フロイト曰く、
「笑いとは人生や社会を豊かにするための潤滑油であり、魂の力である。」という。
喜劇王チャップリン曰く、
「笑いとは、反抗精神である。」という。
フロイトは反逆者である。
従来の心理学に従属することを拒み、無意識という概念を発見した。
彼は、己の精神を高めつつ、人間の精神に理由を求め続けていた。
それは、心理学の枠組みを超え、様々な分野に影響を与えたのである。
チャップリンの言うことが正しいとすれば、
反逆者であるフロイトが笑いを研究したことも
必然だったのかもしれない。
ベルクソン曰く、
「笑いは(無意識的に、しかも個々の多くの場合には背徳的にさえ)
全体的完成という実用的目的を追及する」
という。
笑いとは、不完全さから生まれる完全性なのではないか。
欠落を昇華するとでもいえよう。
そんな気がしてならない。
笑いは、それ自身が力動的・流動的な場を形成している。
笑いは、ゲシュタルトとでもいうべきか。
つまり、個々の要素には還元できない。
ゆえに分析できず、科学には成り得ないのではないか。
古来より、「笑い」は主に哲学・心理学の中で研究されてきた。
そのどれもが失敗しているといっても過言ではない。
かのクレペリンでさえ、パスカルでさえ研究していたのである。
なぜ失敗しているか。
それは、笑いを研究しているのに全く面白くないという致命的な欠陥を内在しているからだ。
そもそも、笑いをバラバラに分解して考察しては、笑いのことなど分らないだろう。
そんな私の考察でさえ、全く面白くない。
笑うかどには福来るならば、私には福が訪れることはないかもしれないな。
[参考文献]
- 笑い/アンリ・ベルクソン
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- 心理学がわかる。 (アエラムック (89))
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