オリンピックの競技が始まりましたね。
昨日は滅多に見ないテレビで、体操と水泳、柔道を見ました。
鍛え抜かれた選手の動きはある種の芸術だと思います。
無駄がなく、極限までそぎ落とされたシンプルな動きは
美しいです。
いつもそうですが、選手がこの日この場に立つまで
どれだけ長い時間をかけてきたかや、
同年代の友達が恋やテレビなどを楽しんでいる時間に
それを削って練習を積み重ねてきたかを思うと、
元気に無事にここに立っていることにおめでとうと言いたいです。
私はそんなたいそうなレベルではなかったですが、
ずっとピアノをやってきて、
自ら望んでやっていたことなのでただの我慢や諦めとは違いますが、
それでも高校時代など、友達が学校帰りに遊びに行く姿は
いいなぁと思いましたし、
毎日を全部自由に使えるのはうらやましいなと思いました。
私の自由時間は、学校とピアノの練習で残った時間で、
それはほとんどありませんでしたから。
自由に使えるから選択して練習をし、
もっと上手になりたいからもっと時間が欲しくて
一本でも早い電車で学校から帰ろうとし、
さっさと食事をすませ、時間を作っていました。
ピアノに夢中で、他のことには全く目が向かなかったのです。
ですからそれは自分で選んだ道で充実していて納得でしたが、
それでも楽しそうに遊ぶ約束をしている友達たちを見ると、
私も行きたいな〜と思ったものでした。
かと言って誘ってもらってもやっぱり練習したいから行かないのですが。笑
オリンピックの選手ともなると、それ以上に生活の全てを
ずっとその競技にかけてきたのでしょうし、
私のような一般人には想像できないような努力や想いがあるでしょう。
また、これまで続けるにはお金もかかりますから、
自分一人では無理なはずで、
周りの人の想いに応えたい気持ちや、
人の支えでしかできない苦しさもあったかもしれません。
それが世界一を競う場に元気に立て、
積み重ねてきたものを発揮し勝負できることは
本当におめでとうと思いますし、涙が出ます。
あの場に立つ全ての選手のみなさんに祝福と送り、
今まで積み上げてきた実力を全て発揮できますよう祈ります。
勝ち負けはもちろん選手にとって大きなものでしょうが、
実力を出し切れずに終わることが何より悔しいでしょうから。
そんな想いで体操と水泳、柔道を見ていて思いましたしが、
人に点数をつけられ、失敗すると減点される体操と、
タイム勝負のような水泳、相手との一対一の勝負の柔道は、
勝ち負けのつき方が対照的で興味深いなと思いました。
スポーツはど素人なので、全くの個人的な考えですが、
タイムや目の前の相手に集中する競技と
人に評価される競技では、
人に評価される競技の方が精神的に難しいように思いました。
自分の最善を尽くすことに変わりはないですが、
失敗すると減点されるという意識は
どうしてもプレッシャーになりやすく、
無意識でも怖さにつながりやすいです。
これは普段の仕事での上司からの評価や、
お姑さんからの目などでも同じだと思いますし、
もっと言えば、ご近所さんや親戚、PTAなどの集まり、同僚や後輩など、
どんな人からの視線にも当てはまります。
人は人から評価されたり、周りの目を意識すると、
ストレスになりますし、
自分らしくあることが難しくなります。
よく、練習ではできるのに本番では緊張して上手くできないというのは
これが原因であることも多いように思います。
一般人の私たちは、世界中の人が見る中、
人に評価されるような機会はないですが、
ささやかな日常でも小さな同じようなことがあり、
知らない間に人の目を意識し、自分を失くしてしまうことがありますね。
日常では人が自分を評価するかどうかを決められませんから、
自分がそれを意識するかしないかを選ぶしかないのです。
大きな勝負や人生にかかわることではなくても、
例えば、食事のメニューを決めたり、
ショッピングで服を選ぶ時など日常の中でも、
周りがどう思うか、どう見られるかに囚われると
自分の本当の声が聞こえなくなります。
自分であることから知らない間に離れてしまっている人は多く、
だから人生がどんどん複雑になり、
人生で迷子になるのですね。
自分が自分だと自覚しているものは、実は表面的な自分で、
他人の価値観が大きく影響していることがあります。
例えば、会社が原因で鬱になった友人は、
それでもなんとかして会社に行かなければ
お金も肩書きもなくなり自分には幸せはないと信じ、
会社を辞めようとはしませんでした。
幸せになるために鬱になり、
なった原因を手放せないのはおかしいと思えないほど
「自分の幸せ」という絵が世間のイメージであると
わからなくなっていました。
今そんなに苦しんでいるのに、
人に誇れるような立派な家や肩書きを失いたくないという価値観は、
長い年月をかけてその人の価値観のようになっているのだと思いますが、
鬱になったのはその人の本当の自分が
そうではないと叫んでいるからでしょう。
人からの評価をイコール自分の幸せと思い込んでしまうと
そんな風に身動きが取れなくなってしまいます。
幸せになりたいなら、今なればいいのです。
幸せは人からの評価ではなく、
自分の心が素直に喜びを感じる状態で、
人からの評価を超えたところにあります。
本当に幸せなら人からどう見られようが気にならないものです。
自分の魂が喜び輝く感じを知っているなら、迷いません。
自分の魂が喜び輝く感じが、まだよくわからないという方は、
心の奥底に日々自分はどう思うのか、どう感じるのかを問いかけ、
それで答えがよくわからなくても、
問いかけ続けることです。
本当の心の声を知るコツは、答えを聞こうとしないで
感じようとすることです。
例えば選択で迷い、どちらにしたいか心に問う時、
「AがいいかBがいいか?」と問いかけ
その答えを「聞こう」とすると頭で考えた答えしか返ってきません。
そうではなく、Aを選んだ私を「感じてみる」、
Bを選んだ私を「感じてみる」、
その違いで、どちらが自分らしいか、うれしいか、幸せかがわかります。
いつもそうして問いかけ心に触れるようにしていると、
だんだんと答えがすぐにわかるようになり、
そうして生きていると人の評価は自分には関係ないなとわかります。
それでもわかりにくいなと思う方は瞑想をお勧めします。
瞑想は本当の自分につながる道です。
人の目や評価に振り回されないで生きるために、
ぜひ毎日短い時間でも取り入れられるといいと思います。
そうして、自分の本当の心のままに、
人の目や評価を気にしないで、幸せに生きていきたいですね。
世界中の人が見るような大舞台ではないですが、
私たちもそれぞれの毎日を自分らしく輝いて生きていきましょう

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プロフィール
北山裕子
- 瞑想歴21年。和歌山市在住。
摂食障害を治すため、藁にも縋る思いではじめた瞑想で潜在意識とつながり、自分の奥底に眠っていた本当の自分(潜在意識)と会話ができるようになる。
その後も続けていくうちに、宇宙とつながり、次元を超越した体験や不思議な体験を重ねる。
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