まっすぐな男 第5話

まっすぐな男第5話を観た。
面白かった。面白かったけれど…う~ん。なんだか物足りないんだよなぁ。
カメラワークは素晴らしい。前回はイマイチな構図にがっかりした(買い物のシーン)けれど、今回は無駄はなし。脚本も、やっぱりそう悪くはない。心の機微を身近なところから描いていくのはやっぱすごい。佐藤隆太や深田恭子の演技は正直物足りないけど、許容できる範囲だということが分かった。うん、面白い。理屈的には面白いはずなんだが…。なんか薄っぺらく感じるんだよなぁ。
よし、じゃ良い所を書こう。
喜重&将也のドラマにはなんかどこかで、すっと体の中に入ってくような移入感がある。完全な悪人が出てこない、というのも嫌味のない(そしてヌルい)関西的世界観をよく表している。関西人のDNAを持つ僕にはとても見易いのだ。伏線がわかりやすく出てくるので、視聴者がストーリーに取り残されることもない。むしろ分かり過ぎるくらいなんだが、それでも見入ってしまうだけの説得力と、すこしのひねりがある。映像もきれいだ。ありふれたカットがないから、新鮮な気持ちでテレビに向かえる。(それと阿部寛)それだけ映像としての基本を抑えているから、感情のぶつかる激しいシーンでも嫌味なく観ることが出来るんだな。なるほど。
ざっくりまとめれば『視聴者に配慮した』=『観やすい』ドラマ作りをしてると言って良いと思う。製作者が独りよがりの面白さを追及したドラマの演出なんて観れたもんじゃない。自分たちの作りたいものが視聴者にどうすれば伝わるか、てことをいつも考えてる気がする。うん。そうだな。それで彼らの作りたい・伝えたいものの第一は世界観だと思う。第一話から観る人を独自の、洗練された三宅喜重ワールドに連れて行く。心になんか訴えかける引っ掛かりを何個も用意して、違和感を覚えさせない。
そんなところかな。
で、今回『まっすぐな男』で思ったのは彼らの構築する世界観には、もしかするとリアリティーが足りないかもの知れない。と思った。すでに成立してる人間関係や起こる出来事には丁寧なんだけれども、そのぶん個人的な設定の意味付けが弱いんじゃないかな。例えば内面とか土臭さ…?弱さ…、そう弱さかもしれない。喜重&将也ワールドの登場人物はどれも強い。コンピューターゲームのキャラクターのように、単純に設定付けされた性格をただただ遂行してる様に見える。迷うこともあるが選択肢に迷っているだけで、途方に暮れた哀しみがない。そう、感情がどれもシンプルなんだ。怒って、悲しんで、喜んで、楽しむ。感情表現なんて単純化すればその四つしかない。
でも、でもだよ。
実際の人間はそんな単純に生きてないじゃないか。怒楽や悲喜が共存したり、自分のなかに芽生えてる激しい気持ちが喜怒哀楽どれなのかも分からなかったりする。その掴みどころのなさや不安定さが“人間らしさ”じゃないかな。喜重&将也の世界はうまく自己完結してるんだけれども、行動を通して人物を描いてる分だけ人臭さを感じにくいのかもしれない。
良い書き方をすれば“洗練された”悪く書けば“小綺麗な”世界観なのかな。
とくに『まっすぐな男』でそれが目立つのは、正直者で元気一杯の主人公の(世間で流布された)ありふれたイメージからくる、性格付けの弱さなんだろうと思う。『白い春』や『結婚できない男』の成功は、沈鬱な阿部寛の怪演と、設定上の奇人ぶりの新鮮さ、丁寧な語り口がマッチングしたことによる説得力なんじゃないかな。だとすると『まっすぐ一筋くん』のイメージには新鮮さがない分、内面の描写ダトカで補強する必要があったのかも。僕が観たいのは佐藤隆太のトレンディーな成功譚じゃないんだな。
まぁそもそも1クール全13回のドラマに過度な期待を寄せる方が間違ってるかもしんないけど、映像作品の一種であるドラマにも、深みを求めたって良いじゃない。前二作はドラマに偏見を持ち続けていた、僕の目から鱗を落とす位に面白かったんだから。期待はし続けるし、それが間違ってるとも思わないさ。“敢えて”書く。これがこのブログ始めた動機づけでもあるんだから。
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