蘭のブログ -56ページ目

太陽と月に背いて

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1995年 イギリス


1871年、16歳のランボー(レオナルド・ディカプリオ)は新進気鋭の詩人ヴェルレーヌ
(デイヴィッド・シューリス)を頼ってパリに出てきた。ヴェルレーヌの妻の家に逗留した
ランボーは傍若無人な振る舞いで妻やその両親の反感をかい、家を追い出されてしまう。
ヴェルレーヌは彼の後を追い家を出て、ランボーに住居の手配をする。まもなくヴェルレーヌは
ランボーと恋に落ちてしまう。


若く才気あふれるランボーと、酒を飲むと狂暴な性格に変わるが普段は極端なまでに内気な
ヴェルレーヌとの運命的な出会い、そして2年にわたる同棲生活と別れ、ランボーのその後の
アフリカを始めとした放浪生活と孤独な死までを描いていきます。

若いレオナルド・ディカプリオの、大人になり切っていない少年と青年の中間の色気に
やられてしまいます。本当に綺麗です。

始めランボーのハチャメチャぶりに驚きますが、紳士に見えたヴェルレーヌの酒乱ぶりに
さらに驚かされます。全体的に、才能あるもの同士だからか、破壊的です。

若さと美しさと溢れる才能ゆえに残酷なランボーをディカプリオが見事に演じきっていると思い
ました。あの美しさはグラマーな美人(ヴェルレーヌの妻)でも勝てないでしょう…。
「君は才能を、私は金銭面を受け持って一緒に暮らそう」
というヴェルレーヌの提案は、妻への暴力とその反動の気の弱さ、そして金銭面で苦しくなってきた
ヴェルレーヌにうんざりしたランボーが新しい環境で生きることを選んだことで終わりを告げます。

映画としては、そう面白いとはおもわなかったのですが、これもディカプリオの妖精のような
美しさで充分満足できる作品になっています。

ウェディング・バンケット

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1993年 台湾・アメリカ 監督:アン・リー


ウェイトン(ウィストン・チャオ)は台湾からニューヨークへ渡り、不動産業を成功させていた。
彼には一緒に暮らしている同棲の恋人サイモン(ミッチェル・リヒテンシュタイン)がいる。
彼の両親は彼がゲイだということを知らず、なんとか早く結婚させようと結婚紹介所から
お見合い相手を送り込む手配をする。父親の健康状態が思わしくないことを知ったウェイトンは
ニューヨークへやってくることになった両親を安心させるため、市民権を欲しがっている中国人
女性ウェイウェイ(メイ・チン)と偽装結婚することにする。それから三人の奇妙な同居生活
が始まる。


「ブロークバック・マウンテン」のアン・リー監督の父親三部作のうちの2番目の作品です。

市役所で届けを出すだけの結婚式にしようとしていたウェイトンですが、両親の激しい嘆きと
父親の古い知合いの中国料理店のオーナーにたまたま再会してしまったことで、思いがけず
盛大な結婚式を挙げることになってしまいます。
この結婚式が、これぞ中国!という感じの華々しい大騒ぎになっていて楽しいです。

この結婚式のどさくさで、ウェイウェイは妊娠してしまい、サイモンとの関係も危うくなってしまう
のですが、その後の三人の出した結論はほのぼのとして、こういう生活もいいのではないかしら、
と思える終わり方になっています。

ウェイトンの両親の描写がこの映画を奥深いものにしていると思います。
ゲイだとなかなか打ち明けることのできないウェイトンですが、とうとう母親に打ち明けざるを
えなくなってしまいます。母親はショックを受けながらもなんとかこの事実を受け入れようとし、
体調のよくない父親には内緒にしようとします。
しかし父親はマメに料理や掃除という家事をこなすサイモンの様子から、二人の関係を察知している
のです。そして父親もこのことは母には秘密にしておくよう、サイモンに言います。
サイモンと父親のこのシーンは思わずジンときてしまいます。
みんながお互いのことを気遣い、暖かい気持ちになれます。

サイモンの人格が素晴らしく、惚れぼれしてしまいます。
ウェイトンのために作戦をねり、彼の両親のために本当に誠心誠意つくします。
ウェイトンはウェイウェイを妊娠させてしまうのに、そんなウェイトンを許し更に二人の子供まで
受け入れるのですから。
料理も上手いし・・・。ウェイトンは幸せ者です。

単に三角関係のラブコメディーで終わらせないアン・リー監督の手法はさすがで、家族の深い愛情の
描かれた印象に残る作品になっていると思いました。

ブエノスアイレス

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1997年 中国 監督:ウォン・カーウァイ

ファイ(トニー・レオン)とウィン(レスリー・チャン)は「やり直す」ために香港をはなれ
アルゼンチンのブエノスアイレスに旅に出る。途中イグアスの滝を見ようということになるが
道に迷いそのせいで喧嘩別れしてしまう。その後ファイはタンゴバーのドアボーイの仕事につ
くがそこでウィンと再会する。ある日突然、傷だらけになったウィンがファイのアパートを訪
ねてくる。
一人では何もできないウィンの面倒をみることに幸せを感じ、何時までも彼の傷が治らないこと
を祈るファイ。しかし以前のような情熱的な感情はない。ウィンの傷は日増しに良くなり、
コックになり忙しく働くファイの留守中外を出歩くようになる。
苛立つファイにはコックの後輩チャン(チャン・チェン)との交流が安らぎになる。
出ていったまま戻らないウィンに虚ろな思いのファイ。そんな彼に放浪の旅人チャンは地球の果て、
最南端の灯台の立つ岬でその悲しみを捨ててきてあげると言う。


ファイとウィンはゲイのカップルですが、ファイの、好きで失いたくないけれども一緒にいる時は
苛立ちのほうが大きく辛い、という気持ちは男女のあいだでも同じだと思います。
むしろ男同士のほうが絆を強く結べない分関係はより純粋であり、それ故に不安定なのかもしれません。
そしてこの不安定さを描くには、完結し得る男女の愛ではむしろだめなのだと思いました。

甘え上手なウィンはすぐに別のパトロンをみつけ退廃的な生活を続けますが、その点真面目で地に
足がついているファイはしっかり旅費を稼いで最後には一人でイグアスの滝を見に行きます。
一緒に行くはずだったウィンがいないことを悲しみながら。
しかしファイはチャンという新しい気持ちのよりどころを持つことができ、しっかり次のステップ
へ進んでいけそうなラストです。

この映画にピッタリ合った、ピアソラの物悲しいタンゴがいつまでも耳に残ります。

この曲にあわせてファイとウィンがタンゴを踊りますが、何より幸せなひと時であるはずなのに、
なんとも物悲しく切なくなるシーンです。

わがままで自分勝手で甘えん坊のウィン。レスリー・チャンはこの役にピッタリはまっています。
この調子で彼に甘えられたら、ファイでなくとも許して「やり直」してしまうかもしれません。

ウィンとは対照的に真っ直ぐで一生懸命なファイ。いつもウィンの殺し文句「やり直そう」に負け、
何度もやり直すはめになります。この作品の中で彼はいつも眉間にしわを寄せて、思いつめたような
顔をし、ほとんど笑いません。
ブエノスアイレスのどこか雑然とした町並み、スクリーンに常に映っている煙草とお酒、そんな
退廃的な雰囲気の中でやはりけだるく上手くいかない気持ちのすれ違いがタンゴに乗って描かれて
いきます。

モノクロで始まり、イグアスの滝が映るところからカラーになるのですが、途中またモノクロになり
ます。回顧シーンでモノクロになるのかと思うと、そういう訳でも無く、どう使い分けているのか
よく分かりませんでした。

よくわからないといえば、この映画を撮るに当り、ウォン・カーウァイ監督はとにかくフィルムを
回しっぱなしにし、膨大な量を撮ったのだそうです。台本も現場に行くまで出来上がっておらず、
撮影しながらどんどん変わるし、指示の無いシーンも多かった、とトニー・レオンが話していました。
だから出演者たちもどのように出来上がっているのか、ラッシュを見るまでまったく見当がつかな
かったそうです。

なるほどと思うシーンが多々あります。というか、どう言う意味なのかよく分からないシーンが多い
ので結構悩みながら見ました。
ぶつ切りフィルムをつなげたかのような唐突と思われるようなシーンも結構ありました。
(私が理解できないだけかもしれないのですが…)
だから見るたびに解釈が少しずつ変わり、思わず何度も繰り返して見てしまうのですが。

ここのところ意図した訳では無いのですが香港の映画を見ることが多く、そうすると必ず、トニー・
レオンかレスリー・チャンに出会います。つくづく中華圏を代表する二大スターなのだな、と納得さ
せられます。だからなおのこと、レスリー・チャンが生きていたらどうだっただろうなどと思ってし
まうのです。
残念です。