こんばんは~maiです
ようやく、ようやく、
ダイヤモンドスクール3日目の復習記事を書き始めました
ずっと前に、
3日目の復習は終わってたんだけど、
どうにもこうにも、ブログに纏める気が起きなくて、その時間作れなくて、
(結構、ブログに纏めるの時間かかるのー)
まさに、3日目に優先順位の勉強をしたところだったから、
「こりゃ、今じゃないな。今は、他に優先したいことあるんだもんね、私。」
って気付いたので、その時が来るまで、
しっかり放置してました
ブログ書いた方が頭に定着する。
けど、ま、いいやっ。
今書かなくても、どうせ、大丈夫だっ!
って、ダイヤモンド思い出しながら、
私のことだから、
自分のタイミングでやるよね
って、自分を信じて、放っておいた
前置きはさておき、
では、行きます
今日のテーマは、
『拗ねる』という暴力
について。
少し、時間が空いたので、
2日目の復習です
人は、生まれながらにダイヤモンド
命があるから、ダイヤモンド
自覚してるか、してないかは関係なく、
私たちは、ダイヤモンドなのだ
では、ここから3日目の復習
まず、
●ダイヤモンドを忘れている状態
=拗ねている
●ダイヤモンドを忘れた状態で何かする
=失敗する
と言います。
じゃ、「拗ねる」って、何か?
「拗ねる」とは…
自分に価値がないと思っている時、目の前の人をこっちに向かせようと思い、わざとイジけること。
相手に罪悪感を与え、
こっちを向かせる行為のこと。
↓
「どうせ、あなたは私のことなんか、見てくれないよね。いつも私のこと考えてくれないよね。私に興味ないんでしょ。」
とイジけること。
↓
そんなつもりのない相手は、
目の前の相手に拗ねられたら、
自然と罪悪感を抱いてしまう。
↓
ナリ心理学では、これを、
“暴力”と呼ぶ。
なぜなら、
「拗ねる」という行為は、
人(相手)の行為を、
力ずくで変えようとすること
だから
(モラハラとかって、こういうものだね。)
↓
こうして、
何度も何度も「拗ねる」という行為が続くと、
受ける側・やられた方は、
「そうやって、人のことをコントロールしてるのかっ」
と思い、
面倒臭くなって離れていく。。。
↓
「拗ねる」という行為をした人は、
離れていく相手を見て、
「ほらね、やっぱりね私には、どうせ価値がないんでしょフガッ!!」
と言って、
それを証明する。
→〈自分は価値がない〉ということに
して、そんな明日へと、
繋がっていく
ということ。
以上、これが、
「拗ねる」という行為の仕組みです
(あー納得!!)
では…
問題ですたーらん♪
【問い】
自分が拗ねたくなった時は、
どうしたらいいでしょーかっ?
チッチッチッチッチッ
【答え】
宣言する
「私、今、拗ねてます」
「ねーねー、私、今、拗ねてるよー」
「拗ね末ですっ」
ってな感じで、
どんどん言っていく
素直に言ってしまうのです
これが言えるようになると、
どんどん拗ねなくなっていくし、
周りの人からも、
“ウザい!”と思われなくなる。
これ言えるには、
ダイヤモンド思い出して、
負けられる自分になる必要があるよね
私は、今まで、
ほんとによく、
拗ねた人と遭遇してきた
そして、
拗ねた人に、敏感に反応してた
「拗ねる」という行為をされても、
拗ねてる相手の悲しみに気付いてしまい、
罪悪感から、逃れられなくなってた。
でもそれって、
相手を可哀想だと思うのって、
自分のカルピスが薄かったからなんだよね。
拗ねてる人は、ダイヤモンド忘れてる人。
その人がする「拗ねる」という行為は、失敗。
だから、『罪を憎んで、人を憎まず』って、ナリくん言ってた。
なるほどー!
今は、誰のことも、
可哀想だ、なんて思わなくなった。
一時的に、ダイヤモンド忘れてるだけだから、
みんなどうせ大丈夫だし!って、
本気でそう思ってる
そして、
私自身も、
拗ねたくなったら、
ちゃんと言える自分になろうと思ってる。
今ココ、自分
「ちょっとぉ私、今、拗ねてるよー
ねぇ、かまって」
そうやって、大事な人に、言えること。
負けられる自分になること。
それが、私にとって、
今、一番大事なこと
恥ずかしいけど、やってみるのだ
大丈夫
だって私、
ダイヤモンドだから
以上、久しぶりの復習記事
maiでした~
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