半脊椎-Spineless fish Side- -6ページ目

微笑人工

造形の笑い声を聞く
ケラケラつんざく音を聞く
        (まるで虫が這いつくばるみたい)


安物サイコロ転がしながら
結露で濡れた窓に愛想笑い
        (問いかける、お前は誰かと)


                     ――しかし返事はない

ア、ァ、ハァ

ア、ァ、欠伸あくび 一片ひとひら 金魚の尾
水面ユルユラ 溶け氷
        (はぁ、腹が空いたと俺が言う)

ア、ァ、梢 一片 腐った葉
枝はサラシラ 枝垂しだれ朽ち
        (はぁ、冷えて参ると俺が言う)



屋外は雪が降り出し無遠慮に静寂を圧迫す



ア、ァ、足跡 一片 割れた窓
霜はヒヤポト 無音叙情
        (はぁ、視神経が痛いと俺が泣く)

バスを待つ男

「何や、忘れなしゃあないと思うんや。……せやな一週間も覚えとったら上出来や」
 男はそう言った。俺は彼の話を聞きながら、適当に相槌だけ打った。木枯らしが指を鋭く突いて痛い。
「せやったら、色々と困りはしませんか? 人付き合いとか」
「ん? 困ることなんてあらひんよ。笑いながら“ああ、どうも”ってだけで済むさかい」
 男は目を細めた。そしてコートのポケットから煙草たばこを取り出し、ジッポーで火を点けた。ジッポーの色は銀ではなく銅だった。俺が知る限り、それは初めて見る色だった。
「けれども“覚えていますか?”とか言う人もあるんと違いますか?」
 文庫本を開いていた俺は、栞紐しおりひもを挟めながら訊ねた。寒さをこらえながら立ち尽くしているというのに、バスはだ来ない。既に十分は遅れている。
「そんなん、やるんは学生くらいや。社会人やったら、まずやらんでしょう」
 男は声を上げて笑い、そして、意味深そうに横目で俺を流し見た。俺は「そんなもんですかねぇ……」とだけ呟いた。
「――そんなもんですわ」
 断言すると、男は白い息を吐いた。もしかしから、それは煙草の煙かもしれない。俺は、男の息と副流煙を一緒くたに吸い、そして少しせた。
「風邪ですか?」
「いえ、待ちくたびれただけです」
 鼻を啜ると、男は丁寧にポケットティッシュを差し出した。路上で無料配布されている安物のそれを、俺は大人しく受け取った。一枚取り出し、音を立てて鼻をかむ。近くにゴミ箱がなかったので、使い終わったそれは丸めてポケットへと突っ込んだ。
「ああ、随分と遅れてはりますからね」
 時刻表と腕時計を交互に見やりながら男は言った。
「十二分も遅れとります」
 携帯のサブディスプレイを見て俺は答えた。
「道理で寒いはずや」
 男は肩をすくめた。
「時間なんて忘れとるんですか?」
 ――不思議と、そんなことが気になった。男は、この寒さを苦に思わないのだろうか?
「せやな……。忘れとるのかもしれひん。忘れな恥ずかしゅうてかなわん」
「……はぁ、そないなもんですか」
「せや」
 男は頷いた。それから「性癖のようなもんや」と前置きをすると、朴訥ぼくとつと、しかし無遠慮に長く語った。
「いつも混乱しとるさかい、俺の一挙手一投足は皆が恥なんよ。子供の頃から、ずっと毎日一つずつ失敗しとんのや。結果だけ見れば些事さじやけどな、けれども俺にすれば大事や。友人との会話がままならなかったり、授業中に上手く答えられなかったり、聞き間違えたり、どもったり――。そりゃ、はたから見れば矮小わいしょうもええとこや。夜にでも忘れとる。
 けどな、俺は覚えとんのや。自分のも、他人のも。――で、思い出すんや。ふとした時に、デジャブを感じた時に。それで恥ずかしなる。人前に出たなくなる。気分かて最悪や。せやから忘れようと思った。一言で言えば防衛本能やな。俺は俺の自尊心のために、記憶を消すことで防衛しとるんや」
 煙草の灰が落ちるのも気づかず、男は延々と話し続けた。俺は只、ボンヤリと耳を傾けながら早くバスが来ないかと待ちびていた。吐く息も既に白さを失い、透明になっている。あれだけ人がいたのに、今はまばらだ。ポツポツと、待ちきれなくなった人達が歩き出したから。
「――いつから、忘れることを始めはったんです?」
 嗚呼、今なら水も温かく感じられるかもしれない。曇天とした、ほの暗く何もかもを遮られたかのような雲を仰ぎながら、男に訊ねた。男はしばし黙考してから肩を竦めた。
「……分からんなぁ」
 呟いた次の瞬間、男は「熱ッ」と叫び、手にしていた煙草を地面へと落とした。既に吸えなくなったそれを靴底でアスファルトと擦りつけると、男は何もなかったかのように言った。
「もう、思い出しもせんですわ。実は、今年の元旦のことすら忘れてはりますから」
「――ああ、一年前の前日ですからね」
 元旦を引き合いに出す男に、俺はわずかな可笑おかしさを覚えた。今日は大晦日だった。
「せや。――と、バス来よったで」
 男が指し示した数十メートル先は、確かにバスの姿があった。俺はこれでようやく寒さから解放されるのだと喜んだ。
「何や、話しとる内にアンタの言葉が移っとったな」
 到着したバスが扉を開く直前、男はそんなことを言って笑った。どう答えるべきか悩み、俺もぎこちなく笑った。愛想笑いだ。
「したら、おおきに。覚えとったら、また」
「ええ。機会があったら」
 手を振る男に、俺も頷いた。扉は僅かな出会いを絶つように、音を立てて閉まった。
「……ふう」
 着席し、俺は息を吐いた。足下を撫でるヒーターの温風が心地良い。その温もりに安堵を感じながら、俺は結露で濡れた窓を見た。景色は不明瞭で、その曖昧さが外気と反比例している。まるで、空気以外の全てが腐っているかのようだ。
 背にもたれながら、俺は男を思い出した。気づいてはいないだろうが、俺はもう毎日のように彼と同じ話をしている。迷惑な話であるが、意外と不快感はない。恐らく、俺の中の何かが彼に対して割り切ってしまったのだろう。それは態度かもしれないし、受け答えかもしれない。もしくは、彼への感情なのかもしれないが、それらは結局は憶測に過ぎない。
「――お客さん」
 バックミラー越しに運転手が俺を睨んだ。何事かと思い返事をすると、運転手は言った。
「そこ、シルバーシート」
「え? ああ、済みません」
 運転手の指摘に、俺は慌てて立ち上がった。
「――いとるからええけど……」
 横目に見ながら、運転手は溜息混じりで言った。
「いつも、そこに座るのは止めときなや。アンタ、いい大人でしょう?」
 運転手の言葉に、俺は恐縮して頭を下げた。頭に血が昇っていくのを感じ、鼓動はヒヤリと歪む。顔中の汗腺が開き、熱い汗が流れそうになるのを感じた。
「済んません。気をつけます」
平謝りしながら、俺はシルバーシートの場所を脳裏に焼き付けながら、次からは絶対に忘れるものかと誓った。

執着した別れ

別れの言葉に執着している俺は恐らく病的なんだ

さようなら――その一言だけばらまきたくて腹を抱える

安座をしていた観客達が石の代わりに貝を投げつけた

月蝕と眠る

月を見たよ、けれども未だ欠けていないね
星が眩しくて夜は扉をノックすらしていないね



欠伸あくびをしながら眺めているのかな?
そこは錆びた冷たいベランダの上からかな?



盛大な夜の食事会はいつごろ始まるのだろう
もう待ちくたびれてしまったから眠ることにしたよ



時計の針は既に合わせ終わったことだし
今日は喉も渇いていないんだから、夜中も起きないよ



それじゃあ、お休み。夢の中で三日月でも見るよ。

ルネサンス

アナグラムで次々と分解していって言葉の意義を失くせ。

歌う俺は混乱・憔悴に蹌踉よろけて物言わぬ木偶でくになる。

ホラ見ろ。今日はこんなにもミロのヴィーナスが美しく見える。

ホラ見ろ。今日はこんなにもミケランジェロの才能が輝かしい。

花を一輪、いりませんか?

人気のない深夜の道路、呟いた声は奇異な程に甲高く響いた


既に花も供物も消え去った跡に、水でも与えれば何が育つか

じゃらん

じゃらん ぽたん じゃらん ぽろん
優しさを置き忘れては耳を澄ます


じゃらん ぽたん じゃらん ぽろん
遠くで犬が長く長くか細く一鳴き


じゃらん ぽたん じゃらん ぽろん
今日は烏もひさしを求め大人しく縮こまり


じゃらん ぽたん じゃらん ぽろん
俺は塩を一舐め、ほのかな甘さに目をみは

何処へ行った

何処へ行ったしおれた花よ、何処へ行った寂しき星よ

虚言、まどう指で巡る、り硝子の向こうのかすみは彼方

嗚呼、抱き寄せようとした夜は暗く昼は眩しく瞼は

焦点を探した瞳孔よ、何処へ行くのか愛した貴女は

遠方の遊園地

外はく晴れており、空気は乾いておりました
私の咽喉は昨夜から痛みを発しながら腫れております


遠くでは観覧車が旋回し、ラッパが一鳴き浮かれまして
ピストルの音に誘われた私は滑り台に上って眺めております


金属の細かな骨が塊のように、雲を遮り陽光を吸収し
地上では子供達がジロジロと凝視してはやがて遠離とおざかっていきます


私はと云いますと、相変わらず滑り台の上で観覧車を望み
再びピストルが響き火薬の臭いが届くのを待っているのです