▽〔7/1火、6:11〕今日も快晴だけど、高いタワーがほとんど見えない。今日は楽天買い廻り。

▽〔7/4金、12:17〕今日金曜は、仕事の曜日スケジュールが入れ替わったので一日中,何もなし。
誰かいると思っていたら、結局、誰もいないので、昼はジャンク飯。
サトウのご飯にサラダクラブのうずら水煮、そして、イワシの味噌煮レトルトを乗せて、七味とゴマを大量投入。

▽高校の同窓会に出て来た話を以前書いた。
英語部の同期五六人が集まったのだが,もう一つ,高校時代にハマっていたのが「電算機同好会」
当時、TK-80や、LKIT-16など、ワンボードマイコンがちょうど世に出て来た頃で「マイコンって一体何に使うのか分からないけどスゴそう」と言う時代だった。自分はちょうど数学モノグラフの「電子計算機」をたまたま,書店で手に取って購入して「プログラム」なるものが世の中に存在することを知っていたのでこの同好会に飛びついた。
高校には、PC-5200(写真下)が二台あって,一台は生徒の同好会用に地学教室準備室(履修者が少ないので地学は廃止になり,空き部屋になっていた)に,もう一台は教員室で生徒の試験成績管理に使われていた。
PC-5200は真っ赤な筐体で,後年のX1をほうふつとさせる雰囲気だった。
プログラムは分かりやすく,「Aを入力」は「halt A」,「7をXに入力」は「7→X」と,直感的にも非常に理解しやすかった。
「数学モノグラフ」で説明されていた仮想プログラム電卓よりはるかに簡単にプログラムが出来た。
ただ,出力が1行表示,それも「田の字LED」(ドットマトリクスですらない)と放電プリンタのみであり,さらにプリンタ用紙が高価でプリンタ自体も故障しやすかったので,「プリンタは滅多に使うな」と部長(同期の生徒)に厳命されていた。
▽涙が出るほど懐かしい、SHARP PC-5200。ミニフォートランはとても分かりやすく,あっと言う間にプログラミング出来るようになった。パンフレットの宣伝文句通り,確かに「コンピュータ教育に最適」であり,看板に偽りはない。

広告のイラストでは七人の生徒に一人の若い先生が説明しているが,当時,自分の高校でも部員の数は十人足らずで,似たような状況だった。
ただ「先生」は部室に来たことはなく,そもそも誰が顧問の先生なのか,そして一体,誰がこの同好会を始めたのかも結局謎だった。
しかし,チラシの右下に書いてある「高等学校数学教育用文部省規準I-A型該当機種」とは確かに名前の通りであり,全校生徒の1~2パーセント程度が興味を持ってくれてコンピュータと言うものを分かれば日本にとって大成功と言うことだ。
その後のコンピュータの隆盛をみると,さすが当時の文科省(文部省)には先見の明があったとしか言いようがない。
自分では結局,大した面白いプログラミングは出来なかったのであるが,一年先輩の生徒が「陰関数を表示させるプログラム」を作った,と言うので、かなりしつこく食い下がって,使わせて貰ったのを覚えている。
当時は,知らない関数のグラフを描くのはとても大変なことであり,特に陰関数表示のレムニスケートやパスカルの蝸牛などは,どうしてそんな形になるのかちんぷんかんぷんだった。
彼の言うには「~=0の形になるように式を変形してセットして、、、少しずつずらして行って符号が反転するところで二分法に入る」ことらしい。パスカル蝸牛の式を入力し,待つこと数十分,放電プリンタにループ形が現れたので喜んだのを覚えている。
未だ極座標を習う前のことだった。