ロボットは心を持つ可能性があるか?
ロボットは知能を持ち、学習することができるか?
ロボットは人間と協調することができるか?

そのような問いが、ロボット研究の主要なテーマである。


ロボットを動かすためには、動力とプログラミングが必要である。
つまり、ロボットは外部電源が必要であり、

全てプログラムにより決められた動きしかできないのである。

「チューリング・テスト」や「中国語の部屋」といった思考実験を引用するまでもない。


ロボットが見かけ上、思考し、判断を下しているといっても、

プログラム通りに動いているだけである。

ならば、自らプログラムを書き換えるロボットは、自ら思考し学習しているといえるだろうか?
つまり、外界からの情報を知覚し、

既存の知識や経験と照らし合わせることで認識したり、知識を修正するロボットのことである。


人間のボトムアップ的処理とトップダウン的処理を行うようなロボットならば、

人間のような思考ができているといえなくもない。


しかし、そもそも、そのようなロボットは必要なのだろうか?

例えば、人の痛みを理解したり、芸術作品を美しいと感じたり、

悩んだり、恥を感じたりするロボットがいたとして、ロボットがそんなことをする必要がどこにあろうか?


人間を研究したいなら、人間を対象にすればよい。

もともと、ロボットには摂食行為も生殖行為も排泄行為も必要ないのだ。
その時点で人間と同じではないのである。


アフロダイAの、おっぱいミサイルだけで十分だ。
人間に似せてエヴァを作る必要はない。


要は、人間にできることは人間が行えばよく、

ロボットにしか出来ないことだけをロボットに行わせればよいと考える。


[今回の参考文献]

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一見関連性がないようなものにも、視点を変えるだけで共通点が見出せることがある。
それは、従来の概念体系が崩され、新たな知的枠組みを手に入れる瞬間でもある。

研究、ロボティクス、セックス、お酒、タバコ
これらには、ある共通点が見出せる。


研究は、コミュニケーションの手段だと考えられる。

自分の研究に賛同してくれる人々との交流。
自分の研究を批判する人々との果てしない議論。

研究領域が似ていれば、それだけ話も弾むものである。
そして、研究領域が違う人々にわかりやすく自分の研究内容を伝えることで生じる素朴な疑問への対応。

研究は、コミュニケーションを円滑にし、促進する一種の道具である。


ロボティクスは、以前の日記 の通り、

コミュニケーション・ツールとしての機能を有する方向性が内在している。


セックスは、「お肌とお肌の触れ合い回線」である。
セックスは、コミュニケーションを促進させる。

セックスから愛が生まれることがあるのは、セックスが豊かなコミュニケーションの表現方法を内在しているからだ。
セックスは、自分と他者との境界線を曖昧にするコミュニケーション手段である。


お酒は、いまや死語になってしまったが「飲みにケーション」といわれていた時代があった。
お酒は、コミュニケーションを円滑にする。

腹を割って話すには、お酒が有効なこともある。
また、セックスという名のコミュニケーションを成立させるための十分条件のこともある。
いや、私はほとんど飲めませんけどもね。


タバコは、コミュニケーションを盛り上げる。
最近の値上がり、喫煙者への圧制、健康への悪影響、

それらすべてが喫煙者達の話の種となり、不可思議な連帯感が生まれたりもする。

普段話せない人とも話すきっかけを与えてくれ、タバコを手にすることで手持ちぶさたにならない。
タバコは、何とも不思議なコミュニケーションの道具である。


研究、ロボティクス、セックス、お酒、そしてタバコ。
それらすべては、コミュニケーション手段という共通項を有していることが示された。

想像力への扉は、こんな所にも開けている。

ずっと楽しみにしていた、伊東豊雄 さんの講演会に行ってきた。


題して、「生成する建築」。

伊東豊雄さんは、世界的に有名な建築家である。


代表作に「せんだいメディアテーク」 、「トッズ表参道」、

「元町・横浜中華街駅」、「台中メトロポリタン・オペラハウス」などの設計がある。

言わずもがな。

第一印象は、非常に若い!!
齢65とは思えない肌の艶と、活き活きとして生命力に満ち溢れた瞳。

その秘密が明らかとなった。

彼は、生命力に満ちた楽しい建築を模索しているのだという。

その実現のためには、

①動物の本能に訴えかける
②自然物の構成原理に近づける
③運動幾何学のルールに基づく
④新しいシンボルを備える
⑤新しい装飾を許容する

のだという。

彼の代表作である「せんだいメディアテーク」には、
受験時代によく足を運んだものである。

彼は、海草のような構造の柱(チューブ)を立てることで、

水の中のイメージを演出することを新幹線の中で思いついたという。

そして後に、光によって7層からなる各階を支えているというイメージが湧いてきたのだという。

また、floor heightの違いにより、
現代建築の均質さへ抵抗を示しているのだという。

どこからそんな発想が創発されるのかしら?

「せんだいメディアテーク」は、
利用者に使い方を委ねているのだという。
どうりで、私がせっせと勉強しているにも関わらず、
隅の方でイチャリングしているカップルがいると思ったよ。

仙台市の利用者団体との折衝が、難航していたことを初めて知った。
今は、年間に何十万という人々が利用しているのにね。

彼のパワーと若さを見習いたいものである。

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話題のGスポット、東京ミッドタウン に行って参りました。

   





一言で言うならば、
名取のダイヤモンド・シティと大差ないということです。



吹き抜けの周りに店舗が軒を連ねるというスタイルは、
もう飽きてしまったよ。


表参道ヒルズ然り、長町モール然りです。



安藤忠雄氏や深澤直人氏が携わっていようとなかろうと、
もう吹き抜けのショッピングモールはやめて頂きたい。


で、ちょっと高めのスーパーマーケットでペリエとロールパンを買って喰らって満足しました。



深澤氏の±0や村田氏のhonoが見られたのは、収穫だったけどもね。


Fragment No.5というオブジェに興味津々でした。


No.1~No.4は、どこにあるんですかと。

私見ながら、現在のロボティクスの方向性は大きく3つに分類できる。

第一に、人間に酷似させるという方向性がある。

これは、人間の見かけや動作を忠実に再現したり、

皮膚や顔など表面的に人間と酷似したロボットを作る方向性であり、

アンドロイド・サイエンスやヒューマノイドが代表的である。

確かに、世の中にある人工物は、ほとんどが人間用に作られているので、

人間と酷似したロボットは汎用性が高い。
そして、ロボット開発を通して人間をより深く理解できる可能性もある。


例えば、大阪大学の『Repliee Q2』 は、かなり人間に酷似したアンドロイドである。
また、Team Osakaの『VisiON TRYZ』は人間の動作を再現し、ロボットのサッカー大会で連続優勝している。
さらに、HONDAの『ASIMO』 は、かなり有名なロボットだろう。


しかし、親近感という側面からいうと、人間に酷似していればいるほど不気味だと感じることが、しばしばある。

これを、「不気味の谷現象」 という。
この問題を解決するのが、この方向性における最大の問題ともいえる。


第二に、コミュニケーション・ツールとしてのロボット開発という方向性がある。

これは、人間とロボットとのコミュニケーションおよび人間同士の

コミュニケーションを円滑にし促進することを目的としている。
ゆえに、人間型をしていないロボットの方が都合がよいこともある。

例えば、SYSTEC AKAZAWAの『Muu Socia』 はスライムを連想させるが、どこか可愛い。
また、MITSUBISHIの『wakamaru』 は、自律行動も行える在宅型ロボットである。
他にも、NECの『PaPeRo』 は、ちょこちょこ動き回る仕草が愛らしい。

この方向性も、いずれは人間に近いロボットを開発するのが狙いであるようだ。


第三に、人間の生活を支援するロボット開発の方向性がある。

介護や社会生活、工場や防犯などにおいて人間の支援をするのが目的である。

例えば、SONYの『AIBO』には防犯システムが内蔵されている。
また、日本ロジックマシンの『Regina レジーナJⅡ』・『Yurina』・『Serina』 などは福祉関係で注目されている。

この方向性のロボットは人間の支援が目的なので、それぞれに特化したデザインを模索しており、

人間の使いやすさというヒューマン・インターフェースが中心的である。


いずれにしろ興味深いのは、これらの研究者が

少なからずガンダムやアトムなどのアニメーションに影響を受けているということだ。

文学は現実を模倣し、ロボティクスはアニメを模倣するのである。

東京電機大学のPROJECT:ATOM には期待したい。


だが、私が言いたいことは、ロボティクスは確実に第4の方向性を内包しているということだ。
それは、ダッチワイフである。
南極2号を超えるダッチワイフは、将来確実に作られるだろう。

あらゆる快楽を模索した結果、すべての人が辿り着く先が物言わぬ人形相手の情事ならば、

それはそれで面白いのかもしれない。