に判断する為の1つの材料の場所として、
と色々と模索中でもあり、
そう思いながらの
"自分自身との対話の1つの場所としても、"
等々と,色々考えながら、
ゆっくり1つ1つ。
大好きなヒトトキに囲まれながら。
今は、
"何かを残していける場所として"
何かをマイペースに気分転換に
束の間のヒトトキを過ごせられる
場所として。
今後とも
我が家のセキセイインコくん
ウーロンくんと私の
何かを書いたりする
とても
マイペースなブログを
どうぞ宜しくお願いします。
6月生まれの皆様お誕生日 おめでとう♪ 2024年限定誕生日



・【リール内容】
紫陽花に一粒
雨のシズクと
風が運ぶ風情を感じながら
そういうヒトトキの
"雨の物語と模様を味わいながら"
"雨上がりの虹が映る水面"
空を見上げながら。
始まりの6月とともに。
そんなイメージをしながら
作成してみました。
 ̄ ̄
「6月生まれのお誕生日の皆様!」
Happy Birthday♪(*^^*)
お誕生日おめでとうございます!
お誕生日だね!
おめでとう!
みんなで楽しく♪
全員集合だぁ!
心から
お誕生日おめでとう♪"(^^)
季節を楽しみながら♪(*^^*)
幸せな良い1年を!
"穏やかな優しい日々を"
Happy Birthday♪
心あたたまる素敵な
幸せな良い1年を!
今日も1日ありがとう♪
明日も良い1日を。
米粉焼きケーチ♪(ケーキ)試作写真と少し物語風っぽくもアリ。最近のウーロンくん模様と創作イラスト
「米粉焼きケーチ♪(ケーキ)試作写真投稿と
少し物語風っぽくもアリ、
最近のウーロンくん模様と創作イラスト」

・(今回の内容)
①残っていたシリーズ☆
「残っていた余りモノの材料を
全て投じて試作してみた
米粉焼きケーチ♪(ケーキ)」の写真投稿。
↓
(記事の途中…"何故か始まった。")
(読みモノ的なようなモノ風な書き綴り…。)
【タイトルには】
イラストと記載して間違えて
投稿してしまいましたが
【ごめんなさい。】
ウーロンくんの創作イラスト
また今度
頑張って描いてみたいと思います。
本当にごめんなさい。
あしからず。m(__)m💦
残って余ってしまっていた材料を
"どんなカタチに試作してみようかな?"
目の前の
残ってしまっていた
余りの材料と向き合う事に
集中
仕上がりと
作り終える工程を
"なんとなーく
イメージ。"
悶々と
数日
残っていた材料を見つめる。
"ブレズニ心の目をあけて"
(ナゼ!?早よ作らぬのじゃ!?(* ̄ー ̄)!?)
曇りのナイ心で
"材料を1つ1つ"
全力投球
ボールに投じる
(何かスポーツの大会にでも…
出場したかったのかのぉー!?(*´ω`*))
"静寂な音の中で"
【少しのオポロゲな中で
"イメージが…"
"そう…
"何かが花ひらき
ゆっくりとヒラメキ始めた☆】
"美と健康と元気になれるような"
そんな…
"何かが食べたいのだ。"
↓
(イメージが見つかって良かったね♪(o^-^o))
"内なる美しさ"
"日々,元気と健康に繋げて
明日への力に変えていきたいのだ。"
"そう…"
"その何か!?"
"ボンヤリ感の白黒ハッキリしないような"
そんな感じに近いモヤモヤ感
見つけ出してカタチに変えてみたい
"ベールの向こう側に明るく照す一筋"
ー想像さえしてなかった味わい感ー
どこまでも食い意地満載な…ワタシ。
食いつき良くても
どこまでも
"続かない―この流れの続き。"
"-残りと余りの有終の美を盛り付け-。"
私は、
最後まで全力投球で試し終え
その風を感じながら
使い終えた道具を片付けて
キッチンの灯りを消した
とても心地よい爽やかな
良い風がすり抜けた
キッチンをあとにする私に
明るく微笑んでくれたかのように
"残りと余りモノからの拍手喝采が
響き聞こえたような…
そんな気がした。"
"最後まで。"
そんな素敵な言葉を投げ掛けながら。
その言葉が
"私の背中に柔らかく響き
優しくさすり寄り添ってくれた、"
私は、
キッチンのドアを閉じた。
明日へのチャージの為に
嬉しい気持ちのままでいたいから
そのまま
ゆっくり一休みについた。
残りモノさん
余りモノさん
楽しいヒトトキを,
"どうもありがとう。"
今度は、
また違うレシピ探して三千里
試作試して万里かな。
それも含めながら,
色んな簡単お手軽なレシピを
楽しく散策しながら
参考にしながら
実際に試して作りながらと
ゆっくり出来る時にでも
楽しめたらなと、
(そう思いながらの)
↓
・【自己反省点と改善してみた点】
工程も作り方も味も完全にオリジナルでの
試作で、
味わうまでは、
"どんな仕上がりなのか?"
想像出来ない中での
試作作りでしたので、
今回反省する点と
改善してみた点は、
仕上がりの味わいが
想像してたのよりもワリカシ…
あっさりした味に仕上がったので
もう少しラカントかバナナ足しても
良かったのかな?
と、反省点と改善点を
自己点としてノートに箇条書き。
なんだかんだと、
料理をしてる時や
色んなレシピに出逢えた時は
そういう時の方がストレスフリーで
頭カラッポにして夢中になれて
楽しい♪
という事に気が付きました
5月の季節……
梅雨入りと蒸し暑さの
そんな頃と
そんな私。
ここ最近はね。
ブログ更新も、
ね。
Xもね。
インスタの方もね。
更新
滞ってしまってるけどね。
最近よく聴いてる曲に癒されながら
素敵な優しい作品を目に触れて
その世界観に癒されながら
まだ読み終えきれてない本を
めくりながら
それから、
我が家のセキセイインコくん。
ウーロンくんも
季節の日々模様と今を
元気に一緒に過ごしてますよ。
最近のウーロンくんのヒトトキは、
"動画の中の
セキセイインコちゃんに会う前に
(動画を視る前に)
羽づくろいをして
(カッコ良くととのえて♪)
キリッと!
スタンバイしてる姿が
とても可愛い♪
ウーロンくんらしい
控え目なアピール
可愛い♪→(ウーロンふぁいと♪)
(ウーロンの恋の想いが実りますように!)
動画の中のセキセイインコちゃんに
アピールして切なそうに恋をしている
ウーロンくんです。"
御飯も(夕げ/昼げ/朝げも)
モリモリと召し上がってくれております。
そういう元気な姿が何よりの
私のヒトトキです。
それから、
創作の下書き続きの方もね
ぜんぜん進んでなくて。)
(タイトル
香らない花
「千年万花せんねんばんか。」
下書き止まりのままで
止まってしまっている。
(まぁ…いいか。
↓
ゆっくりね。
ゆっくりね。
↓
ゆっくりイメージ構想と
降ってくるヒラメキを待ちながらね。
そんな感じカナ。)
何度も読み直してみてるんだけど
"人の時代から
次の時代へと変わる"
"そこからの、"
流れと内容の展開が
自分の中でイマイチで。
なーんかね、
なーんか違うのだよ。
なのだよ。
なのでね。
ブログの方もね
Xの方もね
インスタの方もね
ゆっくりね。
書きたい時に
撮りたい時に
創作作成したい時に
いろんな楽しみを
1つ1つ
何かで出来ればなぁーと
淡いボンヤリとした想いで
様々な作品と触れあいながらの中で
今は
そう思ってます。
今は…だけれども
また違った変化に出逢いながら
また何かが違ってきたり
今の自分自身とは
また違う自分自身が
違う答えや
違う方向性を見つけたり
もしかしたら、
云々と
模索中のままでいるのかも知れないし
"とりあえず進みながら"
迷うし
立ち止まりもあるだろうし
答えも方向性も…なんてね
そういうヒトトキを
言っている場合でもない日々を走っているだろうし、
分からないままで
知らないままで
とにかく進まなくちゃならない毎日を
走っているだろうし、
でっ、
気が付いたら
また年末迎えて
あー、
もう今年も終わりなのかー。
って、
同じ台詞をボヤキながら
"なんだかんだ"としているだろうし、
まだ5月
されど、
もう5月も後半
また直ぐ6月の季節がやって来る
日々を大切にしながら
優しいヒトトキに
包まれる穏やかさと
あたたかな想いを感じながら
今も
これからも
笑える方へ進みたい
"素のままで"
"素直なままで"
"そのままで"
"笑える方へ"進み
"優しい"と歩み
自分自身の今を生きる。
なんだか長々と
グタグタな結びで
今回は
この辺で
今日も1日
ありがとうございました!
明日も優しい素敵な良い1日を♪
少し物語風っぽくもアリ、
最近のウーロンくん模様と創作イラスト」

・(今回の内容)
①残っていたシリーズ☆
「残っていた余りモノの材料を
全て投じて試作してみた
米粉焼きケーチ♪(ケーキ)」の写真投稿。
↓
(記事の途中…"何故か始まった。")
(読みモノ的なようなモノ風な書き綴り…。)
【タイトルには】
イラストと記載して間違えて
投稿してしまいましたが
【ごめんなさい。】
ウーロンくんの創作イラスト
また今度
頑張って描いてみたいと思います。
本当にごめんなさい。
あしからず。m(__)m💦
残って余ってしまっていた材料を
"どんなカタチに試作してみようかな?"
目の前の
残ってしまっていた
余りの材料と向き合う事に
集中
仕上がりと
作り終える工程を
"なんとなーく
イメージ。"
悶々と
数日
残っていた材料を見つめる。
"ブレズニ心の目をあけて"
(ナゼ!?早よ作らぬのじゃ!?(* ̄ー ̄)!?)
曇りのナイ心で
"材料を1つ1つ"
全力投球
ボールに投じる
(何かスポーツの大会にでも…
出場したかったのかのぉー!?(*´ω`*))
"静寂な音の中で"
【少しのオポロゲな中で
"イメージが…"
"そう…
"何かが花ひらき
ゆっくりとヒラメキ始めた☆】
"美と健康と元気になれるような"
そんな…
"何かが食べたいのだ。"
↓
(イメージが見つかって良かったね♪(o^-^o))
"内なる美しさ"
"日々,元気と健康に繋げて
明日への力に変えていきたいのだ。"
"そう…"
"その何か!?"
"ボンヤリ感の白黒ハッキリしないような"
そんな感じに近いモヤモヤ感
見つけ出してカタチに変えてみたい
"ベールの向こう側に明るく照す一筋"
ー想像さえしてなかった味わい感ー
どこまでも食い意地満載な…ワタシ。
食いつき良くても
どこまでも
"続かない―この流れの続き。"
"-残りと余りの有終の美を盛り付け-。"
私は、
最後まで全力投球で試し終え
その風を感じながら
使い終えた道具を片付けて
キッチンの灯りを消した
とても心地よい爽やかな
良い風がすり抜けた
キッチンをあとにする私に
明るく微笑んでくれたかのように
"残りと余りモノからの拍手喝采が
響き聞こえたような…
そんな気がした。"
"最後まで。"
そんな素敵な言葉を投げ掛けながら。
その言葉が
"私の背中に柔らかく響き
優しくさすり寄り添ってくれた、"
私は、
キッチンのドアを閉じた。
明日へのチャージの為に
嬉しい気持ちのままでいたいから
そのまま
ゆっくり一休みについた。
残りモノさん
余りモノさん
楽しいヒトトキを,
"どうもありがとう。"
今度は、
また違うレシピ探して三千里
試作試して万里かな。
それも含めながら,
色んな簡単お手軽なレシピを
楽しく散策しながら
参考にしながら
実際に試して作りながらと
ゆっくり出来る時にでも
楽しめたらなと、
(そう思いながらの)
↓
・【自己反省点と改善してみた点】
工程も作り方も味も完全にオリジナルでの
試作で、
味わうまでは、
"どんな仕上がりなのか?"
想像出来ない中での
試作作りでしたので、
今回反省する点と
改善してみた点は、
仕上がりの味わいが
想像してたのよりもワリカシ…
あっさりした味に仕上がったので
もう少しラカントかバナナ足しても
良かったのかな?
と、反省点と改善点を
自己点としてノートに箇条書き。
なんだかんだと、
料理をしてる時や
色んなレシピに出逢えた時は
そういう時の方がストレスフリーで
頭カラッポにして夢中になれて
楽しい♪
という事に気が付きました
5月の季節……
梅雨入りと蒸し暑さの
そんな頃と
そんな私。
ここ最近はね。
ブログ更新も、
ね。
Xもね。
インスタの方もね。
更新
滞ってしまってるけどね。
最近よく聴いてる曲に癒されながら
素敵な優しい作品を目に触れて
その世界観に癒されながら
まだ読み終えきれてない本を
めくりながら
それから、
我が家のセキセイインコくん。
ウーロンくんも
季節の日々模様と今を
元気に一緒に過ごしてますよ。
最近のウーロンくんのヒトトキは、
"動画の中の
セキセイインコちゃんに会う前に
(動画を視る前に)
羽づくろいをして
(カッコ良くととのえて♪)
キリッと!
スタンバイしてる姿が
とても可愛い♪
ウーロンくんらしい
控え目なアピール
可愛い♪→(ウーロンふぁいと♪)
(ウーロンの恋の想いが実りますように!)
動画の中のセキセイインコちゃんに
アピールして切なそうに恋をしている
ウーロンくんです。"
御飯も(夕げ/昼げ/朝げも)
モリモリと召し上がってくれております。
そういう元気な姿が何よりの
私のヒトトキです。
それから、
創作の下書き続きの方もね
ぜんぜん進んでなくて。)
(タイトル
香らない花
「千年万花せんねんばんか。」
下書き止まりのままで
止まってしまっている。
(まぁ…いいか。
↓
ゆっくりね。
ゆっくりね。
↓
ゆっくりイメージ構想と
降ってくるヒラメキを待ちながらね。
そんな感じカナ。)
何度も読み直してみてるんだけど
"人の時代から
次の時代へと変わる"
"そこからの、"
流れと内容の展開が
自分の中でイマイチで。
なーんかね、
なーんか違うのだよ。
なのだよ。
なのでね。
ブログの方もね
Xの方もね
インスタの方もね
ゆっくりね。
書きたい時に
撮りたい時に
創作作成したい時に
いろんな楽しみを
1つ1つ
何かで出来ればなぁーと
淡いボンヤリとした想いで
様々な作品と触れあいながらの中で
今は
そう思ってます。
今は…だけれども
また違った変化に出逢いながら
また何かが違ってきたり
今の自分自身とは
また違う自分自身が
違う答えや
違う方向性を見つけたり
もしかしたら、
云々と
模索中のままでいるのかも知れないし
"とりあえず進みながら"
迷うし
立ち止まりもあるだろうし
答えも方向性も…なんてね
そういうヒトトキを
言っている場合でもない日々を走っているだろうし、
分からないままで
知らないままで
とにかく進まなくちゃならない毎日を
走っているだろうし、
でっ、
気が付いたら
また年末迎えて
あー、
もう今年も終わりなのかー。
って、
同じ台詞をボヤキながら
"なんだかんだ"としているだろうし、
まだ5月
されど、
もう5月も後半
また直ぐ6月の季節がやって来る
日々を大切にしながら
優しいヒトトキに
包まれる穏やかさと
あたたかな想いを感じながら
今も
これからも
笑える方へ進みたい
"素のままで"
"素直なままで"
"そのままで"
"笑える方へ"進み
"優しい"と歩み
自分自身の今を生きる。
なんだか長々と
グタグタな結びで
今回は
この辺で
今日も1日
ありがとうございました!
明日も優しい素敵な良い1日を♪