フロイト曰く、
「笑いとは人生や社会を豊かにするための潤滑油であり、魂の力である。」という。

喜劇王チャップリン曰く、
「笑いとは、反抗精神である。」という。

フロイトは反逆者である。
従来の心理学に従属することを拒み、無意識という概念を発見した。

彼は、己の精神を高めつつ、人間の精神に理由を求め続けていた。
それは、心理学の枠組みを超え、様々な分野に影響を与えたのである。

チャップリンの言うことが正しいとすれば、
反逆者であるフロイトが笑いを研究したことも
必然だったのかもしれない。


ベルクソン曰く、
「笑いは(無意識的に、しかも個々の多くの場合には背徳的にさえ)

全体的完成という実用的目的を追及する」
という。

笑いとは、不完全さから生まれる完全性なのではないか。
欠落を昇華するとでもいえよう。
そんな気がしてならない。

笑いは、それ自身が力動的・流動的な場を形成している。
笑いは、ゲシュタルトとでもいうべきか。

つまり、個々の要素には還元できない。
ゆえに分析できず、科学には成り得ないのではないか。

古来より、「笑い」は主に哲学・心理学の中で研究されてきた。
そのどれもが失敗しているといっても過言ではない。

かのクレペリンでさえ、パスカルでさえ研究していたのである。

なぜ失敗しているか。
それは、笑いを研究しているのに全く面白くないという致命的な欠陥を内在しているからだ。
そもそも、笑いをバラバラに分解して考察しては、笑いのことなど分らないだろう。

そんな私の考察でさえ、全く面白くない。

笑うかどには福来るならば、私には福が訪れることはないかもしれないな。


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電気化学会という全くもって関係ない学会の講演会に参加しました。

というのも、講演会に本川達雄先生 が登場するからです。

題して、「生物の時間から現代社会を考える」。

本川先生は、『ゾウの時間、ネズミの時間』という
サイズの生物学における有名な本を執筆した方です。

彼は、日本初の心理学マガジン『プシコ』 でナマコについての連載を持っており、
あながち関係ないわけではないのです。

講演内容をダイジェストで振り返ると・・・

人間は50歳以降、人工生命体である。
キリスト教とは、時間一神教である。
ビジネスとは膨大なエネルギーを使用して、時間を速めている。
生物学的に子どもを作らないのは、「自」殺の一種である。

といったところでしょうか。

「工学の中心には生き物がいるべきで、生き物との相性のよさが問われるべきだ」
という主張に心を打たれました。

本川先生は、お話の上手い方で、
身振り、視線の配り方、話す速度・抑揚など、ある種プレゼンの理想系でした。

ちょっとした下ネタとユーモアを折りまぜて話すあたりが憎いですね。

最後は、なぜか本川先生作詞・作曲の「生命はめぐる」という歌を、
ご本人が大熱唱して締めくくられました。

歌詞にクエン酸回路やサーカディアン・リズムが登場するあたりが、さすがでした。

とても有意義な1時間でした。

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先日、山田洋次監督 の講演会がありました。

題して、「映画を演出する」。

山田監督は、『男はつらいよ』シリーズ・『釣りバカ日誌』シリーズ・
『幸福の黄色いハンカチ』・『たそがれ清兵衛』・
『隠し剣 鬼の爪』・『武士の一分』などを手がけた監督です。

私としては、『学校』が好きだったりするわけです。

講演の内容としては、小津安二郎監督の『東京物語』を事前に観た学生に対して、
山田監督が質問を投げかけるという形式でした。

小津監督の映画における情景描写の細かさと情報の密度、
そして登場人物の微妙な表情から推し量れる感情の推移。

笠智衆が偉大な素人であるという見解。

なんて、Theory of mindなのでしょうか。


ん、ちょっと待て下さいよ、と。

私は山田洋次監督のことが知りたくて講演会に行ったはずなのに。
なぜに小津映画の解説をなさっているんですか、と。

学生への執拗なまでの誘導尋問に辟易していた私は、
途中で山田監督の仕草を丹念にメモることにシフトしました。

まず、指の節で机をはじく仕草と貧乏ゆすりが多く見られました。
そして、考え込むときの独特のポーズと笑い方に彼の個性が滲み出ていました。

彼が一度だけ、爪を噛む仕草をした瞬間を見逃しませんでした。
アムロ・レイでしょうか、カミーユ・ビダンでしょうか。

そして私は、一つの仮説を導き出しました。
そう、山田洋次監督はニュータイプなのではないかと。

あぁ、そうかと気づきます。

すべてはバイブレーションの世界だったのではないかと。
高い次元での共鳴や共感こそを、山田監督は求めていたのではないかと。

あぁ、山田監督の作品を解説して欲しかったなぁ。

隣に座っていた山田監督ファンだという老人と話していたのだが、彼も不満だったらしい。
アンケートの内容をちらっと見たら、
「一般向けの講演会ではなかったような気がする。授業中にやってくれ。」
みたいなことが書いてあって、少し笑ってしまいました。

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ものすごく楽しみにしていたビッグ・イベント。

漫画家の浦沢直樹さんと、脳科学者の茂木健一郎先生の対談があった。

題して、「マンガの神様はどこにいる!?-脳と創造性-」。

浦沢直樹さんは、『YAWARA』『Happy!』『MONSTER』『PLUTO』『20世紀少年』

など数々の大ヒット漫画を手がけた漫画界の至宝である。

一方の茂木健一郎先生は、脳科学者として日本で一番有名なのではあるまいか。

茂木先生が小走りで登場し、遅れて浦沢さんがノソノソと現れた。
浦沢さんの感覚を茂木先生が脳科学的に解釈するという主旨で対談が進んでいった。

まず、浦沢さんの作品が悪夢に似ているというところから話が始まった。
それは、浦沢さんが幼少期によく熱にうなされながら見た夢が原因になっているようだ。

ニーチェの晩年の作品が悪夢的であるところに話が及び、両者の共通点が語られた。

続いて、浦沢さんの思考の話になる。
ネームのままの方が浦沢さんの感情を伝えることができるが、クオリティは落ちてしまう。
そのジレンマをどのように解決するか。

無意識の思考の速さについていける身体運動を持ち合わせていない人間であるが、

浦沢さんはそれについていこうとしているのではあるまいか。

脳と右手が直接につながり、モードをガチャンと切り替えると、フロー状態のようなトランスに陥るようだ。
その時、「マンガの神様、降りてきて下さい」と願う。
そのモードに切り換えるのは、すごく嫌なんだそうだ。

ネームを書き終えると、泣き終わったように疲れが出て、途端に不機嫌になるという。
それは宮崎駿さんも一緒なんだそうだ。
そこらへんに浦沢さんの思考の謎を解く鍵が隠されているような気がしてならない。

浦沢さんは、何か問題が生じて1日中考えていると、やがて意識か無意識か分からない境界にいる状態に陥るという。
その眠りに近い状態から目覚めると、問題が解決するという不思議な体験を繰り返しているのだという。


感動したのは、浦沢さんが絵を描いているところを間近で見られたことだ。
ボブ・ディラン、水の流れ、木漏れ日、バラ、アトム、サイボーグ009、ブラックジャック、

Dr.テンマをほんの数秒で描いていく浦沢さんのペンさばきは、超絶技巧であった。

そして、「自然界にはない線だけど、その線があると自然っぽく見える線を引くことがマンガである」と語った。

鳥肌が立つくらいの感動を覚えた。

そんなこんなで、あっという間の2時間であり、至福の一時であった。
恐怖感が仕事に駆り立てるという浦沢さんのモチベーションを見て、なんて人間臭いのだろうと好感が持てた。

想像することに伴い、様々な感情が生起することがある。
それは、実際に体験した際に生じる感情とは違うかもしれないが、

そのギャップを楽しむことも出来る。


例えば、コンドームを購入したとして。

いざ装着したら、それがキラーコンドームであったとして。
男性器が食いちぎられることを想像してみる。

漠然とした不安とキラーコンドームに対する恐怖が起こる。
それを去勢不安というならば、フロイトはあながち間違っていないかもしれないな。


例えば、朝起きたら自分が虫になっていたとして。

どうやっても、自分がその虫であると家族に伝わらないとして。
家族にりんごをぶつけられて、それが原因で死んだことを想像してみる。

どうやったら自分だとわかってもらえるだろうか。
いや、決して伝わらないかもしれないな。
所詮は虫だし。

そんな時、とても悲しい気持ちに苛まれる。


例えば、ゆで卵をポクポク食べているとして。

自分の爪の間から、女性器特有の匂いがするとして。
なぜその匂いがするかに思いを馳せることを想像してみる。

何ともいえない興奮と、自分のイカレ具合に思わず笑みがこぼれる。
それだけで丼3杯はいけるかもな。


想像力は感情を豊かにしてくれる。
乾ききった心には、想像力への扉を開けてみるのもよい。


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