カルト性とは、絶対的な指導者がいて、排他的な思想を植え付けられ、洗脳やマインド・コントロールが行われ、精神的経済的搾取が行われる特徴を持ちます。
言葉を変えてそれらが施された信者が教団のために自己犠牲を強いられますが、ねずみ講型の勧誘の取り組みが強いられると、周囲の人の信教の自由を侵害して教義を信じさせようとする取り組みをマインド・コントロールされた信者が行います。それが信者に植え付けられた排他性や教団への献身性によって「信じない者は悪」と攻撃性を伴って行われることが多く、長年続くことで長い期間迷惑を被っている人も多いことでしょう。
宗教に依存することで自分の不安や理不尽に対して理由をつけられる信者の行動は自由ですが、それらを人に強いることは許されません。一部の取り組みが社会問題となると注目されて法的に裁かれることがありますが、秘密裏に同様な手口で取り組む教団信者によるカルト性を伴う行動は被害を拡大し続けます。
信者のカルト性を伴う行動は続き、否定すればより強く信じるようにマインド・コントロールされているので、それら手法に気をつけながら距離を取らなければなりませんが、その事実を共有して対処できる人を増やさなければならないと思います。直接的な批判には対処された教義を間接的に追い詰めることで、信者の意欲を揚げさせない対処法が必要だと思います。
親が子どもに宗教活動を強要するなど宗教の信仰を背景にした児童虐待の実態について、こども家庭庁が調査し公表しました。
その中の虐待に当たる事例で分かってきたことは、恐怖を煽ったり脅迫や否定的な態度で宗教活動などを強要する事例が多かったことでした。宗教被害について考えてきた人にとってそれは常套手段だと思えますが、宗教二世としては教育や躾としてされてきたと取れることでもあり、虐待と意識できなかったという事例もありました。
それが安倍元首相銃撃事件で宗教二世が取りざたされたり、ブログやSNSで情報を知ったり、自分の体験が虐待に当たると気づけた人もいたようです。
カルトの手法として、心理的虐待を虐待と意識させないように心を弱らせようとすることはよくあることだと思います。そして、信者も洗脳やマインドコントロールによって信じない自由を侵害するカルト性を伴う行動に加担してしまいます。
だからといってカルトに加担してしまう信者が許されるわけではありませんが、先ずは宗教の強要は心理的虐待であると意識できる情報を知る機会が得られることが大事ではないかと思います。教えを信じない人の不幸にかこつけて、「信じないから悪い」と信仰を押し付けることで心理的虐待を辞めない信者による被害を、何度でもSNSなどに公開して知識を共有していくしかありません。
感情を煽ることは怒りや悲しみを煽るだけではありません。その人の周囲の大切な人が困らないようにと、静かに煽る手法もあります。
その裏にある意図を読み取らなければ騙されてしまうかも知れません。特に過去から手法が洗練されている団体が行えば、集団的に行われ、疑うのが罪であり信じなければ不幸なことが起こると洗脳されてしまう可能性があります。
なぜ人の不幸の原因を感情を煽りながら立証不能なものに準えるのか。その裏の目的を知ることで、被害を回避できます。その被害とはカルト性を伴う行為による金銭的、身体的、精神的被害です。
マインドコントロールや霊感商法などの手法が表面的に見えず、新興宗教に引き込まれていく過程で見落とされがちなのは、信教の自由の「信じない自由」への侵害です。
信じるのが当たり前で疑うことが許されないという空気を伴って「信じる自由」を強調されますが、徐々に「信じない自由」を抑圧されて信教の自由が侵害されていくことを見逃してはいけないと思います。
他の教団にはない涅槃経を教典とした教え。救われない先祖が喜ぶ教え。遍く一切を救う教え。そう言われながら違和感を感じたら何かを侵害されているかも知れません。
ねずみ講型の取り組みとしては、人の「信じない自由」を蔑ろにしてこの教えを信じさせなければならなくなります。そうした中で信者が自分を保つには「徳があってこの教えに選ばれた人」、「教えを信じられる自分は徳があり、教えを信じられない人は可哀想」などと自分に言い聞かせなければならなくなります。
その様な状況に自分が陥らないように、信者を不必要に刺激しないように信教の自由の侵害から、そうしたカルト性を伴う行動から離れたいものです。
SNS等でカルト対策をチェックしていると、カルト性を見るのに「何が行われているか」が重要だと言われています。どこの教義も素晴らしいものだと思います。しかし、その教団の中でどの様な指導がされていて、何が容認されているかで信者の実際の行動に表れると思います。
無断入信や無理な勧誘、信じない者の排除などは当然認められていませんが、信者による集まりの中で指導され、容認されて今も続いています。
特に人の信じない自由を侵害することでカルトと思われますが、外向けには「それは禁止されている。一部の信者が勝手にやったこと。」と問題が起これば言われるでしょう。
日常ではそれらカルト性が伴うやり取りが表に出なくとも、SNS等で言われ続けてきていることが信者の行ってきたカルト性を伴う行為であり、どんなにその存在を否定しても信者が行動すれば記録は残り続けるでしょう。そして、カルト対策ができる人が増えることを望みます。