瞑想を始めて最初に見えるのはいつも紫の光。
なのに今回は青い。
岩の裂け目のような洞窟から青い光が次々と湧き出てくる。
裂け目の入口にどんどん近づいていくものの、私は普段との違いに戸惑う。
…入って大丈夫?
誰ともなしに聞いてみると、返事があった。
「怖がらなくて大丈夫。」
…今回は青いね、いつも紫なのに。
「そうだね。
気にしないで。
怖がらないで。
意識をしっかりコントロールして。」
声の主、青い光の鳥人間が、入口で迎え出てくれた。
洞窟に入る。
向こう側は異空間だと分かる。
湧き出る光から、時々翼のような尾を引く光をまとう存在が
頭上を飛び去っていったり、私をすり抜けていったりする。
…翼を持つものばかりやね。
青い鳥人間に話かける。
「自分もね。」
おかしそうにそう言いながら、鳥人間が私に視線をよこす。
その瞬間、私の体はマントを広げたような姿の、光のシルエットになる。
先ほどまで私をすり抜けていった翼を持つ存在や青い鳥人間と同じ姿!
私は様々な視点を手に入れる。
光る鳥人間として飛ぶ自分の視点。
一緒に飛ぶ青い鳥人間の視点。
すり抜けていった存在たちの視点。
それらを客観的に外側から見ている視点。
ハルマン?
いつの間にか洞窟の向こう側の異空間だ。
異空間を外側から見ている視点はハルマンの視点だった。
※ハルマン=おそらく白龍と同じ意識体で白髪の賢者の姿に見えたハイヤーセルフ
「ここに来るかい?」
…行ってみたい!
なんと表現したらいいものか。
外側から細胞に入って、細胞膜をまとって
内側に入り細胞の一器官となったミトコンドリアが、
細胞膜を戻して再び外に出るような。
抜け出て初めて、
私が膜に覆われていたのだと気づく。
自由と開放感。
外側から柔らかい膜で覆われた球体を眺める。
私が先ほどまでいた世界だ。
透明なゼリーに閉じ込められた宇宙のよう。
とてもお気に入りの、愛しい大切なもの。
ハルマンの視点でハルマンから溢れ出す慈しみを知る。
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これは昨日の夜に見たビジョンです。
しばらく自分のことを書くので飛ばしてもらって結構です。
長いしね。
私はマンガを読んでると、
考えや思いが吹き出しの中に
言葉でつらつらと書かれていることにいつも疑問を感じていたんですよ。
こういうヤツ↑
で、小学生のときに友達に
コレって変やんな?
的な話をしたら逆に私のことを変、と言われたのでその話は封印しました。
私は考えごとをするとき、5~6枚の映像が同時進行で再生されるような感覚です。
言葉ではなく映像です。
なので考えや思いを映像から言葉に変換できなくてあんまり喋らない子供でした。
なに考えてるかよく分からん子、だとしょっちゅう言われてましたね。
(ん?今もかな…)
語彙や表現を増やさねば、という焦りがありましたよ。
本をたくさん読んだのは言葉にできないストレスの反動だったのかもしれません。
Windowsを初めて見たとき感動しました。
これを作った人は私と同じように、言葉ではなくWindowを重ねたような映像で考えごとをするに違いない!と。
テクノロジーの進歩によって意識の解釈や理解も飛躍的に高まる、
という経験をこのときしたわけですが、この動画でまたその時の感覚が蘇りました。
VR(仮想現実)のおかげで、
波であり粒子である
というコペンハーゲン解釈から
一歩進んだ発想を理解することができる。
意識を向けた瞬間、プログラムが起動するかのように粒子としてのふるまいをするってね。
この世界はゲームのようだとしょっちゅう感じます。
マトリックスの世界がフィクションではないのかもしれない。
そんなことを考えてたときに見たのがゆらゆらさんの記事。
わー
わー
わー
新しい扉が開きそう。
と思ってたらいつもと違う青い光が見えて冒頭のビジョンです。
大人になって言葉はだいぶ自由に扱えるようになりましたが、
言葉に表現できないもどかしい感覚をひさびさに味わいましたよ。
ミトコンドリアに例えたあたりね。
(そういやミトコンドリア内部の基質はマトリックスと言う!)
ミトコンドリアや葉緑体はもともと単独で存在していたもの。
それが細胞膜を突き破ることなく細胞の内部に取り込まれ共生したと言われています。
だから
自分の膜である内膜と
細胞膜由来の外膜という二重の膜を持ちます。
(私がビジョンで見たのは外枠への脱出なのでオレンジの矢印)
外側だった細胞膜が細胞の内側に…
外側が内側に…
内側なのに外側…
またこの「扉」のロジックかい!
私たちはいったい何なんだろうね。
「知りたい」
と
「ただ今を楽しめばいい」
の間を行き来しているところです。
歯切れ悪く終わります。笑