鳩山由紀夫ってのび太っぽい 小沢は?
民主政権主要閣僚+αでドラえもんのキャスティング考えてみた。基本的には印象論です。ニュース記事から色々引っ張る予定だったけど、面倒になって(途中で)やめた。灰字はWikipediaから恣意的に引用。文面自体は変えてません。(中略)は多すぎて読みにくくなるので省きました。悪しからず。無断転載御免。苦情来ればフィギュアの画像にでも変えます。
鳩山由紀夫≪のび太≫

気弱だが、穏やかで優しく、思いやりがある。ドラえもんからは「きみが悪者になろうなんて思うのがむりなんだよ」と言われている。人を疑うことを知らない純粋無垢な性格だが、そのためしばしばジャイアンやスネ夫にだまされる。原作者の藤子・F・不二雄は「のび太にも良いところが一つだけある。それは彼は反省するんです。(中略)いつまでもいつまでも今より良い人間になろうと努力するんです」とのび太の長所をあげている。口下手かつ軽率、すぐ図に乗る、それが原因でさまざまなトラブルを抱えることがしばしばある。ジャイアンを怒らせるようなことを言って殴られたり、できもしないことを公言したあとでドラえもんに泣きつくことが多い。
抜けてるけれど、どこか憎めない鳩山さんはのび太っぽい。
菅直人≪先生≫
のび太が怠けた時には「宿題をやって来ないとぶん殴る」、「テストが50点以下だったら、もう2度と学校へ来るな!!」など厳しい言葉もかけるが(どちらものび太の弁なので多少脚色されている可能性もある)、宿題をやり遂げたときには「野比は間違いだらけでも、ちゃんと自分の力でやってきた」と評価したり、100点をとったときには笑顔で褒める(ただし「目を疑った」というやや問題な発言もある)など努力をしたときには優しい面も見せる。0点をとって落ち込んでいるのび太を励まし、深く感動させたこともある。
自公政権で激しく食い下がってた辺りが似てるかな。本来ドラえもんがいなければ、のび太を導くべき存在だったということで。理屈はともかく怒りのエネルギーがすごいよね。イラ菅。最近は閑職に回されたり、苦手な経済に四苦八苦して疲れと居眠りが目立ちますね。頑張って欲しい。
小沢一郎≪ドラえもん≫

基本的には穏やかな性格。子守用ロボットなので世話好きだが、余計な世話を焼くことも少なくない。ひみつ道具を使って調子に乗るのび太を諫める冷静さもあるが、自分まで調子に乗って問題をエスカレートさせることも多い。のび太の無気力さや無頓着さ、不甲斐なさに耐えかねて、のび太が道具をせがまなくてもドラえもんが自ら道具を出すこともある。思ったことをそのまま口に出すことが多く、相手の気持ちを考えず物事を正直に指摘してのび太を怒らせることもしばしばある。のび太らの保護者に絶大な信頼がある。「ドラえもんがいるなら安心」と子供の面倒のすべてを任されている。また、語尾が「~よ」、「~なのよ」であるのが特徴的。
ドラ焼きの代わりに権力が好きで、ネズミの代わりに世論が苦手なドラえもん。100人超の小沢チルドレンの存在は余計な世話焼きと言われてもしょうがない。小沢一郎の秘密道具は〝選挙戦略〟。暫定税率維持を含めたマニフェスト修正案をいきなり出したり、「在日米軍は第7艦隊で十分」発言は不用意過ぎて議論を呼びましたね。語尾の「~よ」、「~なのよ」は仕様です。
岡田克也≪ママ≫

のび太の失敗に対しては、ジャイアンのいじめや不可抗力がある場合でも事情や理由も聞かず頭ごなしに叱ることが多く、徹底した聞き分けの無さが特徴である。ただ厳しい/怖い母親ではなく、行方不明だったのび太が帰宅した際は号泣しながらのび太を抱き締め、のび太がドラえもんに脅かされたときは甘過ぎるのではないかと思える程に優しくなぐさめていた。その他にものび太が何か悪いことをして悩んでいた時にはそれを察して優しくたしなめたり、のび太がジャイアンとボクシングして怪我したときは「またジャイアンにやられたんでしょう」と食事時になぐさめたこともあることや、のび太がテストで30点を取ってきたときは褒めるなど無理に高望みをしたりしないなど、完全にヒステリックというわけではない。
まぁ「原理主義者」にはぴったりかなぁ。
前原誠司≪セワシ≫

のび太にそっくりの外見で、性格に関してはおっとりとした優男タイプである。祖父の祖父であるのび太がだらしなくふがいないのに対してセワシはある程度しっかり者らしく、面倒見が良い性格に描かれている。
頼りなさそうに見えてソツのない感じかな。あと民主党の将来を担ってる所も。お人好しですがね。
亀井静香≪ジャイアン≫

クラスのガキ大将であり、自己主張が激しく短気かつ毒舌家ゆえに粗暴で威圧感のある少年というイメージが強い。きわめて自己中心・自分勝手(ジャイアニズム)。内心ではのび太のことを友達だと思っているが、なかなか素直になれずに、暴力を振ってしまうことをドラえもんの道具である本音ロボットを介して語っている。テレビ朝日版アニメ第1期では後期になるにつれて、暴力的な側面は薄れる代わりに、ユーモラスで人情味のある性格が強調されるようになっていく。
与党を引っ掻き回してるおじさんです。人間的には面白いんだろうけど。
仙石由人≪出来杉≫
顔がいい上学業優秀でスポーツ万能、料理も得意で性格もよく、何でもできる。基本的には人柄も朗らかで性格もよく、自分に悪事を働いた級友を許す、寛大な心の持ち主。のび太にとっては恋敵と言えるにもかからわず、のび太自身が「いい奴」と認めるほど。
鳩山内閣一の良識派+デキる男。
福島みずほ≪ジャイ子≫
当初は粗暴な性格であったが、後に穏やかな性格に変化し、絵が上手で少女漫画家を夢見ているという設定になる。
自公政権の時の険しさが影を潜め、今は穏やかな表情が目立つ(一応)弁護士のおばさん。ネットの評価も今は上々。普天間国外移設とか9条死守とか寝ぼけたこともよく発言します。在日ってホントなの?「福島瑞穂 元気パーティ」とかいうのを2002年10月31日に開き、なんと天使のコスプレで大はしゃぎしていたらしい。
輿石東≪スネオ≫

口が達者でおべっか、ゴマすりはお手のもの。ジャイアンの腰巾着かつ強力な参謀としてのび太をいじめる反面、ジャイアンにおもちゃなどを取り上げられてのび太に泣きつく日和見的なところがある。
ジャイアンではなくドラえもんにへつらうスネオ。トラの威を借りて政府批判したかと思うと、首相の擁護もする狐。
蓮舫≪しずか≫

性格は優しく寛大な心の持ち主。困った人を見かけると放っておけない。ひみつ道具の妨害をはねのけてのび太を助けたことすらある。しかし、他の登場人物に比べて現実的で、かなりドライな一面も見せる。また、かなりぶっきらぼうな言動を取ることも多かった。例としては「クラスで一番わすれんぼのあんたが? ホホホ」と、のび太を「あんた」と呼び、腹を抱えて大笑いするシーンがある。そのほか「あんたの家が火事よ!」、「あんたが生き返らせるって言ったでしょう」、「あんたはクラスでも有名なへたくそなのよ」といった台詞が挙げられる。時にはのび太のことを真顔で「ばかじゃないかしら」と言ったこともある。
「世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのですか」
未だにイジられてる蓮舫は少し気の毒ですね。民主党のマドンナです。ファン多し。
渡部恒三≪パパ≫

不器用で、日曜大工仕事も苦手。癖は貧乏揺すり。頻繁に喫煙しており、濃いめのタバコを吸っている。妻である玉子とは違い、のび太には結構甘い。まれに単独でのび太を叱ることもあるが、その場合もじっくりと諭すように説教している。ただ、急に極端に厳しくなるのも事実である。
民主党の黄門様はエピソードが面白すぎる。
・「堀江メール問題」で党の幹部が落ち込んでいるなか、激励のために会津名物「起き上がりこぼし」をプレゼントする気配りを見せたが、党代表であった前原誠司の起き上がり小法師だけは起き上がらなかったため、座が凍りつく一幕もあった。
・衆議院議員として自民党の国対委員長だった1986年、秘書に「ケーサツチョウチョウカン」と会津なまりで頼み事をした所、秘書が警察庁長官に電話をつないだ。しかし、当の渡部は「今朝の朝刊」と言ったつもりであったので、首をかしげてしまったとの逸話がある。
・講演会などでよく「26歳で県会議員に当選するまでは童貞だった」と発言し、聴衆の笑いを取っている
どんな逸話なんだw
で、まぁ何を言いたかったのかと言うと、小沢一郎は鳩山政権にとって必要悪なんだということ。理想論を振りかざす鳩山首相にとって、民主党をまとめ、連立与党を睨み、選挙で勝利を導き、自民党を切り崩す〝剛腕〟オザワの実行力は不可欠だ。もちろん不透明なカネの流れは精査されるべきなんだが、発足直後で政権が不安定な時期に起訴する必要はどこにもなかったと思う。鳩山政権が倒れる危険性もあった訳だしさ。昔は金に汚い暗黒政治家の象徴として毛嫌いしていたけれど、最近僕の中でオザワ再評価の波がきている。
小沢が自民党を離党した理由は、「談合政治」と言われる旧来型政治の打破と、イギリスやアメリカのような二大政党制に持って行きたいという明確なビジョンがあったという。その思惑は、小沢が自由党を民主党に合流させることで成就するのだが、小選挙区制を導入すれば同じ選挙区から自民党と社会党の政治家が選ばれるということが無くなるためであった(小沢自身は、自ら進んで自民党を離党したのでは無く、既得権益を持った一部の議員に追い出されたのだと述べた)。創価学会を敬遠しており、公明党を2009年からの連立政権には含めない方針を打ち出している。
とかね。癒着廃止・二大政党制移行は実現すれば日本の政治を清浄化するから賛成だ。海外でも小沢一郎は評価は高いことであるし。まぁ小沢事件についてはまた今度書こうかな。
映画ドラえもん のび太とブリキの迷宮 [DVD]/大山のぶ代,小原乃梨子,野村道子

映画ドラえもん のび太のドラビアンナイト [DVD]/大山のぶ代,小原乃梨子,肝付兼太

懐かしの名作。
鳩山由紀夫≪のび太≫

気弱だが、穏やかで優しく、思いやりがある。ドラえもんからは「きみが悪者になろうなんて思うのがむりなんだよ」と言われている。人を疑うことを知らない純粋無垢な性格だが、そのためしばしばジャイアンやスネ夫にだまされる。原作者の藤子・F・不二雄は「のび太にも良いところが一つだけある。それは彼は反省するんです。(中略)いつまでもいつまでも今より良い人間になろうと努力するんです」とのび太の長所をあげている。口下手かつ軽率、すぐ図に乗る、それが原因でさまざまなトラブルを抱えることがしばしばある。ジャイアンを怒らせるようなことを言って殴られたり、できもしないことを公言したあとでドラえもんに泣きつくことが多い。
抜けてるけれど、どこか憎めない鳩山さんはのび太っぽい。
菅直人≪先生≫
のび太が怠けた時には「宿題をやって来ないとぶん殴る」、「テストが50点以下だったら、もう2度と学校へ来るな!!」など厳しい言葉もかけるが(どちらものび太の弁なので多少脚色されている可能性もある)、宿題をやり遂げたときには「野比は間違いだらけでも、ちゃんと自分の力でやってきた」と評価したり、100点をとったときには笑顔で褒める(ただし「目を疑った」というやや問題な発言もある)など努力をしたときには優しい面も見せる。0点をとって落ち込んでいるのび太を励まし、深く感動させたこともある。
自公政権で激しく食い下がってた辺りが似てるかな。本来ドラえもんがいなければ、のび太を導くべき存在だったということで。理屈はともかく怒りのエネルギーがすごいよね。イラ菅。最近は閑職に回されたり、苦手な経済に四苦八苦して疲れと居眠りが目立ちますね。頑張って欲しい。
小沢一郎≪ドラえもん≫

基本的には穏やかな性格。子守用ロボットなので世話好きだが、余計な世話を焼くことも少なくない。ひみつ道具を使って調子に乗るのび太を諫める冷静さもあるが、自分まで調子に乗って問題をエスカレートさせることも多い。のび太の無気力さや無頓着さ、不甲斐なさに耐えかねて、のび太が道具をせがまなくてもドラえもんが自ら道具を出すこともある。思ったことをそのまま口に出すことが多く、相手の気持ちを考えず物事を正直に指摘してのび太を怒らせることもしばしばある。のび太らの保護者に絶大な信頼がある。「ドラえもんがいるなら安心」と子供の面倒のすべてを任されている。また、語尾が「~よ」、「~なのよ」であるのが特徴的。
ドラ焼きの代わりに権力が好きで、ネズミの代わりに世論が苦手なドラえもん。100人超の小沢チルドレンの存在は余計な世話焼きと言われてもしょうがない。小沢一郎の秘密道具は〝選挙戦略〟。暫定税率維持を含めたマニフェスト修正案をいきなり出したり、「在日米軍は第7艦隊で十分」発言は不用意過ぎて議論を呼びましたね。語尾の「~よ」、「~なのよ」は仕様です。
岡田克也≪ママ≫

のび太の失敗に対しては、ジャイアンのいじめや不可抗力がある場合でも事情や理由も聞かず頭ごなしに叱ることが多く、徹底した聞き分けの無さが特徴である。ただ厳しい/怖い母親ではなく、行方不明だったのび太が帰宅した際は号泣しながらのび太を抱き締め、のび太がドラえもんに脅かされたときは甘過ぎるのではないかと思える程に優しくなぐさめていた。その他にものび太が何か悪いことをして悩んでいた時にはそれを察して優しくたしなめたり、のび太がジャイアンとボクシングして怪我したときは「またジャイアンにやられたんでしょう」と食事時になぐさめたこともあることや、のび太がテストで30点を取ってきたときは褒めるなど無理に高望みをしたりしないなど、完全にヒステリックというわけではない。
まぁ「原理主義者」にはぴったりかなぁ。
前原誠司≪セワシ≫

のび太にそっくりの外見で、性格に関してはおっとりとした優男タイプである。祖父の祖父であるのび太がだらしなくふがいないのに対してセワシはある程度しっかり者らしく、面倒見が良い性格に描かれている。
頼りなさそうに見えてソツのない感じかな。あと民主党の将来を担ってる所も。お人好しですがね。
亀井静香≪ジャイアン≫

クラスのガキ大将であり、自己主張が激しく短気かつ毒舌家ゆえに粗暴で威圧感のある少年というイメージが強い。きわめて自己中心・自分勝手(ジャイアニズム)。内心ではのび太のことを友達だと思っているが、なかなか素直になれずに、暴力を振ってしまうことをドラえもんの道具である本音ロボットを介して語っている。テレビ朝日版アニメ第1期では後期になるにつれて、暴力的な側面は薄れる代わりに、ユーモラスで人情味のある性格が強調されるようになっていく。
与党を引っ掻き回してるおじさんです。人間的には面白いんだろうけど。
仙石由人≪出来杉≫
顔がいい上学業優秀でスポーツ万能、料理も得意で性格もよく、何でもできる。基本的には人柄も朗らかで性格もよく、自分に悪事を働いた級友を許す、寛大な心の持ち主。のび太にとっては恋敵と言えるにもかからわず、のび太自身が「いい奴」と認めるほど。
鳩山内閣一の良識派+デキる男。
福島みずほ≪ジャイ子≫
当初は粗暴な性格であったが、後に穏やかな性格に変化し、絵が上手で少女漫画家を夢見ているという設定になる。
自公政権の時の険しさが影を潜め、今は穏やかな表情が目立つ(一応)弁護士のおばさん。ネットの評価も今は上々。普天間国外移設とか9条死守とか寝ぼけたこともよく発言します。在日ってホントなの?「福島瑞穂 元気パーティ」とかいうのを2002年10月31日に開き、なんと天使のコスプレで大はしゃぎしていたらしい。
輿石東≪スネオ≫

口が達者でおべっか、ゴマすりはお手のもの。ジャイアンの腰巾着かつ強力な参謀としてのび太をいじめる反面、ジャイアンにおもちゃなどを取り上げられてのび太に泣きつく日和見的なところがある。
ジャイアンではなくドラえもんにへつらうスネオ。トラの威を借りて政府批判したかと思うと、首相の擁護もする狐。
蓮舫≪しずか≫

性格は優しく寛大な心の持ち主。困った人を見かけると放っておけない。ひみつ道具の妨害をはねのけてのび太を助けたことすらある。しかし、他の登場人物に比べて現実的で、かなりドライな一面も見せる。また、かなりぶっきらぼうな言動を取ることも多かった。例としては「クラスで一番わすれんぼのあんたが? ホホホ」と、のび太を「あんた」と呼び、腹を抱えて大笑いするシーンがある。そのほか「あんたの家が火事よ!」、「あんたが生き返らせるって言ったでしょう」、「あんたはクラスでも有名なへたくそなのよ」といった台詞が挙げられる。時にはのび太のことを真顔で「ばかじゃないかしら」と言ったこともある。
「世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのですか」
未だにイジられてる蓮舫は少し気の毒ですね。民主党のマドンナです。ファン多し。
渡部恒三≪パパ≫

不器用で、日曜大工仕事も苦手。癖は貧乏揺すり。頻繁に喫煙しており、濃いめのタバコを吸っている。妻である玉子とは違い、のび太には結構甘い。まれに単独でのび太を叱ることもあるが、その場合もじっくりと諭すように説教している。ただ、急に極端に厳しくなるのも事実である。
民主党の黄門様はエピソードが面白すぎる。
・「堀江メール問題」で党の幹部が落ち込んでいるなか、激励のために会津名物「起き上がりこぼし」をプレゼントする気配りを見せたが、党代表であった前原誠司の起き上がり小法師だけは起き上がらなかったため、座が凍りつく一幕もあった。
・衆議院議員として自民党の国対委員長だった1986年、秘書に「ケーサツチョウチョウカン」と会津なまりで頼み事をした所、秘書が警察庁長官に電話をつないだ。しかし、当の渡部は「今朝の朝刊」と言ったつもりであったので、首をかしげてしまったとの逸話がある。
・講演会などでよく「26歳で県会議員に当選するまでは童貞だった」と発言し、聴衆の笑いを取っている
どんな逸話なんだw
で、まぁ何を言いたかったのかと言うと、小沢一郎は鳩山政権にとって必要悪なんだということ。理想論を振りかざす鳩山首相にとって、民主党をまとめ、連立与党を睨み、選挙で勝利を導き、自民党を切り崩す〝剛腕〟オザワの実行力は不可欠だ。もちろん不透明なカネの流れは精査されるべきなんだが、発足直後で政権が不安定な時期に起訴する必要はどこにもなかったと思う。鳩山政権が倒れる危険性もあった訳だしさ。昔は金に汚い暗黒政治家の象徴として毛嫌いしていたけれど、最近僕の中でオザワ再評価の波がきている。
小沢が自民党を離党した理由は、「談合政治」と言われる旧来型政治の打破と、イギリスやアメリカのような二大政党制に持って行きたいという明確なビジョンがあったという。その思惑は、小沢が自由党を民主党に合流させることで成就するのだが、小選挙区制を導入すれば同じ選挙区から自民党と社会党の政治家が選ばれるということが無くなるためであった(小沢自身は、自ら進んで自民党を離党したのでは無く、既得権益を持った一部の議員に追い出されたのだと述べた)。創価学会を敬遠しており、公明党を2009年からの連立政権には含めない方針を打ち出している。
とかね。癒着廃止・二大政党制移行は実現すれば日本の政治を清浄化するから賛成だ。海外でも小沢一郎は評価は高いことであるし。まぁ小沢事件についてはまた今度書こうかな。
映画ドラえもん のび太とブリキの迷宮 [DVD]/大山のぶ代,小原乃梨子,野村道子

映画ドラえもん のび太のドラビアンナイト [DVD]/大山のぶ代,小原乃梨子,肝付兼太

懐かしの名作。
中学受験の効用
中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ
ホリエモンが紹介してるブログの記事だが、面白い。
目の付けどころが鋭すぎる。
日本の中学受験というシステムが世界的に見ていかに優れたものであり、そこを勝ち抜いていく子供たちがいかにすぐれた能力を有しているかということをまざまざと見てきた。(中略)たとえばSAPIXや日能研や四谷大塚の最上位クラスの子供たちに3ヶ月ぐらい大学受験の勉強を教えてやれば、ほとんどのが子供たちが早稲田や慶応の簡単な学部ぐらい何の苦労もなく合格するだろう。
実際その通りだろうと思う。
今考えてみれば、中学受験の頃は現実的な何かを感じていた。中学受験の再上位層というのに、自分は太刀打ち出来ないことがなんとなく分かっていた。彼らは水のように知識を吸収し、勉強を苦にせず何時間でも勉強していた。それは努力なんぞでカバーできる生易しいものではなく、一種の才能だろうと僕の眼には映った。最上位クラスとその他にはやはり目に見えない壁があって、そこで自分の限界を確かめることが出来た。それというのも同じ土俵での毎月テストによるクラス分けが頻繁に行われていたからだろう。
それに較べると大学受験は自由度があるから、確固としたヒエラルキーに縛られずにすむ。医学部受験、国公立理系、私立理系、国公立文系、私立文系など。だから自分に適したフィールドを見つければ一種お山の大将的に安楽なポジションを見付け出すことができる。競争も特にないから、自主的な頑張りに割と全てが掛かっている。
で、この記事の一番面白いのは次。
そもそも日本の教育で一番ダメなところが大学と大学院である。
日本の大学はレジャーランドといわれているけど、それは学生のレジャーランドじゃない。
教授のレジャーランドなんだ。
いや、全くその通り。
はっきり言って大学なんて研究職を目指すごくごく一部の学生を除いて必要ない。
教えてる内容は一流校といえどもどうでもいいジャンクな知識ばかり。
内容を覚えたから何かイイ事がある類のものではない。
競争原理の入り込む余地のない位に薄っぺらくて、やる気のない講義。
あんなの趣味みたいなもんだよ。教授の。
僕自身は中学・大学と受験を通じてそこそこ良い学校に入った。受験をエリートになる為の登竜門だと考えていた。正直。でも中学高校にしても大学にしても関門をくぐり抜けた先に質の高い教育は、なかったなぁ…。足がかりにもならない。結局就職活動で振り出しに戻るんなら、いままで僕が努力したのは何のためだったんだろう。大学には中学受験で燃焼し尽くした男が沢山いたが、やはり彼らも一番勉強したのは中学受験だと言う。受験の為の勉強が教育課程での勉強を上回るのは歪だと思う。
中学に入って、大学に入って、授業のレベルの低さを何とかして欲しい。中学受験でエリートを選抜したのなら、彼らを有効活用できる教育を整備してあげて欲しい。中学受験エリートで人生に迷っている者は意外に多い事を、僕は知っている。
シカクいアタマをマルくする―算数編/日能研

懐かしすぎる…。
ホリエモンが紹介してるブログの記事だが、面白い。
目の付けどころが鋭すぎる。
日本の中学受験というシステムが世界的に見ていかに優れたものであり、そこを勝ち抜いていく子供たちがいかにすぐれた能力を有しているかということをまざまざと見てきた。(中略)たとえばSAPIXや日能研や四谷大塚の最上位クラスの子供たちに3ヶ月ぐらい大学受験の勉強を教えてやれば、ほとんどのが子供たちが早稲田や慶応の簡単な学部ぐらい何の苦労もなく合格するだろう。
実際その通りだろうと思う。
今考えてみれば、中学受験の頃は現実的な何かを感じていた。中学受験の再上位層というのに、自分は太刀打ち出来ないことがなんとなく分かっていた。彼らは水のように知識を吸収し、勉強を苦にせず何時間でも勉強していた。それは努力なんぞでカバーできる生易しいものではなく、一種の才能だろうと僕の眼には映った。最上位クラスとその他にはやはり目に見えない壁があって、そこで自分の限界を確かめることが出来た。それというのも同じ土俵での毎月テストによるクラス分けが頻繁に行われていたからだろう。
それに較べると大学受験は自由度があるから、確固としたヒエラルキーに縛られずにすむ。医学部受験、国公立理系、私立理系、国公立文系、私立文系など。だから自分に適したフィールドを見つければ一種お山の大将的に安楽なポジションを見付け出すことができる。競争も特にないから、自主的な頑張りに割と全てが掛かっている。
で、この記事の一番面白いのは次。
そもそも日本の教育で一番ダメなところが大学と大学院である。
日本の大学はレジャーランドといわれているけど、それは学生のレジャーランドじゃない。
教授のレジャーランドなんだ。
いや、全くその通り。
はっきり言って大学なんて研究職を目指すごくごく一部の学生を除いて必要ない。
教えてる内容は一流校といえどもどうでもいいジャンクな知識ばかり。
内容を覚えたから何かイイ事がある類のものではない。
競争原理の入り込む余地のない位に薄っぺらくて、やる気のない講義。
あんなの趣味みたいなもんだよ。教授の。
僕自身は中学・大学と受験を通じてそこそこ良い学校に入った。受験をエリートになる為の登竜門だと考えていた。正直。でも中学高校にしても大学にしても関門をくぐり抜けた先に質の高い教育は、なかったなぁ…。足がかりにもならない。結局就職活動で振り出しに戻るんなら、いままで僕が努力したのは何のためだったんだろう。大学には中学受験で燃焼し尽くした男が沢山いたが、やはり彼らも一番勉強したのは中学受験だと言う。受験の為の勉強が教育課程での勉強を上回るのは歪だと思う。
中学に入って、大学に入って、授業のレベルの低さを何とかして欲しい。中学受験でエリートを選抜したのなら、彼らを有効活用できる教育を整備してあげて欲しい。中学受験エリートで人生に迷っている者は意外に多い事を、僕は知っている。
シカクいアタマをマルくする―算数編/日能研

懐かしすぎる…。
まっすぐな男 第5話

まっすぐな男第5話を観た。
面白かった。面白かったけれど…う~ん。なんだか物足りないんだよなぁ。
カメラワークは素晴らしい。前回はイマイチな構図にがっかりした(買い物のシーン)けれど、今回は無駄はなし。脚本も、やっぱりそう悪くはない。心の機微を身近なところから描いていくのはやっぱすごい。佐藤隆太や深田恭子の演技は正直物足りないけど、許容できる範囲だということが分かった。うん、面白い。理屈的には面白いはずなんだが…。なんか薄っぺらく感じるんだよなぁ。
よし、じゃ良い所を書こう。
喜重&将也のドラマにはなんかどこかで、すっと体の中に入ってくような移入感がある。完全な悪人が出てこない、というのも嫌味のない(そしてヌルい)関西的世界観をよく表している。関西人のDNAを持つ僕にはとても見易いのだ。伏線がわかりやすく出てくるので、視聴者がストーリーに取り残されることもない。むしろ分かり過ぎるくらいなんだが、それでも見入ってしまうだけの説得力と、すこしのひねりがある。映像もきれいだ。ありふれたカットがないから、新鮮な気持ちでテレビに向かえる。(それと阿部寛)それだけ映像としての基本を抑えているから、感情のぶつかる激しいシーンでも嫌味なく観ることが出来るんだな。なるほど。
ざっくりまとめれば『視聴者に配慮した』=『観やすい』ドラマ作りをしてると言って良いと思う。製作者が独りよがりの面白さを追及したドラマの演出なんて観れたもんじゃない。自分たちの作りたいものが視聴者にどうすれば伝わるか、てことをいつも考えてる気がする。うん。そうだな。それで彼らの作りたい・伝えたいものの第一は世界観だと思う。第一話から観る人を独自の、洗練された三宅喜重ワールドに連れて行く。心になんか訴えかける引っ掛かりを何個も用意して、違和感を覚えさせない。
そんなところかな。
で、今回『まっすぐな男』で思ったのは彼らの構築する世界観には、もしかするとリアリティーが足りないかもの知れない。と思った。すでに成立してる人間関係や起こる出来事には丁寧なんだけれども、そのぶん個人的な設定の意味付けが弱いんじゃないかな。例えば内面とか土臭さ…?弱さ…、そう弱さかもしれない。喜重&将也ワールドの登場人物はどれも強い。コンピューターゲームのキャラクターのように、単純に設定付けされた性格をただただ遂行してる様に見える。迷うこともあるが選択肢に迷っているだけで、途方に暮れた哀しみがない。そう、感情がどれもシンプルなんだ。怒って、悲しんで、喜んで、楽しむ。感情表現なんて単純化すればその四つしかない。
でも、でもだよ。
実際の人間はそんな単純に生きてないじゃないか。怒楽や悲喜が共存したり、自分のなかに芽生えてる激しい気持ちが喜怒哀楽どれなのかも分からなかったりする。その掴みどころのなさや不安定さが“人間らしさ”じゃないかな。喜重&将也の世界はうまく自己完結してるんだけれども、行動を通して人物を描いてる分だけ人臭さを感じにくいのかもしれない。
良い書き方をすれば“洗練された”悪く書けば“小綺麗な”世界観なのかな。
とくに『まっすぐな男』でそれが目立つのは、正直者で元気一杯の主人公の(世間で流布された)ありふれたイメージからくる、性格付けの弱さなんだろうと思う。『白い春』や『結婚できない男』の成功は、沈鬱な阿部寛の怪演と、設定上の奇人ぶりの新鮮さ、丁寧な語り口がマッチングしたことによる説得力なんじゃないかな。だとすると『まっすぐ一筋くん』のイメージには新鮮さがない分、内面の描写ダトカで補強する必要があったのかも。僕が観たいのは佐藤隆太のトレンディーな成功譚じゃないんだな。
まぁそもそも1クール全13回のドラマに過度な期待を寄せる方が間違ってるかもしんないけど、映像作品の一種であるドラマにも、深みを求めたって良いじゃない。前二作はドラマに偏見を持ち続けていた、僕の目から鱗を落とす位に面白かったんだから。期待はし続けるし、それが間違ってるとも思わないさ。“敢えて”書く。これがこのブログ始めた動機づけでもあるんだから。
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政権交代、僕が民主党を支持する理由①
さて、政権交代について少し書こうかと思います。

民主党が難題をいくつも抱え、国民が揺らぐ政権に不安を覚えてる今だからこそ、政権交代の意義について考察する事は重要なんじゃないかと思います。まずは自分についてから書きます。
僕は20代なので、戦中派やその反動に左傾化したした世代、学生運動に関わった世代のように思想的な背景を持ちません。本質的には無宗教、無思想の人間です。敢えて近いものを探すとすれば、“中道右派”になるかな(そうなった経緯には追々かいていく予定)。でも先だっての衆院選では保守の自民党ではなく、民主党に票を投じました。それはなぜか。
一般的にこの前の衆院選は“国民がマニフェストで選んだ選挙”として漠然と受け取られてるのではないかと思います。勿論この想定は誤りで、国民がマニフェストの完全履行を望んでいないという(たしか年末の報道、小沢案の前)データがそれを示しています。あくまで個人的な見解で恐縮なのですが、僕は前回の選挙は“政治家のあり方”が問われた選挙だと思います。少なくとも僕はそう信じて投票しました。自民党のこれまでの“これまで通りの政治家”と民主党の“あたらしい政治家”が秤に掛けられたのが前回の衆院選です。
では“これまで通りの政治家”とはなんでしょう。それは政治の根本である政策づくりを官僚に任せ、自らは政局争い・票集めに集中する在り方だと思います。自民党は戦後60余年日本を支えてきました。傾斜生産方式だの所得倍増計画だの列島改造計画だの三公社民営化といった野心的な計画、政策によって日本は戦後の荒廃から脱し、一流の経済大国に成長しました。しかしバブルが弾けると自民党から人材が払底し、政策立案を官僚に全面的に頼るようになっていきます。官僚は前例を重視するので、それ以降小泉さんの在任期間を除いて、日本全体を見据えた大きな政策は実施されなかったのではないかと思います。その頃の日本はなんだかんだ経済が元気だったので、分業はそれなりにうまくいっていて問題が表面化しなかった。国会では官僚作成の資料を読み上げ、分からない質問には婉曲表現でお茶を濁してやり過ごす手法が採用されました。政治家は票集めと政局・ポスト争いにかまけることが出来た訳です。
じゃ“あたらしい政治家”とは?官僚任せの政治形態は、失われた10年・ITバブルの崩壊を経て国の赤字(赤字国債による)の雪だるま式増大を生みます。これじゃイカンと考えた左派以外の野党が合流して民主党を結党します。自民党の年功序列に飽き飽きした若手議員が中心になり、官僚打破やら政権交代を旗印に二大政党制に向けて徐々に勢力を拡大します。利益誘導型政治・官僚支配からの脱却、公務員人件費削減、税源の地方への委譲、大型公共事業見直しなど政策を全面に押し出して選挙を戦い、国会でも理論的な意見で与党を追及していきます。ここが新しい。
“これまで通りの政治家”≒官僚頼りの政治屋
“あたらしい政治家”≒政策立案の出来る政治家
僕の中ではこんな感じです。
で、僕は小泉政権から政治に興味を持ち始め、安倍政権の時に初めて国会中継を観ました、確か。その時に国会で政策論議が成されていない事にショックを受けた訳です。改造安倍・福田、麻生と閣僚のたらい回しが本格化すると、もう閣僚は野党の質問に殆んど答えなくなってました(福田・麻生・石破・舛添さん辺りはそれなりに答えてましたけど)。基本的にはロボの様に閣僚メモを棒読みするんですが、それすら何を言ってるのか分からない(当然ながら質問の答えにはなってない)。全くディベートになってない訳です。こんな状態で日本が不況を乗り切れるハズないし、景気対策の詳細もよく分からない。しまいには定額給付金で金をバラ撒き出しました。自民党の在り方に疑問が出てきたので、民主党を支持する事になってくんですね。
実は麻生政権の景気対策は意外にまともだったりします。
麻生内閣の具体的な景気対策~なぜマスコミは報道しないのか?~
僕はそれでも民主党を支持しました。肥大化した官僚制度で生まれた種々の無駄を洗い出す必要を感じたからです。事業仕分けに関してマスコミは、やれ目標額に達してないだの、マニュフェスト違反だの騒いでましたが、1兆6000億円もの無駄を削減出来た意義は大きいんじゃないでしょうか。そしてこれからも民主党議員を中心に建設的な政策論議が成されれば、無駄の削減と有効な政策作りは必然的に成されていくと思います。仮に現状の官僚の政策立案能力が政治家のそれを上回ってたとしても、今後の日本政治を考える上で国会に於ける政策のブラッシュアップと議員による監視は必要になっていきます。
試験に通った官僚が回す政治に較べると、国民が選び誰でも立候補できる政治家が作ってゆく政治の方がより民主的で、かつ健全で柔軟性があるように感じます。僕たち国民が積極的に政治に関心を持ち、参加してゆける、そんな国家像を僕は夢想していました。民主党に投票した人には賛成して頂けるのではないでしょうか。(そういう意味で民主党政権になって、閣僚・議員が政権のスポークスマンとしてテレビの露出が多くなった事を歓迎しています)
でもそううまくいかないのが日本の政治ですね。自民党は野党になっても政策論議は殆んどせず、民主党のスキャンダルの追及と揚げ足取りしかしてません。国民の半数が(恐らく)新しい“政治”に期待を寄せる中、彼らはその足を引っ張ることしかしてません。国民の期待を裏切ってるのはどっちだと問いたいです。西田昌司という自民の議員が特に躍起になって、オザワ・ハトヤマ問題の追及を参院予算委員会でしてましたが、もううんざりです。マスコミも彼の肩を持ってるのがとてもたちが悪いです。西田議員は“決死の覚悟で”追及してゆくとかほざいているのですが、もう一度国民が自民党に何を期待しているのか頭を冷やして考えていただきたいです。
相変わらず国内メディアは座頭市のように意気がってる中、ニューズウィークに面白い記事を見つけました。
小沢スキャンダルが民主党を救う?
外人の方がよっぽど日本のこと見えてますね。この記事の中にリンクのある自民山本一太議員も分かっておられます。多くの国民が「旧来の自民党に政権を戻すことだけはやりたくない」と考えている。 「敵失」だけで、信頼を回復することは出来ないと思う。要は自民党が何をやりたいのか、民主党の政策とどこが違うのかを、国会論争を通じて、しっかりと国民に示していくことだ。僕が観てた予算委員会の時も、一太さんだけは政策を論じていた事を思い出しました。若手(中堅?)の危機感は自民党でも共有されてるという事実に安心を覚えます。
Newsweek ( ニューズウィーク日本版 ) 2010年 2/10号 [雑誌]/著者不明

¥450
Amazon.co.jp ※今週号
あと『ネトウヨ』とよばれる人たちについても書きたかったのですが、長くなりすぎたのでまた別の機会にします。今回は気合入れて書きましたが、データに基づかず書いてしまった所も多々あります。個人的な主張ということでご笑納頂ければ有り難いのですが、もし大きな間違いやそれは違うよ、という意見がありましたらご教授くださいませ。他にもなにかありましたら御気軽にどうぞ。それでは。


民主党が難題をいくつも抱え、国民が揺らぐ政権に不安を覚えてる今だからこそ、政権交代の意義について考察する事は重要なんじゃないかと思います。まずは自分についてから書きます。
僕は20代なので、戦中派やその反動に左傾化したした世代、学生運動に関わった世代のように思想的な背景を持ちません。本質的には無宗教、無思想の人間です。敢えて近いものを探すとすれば、“中道右派”になるかな(そうなった経緯には追々かいていく予定)。でも先だっての衆院選では保守の自民党ではなく、民主党に票を投じました。それはなぜか。
一般的にこの前の衆院選は“国民がマニフェストで選んだ選挙”として漠然と受け取られてるのではないかと思います。勿論この想定は誤りで、国民がマニフェストの完全履行を望んでいないという(たしか年末の報道、小沢案の前)データがそれを示しています。あくまで個人的な見解で恐縮なのですが、僕は前回の選挙は“政治家のあり方”が問われた選挙だと思います。少なくとも僕はそう信じて投票しました。自民党のこれまでの“これまで通りの政治家”と民主党の“あたらしい政治家”が秤に掛けられたのが前回の衆院選です。
では“これまで通りの政治家”とはなんでしょう。それは政治の根本である政策づくりを官僚に任せ、自らは政局争い・票集めに集中する在り方だと思います。自民党は戦後60余年日本を支えてきました。傾斜生産方式だの所得倍増計画だの列島改造計画だの三公社民営化といった野心的な計画、政策によって日本は戦後の荒廃から脱し、一流の経済大国に成長しました。しかしバブルが弾けると自民党から人材が払底し、政策立案を官僚に全面的に頼るようになっていきます。官僚は前例を重視するので、それ以降小泉さんの在任期間を除いて、日本全体を見据えた大きな政策は実施されなかったのではないかと思います。その頃の日本はなんだかんだ経済が元気だったので、分業はそれなりにうまくいっていて問題が表面化しなかった。国会では官僚作成の資料を読み上げ、分からない質問には婉曲表現でお茶を濁してやり過ごす手法が採用されました。政治家は票集めと政局・ポスト争いにかまけることが出来た訳です。
じゃ“あたらしい政治家”とは?官僚任せの政治形態は、失われた10年・ITバブルの崩壊を経て国の赤字(赤字国債による)の雪だるま式増大を生みます。これじゃイカンと考えた左派以外の野党が合流して民主党を結党します。自民党の年功序列に飽き飽きした若手議員が中心になり、官僚打破やら政権交代を旗印に二大政党制に向けて徐々に勢力を拡大します。利益誘導型政治・官僚支配からの脱却、公務員人件費削減、税源の地方への委譲、大型公共事業見直しなど政策を全面に押し出して選挙を戦い、国会でも理論的な意見で与党を追及していきます。ここが新しい。
“これまで通りの政治家”≒官僚頼りの政治屋
“あたらしい政治家”≒政策立案の出来る政治家
僕の中ではこんな感じです。
で、僕は小泉政権から政治に興味を持ち始め、安倍政権の時に初めて国会中継を観ました、確か。その時に国会で政策論議が成されていない事にショックを受けた訳です。改造安倍・福田、麻生と閣僚のたらい回しが本格化すると、もう閣僚は野党の質問に殆んど答えなくなってました(福田・麻生・石破・舛添さん辺りはそれなりに答えてましたけど)。基本的にはロボの様に閣僚メモを棒読みするんですが、それすら何を言ってるのか分からない(当然ながら質問の答えにはなってない)。全くディベートになってない訳です。こんな状態で日本が不況を乗り切れるハズないし、景気対策の詳細もよく分からない。しまいには定額給付金で金をバラ撒き出しました。自民党の在り方に疑問が出てきたので、民主党を支持する事になってくんですね。
実は麻生政権の景気対策は意外にまともだったりします。
麻生内閣の具体的な景気対策~なぜマスコミは報道しないのか?~
僕はそれでも民主党を支持しました。肥大化した官僚制度で生まれた種々の無駄を洗い出す必要を感じたからです。事業仕分けに関してマスコミは、やれ目標額に達してないだの、マニュフェスト違反だの騒いでましたが、1兆6000億円もの無駄を削減出来た意義は大きいんじゃないでしょうか。そしてこれからも民主党議員を中心に建設的な政策論議が成されれば、無駄の削減と有効な政策作りは必然的に成されていくと思います。仮に現状の官僚の政策立案能力が政治家のそれを上回ってたとしても、今後の日本政治を考える上で国会に於ける政策のブラッシュアップと議員による監視は必要になっていきます。
試験に通った官僚が回す政治に較べると、国民が選び誰でも立候補できる政治家が作ってゆく政治の方がより民主的で、かつ健全で柔軟性があるように感じます。僕たち国民が積極的に政治に関心を持ち、参加してゆける、そんな国家像を僕は夢想していました。民主党に投票した人には賛成して頂けるのではないでしょうか。(そういう意味で民主党政権になって、閣僚・議員が政権のスポークスマンとしてテレビの露出が多くなった事を歓迎しています)
でもそううまくいかないのが日本の政治ですね。自民党は野党になっても政策論議は殆んどせず、民主党のスキャンダルの追及と揚げ足取りしかしてません。国民の半数が(恐らく)新しい“政治”に期待を寄せる中、彼らはその足を引っ張ることしかしてません。国民の期待を裏切ってるのはどっちだと問いたいです。西田昌司という自民の議員が特に躍起になって、オザワ・ハトヤマ問題の追及を参院予算委員会でしてましたが、もううんざりです。マスコミも彼の肩を持ってるのがとてもたちが悪いです。西田議員は“決死の覚悟で”追及してゆくとかほざいているのですが、もう一度国民が自民党に何を期待しているのか頭を冷やして考えていただきたいです。
相変わらず国内メディアは座頭市のように意気がってる中、ニューズウィークに面白い記事を見つけました。
小沢スキャンダルが民主党を救う?
外人の方がよっぽど日本のこと見えてますね。この記事の中にリンクのある自民山本一太議員も分かっておられます。多くの国民が「旧来の自民党に政権を戻すことだけはやりたくない」と考えている。 「敵失」だけで、信頼を回復することは出来ないと思う。要は自民党が何をやりたいのか、民主党の政策とどこが違うのかを、国会論争を通じて、しっかりと国民に示していくことだ。僕が観てた予算委員会の時も、一太さんだけは政策を論じていた事を思い出しました。若手(中堅?)の危機感は自民党でも共有されてるという事実に安心を覚えます。
Newsweek ( ニューズウィーク日本版 ) 2010年 2/10号 [雑誌]/著者不明

¥450
Amazon.co.jp ※今週号
あと『ネトウヨ』とよばれる人たちについても書きたかったのですが、長くなりすぎたのでまた別の機会にします。今回は気合入れて書きましたが、データに基づかず書いてしまった所も多々あります。個人的な主張ということでご笑納頂ければ有り難いのですが、もし大きな間違いやそれは違うよ、という意見がありましたらご教授くださいませ。他にもなにかありましたら御気軽にどうぞ。それでは。
先週Mixiに書いた日記をアップしてみる
ニューズウィークの記事は秀逸ですねぇ。
日本メディアに爪の垢でも煎じて飲ませたい。
Newsweek ( ニューズウィーク日本版 ) 2010年 2/3号 [雑誌]/著者不明

¥450
Amazon.co.jpp※先週号
「オバマよ、大統領らしくあれ」
超党派を掲げていたオバマが、民主党の意見をまとめることで精一杯になっている。
もう一度選挙の時のひたむきさを思い出せ。
超党派政治の約束に米国民はまだ期待している。
法案可決を巡る駆け引きから身を引いて、もう一度大統領らしく。
「大統領、私たちにもできます!」
本物の改革には本物の犠牲が伴なう。
草の根の政治意欲に火を点けたオバマは、わたしたちに多くを期待して欲しい。
地域の防災計画に貢献する市民部隊、救援部隊の拡充を求める。
譲歩とは対立する両者の顔を立てることではない。
より良い未来のために何かを断念することだ。
「オバマうぬぼれ政治のツケ」
支持率の低迷は、経済政策より医療保険制度を優先したオバマの自業自得だ。
オバマは自信過剰になっていたのではないか。
共和党の失策を待ちながらもう一度金融制度を見直すべきだ。
「日米関係の危機、という幻想」
普天間問題では日米の意見が一致していない。
だがこの小さな基地が日米関係の全てではない。
北朝鮮問題では両者の協調は強まっている。
自衛隊のインド洋給油活動も中止されたが、
代わりのアフガン民生支援5億ドルは米政府から歓迎されている。
これは意見の対立というよりは経験の乏しい両政府の一時的な不合理な態度だ。
日本メディアのセンセーショナルな報道は続くだろう。
だがこれを日米関係の危機というのは大げさ過ぎる。
データを裸のままで提供する日本の新聞。
表層だけを批判する薄い意見。
雑誌はゴシップで埋まっている。
もちろんメディアと批判は切っても切れない関係にある。
その批判も多くのデータに基づいた独自のものであるべきだ。
日本メディアの批判記事はその辺の親爺にでも書ける。
実に陳腐なもんだ。
そして日本の将来を憂慮し、政府への提言をはっきりすべきだ。
それがジャーナリズムってものだろう?
確かなデータに基づいた独自の意見を展開するメディアは日本にないのか?
あの滑稽な国会にしても、薄っぺらなメディアにしても、
システムとして根付いた民主主義は、まだその本質を発揮できていない。
日本と言う国はまだまだ発展途上です。
日本メディアに爪の垢でも煎じて飲ませたい。
Newsweek ( ニューズウィーク日本版 ) 2010年 2/3号 [雑誌]/著者不明

¥450
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「オバマよ、大統領らしくあれ」
超党派を掲げていたオバマが、民主党の意見をまとめることで精一杯になっている。
もう一度選挙の時のひたむきさを思い出せ。
超党派政治の約束に米国民はまだ期待している。
法案可決を巡る駆け引きから身を引いて、もう一度大統領らしく。
「大統領、私たちにもできます!」
本物の改革には本物の犠牲が伴なう。
草の根の政治意欲に火を点けたオバマは、わたしたちに多くを期待して欲しい。
地域の防災計画に貢献する市民部隊、救援部隊の拡充を求める。
譲歩とは対立する両者の顔を立てることではない。
より良い未来のために何かを断念することだ。
「オバマうぬぼれ政治のツケ」
支持率の低迷は、経済政策より医療保険制度を優先したオバマの自業自得だ。
オバマは自信過剰になっていたのではないか。
共和党の失策を待ちながらもう一度金融制度を見直すべきだ。
「日米関係の危機、という幻想」
普天間問題では日米の意見が一致していない。
だがこの小さな基地が日米関係の全てではない。
北朝鮮問題では両者の協調は強まっている。
自衛隊のインド洋給油活動も中止されたが、
代わりのアフガン民生支援5億ドルは米政府から歓迎されている。
これは意見の対立というよりは経験の乏しい両政府の一時的な不合理な態度だ。
日本メディアのセンセーショナルな報道は続くだろう。
だがこれを日米関係の危機というのは大げさ過ぎる。
データを裸のままで提供する日本の新聞。
表層だけを批判する薄い意見。
雑誌はゴシップで埋まっている。
もちろんメディアと批判は切っても切れない関係にある。
その批判も多くのデータに基づいた独自のものであるべきだ。
日本メディアの批判記事はその辺の親爺にでも書ける。
実に陳腐なもんだ。
そして日本の将来を憂慮し、政府への提言をはっきりすべきだ。
それがジャーナリズムってものだろう?
確かなデータに基づいた独自の意見を展開するメディアは日本にないのか?
あの滑稽な国会にしても、薄っぺらなメディアにしても、
システムとして根付いた民主主義は、まだその本質を発揮できていない。
日本と言う国はまだまだ発展途上です。