前回のブログで、「空手に先手なし」の話をしました。
「空手に先手なし」は暴力を否定する、暴力に対抗する、そんな生き方を表した言葉でした。
大山倍達先生の有名な言葉である
「空手に先手あり、然れども私闘なし。」も、同じ意味の言葉でした。
戦法を表す言葉ではありません。心構えを表すことばでした。
さて、空手家たちは、空手の悪のイメージを払拭し、
イメージを良くするために、空手に「道」をつけて「空手道」として、
「柔道」や「剣道」に伍するように努めました。
しかし、「續姿三四郎」に代表されるように、暴力的なイメージは仕方ありませんね。
近代空手の父は、糸洲安恒先生です。
一般的には、船越(冨名腰)義珍先生だと言われているのですが、
※ 1935(昭和10)年以前が富名腰(冨名腰)義珍先生で、以降が船越義珍先生です。
実際には、糸洲安恒先生です。
糸洲安恒先生が、それまで一人ひとりに個別に指導されていた「唐手」を、
1905(明治38)年から沖縄の中学校で集団に指導することになりました。
そこで、糸洲安恒先生は、集団に指導するために、
従来まで継承されてきた型とは別に、普及型を考案しました。
これが「平安の形」です。「平安」は、古流の形を分解して、初段から五段まで五つ作られました。
沖縄空手を、日本本土に伝えたのは、船越義珍先生、本部朝基先生、宮城長順先生です。
ですから、近代空手の父は、船越義珍先生だとされていますが、
個別指導であった秘伝の琉球手を、集団指導に変えたという事実により、
発展も変化も、分岐点は糸洲安恒先生です。
糸洲安恒先生創作の平安(ピンアン)の五つの形が、
現代空手への分岐点となる形です。
「空手に先手なし」とか「沖縄空手に受けはない」などの口伝は、
書物として残されていないので、伝えられた人の解釈に頼るしかありません。
「空手に先手なし」を「後の先」のような、
技術論にすり替えられる解釈もあり得るということです。
「空手に先手なし」は暴力を否定する、暴力に対抗する、
そんな生き方や心構えを表した言葉だったにもかかわらず、
「受け」の重要性がクローズアップされるようになりました。
「一旦受けてから攻撃する」
こんなイメージが、「沖縄空手に受けはない」の口伝を駆逐してしまいました。
「沖縄空手に受けはない」を、
先手必勝のイメージで理解した方が
まだ、正解に近かったかもしれませんね。
そして平安の形に戻ります。
投げて、手刀打ち、です。
現代空手の手刀受けですが、このブログの読者は、「沖縄空手に受けは無かった」ことを、
事実としてご存知ですよね?
「沖縄空手に受けはない」は、
先手必勝の戦法論ではなくて、
そのまんま、事実だったんですからね。
現代空手の手刀受けで、夫婦手のように手を添える手刀受けがあります。
これは、沖縄空手の投げが変化したものです。
現代空手の手刀受けで、片手で受けて、引き手をとる手刀受けがあります。
これは、沖縄空手の掴んで引きながらのカウンターの手刀打ちが、変化したものです。
引き手は、掴んで引き付けている事を表しています。カタチは、正しく伝わっています。
両方ともカタチは正しく伝わっていつのに、
解釈が変化して、両方とも「手刀受け」に変わってしまいました。
「空手に先手なし」は、一旦受けてから反撃する、
戦法を表す口伝ではなく、暴力を否定する、暴力に対抗する、
そんな生き方や心構えを表した言葉だったということです。
お読みいただきどうもありがとうございました。