昭和レトロサウンド考房 -5ページ目

昭和レトロサウンド考房

昭和レトロサウンド、昔の歌謡曲・和製ポップス、70年代アイドル歌手についての独断と偏見。 音楽理論研究&音楽心理学研究など

映画「シェルブールの雨傘」(1964年)
私の生まれた年の公開。日本でも大ヒット。



Copyrighte Jaques Demy's film 1964



音楽担当のミシェル・ルグランは、フランシス・レイと並ぶ映画音楽の巨匠。


若き日のカトリーヌ・ドヌーブの演技が実にケナゲで美しい。
歌の部分はカトリーヌではなく実はダニエル・リカーリが歌っていたと知ってちょっとがっかりだが、このミュージカルの「音楽」と「演技」の同期性は素晴らしい。


このテーマ曲の特徴は、

 半音上行形の装飾音で始まるモチーフAと、

昭和レトロサウンド考房

ささやき合いを表現したような8分音符基調のモチーフB
昭和レトロサウンド考房

で出来ており、これらモチーフを繰り返し模倣することで展開してゆく。


二部形式1個(16小節)が完結するごとに、半音ずつ移調してゆくのも大きな特徴。
駅の別れのシーンでの、Cm→ C#m→ Dm→ Ebm の4段階移調は、壮絶に劇的である。


シニカルな現代の我々からすると、駅の別れのシーンの音楽演出はベタすぎるのかも知れないが、先入観なしで聴くと素直に感動できる作品だと思う。

公開から半世紀。自分たちの親の世代が愛したであろう作品をしみじみ鑑賞してみるのもよいのでは?




youtube動画:シェルブールの雨傘 4分45秒から開始します


宮川泰 著 『サウンド解剖学」』 中央公論社(昭和56年発行)


宮川泰先生は大阪府富田林市で育ち、奇しくも私の下宿先「永木貸衣裳店」のおばちゃんとは幼なじみ。
下宿の納屋には古びたオルガンがあった。若き日の宮川先生がよく演奏していたと聞く。


その縁あって一度だけ先生に会わせてもらえた。
1984年9月、藤井寺市民まつりのゲストに先生が来られたので、おばちゃんに連れられて楽屋にお邪魔した。

『宇宙戦艦ヤマト』の音楽が大好きだった私は当然胸がときめく。


軽く挨拶と自己紹介を済ませたあと、作曲について何か一訓、教えを賜りたいと思ったが、そこまでの時間はなかった。
すぐに年輩方の酒宴が始まり、まだ学生の私は退出することに。


再度お会いしたいと願いながらも無情に年月は流れ、2006年とうとう先生は故人となってしまわれた。


宮川泰先生が大阪芸大の教授になられたのは、わたしが卒業した後。ずっと後のことである。

あの時、立ち去ろうとする私に「じゃあ頑張ってね」とかけてくれた声が今でも胸に残る。


昭和レトロサウンド考房

(写真:著書「サウンド解剖学」の裏表紙にいただいたサイン)


小泉今日子「天然色のロケット」(1984年)
作詞:松本隆 作曲:筒美京平 編曲:船山基紀

 

シングル「迷宮のアンドローラ」と同時期、同コンセプトのアルバム「Betty」収録の曲。

 

卒論用にPC-8801mkIISRを買った時、初めてプログラム入力した曲。

 

歌の冒頭、♪黒のZで急いで来たのよ~♪ の箇所の、
宇宙の広がりを感じさせる和音進行 Eb→Cm9→Bbm9


昭和レトロサウンド考房

ファミコンソフト「パラメデス2」作曲の際に大いに参考になった。

 

正確なモータウン風ベースラインが快走感(ロケットの推進感)をかもし出しており、綺麗なコード進行と相まって心地いい。

 

榊原郁恵「ロボット」(1980年)あたりから頭角を現しはじめた船山基紀流“エレクトロポップ”がいよいよ隆盛を迎えた感がある。


昭和レトロサウンド考房

 


youtube動画 小泉今日子「天然色のロケット」



 


音楽制作ピュアサウンド
http://www.puresound-net.co.jp

 

庄野真代「中央フリーウェイ」(1977年)


ご存知、荒井由美の名曲。私は庄野真代さんの歌でこの曲を知った。


東京で車を所有したら一度やりたかったこと。カーステレオで「右に見える競馬場、左はビール工場」と歌っている箇所を聴きながら府中市付近を通過すること。永福入口から法定速度で走ってゆき、ちょうど該当箇所が府中付近と一致するように曲順をセットする。しかし三鷹料金所でつっかえて計画破綻。


「調布基地」と歌われる調布飛行場は、下り車線からは確認しづらく最近はマンションなど建物が遮断して、ほぼ見えない?と思う。


中央自動車道はフリーウェイではないとの指摘もあるが、Wikiで調べると海外には有料のフリーウェイもあるようである。というような話は音楽的にはどうでもいい(笑)


テンポ(BPM)=100強の8ビートリズムは時速80~100Kmで走行するにはピッタリ。日本のドライヴィング専用BGMの元祖と勝手に思い込んでいる。


昭和レトロサウンド考房

youtube動画 庄野真代「中央フリーウェイ」

太田裕美「暗くなるまで待って」(1977年)


引き続き筒美京平ジャズ系作品の探索。


太田裕美6thアルバム「こけてぃっしゅ」に収録。

曲名「暗くなるまで待って」は、オードリーヘップバーンの往年の映画を松本隆氏がリスペクトしたのだろう。


ボサノバ風アレンジのネタ元は、カーペンターズ「マスカレード」と思うがいかがであろうか?

ボーカルのメロディはJAZZ特有の、“テンションをなぞるような箇所”があり歌いにくい。
実に渋い良い曲だが、シングルA面にはなりえないであろうと思われる1曲。


昭和レトロサウンド考房

http://www.youtube.com/watch?v=4D-SIhOaHGY

youtube動画  太田裕美「暗くなるまで待って」

麻倉未稀「最上階」(1982年)


筒美京平による貴重なジャズ系作品。
先日書いた平山三紀「想い出のシーサイド~」がスイング調の拍子だったのに対し、こちらはロッカバラード調の拍子。


大人のジャズバラード、ムーディ、メロウなどの形容がふさわしい典型的な曲。


セカンドアルバム「Lady」のB面最終トラックに収録された曲。


お洒落で質の高い曲ではあるが、歌謡曲カテゴリーである限りシングルA面には採用されない曲だろうと思う。
そういう曲こそ筒美フリークにはたまらんのだが。


これ聴くとよく眠れます。 みなさん おやすみ~♪


昭和レトロサウンド考房

上田知華+KARYOBIN「パープルモンスーン」(1980年)


昭和レトロサウンド考房

今井美樹さんへの楽曲提供でも知られる上田知華さんが作詞作曲。やや低音ぎみでややハスキーの魅力的な歌声であります。


弦楽四重奏の編曲はなんと、すぎやまこういち先生。
制作に至った経緯、制作中のエピソード等を聞いてみたいものである。


このシングルは高校2年の春、あまりにもの曲の美しさに、なけなしの小遣いはたいて買った。
ドラクエ誕生まであと6年!という年の春であった。


youtube動画 上田知華+KARYOBIN パープルモンスーン

グラディス・ナイト&ザ・ピップス「イマジネーション」(1973年)


リンリン・ランラン「恋のインディアン人形」のオマージュ元として有名。たしかにリズムがインディアンダンスを想起させる。


原曲「イマジネーション」自体にネイティブアメリカンを意識した創作背景があるのだろうか?
それとも、このリズムからインディアンを想うのは日本人だけなのだろうか?


それにしても、よくまあ見つけてくるものだと感心する。さすが洋楽ウォッチャー筒美京平。


昭和レトロサウンド考房

youtube動画  グラディス・ナイト&ザ・ピップス イマジネーション


いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」(1968年)


4歳の頃、徳島市で紳士服店を営んでいる大叔父の家に1ヶ月ほど預けられた。
大叔父は、戦死した祖父の代わりとばかり実の孫のように可愛がってくれた。 私を見つけるたび、ひょいと抱き上げ、ひざに抱っこし「ブルーライトヨコハマ」を歌ってくれた。
子供の頃の記憶力はよい。あっという間に覚えた。「上手い上手い」とほめそやされるものだから、調子に乗って歌詞の意味もわからず歌っていたように思う。

昭和レトロサウンド考房

両親のいる神戸に帰る日が来た。大叔父が付き添うことになった。
神戸に向かう船の中でも「ブルーライトヨコハマ」を大叔父が歌う。だから私もずっと波にゆられながらこの曲を反芻していた。
神戸港到着は夜。舳先が中突堤の方向に定まる頃、デッキに出てみると眼前に素晴らしい夜景。ポートタワーを中心に市街の灯りが宝石のように散りばめられ、阪神高速のオレンジライトが水平に広がっていた。
この光景が写真のように4歳児の記憶に焼きついた。


夜の神戸港が私にとっての「ブルーライトヨコハマ」であり、色はブルーではなく、オレンジであった。




youtube動画 いしだあゆみ「ブルーライト・ヨコハマ」(1968年)



平山三紀「想い出のシーサイド・クラブ」(1975年) 平山三紀さんSONY所属時代の名曲。


近年、小西康陽さんとの対談(NHK-FM 2008年)で「ジャズはポップスの墓場(と業界でいわれていた)」と証言した筒美先生。ジャズ路線は意図的に封印してきたらしい。


たしかに、これまでの作品をふり返ってみると、ジャズ風部品が局所的に使われることがあっても、明らかなジャズアレンジは少ない。ごく稀にアルバム中に1曲混じる程度である。


青山学院大学時代、ウィントンケリーなどのジャズピアノに傾倒した筒美先生。ジャズ路線こそが筒美京平の真骨頂だと思うのだが。


「想い出のシーサイド・クラブ」は、筒美京平個人の“ほんとうのやりたかったこと”がこめられた一作と解釈して聴いている。


平山三紀「想い出のシーサイド・クラブ」(1975年) 作詞:橋本淳 作曲:筒美京平